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自律への最後の階梯―寂しさ、虚しさの乗り越え方

2010/08/18(Wed) Category : 自律(自由と責任)への道
前項で、生き霊(思い・念)が飛んでくる話しをしましたが、今朝の「ゲゲゲの女房」でも念がとんでくるエピソードが出てきましたね。
爆弾から逃れるため海に飛び込んだ水木しげるが断崖絶壁をよじ登ると味方は全滅。生き残りを捜索している米兵達の松明がいくつも見えました。見つかったら殺されると、絶壁からぶら下がって米兵達が過ぎ去るのを待ちます。

彼がもはや最後と思う念がイカル(母)に届き、寝ていたイカルはがばっと起き、夫も起こして二人で「茂さーん」「帰ってこーい」と朝まで叫び続けるのです。しかも、その呼び声が断崖にしがみついている水木氏の耳に届いたのです。この二親の声が、しがみついている彼の力になったのは確実でしょう。

まぁ見ていて涙が出ましたが、このエピソードは、念(思い)が物理的距離を超えて相互に届くことを示しています。

私も、遠隔地ヒーリング(カリフォルニア-日本)を受けて、距離に無関係にエネルギーは伝わることを実感したことがあります。



■ハラスメント界は浮かばれない感情の蠢く世界--------------------

さて、前項では殺された感情が幽霊(生き霊)となって出るという話でした。
感情は、それを認められ表現されて初めて成仏していきます。

ですから、気持ちを殺して生きるということは、浮かばれない感情がそこにいつまでもあり続けるということです。その認めてもらえない感情が、人を突き動かし、それがハラスメント界を形成していくわけですね。

ですから、一人ひとりが自分の外側に向かうことをやめて、内なるIC(感情)を救うことが、ハラスメント界消滅の最も効果的な道なのですが、それが簡単な道ではないことに触れておきましょう。

まず、最後の最後に出てくるIC=孤独・寂しさ・不安を感じる(受け止める)ということが、どういうことか、ある方の事例を見てみましょう(ご承諾を得て掲載しております)。




■「心の闇」に直面化した瞬間-----------------------------------

突然、やってきました。

「寂しい!!」

ずっと、こんな苦しい気持ち抱えていたんだね。

この一人ぼっち、
寂しさ=死だった。

死ぬこと、死にたいことと直結していた。

どっかーん!!
ときた。

肺か心臓か、
その奥にあった。

今は、その道まで気道があいてる。
ずっとずっと奥底にあった。

それを見せない、見ないように、
うんと高くまでヤリの垣根で囲って、
それが出られないように、また誰も中に入ってこれないようにしていた。



なんて事なんだろう!

なんてむごい事なんだろう!

なんてひどい事なんだろう!



こんな感情、抱えていたなんて…

ひどいよ!
辛いよ!!
苦しいよ!!!


半端なかった…
息できない位。


あー、死んでもいいな。


いとも簡単に死に移行することもできた。


こんななんだね。
隠れていた。
隠していた。

今までで一番すごかったよ。


わめいた。

泣きまくった。

全身震えた。



今でも、震えてる。



あー、みつけた。
やっとやっとみつけたよ。

でも、本当、半端なかったよ。
すごかったよーーー!!!






■「何かくる」までの道筋---------------------------------------

この方もカウンセリングを始めて2年以上、自分と向き合い続けていました。
そして幾つかの激震があり、いろいろな問題が徐々に整理されていき、感情も時に爆発を繰り返しながら心のコップの水位を下げつつ、背骨を創っていかれました。

やがて周りを気にさせるIPとの分離もすすみ、あらゆることを背負い込む生き癖(人生脚本)の修正も始まり、それらの夾雑物が取り払われていくと、やがて「何で私は一人なんだ??」と改めてつきつけられるところに来ます。

日常のいろんな場面で、家族があるのに「一人」を突きつけられるようになります。一人になることを望みながら、一人ぼっちが寂しいのです。
みんな、誰かと一緒にいる。なぜ私にはいないんだ。
一人でいることを悟られたくない。
一人で寂しいだろ?って誰かに言われたくない。思われたくない。

