自律への最後の階梯―寂しさ、虚しさの乗り越え方
爆弾から逃れるため海に飛び込んだ水木しげるが断崖絶壁をよじ登ると味方は全滅。生き残りを捜索している米兵達の松明がいくつも見えました。見つかったら殺されると、絶壁からぶら下がって米兵達が過ぎ去るのを待ちます。
彼がもはや最後と思う念がイカル(母)に届き、寝ていたイカルはがばっと起き、夫も起こして二人で「茂さーん」「帰ってこーい」と朝まで叫び続けるのです。しかも、その呼び声が断崖にしがみついている水木氏の耳に届いたのです。この二親の声が、しがみついている彼の力になったのは確実でしょう。
まぁ見ていて涙が出ましたが、このエピソードは、念(思い)が物理的距離を超えて相互に届くことを示しています。
私も、遠隔地ヒーリング(カリフォルニア-日本)を受けて、距離に無関係にエネルギーは伝わることを実感したことがあります。
■ハラスメント界は浮かばれない感情の蠢く世界--------------------
さて、前項では殺された感情が幽霊(生き霊)となって出るという話でした。
感情は、それを認められ表現されて初めて成仏していきます。
ですから、気持ちを殺して生きるということは、浮かばれない感情がそこにいつまでもあり続けるということです。その認めてもらえない感情が、人を突き動かし、それがハラスメント界を形成していくわけですね。
ですから、一人ひとりが自分の外側に向かうことをやめて、内なるIC(感情)を救うことが、ハラスメント界消滅の最も効果的な道なのですが、それが簡単な道ではないことに触れておきましょう。
まず、最後の最後に出てくるIC=孤独・寂しさ・不安を感じる(受け止める)ということが、どういうことか、ある方の事例を見てみましょう(ご承諾を得て掲載しております)。
■「心の闇」に直面化した瞬間-----------------------------------
突然、やってきました。
「寂しい!!」
ずっと、こんな苦しい気持ち抱えていたんだね。
この一人ぼっち、
寂しさ=死だった。
死ぬこと、死にたいことと直結していた。
どっかーん!!
ときた。
肺か心臓か、
その奥にあった。
今は、その道まで気道があいてる。
ずっとずっと奥底にあった。
それを見せない、見ないように、
うんと高くまでヤリの垣根で囲って、
それが出られないように、また誰も中に入ってこれないようにしていた。
なんて事なんだろう!
なんてむごい事なんだろう!
なんてひどい事なんだろう!
こんな感情、抱えていたなんて…
ひどいよ!
辛いよ!!
苦しいよ!!!
半端なかった…
息できない位。
あー、死んでもいいな。
いとも簡単に死に移行することもできた。
こんななんだね。
隠れていた。
隠していた。
今までで一番すごかったよ。
わめいた。
泣きまくった。
全身震えた。
今でも、震えてる。
あー、みつけた。
やっとやっとみつけたよ。
でも、本当、半端なかったよ。
すごかったよーーー!!!
■「何かくる」までの道筋---------------------------------------
この方もカウンセリングを始めて2年以上、自分と向き合い続けていました。
そして幾つかの激震があり、いろいろな問題が徐々に整理されていき、感情も時に爆発を繰り返しながら心のコップの水位を下げつつ、背骨を創っていかれました。
やがて周りを気にさせるIPとの分離もすすみ、あらゆることを背負い込む生き癖(人生脚本)の修正も始まり、それらの夾雑物が取り払われていくと、やがて「何で私は一人なんだ??」と改めてつきつけられるところに来ます。
日常のいろんな場面で、家族があるのに「一人」を突きつけられるようになります。一人になることを望みながら、一人ぼっちが寂しいのです。
みんな、誰かと一緒にいる。なぜ私にはいないんだ。
一人でいることを悟られたくない。
一人で寂しいだろ?って誰かに言われたくない。思われたくない。
そして、不意に虚しさが襲うようになります。
どのようにそれを受け止めてよいのかわからない空洞。空しさ…
秋葉原事件の加藤被告を思い出しますね。
【1日中繰り返される「一人」のつぶやき】
やがて、ひたすら眠る日々が訪れます。
とにかく眠い。すぐに眠れる。
家族と強制的に離れるためにホテルに一泊しても、疲れ果てているのかすぐに眠るようになります。
そのような日々が過ぎ、「何かくる」予感がし始めます。
しかし、それがなんなのかはわかりません。
でも、何かの“感じ”があるのです。
そして、とある日、ホテルで一人横になったとき…
「あー、誰かに後ろから暖かく包み込んでもらいたい」
「温もりが欲しい」
そう、思ったとき、いきなり、何の前触れもなく突然襲ってきたのが、上記に書いた感情でした。
