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「FLOWERS -フラワーズ-」~凛として立つ花たち

2010/06/24(Thu) Category : 映画
映画の半ばあたりから、涙をこらえきれなくなった。
後半はもはや涙を口元でぬぐうありさま。

妻に誘われて見に行き、何の先入観もなしに見始めた映画だった。
終わった後は、あの「THIS IS IT」の時と同じ。
しばらく通路から出られなかった。

全く…、妻の誘う映画には不意を打たれる。
妻はまたも、この映画は一人では見る気がせず、なんとなく私と見たいと思っていたそうだ。実は、この映画を見る数日前に「告白」を見に行ったときにもこの映画の話題が出ていたのだが、私はあまり気にとめていなかった……。



★「告白」-------------------------------------------------

「告白」は、見に行った娘が帰って来るや話したくてうずうずしており、聞くと、その表現力の豊かなこと。精神が追い詰められていく不気味さが伝わってきた。「パパとママも見て」と言うので、「お前一人で抱えていたくないんだろう」と冗談とばしつつ、翌日妻と見に行ったのだ。

娘の表現のおかげでかなりイマジネーションをかき立てられていたせいか、映画の方がおとなしかった(いえ、十分なんですが)。

確かに救いのない映画だった。登場人物のすべてが、自分で自分を支えられない人たち。人を道具にして自分を支えようとし、自分を道具にして自分を認めてもらおうとしている。愛に飢えた羊たち…。

気持ちこそが自分自身であるのに、その気持ちは封印された迷宮の中だから、自分はどこにも存在していない。その狂おしい空虚の中で、『馬鹿馬鹿しい』と言いつつ存在証明のゲームが憑かれたように進行していく…。

…とはいえ、私も若い頃ケンカしたときに、こいつを道連れに3、4mほど下の、殆ど水が流れていないコンクリートの川に落ちてやろうとしたことがあり、一旦転がりはじめたときの冷静な狂気を少しだけ知っている。
この時は、ケンカ相手の仲間が見届け役としていて、彼が察知して止めてくれたので今では感謝だが、自分の味方ではなくとも、ともかくそこにまっすぐに立っている人間が一人いなければ、事態は付和雷同的に浮き草のように流れていくこともあろうと思う。

敵とか味方とかではなく、まっすぐに立っている人間がいないこと―それが、救いのない世界なのだろう。





【Radiohead 「Last Flowers」 】





★「FLOWERS」-------------------------------------------

翻って、その数日後(先週の話しです)に見た「FLOWERS -フラワーズ-」。

6人の女性達のいずれもが、恨みと愚痴と嘆きの人生を歩んでもおかしくない背景を持っていた。その抱える背景を思うとき、涙があふれるのである。

この中の誰もが、どのように堕ちていてもおかしくなかっただろう。
しかし、彼女たちはその運命に負けなかった。
なぜ、彼女たちは人を道具にする共依存界に堕ちることがなかったのか。

それは、凛として立つ自律モデルを見てきたからだろう。

この3世代の女性達の源流―その名も、「凜」。
彼女が見事だった。

自分の思いを怖れず口に出した。
そして、気持ちのままに行動した。

親の愛に気づいた。
そして、謝り、感謝し、けじめをつけた。

結婚という、親別れ・子別れの儀式を立派に果たし、親子のへその緒を覚悟を決めて断ち切った。

個人の発達課題、家族の発達課題をきちんとクリアして、見事な背骨を持つ女性となった。それができたのは、凜の母親もまた、その時代の制約の中であれ自分の背骨を持っていたからだ。

そして、何より、親という愛、伴侶という愛に包まれていた。
愛が彼女を育み、まっすぐな背骨を作り上げ、
そして、自律モデルとなった彼女が、子孫の人生を支えたのである…。





【DREAMS COME TRUE 「ねぇ」】





---------------------------------------------------------
人は皆無意識に人生脚本を歩いている。
無意識であれ、それは自分が作った脚本だから、演ずる舞台も登場人物も自分が(無意識に)選んでいる。

そう、映画と同じ。先にシナリオがあり、その世界観に合わせて登場人物も配役も自分が選んでいる。私たちは「告白」の世界にも「FLOWERS -フラワーズ-」の世界にもいけるのだ。
どちらにいたいのか? それは脚本が決定している。


だから、脚本を書き換える意味で、「結婚」という儀式は大切だった。
「もう帰る家は無いと思え」と親が子に言うのは、親が“子ども”としての吾が子を断念する決意。
「これまでありがとうございました」と子が親に感謝するのは、それが訣別の時だからである。

この時に、親のために生きてきた人生脚本を捨てる。
それは、自己のアイデンティティの再構築せまられることになる。
また、それがなければパートナーとの新なアイデンティティを確立できない。

つまり、結婚の時点でかつての自分は一度死に、新たに生まれ直すのである。白は死に装束であり、まだ何ものにも染まっていない誕生の色でもある。そういう意味で家族心理学的には、結婚式はかつての自分の葬式であり、ハネムーンは親族や友人達が自分を野辺送りする儀式であった。

いろいろな思いで、凜の結婚式当日の騒動や白無垢の姿、そして嫁入りの道行きを見た。



---------------------------------------------------------
もう一つ感じたこと。
それは、人間をまっすぐにさせるために自然の果たす役割は、とても大きいということ。