そして、不意に虚しさが襲うようになります。
どのようにそれを受け止めてよいのかわからない空洞。空しさ…

秋葉原事件の加藤被告を思い出しますね。
1日中繰り返される「一人」のつぶやき




やがて、ひたすら眠る日々が訪れます。
とにかく眠い。すぐに眠れる。
家族と強制的に離れるためにホテルに一泊しても、疲れ果てているのかすぐに眠るようになります。



そのような日々が過ぎ、「何かくる」予感がし始めます。
しかし、それがなんなのかはわかりません。
でも、何かの“感じ”があるのです。

そして、とある日、ホテルで一人横になったとき…
「あー、誰かに後ろから暖かく包み込んでもらいたい」
「温もりが欲しい」

そう、思ったとき、いきなり、何の前触れもなく突然襲ってきたのが、上記に書いた感情でした。




■“むごさ”の中に浸るということ----------------------------------

それは、まさに「死」と直結していました。
やろうと思えば、すぐに「死」に移行することができました。

まさに闇の中にどっぷりと浸かったような状態。
全身で感じ、泣きわめき、叫び……それが、15分くらい続いたのです。



「むごい」という言葉が出てきました。
(今朝の「ゲゲゲの女房」でも出てきましたね)
なぜ、むごいのでしょう。

この方は、自分の気持ちを殺し続けて生きてきました。
その背景にあるのは、あるがままの自分には価値がないという不安、親に認められなければ無きものにされるという恐怖でした。極端な表現をすれば、親に殺されてしまうということです。

親に殺されないために、自分が自分を殺したのです。
(自分を)殺さなければ、(親に)殺されるのです。
「殺さなければ殺される」―そう、戦場の世界そのままですね。

(奇跡的に陣営にたどり着いた水木しげるが言われた言葉は、「なぜ死ななかった。今度は真っ先に死ね!」という言葉でした。
「死ななければ死なされる」のです)


最近、YouTubeで見た、ベトナムのソンミ村虐殺の事件を思い出します。
米軍が、老人、女子どもすべてを皆殺しにして、村を消し去った事件です。何の意味もなく、平和に暮らしていた村人達は、ある日突然、ただ強姦され殺されたのです。

従軍したある兵士は、最初ためらっていました。
目の前で女性が逃げました。撃ちたくはありませんでした。
が、腕に何かを抱えていました。兵士は、それを武器だと、自分に思いこませました。それで撃つ理由ができるからです。撃たなければ、自分が軍規に背いたと処罰がまっています。彼は引き金を引きました。数発を撃ち込み、倒れた女性を見ると抱えていたのは赤ちゃんでした。そして、赤ちゃんの頭は吹っ飛んでいました…。彼はおかしくなりました。一人殺せば後は同じ。その兵士は気持ちを殺し、その後は無感情に殺し続けました。

これが、人種を問わず国を問わず、あらゆる戦場で行われていることです。




気持ちを殺して生きるとは、こういうことです。
気持ちで生きるか体制に従うか―その選択を迫られたとき、体制に従うことを選択した人は、気持ちを屈服させるための理屈(言い訳)を用意します。その理屈に与した瞬間、その人はICを封印し、IPで生きるようになります。

やがて、脆い自分を守るためにIPなしでは生きられなくなり、自分は空洞化していきます。そうやって自分を殺した人間が、人を殺すことができるのです。

この女性の方も、「殺さなければ殺される」という環境の中で生きてきたのです。戦場と何ら変わりはありません。自分を殺して生きてきたということは、上記の兵士のように感情をなくした自分に殺された人々もたくさんいるということです。

そのすべてが“むごい”のです。





■自分から逃げなかった人だけが得られるチャンス-------------------

寂しさ、孤独と向き合うということは、このようなむごさと向き合うことです。
自分がされたこと、自分がしてきたことも含めて、むごい現実から目をそ向けずに直視することです。

それは誰にでもできることではありません。

この方は、2年以上にわたって自分と向き合い背骨作りをしてきました。
背骨ができたからこそ、そういう感情が出てきても自分が破壊されずにすんだわけです。

そのように自分と格闘していない人に対して、いきなり向き合えといっても無理な話なのです。まして、逃げ続けようとしている人々に対して向き合えと突きつけても、抵抗と攻撃しか返ってきません。


自分の孤独や寂しさと向き合うことがいかに大変なことかがわかると思います。だから、それを自分以外の他人(親兄弟配偶者など)に求めることが、「無理」であることがわかると思います。

では、このような苦しみと向き合わなければならない自分が貧乏くじを引いたのか?

