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瀬織津姫物語(セオリツヒメ)

2010/07/29(Thu) Category : 宇宙・スピリチュアル
不思議だなぁと思う。
最近、「龍」のことを書いている。
「龍馬伝」の坂本龍馬から「飛龍伝」のつかこうへいときて、「画竜点睛」の話しになった。

そして、酷暑の24日土曜日。窓全開でも熱気。エアコンなき我が家では逃げ場がない。で、水風呂に入った。気持ちいい~。

そのとき手にしたのが、「瀬織津姫物語」(セオリツヒメ)。
買ったまま“積ん読”状態の本がかなりあるのだが、そろそろこれだな、という感じで手に取ったのだ。

seorituhime
読んで驚いた。龍神(水神)の物語だった。



■縄文vs弥生-----------------------------------------------

縄文時代:狩猟採集社会(紀元前145世紀~10世紀)
弥生時代:農耕社会(紀元前10世紀~紀元後3世紀)

135世紀も継続した縄文時代は平和な時代でもあったのだろう。自然と一体化した精神性の高さはアイヌに名残を留めているように思われる。
その太平の日本に、九州北部あたりに外から入ってきたのが稲作文化を持つ弥生人だ。フロー(流れる)文明にストック(資本蓄積)文明が入ってきた。ストック文明は土地がほしいので、弥生時代になると一転、争いの国土となっていく(農耕社会というイメージとは逆にね)。

さて、歴史は常に勝者によって編纂されていく。
たとえば、ちびまるこちゃんの歌にまで『エジソンは偉い人 そんなの常識』などと歌われているが、その影にはエジソンを遙かに凌駕する大天才ニコラテスラがいた。そのテスラに勝つために、エジソンがどれほど非人道的なことをしたか…ということはなかなか伝わってこない。

(ちなみに、Googleで検索すると、エジソンは7390千件、テスラは10千件―この圧倒的な差は、世の中が真実を常識として受け入れているわけではないことを物語る一つの例だろう)



■持統天皇-------------------------------------------------

閑話休題。
さて、九州に上陸した外来の弥生人が、土着の縄文人を支配していく。そして支配がなった後に、それを正当づけるために編まれるのが歴史書だ。
ここから先は誰にも正解が見えない歴史ミステリー(ネット記事+件の本+私の推測も入っていますが、ごく大雑把です)。

大化の改新(645年)の中心人物である天智天皇(中大兄皇子)は、蘇我入鹿を打ち破ったときの同志である蘇我石川麻呂の娘遠智娘(おちのいらつめ)を嫁(の一人)としてもらう。が、右大臣となり勢力を増す石川麻呂に脅威を感じたのか、「裏切り」の濡れ衣を着せて攻め滅ぼす。夫に両親を殺された遠智娘は悲嘆のあまり亡くなり、2人の娘が残された。

その次女が13歳の時に天智天皇の弟大海人皇子に政略結婚させられた。その次女が後の持統天皇である。幼き持統天皇は、百済支援のため大陸出兵に随行し、唐に大敗してボロボロになった倭軍と滅亡した国(百済)を目の当たりにしている。

帰国した天智天皇は大津へ遷都し、息子の大友皇子に皇位を継承させたいと望む。弟(大海人皇子)は、頭を丸めて吉野に引っ込むが、直後に天智天皇崩御。日本古代最大の内乱と言われる壬申の乱(672年)が勃発し、大海人皇子が勝って天武天皇となった(←天武の時より、「大王」→「天皇」と呼称が変わったという説もある)。

まぁざっと見ても複雑怪奇…。夫(父の弟)に祖父母及び母の仇である父を討たせた持統天皇は、天武崩御後、実権を掌握。子に先立たれたが、孫のバックについて日本初の上皇(太上天皇)となって政治を支配し続けた。

このように見ると、家庭崩壊、一族滅亡、国家滅亡までも見せられてきた持統天皇は、何が何でも安定した強い国作りをしようとしたのではないだろうか。法治国家を推進したのも(「大宝律令」を完成(701年))、中国に倣って日本で初めて都城制による城郭都市を建設(藤原京)したのも、不退転の決意と執念を感じさせる。



■持統天皇を突き動かした内なる不安-----------------------------

家族カウンセリング的に見ると、人が道具であることを生まれながらに見せつけられてきたが故の強烈な存在不安と人間不信がパワーの根源ではないだろうか。存在不安やストローク飢餓(承認欲求)が人を道具にすること、時に偉業に向かわせることを、いろいろな事例や相談者の方を通して実感している。

