「嫌われ松子の一生」―存在不安と闘い続けた生涯
「ただいま」
そのエンディングに泣けて泣けて仕方がなかった。
なぜ、こんなに泣けたのか。
それは、私の内側の問題になってくる。
映画作品というものをきっかけにして何かが感応したのだろう。
ここから先は、それを知るための探索の旅になる。
丁寧に自分と向き合う時間となる。
(だからこれは映画評ではありません。数ヶ月前に書いた感想メモを公表のために解説風に直したものです。ご覧になっていない方はネタバレ注意です)
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いつもいつも病弱の妹のことばかり気にかけている笑わない父。
「人の気持ちを考えたことあるのか!」
「かわいそうだとは思わないのか!」
そう松子をなじる父親の眼中に、松子の気持ちはありません。
存在をなきものにされている松子は、何とか自分を認めてほしいと願います。
そして、唯一父を独占できた幼き日の思い出。
それは、初めて父の笑顔を見た驚きの日となりました。
(あ、ヒョットコ顔で父は笑うんだ)
松子はヒョットコ顔をして見せます。すると…
父が自分を見て生まれて初めて笑った!
自分を認めてくれた!
しかも、みんなが舞台を見ているのに、父は自分だけを見て笑ってくれた!
―松子にとっては、強烈な喜びとともに宝の日となりました。
その後も、ヒョットコ顔をする度に、笑わない顔が破顔しました。
父親が笑えば、家庭の空気もホッと一息ついたことでしょう。
…そう、親は太陽。
親の笑顔のない家庭は、太陽のない鬱々とした重苦しい国。
太陽を浴びて育つ子どもにとって、そこは追い詰められた環境。
だから人(子)は、太陽(笑顔)を拝めるのならなんだってします。
また、無視されるだけでなく、文句を言われることが役割だった松子にとって父の笑顔は、砂漠で生き延びるための一滴の水のようなものだったでしょう。
つまり、ヒョットコ顔は、父を救い、家庭を救い、何より自分自身を救う手段でした。だから、追い詰められた状況の時にヒョットコ顔になるのが癖になっていきました。そういう松子自身がこの沈鬱な家庭にあっては太陽だったのでしょう。
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さて、ここで複雑になってしまいました。
父に認められたいから、父の望む道を歩こうとします。
でも、それだけでは当たり前の話で、父は自分のことを振り向いてはくれません。
父が笑顔で自分だけを見てくれた強烈な原体験―みんなが舞台を向いているのに自分だけは父親を見てヒョットコ顔を作るような、そのくらい“どこか変”でなければ自分は注目してもらえません。
父の笑顔を独占できるのならば、他人から迷惑だと思われてもいい、嫌われてもいい。そして、父の“注目”を得るためには、そのくらい逸脱する必要がある…。
すると、無意識が二つに分かれてしまいます。
一つは、父の潜在的な期待に応えて中学校の先生になろうとする自分。
もう一つは、父の注目を得るために“どこか変”になろうとする自分。
レールに乗っていこうとするIC(インナーチャイルド)を「好かれ松子」
思いっきりレールから外れようとするICを「嫌われ松子」としましょう。
すると、常に自分は、「好かれ松子」と「嫌われ松子」の間で葛藤することになります。とても苦しい生を生きることになってしまいました。
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「嫌われ松子」は常に“どこか変”になろうとチャンスをうかがっています。そこへ、修学旅行で万引き騒ぎが起こりました。チャンス到来!(これは、松子の魂の望みに応えるように生徒の魂が行動を起こしたとも言えますが…)
こういう“チャンス”を「嫌われ松子」は見逃しません。映画を見た方は、あまりにもあり得ないドタバタ劇に見えてしまうかもしれませんが、何が何でも“チャンス”をつかもうとするとき理性は機能させてもらえない。得てしてこういうものなのです。そして、見事にチャンスをものにして、松子は教師を首になります。
「嫌われ松子」との闘いに敗れた「好かれ松子」の方は、「これで人生が終わった」と絶望。こんなにも葛藤して生きている自分に比べて、無条件に存在を認められているように見える妹に憎しみの矛先を向けて首を絞め、この騒ぎをきっかけに家を出ます。
家に、常に父の第一優先である妹が居続けている限り、父の期待通りに生きても決して自分が認められることはありません。教師になって以降は、その一方通行で報われない苦しさを感じていたでしょう。だから、どこかでこの苦しいレールからおりたかったはずです。