そうではありません。
その後のその方の気持ちを聴いてみましょう。




■after-----------------------------------------------------

何か、違う自分になってる気がします。

「ありのままの私」
「何も怖くない私」がいるような。

「のびのびした私」
これがしっくりくる言葉かな。

何も気にせず、何も怖くもなく、
私は私。

遠慮も垣根もいらない。
私がしたいからする。

今までできなかった事が、できそうな気がする。
したかったのに、できなかった事。
躊躇していた事。
そんなのとっぱらえる―そんな気分!


私は、今、温かいところにいます。
だから、今は、この温かさを満喫します。

「私」をゆっくり探しながら、休みながら。

もう、焦らない。
もう、大丈夫!

自信をありがとうございます!!





■この世で最高の幸福----------------------------------------

いかがでしょうか。
この世で最高の幸福を手に入れました。

それは、
自分が自分であること。

何をしても自分―それは、この世のすべてを手に入れたと同じことなのです。

孤独や寂しさから、解放されたのです。
自律した人々と自由につながれるのです。



苦しんでいる人は、
誰もに与えられているわけではないチャンスを、
今、自分が与えられていることを知りましょう。

自分から逃げない人にしか、このチャンスは来ないのです。

そして、この苦しみを受け止めたとき、
稲妻が体を貫き、次の瞬間には空を飛ぶ龍となっているのです。





■龍たちよ、空に昇れ-----------------------------------------

経過は人ぞれぞれですが、およそここで書いたような地点は通ります。

激情→足踏み→孤独→寂しさ→虚しさ→眠気→虚無との直面化→解放

上記の「激情」に至るまでの過程は、『「親という監獄」からの脱出過程』の中での1~7に当たります。そして、最後にくるのが8,「孤独」です。その孤独に向き合う過程が上記の過程ということになります。

ですから、寂しさや虚しさに苛まされるようになってくると、本人は苦しいのですが、私は、だんだん「画竜点睛」のところに近づいてきたな、と見ているわけです(^^;)。そして、やたらと眠いことも、体が準備しているんだなぁと思ってみています。


画竜点睛―竜たちよ、自由意志の空へ飛べ』で書きましたが、この寂しさを受け止めることだけは、たった一人で成し遂げなければなりません。
『この1点だけは、あなたが自分の手で勝ち得るしかないのだ。誰にもどうすることもできない』のです。


ここで、いろいろと道が分かれます。
が、自分と向き合う数年間を一歩一歩着実に歩いていけば、誰もが辿りつくことができるのです。


私は、多くの龍たちが、空に昇ることを祈っています。







【追記】
*なお、これで自律に至るわけではありません。岩盤に思わず亀裂が入り、隠していた感情が出てきてしまったということもあります。その場合、無意識はその亀裂を猛然と修復していきます。
また、巨大な不安や恐怖が出てきたからこそ出てくる感情もあります。それらを実感してあげることで、自分(インナーチャイルド)が自分を信じ、それが“自信”となっていくわけです。

さらに、自分の変化に気づいたからこそ、「お母さんも一緒に連れて行きたい」という欲(エゴ)も出てきたりします。そして、実母や代理母(配偶者を含む第三者)にゲームを仕掛けていきます。ボロボロになって玉砕するまで次に行けません。やるだけやらなければ気が済まないのです。

このプロセスでは次のことが同時並行的に進み、7にいたります。
1.気持ちを声に出して実感することで、小さいちゃんと自分の信頼を強める。
2.気持ちで行動したときの「IPの逆襲」の仕方を体験することで、自分が自分をどう騙しているのかが分かる。
3.上記で、思考の癖や演出感情やダミー感覚もわかり、偽物と本物の違いが見えてくる。
4.自分のことが分かることが他人(人間)を分かることに繋がる。対人で動揺しなくなる。
5.エンプティチェアで過去の自分を救うことで、ゲームを仕掛ける衝動や禁止令がなくなる。
6.エンプティチェアで母親の実体を実感し、脳内母親という虚構をぶち破る。
7.実感により、思考などで自分を誤魔化しきれなくなったときに、「あきらめないちゃん」が大泣きして姿を現す。