策略家と言われている持統天皇だが、内実は、怯えた女の子(外から見ればブラックホール)が完璧な安心を得るために、自分を守る城塞、人を罰する刑罰など、あれもこれも整備していったのかもしれない。

生まれてこの方、人の裏切りを見過ぎてきた持統天皇。壁を作り、罰則を作っても安心できない。問題は人の心の中にあるからだ。そこで、人々が決して自分に向かってこないように、自分の権力を絶対的なものにする必要があった。そして人々の心を権威に向かって統一する必要があった。
それを行ったのが、絶対的統一神の設置とそれへの帰依であろう。それを次に述べる。



■「天皇」の権威づけ------------------------------------------

持統天皇が、夫を「天皇」と呼ばせるようにしたのではないだろうか。“大王”という呼称は、まだ相対的で絶対的ではないからね。人間とは一線を画す天の皇でなくてはね。

そして、「天皇」を権威づけるために編ませたのが、「古事記」(712年)や「日本書紀」(720年)であろう。権威づけるためには、神代の代まで遡って人々が文句を言えないようにする必要がある。

記紀の中で、葦原中国(あしはらのなかつくに=日本)は、高天原(たかまがはら)を拠点とする天津神(天の神:弥生勢力?)によって平定されている。国津神(国の神:縄文勢力?)の最後の抵抗勢力は大国主(スサノオの子、出雲大社の祭神)だったようだ。記紀の中では、その大国主が国を譲って天津神は正当な統治者となる。これが権威の根源である。

持統天皇が、どれほど皇位の確立に貢献したか、「高天原広野姫天皇」(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)という謚号(しごう:生前の行いを評して付けられる称号)によく現れている気がする。



■瀬織津姫-------------------------------------------------

さて、縄文日本には津々浦々まで龍神が祭られていた。伊勢の地にも、ニギハヤヒ(別名:天照大神アマテルオオカミ:男神)と一対で祭られていた龍神(女神)がいた。それが瀬織津姫である。

持統天皇は、全国的に勢力を持つ瀬織津姫を封印しなければならなかった。それが縄文(国津神)の女神だったからだ。そこで、伊勢神宮の祭神を天照大神(アマテラスオオミカミ)の女神(一神)とし、記紀から瀬織津姫の名を省き、地域の各神社の祭神を瀬織津姫以外に変えるように命令した。その作業は驚くべく明治まで続いたらしい(たとえば、瀬織津姫から弁財天に変えるなど←だから、弁天さんは仏教伝来の神なのに神道の神でもあるんだね~)。言い換えれば、それほどに勢力のあった神だったのである。

持統天皇は、「千と千尋の神隠し」で千尋の名を奪った湯婆婆のごとく、瀬織津姫の名を全国から奪っていった。抵抗する神社は迫害にあったり、殺されたりすることもあったようだから容赦はない。命まで奪っていく非常さの裏に、凄まじい孤独と不安の闇が見える気がする。

さらに、名を奪うだけではなくマイナスイメージを与えるということもするだろう。いつの時代でも政治にネガティブキャンペーンはつきものだ。『倭姫命世記』では八十禍津日神(災厄の神)とされている。

しかし、畏れもあったのか、伊勢神宮では正宮に次ぎ尊い別宮(わけみや)に、荒御魂(あらみたま)として祭られている【荒祭宮(あらまつりのみや)】。

また、罪や穢れを除き去るための大祓(おおはらえ)の儀式における大祓詞(おおはらえのことば)にきちんと残っているのである。

<大祓詞:一部>
高山の末 短山(ひきやま)の末より 佐久那太理(さくなだり)に落ち多岐(たぎ)つ速川の瀬に坐す瀬織津比売と言う神、大海原に持ち出でなむ

<大祓詞口語訳:一部>
(祓い清められた総ての罪穢(つみけがれ)は)
高い山低い山の頂から谷間を下って落ちてくる急流の瀬におられます
瀬織津姫(せおりつひめ)という神様が、大海原に持って行かれます。


なるほど…瀬にいるから、瀬おりつ姫なのかも。
そして、すべての罪を祓い清め海に流す(許す)役割を持った大神であるからこそ、大祓詞からは抜くことが出来なかったのではないだろうか。
あるいはそこに、自身の罪をも自覚した上で許しを請う気持ちがあったのかもしれない。外敵から国を守るため人心を統一しなければならない。だから、御名を消していくが、国のために我慢してくれ、と……。



■山水治夫さん----------------------------------------------

山水治夫氏の瀬織津姫を祭る神社を巡る旅路は、奇蹟の連続と言えるようなもので面白かった。また、どのように隠されていたのか、その史実を目の当たりにするドキュメンタリー的なおもしろさがあった。

