中島潔さん―凛とした眼光と優しい眼差し
2010/06/02(Wed) Category : 人物
31日の「クローズアップ現代」で「風の画家」中島潔さん(67)のインタビューを見ました。
5月28日に清水寺に46面のふすま絵を奉納されたそうです。サイトの記事によると、2005年春に清水寺を訪れた際、その場の雰囲気に感動してここに自分の絵を納めたいと強く思い、申し入れて5年の歳月をかけて完成したものだそうです。
『何度も押しつぶされそうになった。完成まで、命が持たないと感じたほどだった』
『5年間はあっという間だった。完成した時は、やり遂げたという思いで体の力が全部抜けてしまった。それからは空白の時間が続いている。今もまだ、心身がもとに戻っていない。何だかぼんやりしてしまって、絵を描くことができない。それだけ入れ込んだのだと思う』
鰯の群れの迫力と美しさが圧倒的でした。
一匹一匹がすべて異なる個性。
それが集まっているから美しいのだ、と。
その彼の言葉から、どこかで聞いた「みんなちがって、みんないい」という言葉を思い出しました。
以前も中島さんは鰯の群れを描いたことがあったそうです。
それは、金子みすゞさんの「大漁」という詩に触発されてのこと(以下一部)。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう
喜びの裏の悲しみ―そこに、中島さんは焦点を当てたのでした。
母を亡くし、すぐに再婚した父に反発して家を飛び出し、転々としながら独学で絵を描き続けます。彼の叙情的な絵の原動力は、母への憧憬と、なんと「父親への怒り」だったそうです(あの絵柄からは想像もつきません)。
その父親が亡くなったとき、何とも思わないだろうと思っていた自分がものすごく動揺したそうです。そして、そのときになってようやく、人にはどうしようもないことがある、けれど生きていかなければならない―そういうことがわかったと述懐しておられました。
怒ったり憎んだりできるのも、そこに対象があるから。また、あったとしてもその対象がフニャフニャしていれば、怒ることも憎むこともできないかもしれません。つまり、怒ったり憎んだりできたということは、中島さんが父親から支えられていたと言うことなのです。
中島さんは、父への怒りをエネルギーにして、母への思いを絵に描いてきました。両親に支えられてきたのですね…。このように、直接のコミュニケーションはなくても、支え合っているのだと思います。
父の死は、中島さんに本当の意味での自律を迫るものでした。
彼は、「強くなった」と言います。
もしかすると、憎しみの対象である父という巨大な存在を失ってバランスが崩れ、そのバランスを取り戻すために、1200年の名刹でふすま絵を描くという重さが必要だったのかもしれません。
そして、5年間、『命が持たない』と感じるほどの自分との格闘の中で、強くなられたのでしょう。
以前、金子みすゞさんの詩をモチーフに描いた「大漁」の中に立つ少女は、群れる鰯を見送っていました。
今回、清水寺に奉納された「大漁」の中に立つ少女は、鋭い眼光で鰯の大群と向き合っています。現実から目を背けない凛とした眼でした。
そして、群れの先頭に立つ鰯。
死んでいるので目はないのですが、「優しい目になった」と言います。
中島さんは、すべてをゆるしたんだなぁ、と感じました。
「みんなちがって、みんないい」という言葉―これも金子みすゞさんの詩でした。親も子もない。みんな違う。それでいい。…中島さんもまた、そういうところへいかれたんだなぁ、と思いました。
そして、中島さんは、これまでの自分のすべてを清水寺に奉納してきたのだなぁと思いました。父への怒りをバネに書き続けてきた過去、父の死をきっかけに学んだこと―そのすべてを出し尽くしたのでしょう。最後に残ったものは、母への感謝でした。あの先頭の鰯が「ありがとう」を伝えるために天へと登っていきます。
だから、今は空っぽ。
でも…、
現実から目を背けない凛とした眼光と
すべてをゆるす優しい眼差し