7はどういうことかといいますと、本当の意味で母親に絶望しない限り、脚本人生(虚構維持のための一人芝居人生)は終わらないということです。親とさんざんやり合った、とっくにあきらめている、断絶している、もう死んでいないし卒業した…と仰る全ての方が脳内母親を温存していました。

「あきらめないちゃん」は決して諦めないからこそ、「あきらめないちゃん」と私は呼んでいます。その子の存在にさえ気づいていない方が殆どです。それも無理からぬことで、その子が顔を出すのは、自分が細胞レベルで、「母親は本当にこういう人だったんだ」と分かってしまったときだからです。

その子に辿り着くまでが簡単な道のりではないことが分かると思います。
その間も目の前に現実はあり、そことの試行錯誤もあります。が、自分が変化することによってその現実もどんどん変わっていきます。それらのプロセスを経て全てのチャイルドを自分が受け止めたときに、自然体でいられる自分がそこに居ることに気づかれるでしょう。そこに至るまでに10年はかかるでしょう。




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底抜けの悲しみ

最近は虚しさを感じる。同時に自分自身ってなんだろうと疑い、アンパンマンの歌の「なんの為に産まれて、何をして喜ぶ?わからないまま終わる。そんなのは嫌だ!」という歌詞が当てはまる心情です。

大切な自分だから、孤独や寂しさに寄り添っていたいと思っています。自分が愛おしく感じますし、その時間が大切なんだと思います。

先日久方感じていなかった底抜けの悲しみを一瞬だけ感じました。急に足場が抜けて猛スピードで落下する、ジェットコースターの「ぞわわわ!」って感じです。
とっさに何かにしがみつきたくなるような恐怖でした。すぐに修正が入り感じなくはなりましたが、いつかはこの感情に使って、しっかり表現したいです。

最後に、お父さんお母さん、ありがとう。
貴方がたに分かってほしくて何度も暴れたりしました。
が、しっかりと壁になってくれました。泣く泣く自分で受け止めるしかありませんでした。
それにもし(無いのだろうけど)二人が私を受け入れてしまったら、二人の小さいちゃんたちが永遠に取り残されるから。
そんな悲しいこと絶対にしたくない(これも投影かも分かりませんが)。
自分を大切にしてください。自分だけは、自分のことをみすてないでください。

ありがとう。

 

フリーズ

夫も連れていきたいという気持ちだったのだ。夫なら気が付くのではないかと期待していた。
でもそれは無理な話、エゴなのだなあ・・・。と、こちらのブログを拝見して分かった。
妻である私の話はどうしても聴きたくないという夫。
子育ての話なら聞くが、そのほかの話は聴きたくない聴く必要がないと言う夫、
ずっと、夫は仕事が忙しいから仕方がないとか、自分で自分に言い訳していたが、気が付いた。DV家庭で育った私が選んだのは、モラハラ夫だということ。
夫の先祖は、女性を尊重できないモラハラ男性がたくさんいる心のない家系、その話を母親からずっと聞かされて育った夫。当然の結果ではないか。

ハラスメントの世界で育った私は気が付かなかった。
だから最近、話が通じなくなってしまった。
夫に自分の気持ちを言うととても嫌がられる理由が分かった。
昨日気が付いて呆然としている。

 

お母さんを一緒につれていきたい…中尾さんのブログに出会う前、自分の目の前の景色が良くなった気がして、そう思った時期がありました。
今は同じように思っても、連れて行こうとは微塵も思わない。
母は自分からみて幸せに見えなかったけど、とても幸せなことがわかったから。
ショックでも、わかって良かったと思ってます。




 

頭だけが寂しくて狂いそうな
感じってなんなのでしょうね?
身体は安定してるというか、
温かいのです。

頭だけが発狂しているような体感があり、
すごく違和感がありありです。

どうやって吐き出したらわからず、
寂しくて気が狂いそうと言葉にして言ってみていますが、どうしても「身体」が発している感じが起こってきません。

勝手に発狂してれば?ってくらい
身体は安定しています。

どうやって追い出そうかと
試行錯誤しています。




 

ついに存在不安に辿り着きました。一緒に謎解きちゃんも抱き締めました。
3日連続でメガトン級の戦いがありました、お風呂場で。

初めの日は胎内の時に背負った不安だと気付きました。
「お前なんか生まれて来なければよかったんだ」という言葉が出てきて、、でも親に言われた記憶は全く浮かばず、最後にハッと胎内の時だ!という想いが出てきました。

