5.OJTからOJEへ脱工業化社会に合うマネジメントに転換せよ
2004/05/05(Wed) Category : 会社・改革
【「月刊人事マネジメント」2004年5月号インタビュー】
これからの人事への提言として、まず採用について中尾さんは次のように話す。
「いかに異質な人材を集めるかを考えるべきでしょう。
まだ学閥や学歴主義がはびこっているのが気になります。
特に理系の場合は教授とのつながりなど、過去のしがらみも大きいですから。
しかし同質な人材が集まった中では、なかなか新しいものは生まれてきません。
大きな変革が起きるときには、遺伝子変異がきっかけになります。
そのために、まず紹介派遣などを通じて様子を見る手もあります。
私も人事をやっていた頃、このような方法で、採用実績のなかった大学から正規採用につなげました。これも異論があって相当な手間がかかりましたが……。しかしそういうことにトライして、一歩踏み出す価値はあると思います」
だが異質な人材を確保しても、マネジメントが旧来式では彼らを活かすことができない。次に中尾さんは、脱工業化社会型のマネジメントの必要性を強調する。
「せっかく優秀な学生を採っても、たいてい3ヶ月くらいでやる気を失うケースが多いのです。特に目立つのは、研究所などに配属された院卒の女性です。入社するときは、男性よりも意欲旺盛で、非常に優秀な人が多い。この日本社会で女子学生が大学院まで進み、技術者になるには相当な覚悟が要りますよね。その決断をして努力してきた人たちですから、それはもう腹が座っています。
ところが管理者のテーマの与え方が悪いために、その力を伸ばせない。要するに男性と差別してしまうわけです」
では男性社員のマネジメントはというと、結局こちらにも問題はある。
「新人と言っても院卒レベルの人たちは、既に自分なりの方法論を持っています。ところが管理者は、自分の方法論を押しつけるのです。
相変わらずの上意下達で、手足のように使おうとするわけです。
工業化社会が発展する過程で、中高卒の均質な労働力をマネジメントしてきた方法論が、そのまま通用すると思っている」
中尾さんが指摘するマネジメントの問題は、何も新人に限ったことではない。
違うカルチャーを背負ってやってくる即戦力、異彩を放つスペシャリストなどを、活かしきれないなどの現実もある。
「これからはOJTではなくOJE(オン・ザ・ジョブ・エデュケーション)が重要です。相手の能力や状況に応じて、その都度どうすればよいかを考えて答えを出して行く。
一つのやり方を全員に体得させる“トレーニング”ではなく、その場に応じた最善の方策を創造する力を養う “エデュケーション”です」
トレーニングを要する職務の多くが海外拠点に移り、そのぶん国内においてはエデュケーションの必要性が増している、という言い方もできるだろう。ところが人材育成の概念がトレーニングのままだとすれば、組織が停滞するのは当然だ。
「入社して半年で、優秀な頭脳を持つ人材の目が死んでいく現実」を、中尾さんは何度も目の当たりにしてきた。だからこそカウンセリングマインドで、組織を変えることに意欲を燃やしている。そして同じ志を持つ人事マンにも熱い期待を抱く。
「やれることは昼飯の食べ方を変えることからでもいいですよ。
私は会社時代、いつもさまざまな部署の面々と、食事に出かけて話をしていました。それだけでも視野が広がり、信頼関係づくりにもなる。
ところが人事担当者の多くは、いつも同じセクションの同じ顔ぶれで昼飯を食べている。これでは自分たちの古い枠から抜け出せませんよ。明日から、いつもと違う人と飯を食べに行ったらどうでしょう」
【after an hour】
人間として当たり前のことを当たり前にすること。
中尾さんが実行して成果を上げ、世の中に広く提唱していることは、もともとそういうことではないかと思う。
人の気持を大切にすること。
お互いを活かし合いながら全体最適に向かって進むこと。
その当たり前のことが、当たり前ではなくなっているところに、
現代社会の病巣が映し出されているような気がしてならない。
EQがリーダーシップの文脈で語られることが多いのも、
消えかかった「ふつうの関係」を取り戻す必要性からかもしれない。
正しいことを言っても人は動かないが、心を許せる人の言葉には動く。
そして許し合える関係が広がれば、行動のエネルギーが生まれてくる。
原点に立ち戻って我が身と組織を見つめ直せば、見失った当たり前のことを掘り起こすきっかけがつかめそうだ。