その両方を持つ中島潔さん
しばらくすると、またその無の空間にビッグバンが起こり、
新たな宇宙が創造されていくのでしょう。
5月28日に清水寺に46面のふすま絵を奉納されたそうです。サイトの記事によると、2005年春に清水寺を訪れた際、その場の雰囲気に感動してここに自分の絵を納めたいと強く思い、申し入れて5年の歳月をかけて完成したものだそうです。
『何度も押しつぶされそうになった。完成まで、命が持たないと感じたほどだった』
『5年間はあっという間だった。完成した時は、やり遂げたという思いで体の力が全部抜けてしまった。それからは空白の時間が続いている。今もまだ、心身がもとに戻っていない。何だかぼんやりしてしまって、絵を描くことができない。それだけ入れ込んだのだと思う』
鰯の群れの迫力と美しさが圧倒的でした。
一匹一匹がすべて異なる個性。
それが集まっているから美しいのだ、と。
その彼の言葉から、どこかで聞いた「みんなちがって、みんないい」という言葉を思い出しました。
以前も中島さんは鰯の群れを描いたことがあったそうです。
それは、金子みすゞさんの「大漁」という詩に触発されてのこと(以下一部)。
浜は祭りの
ようだけど
海のなかでは
何万の
鰮のとむらい
するだろう
喜びの裏の悲しみ―そこに、中島さんは焦点を当てたのでした。
母を亡くし、すぐに再婚した父に反発して家を飛び出し、転々としながら独学で絵を描き続けます。彼の叙情的な絵の原動力は、母への憧憬と、なんと「父親への怒り」だったそうです(あの絵柄からは想像もつきません)。
その父親が亡くなったとき、何とも思わないだろうと思っていた自分がものすごく動揺したそうです。そして、そのときになってようやく、人にはどうしようもないことがある、けれど生きていかなければならない―そういうことがわかったと述懐しておられました。
怒ったり憎んだりできるのも、そこに対象があるから。また、あったとしてもその対象がフニャフニャしていれば、怒ることも憎むこともできないかもしれません。つまり、怒ったり憎んだりできたということは、中島さんが父親から支えられていたと言うことなのです。
中島さんは、父への怒りをエネルギーにして、母への思いを絵に描いてきました。両親に支えられてきたのですね…。このように、直接のコミュニケーションはなくても、支え合っているのだと思います。
父の死は、中島さんに本当の意味での自律を迫るものでした。
彼は、「強くなった」と言います。
もしかすると、憎しみの対象である父という巨大な存在を失ってバランスが崩れ、そのバランスを取り戻すために、1200年の名刹でふすま絵を描くという重さが必要だったのかもしれません。
そして、5年間、『命が持たない』と感じるほどの自分との格闘の中で、強くなられたのでしょう。
以前、金子みすゞさんの詩をモチーフに描いた「大漁」の中に立つ少女は、群れる鰯を見送っていました。
今回、清水寺に奉納された「大漁」の中に立つ少女は、鋭い眼光で鰯の大群と向き合っています。現実から目を背けない凛とした眼でした。
そして、群れの先頭に立つ鰯。
死んでいるので目はないのですが、「優しい目になった」と言います。
中島さんは、すべてをゆるしたんだなぁ、と感じました。
「みんなちがって、みんないい」という言葉―これも金子みすゞさんの詩でした。親も子もない。みんな違う。それでいい。…中島さんもまた、そういうところへいかれたんだなぁ、と思いました。
そして、中島さんは、これまでの自分のすべてを清水寺に奉納してきたのだなぁと思いました。父への怒りをバネに書き続けてきた過去、父の死をきっかけに学んだこと―そのすべてを出し尽くしたのでしょう。最後に残ったものは、母への感謝でした。あの先頭の鰯が「ありがとう」を伝えるために天へと登っていきます。
だから、今は空っぽ。
でも…、
現実から目を背けない凛とした眼光と
すべてをゆるす優しい眼差し
その両方を持つ中島潔さん
しばらくすると、またその無の空間にビッグバンが起こり、
新たな宇宙が創造されていくのでしょう。