が、意識的におりることは父を裏切ることになるのでできません。そこで無意識が画策して、“意識”が、これなら仕方ないと思えるようなきっかけや場面を作るのです(このようなレールの降り方をいろいろと見てきました)。つまり、これだけのことをしでかしたのだから家にはいられない、という理由作りをして家を出たとも言えるでしょう。
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その後は糸の切れた凧のように、レールから外れようとする「嫌われ松子」が暴走していきます。孤独な魂だから、自分を欲する人、自分の何かを認めてくれる人であれば誰でもいい。
その男性遍歴の中で自分の身体を褒められたことから水商売へ。そこで一世風靡してカネを得、幻の自由を謳歌します。「好かれ松子」の脚本で成功を収めた後は、「嫌われ松子」の脚本でも成功を収めたのです。
が、自分の時代が終わったとき、実家に帰ると父はもう亡くなっていました。
「おかえり」と声をかけてくれる父がいるという希望を持つこと―その可能性さえも永遠に失われてしまったのです。
また、父の日記から、初めて父が自分のことを気にかけていたと知ります。
これで、自分が知りたかった父の気持ちを知ることもできました。
なんだ、わざわざ嫌われる必要もなかったのだ…「嫌われ松子」もお役御免。
これで、「好かれ松子」と「嫌われ松子」の二つの脚本はいらなくなりました。
もはや生きていることに未練はなくなったのです。
が、残っているものがありました。
それは、小さい頃からその都度押さえ込んできた父への怒り(このチャイルドを「怒れる松子」としましょう)です。父が亡くなったことで、その怒りもまた出口を封じられてしまったのです。
そのままでは、対象を失った怒りが、虐待という形で妹に向けてはき出されることになったかもしれません。ですから、家にいるわけにはいきませんでした。
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生きていることに未練はなく、対象を失った怒りははけ口を求めている―「怒れる松子」は、捨て身で怒りをはき出す方法を画策し始めました。
それが同棲相手に通帳を預けることでした。だらしのない男が金を使い込むことは(無意識に)わかっていたでしょう。そして、相手に新たな女ができて捨てられ、有り金500万円も全て使い込まれたということが発覚したそのとき、怒りはそれをはき出す正当性を得ました。
“チャンス”は訪れ“(無意識の)計画”は実行されたのです。
人を殺すほどの父親に対する怒りが爆発しました。
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「怒れる松子」の思いも晴れた(代償行為だから本当の意味では晴れていないけれど)松子は、それで全てを終わりにするつもりだったのかもしれません。
が、「好かれ松子」も「嫌われ松子」も「怒れる松子」も、どれもホントの自分ではありません。すべては父親にかかわる松子。自分はまだ自分の人生を一歩も歩いていません。このままで終わるわけにはいきませんでした。
そこに、小さい頃から自分を生きる方向へと引っ張ってくれた「夢見る松子」の出番です(物語紹介では『幸せを夢見る明るい子供時代を過ごす』とありますが、実際は、家に居場所がないから空想癖に陥っていることも多いのです)。「夢見る松子」は松子に、警察に捕まるまでの間にほんの少し出逢っただけの理髪店主を理想化して見せました。
希望を持った松子は、彼に会うために8年間のムショ暮らしを堪え忍びます。刑務所の中でも、過去自分が唯一褒められた身体を鍛え続けていたことが健気でした。
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が、出所したとき、彼は既に所帯持ち。無惨にも夢は潰えます。
そこへ、天は最大の分水嶺を与えます。
自分が転落のきっかけとなったあの生徒が、成人して再び目の前に現れたのです。トリックスターの登場でした。
トリックスターとは、自分の対応の仕方で運命がどちらにも大きく変わる存在。自分の人生に対する姿勢が問われるリトマス試験紙のような存在です。
先に見たように、彼は松子の無意識の望みに応えるように、松子が最も危機的な状況の時に現れます。彼を利用すれば、松子の隠された望みは叶えられますが、松子は救われません。
望みは叶うが救われない―
どういうことでしょうか…?