次の日は大きな闇の穴、底が無限にあるような深い闇の穴を覗き込んで、死んでしまうくらの恐怖、いや死ぬ方が楽と思えるくらいの恐怖を感じ、穴に飛び込めませんでした。
ただ、自分を抱き締めながら、他のチャイルドと一緒になったら、いつか不安ちゃんと向き合うからとしか言えませんでした。。
死ぬ方が楽だと思うくらいの恐怖なんだという事は思い知らされて。

最後の日は朝からずっと心がざわついていて、自宅に戻ったら心臓がバクバクして、もうこれは不安ちゃんが向き合えと言っているんだと覚悟を決めました。
でも部屋では周囲が気になって、風呂の湯船の中で泣き、叫んで、自分を抱き締めて辿り着きました。

小さい頃から輪廻転生を信じていたけど、前世からの業・カルマだと気付き、今までの事が全て繋がりました。
自分を殺し、他人を殺し。

でも、無意識の最深部、きっと母と父の魂は助けてくれたんだと腑に落ちました。
両親を選んで生まれてきたんだ。

ありがとう
本当にありがとう

 

aoiさんへ

aoiさん
ご丁寧なコメントありがとうございました。とても有り難く読ませて頂きました。
→対象の相手から離れて泣きます。

そういえば私も怒りが高まり過ぎて泣ける時の方が、早く平常心に戻れます。
→家の中を磨いたりします。力を使い果たして泣くしかなくて泣いて泣いて疲れ果てて眠気と虚無に陥って、解消(解放)され…。
なるほどいかに高まりすぎた気持ちをガス抜きするか…なんですね!!新しい見方ができました。少しずつ客観的に対応してゆける気がしますm(__)m

 

ららら♪ さんへ

はじめのコメントに

<孤独→寂しさ→
は意外と軽くスルーできて >

とありましたが、やはり孤独(と寂しさ)が一番手強いと感じます。

<スルー出来たかに思えた死にたい願望もよく出てきます。>

これは究極の孤独(寂しさ)じゃないかと思います。

誰かに(わが子とか)代償行為をしたくなる時の衝動は、自分が子どものころから持ってきた怒りが何かをきっかけに出てくるのかなって思います。
私はその衝動(記事の激情かな)が起きたら、対象の相手から離れて泣きます。
泣いてもおさまらない時(足踏み状態かな)は、壊れてもいいものに当り散らします。家の中を磨いたりします。力を使い果たして泣くしかなくて泣いて泣いて疲れ果てて眠気と虚無に陥って、解消(解放)されているような気がします。
記事の「激情→足踏み→孤独→寂しさ→虚しさ→眠気→虚無との直面化→解放」は、一回きりで終わらず、何度か、あるいは何度も起こるようです。感情だから当然かもしれません。ただ、だんだん処方がうまくなる気がしています。
お互いめげずにいきましょうね。

 

下にコメントしたららら♪です。アドレスではなくて、アドバイスの間違いです。宜しくお願いしますm(__)m

 

虚しさ→眠気→
真っ只中だった
前回のコメントから2ヶ月前。

スルー出来たかに思えた死にたい願望もよく出てきます。

自分自身がブラックホールになっていて、どうしても息子への吐き出しが止められません。これが一番辛い…。どなたかブラックホールからご自身が脱出できたかたいましたらアドレスお願いします。

 

ぐりさん、モラ母の娘さん、らららさん、ハムスターさんへ

ぐりさん、お返事ありがとうございました。他者の死の夢を見たのは
それらの人達との関係の作り直しをしようとしている
ぐりさんのこころの状態を示しているのかも知れませんね。
ご自分の死の夢はもう見ましたか?私もごく‘自然な感覚’で
自分の死ぬ夢を見ましたが、これは
自分が再生しようとしているのだと感じました。
(“自然体でのスタート”の兆し、ですかね?)

