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「誰も守ってくれない」―自分の心を守るのは自分

2010/07/15(Thu) Category : 映画
「あってはならない」

体制を糊塗するための虚構が人々を駆り立てます。


たとえば、
・売り上げ低下があってはならないと強迫神経症的に走る企業は、事実をごまかし(決算を粉飾し)、やがて落ちていきます。

・「苛めがあってはならない」と文科省が言えば、地域(教育委員会)や学校を挙げて苛めがあった事実をもみ消していきます。
【うそをつくのはなぜ?】

・りょう先生は、息子が自分の描いたシナリオからドロップアウトする事実を消すために自主退学という手続きをしに行きました。
【現実を消去した父親】

・塾講師の青年は、親からのプレッシャーを回避するために、自分を脅かす少女を殺害しました(存在という事実を消しました)。
【“事実を消す”ための殺人】

このように、「あってはならない」という強迫観念は、“あった事実”もしくは“起こりうべき事実”を消すために、人を殺人にまで追い込むことがあります。

このようにして、体制にとって不都合な事実をもみ消すことによって、体制は何事もなかったような顔をして存続していくことができるのです。

即ち、事実を消したり真実を隠したりする行為は、それをする人の意向がどうであれ、体制を維持する行為になるわけですね。

「誰も守ってくれない」を俯瞰して眺めると、起こった犯罪を社会全体が遮二無二もみ消しているように見えました。本人達の意向がどこにあるかは別として、よってたかって加害者を葬り去ることにより、悪しき体制を維持することに貢献しているのです。

最初に湧いた思いは、「犯罪があってはならない」とされている社会に人々が無意識に踊らされていることの悲しみでした。IPに操られている社会にあっては人(心)が守られない―そのことが示されているように思いました。



----------------------------------------------------------
「あってはならない」
「あらねばならない」
―そういう押しつけが人々を追い込み、犯罪が生まれます。

皆我慢して不自由に生きていますので、その怒りのはけ口を必要としています。その怒りは、怒る大義を得たときにここぞとばかりに噴出します。
(参考)【さらば!キレる大人(1)-定年退職後、突然キレだした理由】


目を向けなければいけないのは、自分たちを追い詰めている価値観(つまり自分の内側)であり、やるべきことは自分がその価値観に従わないこと(不服従)であるだけなのに、追い詰められた人々同士が責め合っています。
まるで列強に追い詰められて内部で争い殺し合った幕末の日本のように。


この映画では、加害者が、マスコミによって不満のはけ口としての役割を強制的に背負わされていることが描かれています。
また、企業においては商品を売ることで出世していくように、警察においては“犯罪”が出世のための“商品”であることが伺えます。

つまり、全ての登場人物が社会システムに踊らされているのです。
手をつなぎあえるはずの人々が…

根底にうごめいているのは、カネです。



----------------------------------------------------------
容疑者の少年は、口を閉ざします。
本当は、洗いざらい話して楽になりたいでしょう。が、話してもわかってもらえないと思う人の前で、人は口を開きません。彼がもし現家族の中で口を開くことができていれば、犯罪は起きなかったかもしれません。

その妹も、自分をかくまってくれた刑事やペンションの人をも巻き込んで、もうどうにでもなれと自棄を起こします。
この二人の子どもの姿は、自分たちが大事にされていなかったことを示しているように思います。

子供が大事にされていない社会は、心が大事にされていない社会です。
でも、それはそれ。完全な社会などありません。



親が自分を大事にしてくれなかった?
それは、親の心の内側の問題であって、あなたに問題はありません。

そのことを、親でもないあの刑事が体を張って教えてくれました。
(でも、それを気づかせてくれるのは人でなくてもよいのです)

そして、自分が価値ある存在だとわかったとき、
自分を守ってよいという許可がおります。
すると、人は自分を守る強さを発揮できるのです。
こうして少女は、自分を守る強さを身につけていきました。



----------------------------------------------------------
でも、そもそもすべての人は、価値ある存在です。
だってこの世に生まれてきているわけですから。

親に愛されないから価値がないのではなく、
現世的成功を得ているから価値があるのでもありません。

親族がどうあれ、
あなたの得たものが何であれ、
それらのものはあなたの価値に何の影響も及ぼしません。

ただ、自分が自分であるからこそ価値があるのです。

他の人になろうとする必要もなければ、
まして外から貼られたレッテルなど気にすることはありません。


すべては、あなたがそういうものに価値を置く人々と一緒にいたいのかいたくないのか、一緒にいて幸せかどうか―問うのはただ、それだけです。



----------------------------------------------------------
一緒にいたいから苦しい価値感に従い、苦しいから責め合う。
価値観に従うことを拒めば、孤立無援になるようで怖い。
……人はグルグルと同じところを歩かされています。