松子は繰り返し孤独に突き落とされています。
そして、その都度“誰か”にしがみついてはい上がってきます。
孤独の状況を用意しているのは、自分と向き合ってほしいICです。このチャイルドを存在不安を抱えた「不安な松子」としましょう。実は、他の4人のチャイルド達は、この「不安な松子」を見たくないために存在していたようなものなのです。
「不安な松子」から逃げ続けるために、「夢見る松子」→「好かれ松子」→「嫌われ松子」→「怒れる松子」→「夢見る松子」と、次々に乗り換えてきたようなものです。が、存在不安の強い松子は徹底して一人になることを避け続けました。「不安な松子」と向き合うことだけは避け続けてきたのです。だから、ますますさらに孤独にならざるを得ないような状況に追い込まれていくわけです。
その究極が、トリックスターの登場でした。
オモテの人生では自分を迷宮に突き落とした憎むべき相手。ここで彼を切り捨てれば、松子は「不安な松子」と向き合う道に行ったかもしれません。が、松子は、「不安な松子」ではなく彼を選びました。
「一人ぼっちよりはマシ!!」
あぁ、これだ…。
―これが、DV男から逃れられない妻、子の手足をもいでも手元に置こうとする親、親から自律しようとして抜けられない子…そういう人々に共通する心の奥にある“(無意識の)本音”なのです。
そのゾッとする本質を感じたのは、彼が血だらけになって絶命の状況に追い込まれたときでした。そのような状況にあって松子は彼に言ったのです。
「子どもがほしい」!
…もし、彼亡き後、そのままの松子が子育てしたとすれば、おそらく子どもはブラックホール化した松子にのみこまれていたでしょう。子ができなかったのは幸いでした。
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そして、彼が刑務所に入って初めて松子は一人になります。
否、初めて松子は「不安な松子」と“二人っきり”になったのです。
存在不安から逃げ続けてきた松子も、否応なしに自分と向き合う場に置かれることになりました。
松子は、故郷と似た川の畔で夕焼け空を眺めてはふるさとを思い、後は食べて寝るだけ。不安を埋めるためにゴミ屋敷。誰も信じない太った怪異な偏屈者に成りはてていきました。
そして、不安な自分を支える対象をまたしても“自分の外”に求めます。孤独で寂しく苦しい現実から自分を救い出していた「夢見る松子」―それは、生きる術であり、生き癖となっていました。光ゲンジに生きる望みを託してファンレターを送り始め、ポストをのぞくことが日課になっていきました。
「なんで返事をくれないのよ~!」
この怒りは、自分の心を放置した親に対してのものだったでしょう。
それは同時に、「不安な松子」の“自分”に対する怒りでもありました。
“自分”が、「不安な松子」に“返事”をしていなかった
―自分が自分の中にある不安を直視していなかったのです。
そして、長い長い時を過ごし…返事を待ち続けることに意味がないことを体が悟ったとき、ようやく松子は正気を取り戻します。
自分を支える対象を“自分の外”に求めている限り自分は救われない、と。
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幻の中で松子は妹の髪を切ります。妹と和解したんだね。
自分こそが「不安な松子」を見捨てていることを知ったとき、松子はわかったのでしょう。「かわいそうだとは思わないのか!」という父の言葉は、父が自分のことを言っていたのだということを。
父もまた、自分のICを見捨てていた。
妹は父のICの投影にすぎなかった。
だから、妹が父に認められていたのではなかった。
あなたもまた、父の眼中にはなかったのね、と。
そしておそらく、その文脈からそこはかとなく感じたでしょう。
母もまた、孤独であったことを―
松子は知りました。
自分一人が孤独だったのではない。
みんな
孤独だったのだと。
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松子は、おのが足でしっかりと立ち、中学生達に自分の言葉でハッキリと注意します。「不安な松子」と手を握った松子に、もはや不安はありません。
自分の足で自分を支える―それが、自律した証でした。
松子は何人分もの人生を経験して、ついに自力で存在不安から抜け、自律の地平に立ったのです!