そのチャンスを与えてくれるファシリテーターは誰だろう。
もしもいなければ、あなたが第1号になればいい。
これからの人事への提言として、まず採用について中尾さんは次のように話す。
「いかに異質な人材を集めるかを考えるべきでしょう。
まだ学閥や学歴主義がはびこっているのが気になります。
特に理系の場合は教授とのつながりなど、過去のしがらみも大きいですから。
しかし同質な人材が集まった中では、なかなか新しいものは生まれてきません。
大きな変革が起きるときには、遺伝子変異がきっかけになります。
そのために、まず紹介派遣などを通じて様子を見る手もあります。
私も人事をやっていた頃、このような方法で、採用実績のなかった大学から正規採用につなげました。これも異論があって相当な手間がかかりましたが……。しかしそういうことにトライして、一歩踏み出す価値はあると思います」
だが異質な人材を確保しても、マネジメントが旧来式では彼らを活かすことができない。次に中尾さんは、脱工業化社会型のマネジメントの必要性を強調する。
「せっかく優秀な学生を採っても、たいてい3ヶ月くらいでやる気を失うケースが多いのです。特に目立つのは、研究所などに配属された院卒の女性です。入社するときは、男性よりも意欲旺盛で、非常に優秀な人が多い。この日本社会で女子学生が大学院まで進み、技術者になるには相当な覚悟が要りますよね。その決断をして努力してきた人たちですから、それはもう腹が座っています。
ところが管理者のテーマの与え方が悪いために、その力を伸ばせない。要するに男性と差別してしまうわけです」
では男性社員のマネジメントはというと、結局こちらにも問題はある。
「新人と言っても院卒レベルの人たちは、既に自分なりの方法論を持っています。ところが管理者は、自分の方法論を押しつけるのです。
相変わらずの上意下達で、手足のように使おうとするわけです。
工業化社会が発展する過程で、中高卒の均質な労働力をマネジメントしてきた方法論が、そのまま通用すると思っている」
中尾さんが指摘するマネジメントの問題は、何も新人に限ったことではない。
違うカルチャーを背負ってやってくる即戦力、異彩を放つスペシャリストなどを、活かしきれないなどの現実もある。
「これからはOJTではなくOJE(オン・ザ・ジョブ・エデュケーション)が重要です。相手の能力や状況に応じて、その都度どうすればよいかを考えて答えを出して行く。
一つのやり方を全員に体得させる“トレーニング”ではなく、その場に応じた最善の方策を創造する力を養う “エデュケーション”です」
トレーニングを要する職務の多くが海外拠点に移り、そのぶん国内においてはエデュケーションの必要性が増している、という言い方もできるだろう。ところが人材育成の概念がトレーニングのままだとすれば、組織が停滞するのは当然だ。
「入社して半年で、優秀な頭脳を持つ人材の目が死んでいく現実」を、中尾さんは何度も目の当たりにしてきた。だからこそカウンセリングマインドで、組織を変えることに意欲を燃やしている。そして同じ志を持つ人事マンにも熱い期待を抱く。
「やれることは昼飯の食べ方を変えることからでもいいですよ。
私は会社時代、いつもさまざまな部署の面々と、食事に出かけて話をしていました。それだけでも視野が広がり、信頼関係づくりにもなる。
ところが人事担当者の多くは、いつも同じセクションの同じ顔ぶれで昼飯を食べている。これでは自分たちの古い枠から抜け出せませんよ。明日から、いつもと違う人と飯を食べに行ったらどうでしょう」
【after an hour】
人間として当たり前のことを当たり前にすること。
中尾さんが実行して成果を上げ、世の中に広く提唱していることは、もともとそういうことではないかと思う。
人の気持を大切にすること。
お互いを活かし合いながら全体最適に向かって進むこと。
その当たり前のことが、当たり前ではなくなっているところに、
現代社会の病巣が映し出されているような気がしてならない。
EQがリーダーシップの文脈で語られることが多いのも、
消えかかった「ふつうの関係」を取り戻す必要性からかもしれない。
正しいことを言っても人は動かないが、心を許せる人の言葉には動く。
そして許し合える関係が広がれば、行動のエネルギーが生まれてくる。
原点に立ち戻って我が身と組織を見つめ直せば、見失った当たり前のことを掘り起こすきっかけがつかめそうだ。
そのチャンスを与えてくれるファシリテーターは誰だろう。
もしもいなければ、あなたが第1号になればいい。