人(親)の価値に従うことを選ぶのも、
自分の気持ちに従うことを選ぶのも、
あなたの自由意志です。

同じ価値観でなければ一緒にいられない世界もあれば、
違う価値観であっても一緒にいられる世界もあります。
どの世界に棲むか選ぶのは、あなたの自由意志です。



「誰も守ってくれない」のではなく、
あなたを守るのは、あなた自身以外にいないのです。

そして、つくづく思います。
IC(インナーチャイルド)と自分は互いに守り合っているなぁ、と。



あなたの中に、誰よりも心強いパートナーがいます。







Libera 「You were there」(あなたがいるから)









・加害者の家族の保護の観点で描かれた映画



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例えばですが

>最初に湧いた思いは、「犯罪があってはならない」とされている社会に人々が無意識に踊らされていることの悲しみでした。IPに操られている社会にあっては人(心)が守られない―そのことが示されているように思いました。

自分の心に従って老女をナタで殺害した女子高生?女子大生?や、
幼い子どもをレイプする要求を持っている人の衝動は、事件が起きてからなら留置所に隔離されるから少しは余裕を持って相手の言い分を、『自分とは違う』と差別した上で、レッテルを貼って理解したつもりになる事は出来ますが、
事件が起きる前に「じゃあどうしようか」と向き合うって具体的にどうすれば?
それをしない方向に…と圧力を加えれば本人は本当の欲求から逃げて追い詰められる事になりますし、肯定したら周囲の価値観がおかしくなります。とくに自分が狩られる対象に入りそうな場合ますます認めるわけにはいかないでしょう。
事件発覚する前なら「やるな」と釘を刺すだけで、それ以上起こりもしないことで気を揉むのは無駄だと考え、事件が起きるまでは何もしない、知らんぷりする事が本人を刺激しないためにも一番、と考えるのではないでしょうか。
どうすべきだとお考えですか?

 

そうですね

今更ながらにして
自分を守ることの大変さを実感してます

まず、守るべきは自分
自分を守れないと大切な人を守れない
これにも気付きました

人生が修行のようです。。。

 

>最初に湧いた思いは、「犯罪があってはならない」とされている社会に人々が無意識に踊らされていることの悲しみでした。
>「あってはならない」「あらねばならない」―そういう押しつけが人々を追い込み、犯罪が生まれます。

・・・先日見たあるブログに見事に合致する(と思う)のです。
まさに中尾先生のご意見が聴きたくなる内容だと思いました。お時間のあるときに覗いてみて下さい。
どう思われますか? ↓
http://d.hatena.ne.jp/JackSpirit/20100704

 

今まで支配的な母親、モラな兄に囲まれて成長してきて
人をいじめいじめられ生きてきました。
母と兄に心を切り刻まれて、自分よりも弱いものにいじめることでしか表現できなかった幼少時代。
いじめられても自分を守る術を知らないので言われっぱなしの青年時代。
心はもの凄く屈折してました。落ちるとこまで落ちました。

いじめてた事実を親が知っても「そんなことしてないよね?するわけないよね?」と「私」の子供だからといわんばかりの
迫力でいじめてた事実をもみ消した母親。
そのとき感じた感情は安心感とともに虚しさが襲ってきました。

意をけしていじめられてたことを打ち明けても、最初の一言は「誰にされたの?」でした。もの凄く虚しかった。
もの凄く孤独だった。

生まれてから今まで家族という表面的な物はあるけど
心はいつも一人だった。孤独で生きてきたことすら気づいてなかった。その感じが「普通」だと思ってたから。

自分がACだとわかってから、傷つくことを言われたりされたら頑張ってやり返してます。
自分を守れるのは自分しかいないから。自分を守ってくれるはずの「暖かい母や兄や姉」はいないから。

吐き出してすっきりしました!

 

「あってはならないこと」とは「常に起こりうること」

>このように、「あってはならない」という強迫観念は、“あった事実”もしくは“起こりうべき事実”を消すために、人を殺人にまで追い込むことがあります。

なだいなだ『人間、この非人間的なもの』を思い出します。
「人間かくあるべし」という価値判断(強迫観念)→「お前は非人間的だ」という排除
なださんはこれを「人間という言葉への呪縛」と表現されていましたが、中尾さんの問題提起と同じことだと思いました。

―――

最後の部分

英語において、「誰も知らない。」"Nobody knows."
は、「神のみぞ知る」と訳されると聞きます。

すると、「誰も守ってくれな」くても、「神のご加護がある」。
そして、「神は自ら救くる者を救く」。
さらに、神の働きは聖霊として、人々の内にある。

聖書にせよ中尾さんの学問にせよ、私は聞きかじりの域を出ませんが、とても通底しているなあと驚きます。(他のエントリにおいてもしばしば)

 
    
 
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