プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
01 ≪│2017/02│≫ 03
- - - 1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 - - - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

過ちを繰り返さないために自分の体験を伝えていこう

2010/08/03(Tue) Category : 戦争
『被爆体験 沈黙破る時』【7/29朝日新聞トップ記事】

・2005年以降に、体験を初めて家族以外に話をした人 3割
・語り伝えが核兵器を使わせない力になる 8割

「定年と同時に、隠していては駄目だ、原爆の結果を知らせなければ、と思い直した」(67歳男性)

「被爆者であることを明かす社会的マイナスより、体験を後生に役立てられずに命が尽きることを悔しいと思う気持ちが強くなったことが背景にあると考えられる」(日本被団協 田中事務局長)

「子の結婚差別の心配といった不安材料がなくなり環境が整ったこともあるのではないか。それは、話すに至るまで60年以上かかったという原爆被害の深刻さの裏返しでもある」(広島大平和科学研究センター准教授 川島徳幸)



----------------------------------------------------------
【同33面より】
江嶌極さん(79)は、「言ってなんになる」と思っていた。
八王子の被爆者団体「八六九会」から証言活動に誘われても、断り続けた。
しかし、学区の小学校で証言する誘いがあり、「近所の子供たちなら話してみようか」という気持ちになった。

そして、真剣な表情で聴き入った児童達から感想文が送られてきた。
「二度とこんなことがあっちゃいけないとわかった」
「こんなことが起きないよう努力したい」
想いが伝わったんだ。胸が熱くなった。


奥田ヒサコさん(89)は、「お母さんが被爆しているから、だめじゃ」。我が子の見合い写真を預けた知人の言葉に傷ついた。
孫の川岡奈美(29)さんは、英国留学中、同級生に原爆について聞かれ、語れることがほとんどないことにがくぜんとした。今春、被爆証言を世界に伝えるピースボートの通訳募集を知ったとき、思わず手を挙げた。船内で多くの被爆者と出逢いを重ねるうちに、「人生で最もつらい記憶」を人前で明かすことがいかに勇気がいるかを知った。
ヒサコさんは、奈美さんからのハガキでその活動を初めて知り、「気持ちは通じていたんですね」と、胸が熱くなった。



----------------------------------------------------------
【同34面より】
劇団俳優座朗読会「戦争とは…2010」
戦後50年目の1995年から朗読会を始めて16回目。
9作品の内、ナガサキノート 若手記者が聞く被爆者の物語 (朝日文庫)から2編を読むのは、桂ゆめさん(29)。
下平作江さん(75)から被爆体験を聴かれたときのことが下記ブログに綴ってある。
http://ameblo.jp/yume-katsura/entry-10600870342.html


いずれの記事も、祖父母の世代から孫の世代へと、世代を超えてバトンが渡されているのが嬉しい。



----------------------------------------------------------
ナガサキというと、放送局もやめ、家族を持つことも断念し、無職でアルバイトしながら被爆者の声を聞き続けた伊藤明彦(2009年3月3日病没)のことが思い出される。
ナガサキ―被爆者の魂の声を聴け! 伊藤明彦さんの遺志



【伊藤明彦さんが遺したもの】


「この作業のために一生を棒に振ったのかもしれないけれど、何らかの人生には関与できたわけですし、その人生は全然意味のない人生でもなかったんじゃないのかな」



----------------------------------------------------------
同じ過ちを繰り返さないために、
大切なのは、智恵を伝えること。
そのためには、物語を語り継ぐこと。

『スマトラの大地震の時、全員が助かった村があった。その村では“ツナミ”の怖さが親から子へと実感をこめて語り継がれていた。そのため、潮が引き始めたとき、村人全員が一目散に高台に向かって走ったのだ。

「平家物語」も同じ。琵琶法師は、平家滅亡の物語を語り、聴衆は物語に泪を誘われながら、「人間奢っちゃいけないんだ」ということを実感として学んでいった。』
語り継ぐこと




----------------------------------------------------------
誰もが他の人にはできない固有の体験を持ち、その体験には学ぶべき宝が詰まっている。それをシェアし合うことで一人ひとりが強くなり、人類の背骨はたくましくなっていく。そのためにこそ、この多様性は用意されているのだろう。

だから多様な体験を分かち合うことで、「私もあなたも同じ人間」ということがわかっていく。多様だけれど同じ。人種も性別も優劣も支配と服従もなくなっていく。そこに自然に現出するのは、一人ひとりが自律した共生社会。

そうさせたくない勢力が、「恥をさらすな」「沈黙は金」―そういうプロパガンダまで用意して人の口を閉じさせる。昨日の記事でも書いたが、真実を語ることは、とても勇気のいることだ。

でも、勇気を出して語ろう。
『現実の声の力の強さ恐ろしさ』―上のYouTubeでも語られていたように、体温を持つ肉声の力は強い。

事実と、それに伴う気持ちを伝えていくこと。
それが、唯一、社会を真っ当にしていく道だ。






【関連】連鎖を断つために過去と向き合う






関連記事
 
Comment2  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

ぐり

中学のときに自分の学年の担任の先生たちがとても戦争に関して力をいれていて、夏休みはかならず戦争に関しての課題がでて、修学旅行も自分たちの学年だけ京都、奈良だけではなく、広島まで足をのばすほどでした。

その際に被爆体験者の方の話を直接聞く機会が2回ほどあったのですが、いまでもほんとによく覚えています。

戦争に関する課題や、修学旅行前の事前学習でいろいろな資料を見たり、本を読んだり写真をみたり情報にはかなり触れていたと思うのですが、実際の経験をされた方が目の前で話すのはまったく質が違います。

肌が感じるというか、恐怖を体で記憶している感じです。
いまでも思い出すと涙がでてきます。

聞くことができて本当によかったと思っています。


 

昔、修学旅行の時に原爆資料館で被爆者方が当時を語ってくださいました。
TVでは拝見した事があるのですが、生では初めてでした。
しゃべりは時々どもったりしながらも
でも「言わなければ」という気迫と語り手の辛そうな雰囲気、その当時の恐怖、悲痛、絶望がその場にいる人を沈黙させていました。

聞いた後の、「きかなければならない事なんだ」という気持ちと「ききたくなかった」という気持ちが混ざって複雑な気持ちだったのを覚えています。


「眩しい光の直後にさっきまであった光景は形をとどめておらず、いたはずの人達の姿もなく探し回ったが
しばらくして黒い塊がその人達だと気がついた。」

今でも忘れられない話ではあります。
今は語って下さった方に感謝していますし、当時の辛い感情を一人で抱え込まないでほしいとも思います。

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
わが子を守るために
記事
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード