当ブログを読むときの留意点
さて、書く立場から書いてきましたが、読む立場について気づいたことをフィードバックさせていただきます。
●セルフカウンセリングの参考として読む--------------------------
コメントを読まれた読者の方から、次のような趣旨のメールをいただいたことがあります。
「今まで自分は、相手にきちんと伝えるためには文章を丁寧にきちんと書かなければと思いこんでいた。だけど、なぜこの記事からこういうコメントが出てくるのか、と思えるようなコメントを見て、こちらがどんなに丁寧に書いても、結局は相手の取り方次第だと言うことがわかった。
人は自分が読みたいように読むし、自分を主張したいがために部分だけを取り上げることもある。
また他の記事を読めば分かることも、恐らく読まずに書いている。」
…これは読むときの姿勢にあると思います。自分と向き合うための参考記事として読むのか、抑圧された主張をはき出すきっかけとして読むのか。
主張はご自身の場でやってください。
常に自分と向き合う姿勢を持つ―それが自律につながる道だと思います。
●自分のこととして読む--------------------------------------
このブログを読んだ男性がご自分の妻のことに当てはまると確信し、私にカウンセリング依頼をされて、結果、自分の源家族のことが当てはまることに気付いて愕然とし、自分と向き合って行かれた方がいらっしゃいました。
このように、記事を読むとき、自分のこととは思わずに読んでいらっしゃる方も多いと思いますが、連鎖を免れる人はいません。そこに目を背けて、相手が変わらなければ自分が救われないと思っていることが依存なのです。相手の人生に自分の人生をリンクさせていることですからね。
また、自分が変わっていないのに、相手を変えることはできません。相手は、「そういうお前(あなた)だって同じ穴の狢じゃない」と無意識に分かっていますから、聴く耳を持たないのです。自分が変わったときに、自ずと相手も変わらざるを得なくなってきます。
自分を救うことに全力を尽くしましょう。
●記事が頭に入ってこない------------------------------------
相談者の方から次のようなフィードバックをいただいております。
・自分が親の立場で読んだら頭に入ってこなかったが、子の立場で読んだら頭に入っきたという例。
・頭に入る記事と入らない記事があるという例。
・IPが強いときは理解できなかったり反発したりしたが、ICが出始めると腑に落ちるようになったという例。
・同じ記事であっても、2,3年後に読み直してはじめて理解できたという例。
・初めて読んだときと異なる意味で理解できたという例。
・読めていたのに、抵抗を感じて読めないときがあったという例(IPの逆襲にあっていた)……等々があります。
無理する必要はありません。努力を手放し、休んで心を遊ばせてください。もっとも大事なのは、その生真面目な姿勢を“いい加減”に変えることですから。
もし余力があれば、ピンと来た部分や逆に違和感を感じた部分―そこが自分の中へのダイビングスポットだと思ってください。なぜ自分はそこでそう感じたのか、そこから自分の中にダイビングすれば、何かの思いを発見できるかもしれません。先に進む必要はありません。深く潜ることです。
●言葉に囚われる-------------------------------------------
これは、IP? IC? 脚本?…グルグルしてしまうことがあります。
ICを引き出すためには感性に訴える歌や絵や詩などがいいので、そういうものも入れているのですが、わかりやすく書くために論理が入っておりますから、どうしてもIP(思考)を刺激します。そこでIPが活性化して(--;)、ここにこう書かれていた、ああ書かれていた、と振り回されることがあるのです。
「分ける」ことで「分かる」ことがありますので区分しているのですが、あぁそういうことなんだと大体分かれば、あとは手放してください。
大切なことは、それが何かをグルグル“考える”ことではなく、“思い立ったら行動”してみることです。(尚、ぼーっとしたり、何もしないのも行動です)
●事例に囚われる-------------------------------------------
事例を読むと、自分もこうなりたいとか、自分はそうならないからおかしいのではないかとか、自分はどの段階だろうかとか、いろいろと比較してしまいます。が、事例はあくまでも個別体験です。十人十色、百人百様。こういうこともあるんだなぁくらいに見てください。
人と自分を比較することをやめる―それが自律ですよね。答えは自分の中にあるのですから、大体のことがつかめたらネットや付き合いから離れるのも一つの大切な方法です。外の情報に振り回されるのも一つの“癖”ですから、その癖が出ないようにこちらから断ち切るわけですね。
それぞれが自分オリジナルの道を探って行くしかありません。
人の道を歩いても面白くないでしょう?
●コメントを読むときの注意-------------------------------------
コメントに対して「Youメッセージ」の批判的コメントがつくことがあります。コメントポリシーを明確にしましたのでなくなると思いますが、通りすがりにつけていく人もいるでしょう。(そういうときは削除するまでお待ちください)
この時に、自分が書いたせいでそういうコメントを呼び込んでしまったと自分を責める人もいると思います。が、既に記事に書いたとおり、それは「自分のせいで」と自分が責めを負うことで人にかかわろうとする共依存界の思い癖ですね。自分のせいにする人は、自分を責める人を呼び込みます。
自分のやったことで他人が影響を受けたと思う必要はありません。逆に言えば、他人への影響を考えるあまり自分の行動を規制する必要もありません。たとえば、他人への影響を考えるのであれば、私はブログを書けなくなってしまいます。
自分のやった行動で誰かが何らかの反応をするのはあることです。しかし、その反応は反応した人自身の問題だということをお忘れなく。その反応に対して自分の行動と絡めると言うことは、その人の人生を背負うことになってしまうのです。
どの人も、自分以外の人(親兄弟も含めて)を背負う必要はありません。
あなたがあなたの人生だけをしっかりと背負うこと。(←書くと当たり前のように見えますが、この当たり前のことができていないから不幸が連鎖しているわけでしょう)
それが人のせいにしない生き方であり、すべての人が幸せにつながる生き方なのです。
●記事の転載について----------------------------------------
既に書いたように、それぞれの記事が方向性を持って書かれています。そのため、その方向性をわかりにくくするような思いは省いていたりします(それはまた、別の記事で書くことになるわけですね)。
つまり、いろいろな立場や思いを配慮して書いているわけではないと言うことです(というよりも、そういうことは不可能ですが)。
ですから、単発の記事をそのまま引用することは誤解を生むことにつながる場合もあります。リンクはフリーですが、記事を基にご自身がどう感じたのか―そこを書くのが本旨だと思います。