私が気になっている遠野(岩手)やケルトも関係があるし、高山にも関係がある。宮崎駿の世界にも通じるようだ。リーディングによる彼の過去生も面白かったし、どのように音楽が降ってくるのかも面白かった。
ケルトとヤマト

マグダラのマリアとの関係も面白かったし、「ダビンチ・コード」など、いろいろな形で隠されていたものが明かされようとしているんだなぁということも感じた。氏によれば、平成18年あたりから、その動きが活発化しているそうである。

山水氏は言う。
『祓い浄めの水の大神が、この汚れきった世の中を洗い流すために、「いる」「いらっしゃる」とはっきりと感じる』


山水治夫さんのHP





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ところで、安倍昭恵さん(安倍晋三の奥様)が、夫が総理を辞めたとき、なぜか「これからは神社だ!」と思ったらしい。そして、最初に行かれたのが出雲大社。今は、瀬織津姫を広めようとされているようです(↓)。


【安倍昭恵さんラジオインタビュー】

ブログにも書かれていらっしゃいます。





★「瀬織津姫」の舞いと歌の映像がありました。





★エミシケルトを舞った後のひるりさんのお話
ひるりさんという方は、小さい頃から自然との交流があって、その自然からのメッセージを舞で表現されている方なんだなぁと思いました。






★「瀬織津姫」ニューバージョンの舞いと歌です
衆生の中で踊る姿に、なぜか涙が出てきました。







■隠してきたものと向き合う時代---------------------------------

安倍さんのブログに辿りついて知りましたが、この記事を書いた7月25日はマヤ暦の時間の無い日だそうです。その日に世界各地で水へのセレモニーが行われるとか。その日に、龍神(水神)瀬織津姫の記事を書いていたわけですね。これも何かのご縁なのかもしれません。


不安を全力で封印した持統天皇。
持統天皇が作り上げた国家体制は、いわば不安の封印装置として機能したでしょう。(どのようなシステムもポリシーに則って形成されますから、システムがある限り、その奥にあるポリシー(思い)は発動するわけです。ポリシーが変わればシステムも変わります)
(参考)Let,s Try 虎井まさ衛リーディング-(2)組織の作り方

その体制が今崩壊に向かい、封印されてきたものが明るみに出されようとしています。ですから、持統天皇が最も封印したかった「不安」が、今の時代に次々と出てくるのも当然のことなんだなぁと思いました。

ですから、今自分の内にある不安と向き合われる方は、神からチャンスを与えられているのでしょう。これまでは、自律という側面から個別にそれを見ていましたが、時代的に自分の中にある不安や恐怖と向き合わなければならない時代なのかもしれません。そういう意味でも、やはり今、孤独や不安と向き合われている方々は先人なのでしょう。


ニューエイジと言われる水瓶座の時代(aquarian age)が幕を開けようとしています。その時代を先導するのが水の女神。

みなさま一人一人の闘いを龍神が見守っています。






【瀬織津姫が出てくる記事】
瀬織津姫の異名(別名)

古代日本の転換点4-持統天皇(アマテラス)vs瀬織津姫
古代日本の転換点8-東大寺(盧舎那仏)と宇佐神宮(比売大神)の神仏習合の意味

伊勢神宮内宮~御正宮と荒祭宮
伊雑宮と佐美長神社~国之常立神とスサノオ
椿神社(伊豫豆比古命神社)の秘密は「愛媛」の秘密

層崩壊と熊野那智大社の被害―台風12号の告げるもの
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「君の名は。」 瀬織津姫





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大変失礼なことをお聞きしますが、何故瀬織津姫の存在を抹消したのは持統天皇だと言い切れるのですか?
神社本庁に伺ったところ、そのような事実はない、とおっしゃられていました。
どのような理由でそうおっしゃられているのですか?

 

日本史好きです

藤原不比等が記紀を書かせたという説もあります。十三歳の時に壬申の乱を目の当たりにし、天智天皇の盟友である鎌足の息子という危うい立場の彼が、己の身を守るために書かせたというもの。持統天皇に仕えた彼は、目立たないように身をひそめつつ、我が身を利するように立ち回り、そして彼女の亡きあと実権を握る…そして娘を彼女の孫に嫁がせます。生まれた皇子を天皇につければ、天皇の地位を揺るぎないものにすることで彼の地位をも不動のものにすることができたというわけです。様々な思惑が絡み合うこの頃の日本史は深いです。

 

孤独や不安との向き合いは、かれこれ20年以上になります。

風神より 笑

 
    
 
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