天国で、それを見守っていた人々から惜しみない拍手が湧きました。
父は、はじめて普通の笑顔の松子に微笑んで頷いてくれました。
そして、妹が「おかえり」と迎えてくれました。
松子という個性を得た魂は、過酷な現世での旅を終えて帰ってきました。
自分の設定した運命のハードルを乗り越え、存在不安という現世での最大の難敵を克服して、今、晴れやかに凱旋したのです。
「ただいま」
私も、涙とともに拍手を贈りました。
言ってもらってよかったね…。
「おかえり」
波瀾万丈の人生は、ただこの一言のぬくもりがほしいためにあったのです…。
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…ところで…、両親がいるにもかかわらず、その片方に過剰な愛情欲求や憎しみが行く場合は、残る片方から得られない場合、あるいはそちらに感情を向けられない場合です。無意識に、そちらへの感情は封印されているため、その分までもが残る片方に行くことはよく見られることなのです(殆どの場合、本人は意識していませんが)。
松子の場合、なぜ父親にこれほどまでの執着(愛憎)を持ってしまったのか。それは、母親にそれらの感情を向けることができなかったからでしょう。その母親との関係の中にこそ、存在不安の根源があると思います。
「夢見る松子」が苦しい現実から逃れるためのチャイルド、
「好かれ松子」「嫌われ松子」「怒れる松子」が父との関わりでのチャイルド、
のように見えますが、それらの背景には見えない母親との関係が横たわっています。
その4人のチャイルドが「不安な松子」を見ないために形成されたとすれば、その「不安な松子」が抱えている問題にこそ、母親との関係があったのでしょう。
「不安な松子」から逃げ続けようとした生涯は、母親と自分の関係を直視することから逃げ続けた生涯と言えるでしょう。松子は、自分が母親から愛されていないのではないか―その不安をみたくないために、逃げ続けたのではないかと思うのです。
そういう意味で、「嫌われ松子」とは、母に嫌われているかもしれない、なぜ嫌われるんだ、嫌われたくない、どうせ嫌われているんだ、嫌われるならどうとでもなれ……それらのゴチャゴチャの母への思いが一杯詰まって凝縮されたタイトルなんだなぁと思いました。
★★★----------------------------------------------------
松子の生涯を見ると、人がいかに脳内現実を生きているのかがよくわかります。松子がすがった男性達―父親をはじめ、トリックスターに至る数々の男性達、その彼らのことを松子はどれほど知っていたでしょうか。すべては、松子が自己の内部を投影したものであり、不安を見ないために利用したのでした。そこに自律した人間関係はありませんでした。
松子が不安を直視するまでの現実は、ある意味、幻と言ってもよいでしょう。まさに映画のごとく脳内虚構の世界を生きていました。彼女がその五感を持って現実の大地に足を踏みしめたのは、あの中学生達に注意をした一晩だったのかもしれません。
しかし、覚醒した光の魂の言葉と、ブラックホール化していた肉体とのギャップはあまりにも大きなものがありました。ギャップあるところに、違和感と隙が生じます。その上、ハラスメント界に棲む人間達にとって、自律した人間の言葉は排除したい、ただうざいだけなのです。それが、あのような結果を招いたのかもしれません。
それでも彼女は、1日だけでも、虚構ではない現実を歩くことができたのです。
★★★★---------------------------------------------------
松子は人生の断面を切り取れば、夢見る少女であり、優等生であり、おかしなやつであり、挫折者であり、成功者であり、ハラッシーであり、殺人鬼であり、ハラッサーであり、ブラックホールであり、モンスターであり…いろいろとレッテル貼りできるでしょう。
つまり、そのようにレッテル貼りできる人は皆、実は同じ穴の狢であることがわかります。加害者と被害者という観点で言えば、松子はその両方です。つまり、加害者も被害者も同じ地平に立っているのです。
それは、「存在不安」という地平です。
この不安をあおって人を駆り立て、人を競争と闘争に導いているのが現代文明。この存在不安から逃げることのできる場をハラスメント界は用意し(それは虚構ですが)、思考や様々な感情さえもが、不安を見ないために動員されます。どれほど人が、自律への最終関門である「不安(孤独感、寂しさ)」を克服することが難しいかを、私はよく知っています。
でも、自分が自分から逃げ続ければ、結局闇に落ちていくだけ。
だから、最後の最後の土壇場で、松子が光の世界に戻ることができて、私は心からホッとしたのかもしれません。
悲惨な結末だったのですが、私はただ
「よかったねー、ほんとによかったねー」と…
何がよかったのか…、ただ、涙があふれていました
私が見たのは、松子と「不安な松子」(チャイルド)とのがっぷりよつに組んだ一騎打ちの物語だったのかもしれません。
「よくやった、両方ともよくやった」
…なんだか、そう思っていました。
そして、松子に「おかえり」と言ったのは、チャイルドだったのかもしれません。
あなたの帰る場所は、
あなたの中にあるのです。
あなたかチャイルドが消えちゃう前に、どうぞ会いに行ってください。
再び贈ります。
【BUMP OF CHICKEN 「涙のふるさと」】
・脳内親vs小さいちゃん
映画「嫌われ松子の一生」 レビュー・感想
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