■“むごさ”の中に浸るということ----------------------------------
それは、まさに「死」と直結していました。
やろうと思えば、すぐに「死」に移行することができました。
まさに闇の中にどっぷりと浸かったような状態。
全身で感じ、泣きわめき、叫び……それが、15分くらい続いたのです。
「むごい」という言葉が出てきました。
(今朝の「ゲゲゲの女房」でも出てきましたね)
なぜ、むごいのでしょう。
この方は、自分の気持ちを殺し続けて生きてきました。
その背景にあるのは、あるがままの自分には価値がないという不安、親に認められなければ無きものにされるという恐怖でした。極端な表現をすれば、親に殺されてしまうということです。
親に殺されないために、自分が自分を殺したのです。
(自分を)殺さなければ、(親に)殺されるのです。
「殺さなければ殺される」―そう、戦場の世界そのままですね。
(奇跡的に陣営にたどり着いた水木しげるが言われた言葉は、「なぜ死ななかった。今度は真っ先に死ね!」という言葉でした。
「死ななければ死なされる」のです)
最近、YouTubeで見た、ベトナムのソンミ村虐殺の事件を思い出します。
米軍が、老人、女子どもすべてを皆殺しにして、村を消し去った事件です。何の意味もなく、平和に暮らしていた村人達は、ある日突然、ただ強姦され殺されたのです。
従軍したある兵士は、最初ためらっていました。
目の前で女性が逃げました。撃ちたくはありませんでした。
が、腕に何かを抱えていました。兵士は、それを武器だと、自分に思いこませました。それで撃つ理由ができるからです。撃たなければ、自分が軍規に背いたと処罰がまっています。彼は引き金を引きました。数発を撃ち込み、倒れた女性を見ると抱えていたのは赤ちゃんでした。そして、赤ちゃんの頭は吹っ飛んでいました…。彼はおかしくなりました。一人殺せば後は同じ。その兵士は気持ちを殺し、その後は無感情に殺し続けました。
これが、人種を問わず国を問わず、あらゆる戦場で行われていることです。
気持ちを殺して生きるとは、こういうことです。
気持ちで生きるか体制に従うか―その選択を迫られたとき、体制に従うことを選択した人は、気持ちを屈服させるための理屈(言い訳)を用意します。その理屈に与した瞬間、その人はICを封印し、IPで生きるようになります。
やがて、脆い自分を守るためにIPなしでは生きられなくなり、自分は空洞化していきます。そうやって自分を殺した人間が、人を殺すことができるのです。
この女性の方も、「殺さなければ殺される」という環境の中で生きてきたのです。戦場と何ら変わりはありません。自分を殺して生きてきたということは、上記の兵士のように感情をなくした自分に殺された人々もたくさんいるということです。
そのすべてが“むごい”のです。
■自分から逃げなかった人だけが得られるチャンス-------------------
寂しさ、孤独と向き合うということは、このようなむごさと向き合うことです。
自分がされたこと、自分がしてきたことも含めて、むごい現実から目をそ向けずに直視することです。
それは誰にでもできることではありません。
この方は、2年以上にわたって自分と向き合い背骨作りをしてきました。
背骨ができたからこそ、そういう感情が出てきても自分が破壊されずにすんだわけです。
そのように自分と格闘していない人に対して、いきなり向き合えといっても無理な話なのです。まして、逃げ続けようとしている人々に対して向き合えと突きつけても、抵抗と攻撃しか返ってきません。
自分の孤独や寂しさと向き合うことがいかに大変なことかがわかると思います。だから、それを自分以外の他人(親兄弟配偶者など)に求めることが、「無理」であることがわかると思います。
では、このような苦しみと向き合わなければならない自分が貧乏くじを引いたのか?
そうではありません。
その後のその方の気持ちを聴いてみましょう。
■after-----------------------------------------------------
何か、違う自分になってる気がします。
「ありのままの私」
「何も怖くない私」がいるような。
「のびのびした私」
これがしっくりくる言葉かな。
何も気にせず、何も怖くもなく、
私は私。
遠慮も垣根もいらない。
私がしたいからする。
今までできなかった事が、できそうな気がする。
したかったのに、できなかった事。
躊躇していた事。
そんなのとっぱらえる―そんな気分!
私は、今、温かいところにいます。
だから、今は、この温かさを満喫します。
「私」をゆっくり探しながら、休みながら。
もう、焦らない。
もう、大丈夫!