人工物は、所詮人の感情の塊(表現)だ。
そこから、常時感情のエネルギーを浴びている。
人が自然の中で浄化されるのは当然なのだ。

そういう観点から、「開発」や「建設」というものを見すえれば、私たちが一体自分達に何をしようとしているのかがわかってくるだろう。誰だったか、建築というのは空間に影響を与えること―その影響力に私たちは無頓着すぎたと反省していた建築家がいたが……「開発」や「建設」によって、私たちのまっすぐな命は、守られているだろうか。

その名も「Last Flowers」というミュージックビデオ(「告白」の主題歌)は、林立する摩天楼の足元で、人が命を蝕まれて倒れていく姿が描かれているように思う。




涙のきっかけは、まさに「告白」でもテーマとなっていた「命」にかかわるエピソードだった。
が、その後も涙が続いたのは、自然の美しさ、そしてそれぞれが背景を抱えながらもまっすぐに生きようとする美しさだった。その映像の積み重ねが、ついに堰を切ったような涙となったのだろう。


「美しい」―そう思った。


よきものが世代間連鎖している。

いいものを見せてもらった―そのことへの感謝があふれた。



あちらにもこちらにも、よきものをつなごうとしている人たちがいる。

それを知ったことが、私の中のチャイルドはとても嬉しかったのだろう。

だから、「THIS IS IT」の時と同じくらいに揺さぶられたのだと思う。



ありがとう。











  






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死に装束

匿名さんの
 >死ぬ必要があるのは女性だけ?
に反応して初コメントします
 その発想は男性優位というより、女性の心的体験からの発想だと思います
 男性優位って、生殖的にではなくて、文化などからの人間の思い込みのことですよね?
 結婚式自体が男性優位となるとそうかもしれませんが・・・
 

 

「白は死に装束」
白を着るのは女性。嫁に行く女性。
死ぬ必要があるのは女性だけ?
男は?
その発想は男優位の発想ではありませんか?
男は、<家単位>の発想。
男は親から離れられない。

 

子供が親の所有物じゃなく一個人であり一魂なら、なぜ懐妊し産まれたら¨おめでとう¨と言うのですか?
なぜ子供が産まれると嬉しいのですか?

本能ですか?

 

モラルハラスメントは連鎖する。
その理論はよくわかります。
その中に、生物学的なDNAは一切関係ないのでしょうか?
まったく一切関係ないのでしょうか。

生まれたての赤ちゃんがまったく同じ条件のなかにいても
ずっと泣いてる子とずっと眠っている子がいます。
育てている最中もおとなしい子もいるし泣き通しの子もいます。その違いはなんですか?双子でもまったく違う人生を送ることがあります。

いずれにしても、IPやIC。その原因が親であることに間違いはないと思いますが、その親の対応を、どう受け取るかは生まれた時の性格(DNA)に関係してはいないのでしょうか。

生きづらさはすべて親が原因なのですか?

 

「鉛色」でない空の下で

今年3月に大学を卒業した無職就活中の25歳男です。
大学在学中は、ずっと出口のない絶望の中にいた気がしています。
ただ、偶然、安冨歩『ハラスメントは連鎖する』(光文社、2007年)と出会い、だんだんと「IC」を思い出すことができて、なんとか今日に繋がっているように感じています。

今年卒論で、安冨のハラスメント論から見た孤独感の解釈を取り上げ、その後DVの問題、児童虐待の問題へと視野が拡がってきました。その流れでこのブログに出会い、自分がそれらを通して学び感じた一連のことはすべてこのブログの中に尽くされている気がしています。もっと早く出会えていれば。(とは言え、私の学びはあくまで私の学びであり、このタイミングでしか出会えなかったのであろうと思っていますが)

「戦争の衝撃から連鎖する今の20代若者の生きづらさ」というのも、漠然と私の中で考えていたことがこのブログでははっきりと言葉にされていて、我が意を得たり、という気分です。(あつかましくてすみません)


単にコメントが残したくなりまして、こうして文を連ねさせていただいております。
過去ログも含め、これからもよく拝読したいと楽しみにしております。

 

いつも自然に受け止められていると実感しています

あるきっかけから気持ちがざわざわ。やりきれなくなり、外へ。そしたら…
ふわり。
ホタルが飛んでいる。小雨の中を滑るように舞うほのかな光は、仲間の光と出会って、ゆっくりと明滅しながら行ったり来たり。追いかけて夕闇の中を歩く。湿気でべたべたするけれど風は心地よく、しゃがんで眺めてると不意に涙がぼたぼた。
泣いてる間にホタルはあっちで仲間に挨拶して、すっきりした私のところへ戻ってくる。そして来た方へ戻って行く。
そろそろ帰るか?そう言われたみたいな気がして、歩きだす。
ありがとう、きっと会いに来てくれたんだね。その光が、素敵なパートナーに届きますように…

 

新しい自分

このブログに出会い、毎日自分や周りの友達のことを考え直していく時間をとるようにしています。
おかげで昨日の朝には思い至らなかった気持ちを持って今日は歩き出す…という新しい自分に気づきながら、1日1日を送れるようになりました。
ありがとうございます。
久しぶりに映画も観に行ってみようかなと思います。
ワンピースはうちも親子でしっかりはまってます。最近はよくゆずの『ワンダフルワールド』を聴いています。

いろんな出来事はあるけど、生きていれば身の回りに新しい出逢いはいっぱい待っていてくれる。
何でも受け入れて感じてみる柔軟な心を持ち続けていきますね。


 
    
 
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