自信をありがとうございます!!
■この世で最高の幸福----------------------------------------
いかがでしょうか。
この世で最高の幸福を手に入れました。
それは、
自分が自分であること。
何をしても自分―それは、この世のすべてを手に入れたと同じことなのです。
孤独や寂しさから、解放されたのです。
自律した人々と自由につながれるのです。
苦しんでいる人は、
誰もに与えられているわけではないチャンスを、
今、自分が与えられていることを知りましょう。
自分から逃げない人にしか、このチャンスは来ないのです。
そして、この苦しみを受け止めたとき、
稲妻が体を貫き、次の瞬間には空を飛ぶ龍となっているのです。
■龍たちよ、空に昇れ-----------------------------------------
経過は人ぞれぞれですが、およそここで書いたような地点は通ります。
激情→足踏み→孤独→寂しさ→虚しさ→眠気→虚無との直面化→解放
上記の「激情」に至るまでの過程は、『「親という監獄」からの脱出過程』の中での1~7に当たります。そして、最後にくるのが8,「孤独」です。その孤独に向き合う過程が上記の過程ということになります。
ですから、寂しさや虚しさに苛まされるようになってくると、本人は苦しいのですが、私は、だんだん「画竜点睛」のところに近づいてきたな、と見ているわけです(^^;)。そして、やたらと眠いことも、体が準備しているんだなぁと思ってみています。
『画竜点睛―竜たちよ、自由意志の空へ飛べ』で書きましたが、この寂しさを受け止めることだけは、たった一人で成し遂げなければなりません。
『この1点だけは、あなたが自分の手で勝ち得るしかないのだ。誰にもどうすることもできない』のです。
ここで、いろいろと道が分かれます。
が、自分と向き合う数年間を一歩一歩着実に歩いていけば、誰もが辿りつくことができるのです。
私は、多くの龍たちが、空に昇ることを祈っています。
【追記】
*なお、これで自律に至るわけではありません。岩盤に思わず亀裂が入り、隠していた感情が出てきてしまったということもあります。その場合、無意識はその亀裂を猛然と修復していきます。
また、巨大な不安や恐怖が出てきたからこそ出てくる感情もあります。それらを実感してあげることで、自分(インナーチャイルド)が自分を信じ、それが“自信”となっていくわけです。
さらに、自分の変化に気づいたからこそ、「お母さんも一緒に連れて行きたい」という欲(エゴ)も出てきたりします。そして、実母や代理母(配偶者を含む第三者)にゲームを仕掛けていきます。ボロボロになって玉砕するまで次に行けません。やるだけやらなければ気が済まないのです。
このプロセスでは次のことが同時並行的に進み、7にいたります。
1.気持ちを声に出して実感することで、小さいちゃんと自分の信頼を強める。
2.気持ちで行動したときの「IPの逆襲」の仕方を体験することで、自分が自分をどう騙しているのかが分かる。
3.上記で、思考の癖や演出感情やダミー感覚もわかり、偽物と本物の違いが見えてくる。
4.自分のことが分かることが他人(人間)を分かることに繋がる。対人で動揺しなくなる。
5.エンプティチェアで過去の自分を救うことで、ゲームを仕掛ける衝動や禁止令がなくなる。
6.エンプティチェアで母親の実体を実感し、脳内母親という虚構をぶち破る。
7.実感により、思考などで自分を誤魔化しきれなくなったときに、「あきらめないちゃん」が大泣きして姿を現す。
7はどういうことかといいますと、本当の意味で母親に絶望しない限り、脚本人生(虚構維持のための一人芝居人生)は終わらないということです。親とさんざんやり合った、とっくにあきらめている、断絶している、もう死んでいないし卒業した…と仰る全ての方が脳内母親を温存していました。
「あきらめないちゃん」は決して諦めないからこそ、「あきらめないちゃん」と私は呼んでいます。その子の存在にさえ気づいていない方が殆どです。それも無理からぬことで、その子が顔を出すのは、自分が細胞レベルで、「母親は本当にこういう人だったんだ」と分かってしまったときだからです。
その子に辿り着くまでが簡単な道のりではないことが分かると思います。
その間も目の前に現実はあり、そことの試行錯誤もあります。が、自分が変化することによってその現実もどんどん変わっていきます。それらのプロセスを経て全てのチャイルドを自分が受け止めたときに、自然体でいられる自分がそこに居ることに気づかれるでしょう。そこに至るまでに10年はかかるでしょう。