モラ母の娘さん、勇気を出して投稿なさったこと、本当に嬉しく思いました。
眠たくなったら寝る・眠る、といったように
ご自身の「気持ち・気(分)」に任せることが
いいのかも知れませんね(ぐりさんがそうなさったように)。

らららさん、私は、暫く、寝る・眠る→目覚めるとき
底無しのような深い寂しさを感じる(1人暮らしをしていることもあり、
寂しさのあまりこのまま死んでしまうのではないかと思ったほど…)、
というパターンが続いた時期がありました。もう1歩、かも知れませんね。

ハムスターさんのコメントに、とっても繊細なお気持ちの動きを感じました。
ハムスターさんがご自身の“心の本当の善意”を「感じる」ことが出来て
本当に良かったなと思いました。

 

ぐりさんへ

ごめんなさい。いささかオカルトめいた体験談になりますが…私は30代後半から40代半ば頃、ひと頃盛んにモラ母が登場する怖ろしい悪夢をよく観まして、夜明けに恐怖のあまりに叫んで飛び起きました。覚えている限りの内容を《悪夢日記》にして、自分の体調不良の悪さ・心の痛手の深さを痛感していました。自虐的ですが…。

自分が気付くと何処か上空を飛んでいて、山や川に沿ってフラフラを心が飛んでいるんです。これは《現状から逃げ出したい欲求》の表れと感じますし、また、何処か得体の知らない知らない町や暗い部屋の一角でチューチュー血みどろの液体を吸っているモラ母らしき女性の姿をかい間見て、心底恐怖を感じて、町中を必死で逃げ回っている悪夢を見ました。これも私が潜在的にモラ母に恐怖と絶望を感じている心のサインだと感じました。とにかくモラ母から逃げ切れない…という思いが強かったんですね。

世の中、『気づきのない母親や父親』っているもんですね。これだけ心身ともに痛手を被り、経済的・社会的にも追い詰められている娘を放置・罵倒する両親は世間にどれだけいるのでしょうか?

今は仕方がなく、精神科医や内科、友人・心ある親戚、そして時々ケアマネージャーの相談に乗ってもらい、少し気が楽になりましたが…、モンスター級のモラ母の過去のいきさつを考えると、私の本格的な社会復帰はまだ道半ばです。

今は薬の力や将来不安の強さもあって、ひたすら眠たいです。
必要以上に『寝ること』が時には必要なのかもしれませんね。



 

最後にもうひとつ話をしたいです。

ちょっと前の話になりますが。
散歩で郵便局にカンパ(見栄で二万円)を振り込みした帰り道、畑で農作業をやっていらした方がいました。
私の手にはさっき、買った缶ジュース(120円)ありました。
声をかけて缶ジュースをあげたいなという思いが起きました。
勇気がなくて声が掛けられませんでした。
今、気付きましたが、お金が多い少ないは関係ないんです。
私の心の本当の善意だとわかりました。
読んで頂いてありがとうございます。

 

直接中尾さんのカウンセリングは受けていませんが

激情→足踏み→
の後にうつ状態になり

孤独→寂しさ→
は意外と軽くスルーできて

今まさに!!
虚しさ→眠気→
のステージにいます。もう寝ても寝ても眠れる!!
やる気が起きず、虚しい。この記事を読まなかったらIPに「やっぱり駄目な奴」…とやられてしまう所でした!!

虚無との直面化→解放
に向けてひたすら寝てみますか♪

 

ぐりさんへ

どなたか投稿なさることを期待していたのですが、今までのところ
遠慮がちのムードのようなので、私の投稿が多くて心苦しいですが
コメントさせていただきますね。

おめでとうございます!
お母さんへの気持ちを1歩克服されたのですね。

“言葉使いとか考えずに”お祖母さんと(そしてお母さんと)
話されたこと、お祖母さんに対する批判的な(“否定的な”)意見を
“ふつうに”話すことが出来たこと。
(きっと、ぐりさんは、ぐりさんのお母さんの、
母親《=ぐりさんのお祖母さん》に対する‘業’とも言えるものを
無意識に背負わされていたのかも知れませんね...。)

睡眠中の「夢」は、
私たちの‘ほんとうの気持ち’やこころ・身体の「状態」を
実にうまく映し出してくれるものだと、私は常日頃思っています。
(興味のある方にはユング心理学の夢分析について検索されることを
お勧めします。いずれ、私のブログにも、夢分析を初めとして、
私自身の自律への軌跡を綴って行きたいと思っています。)

最後になってしまいましたが、ぐりさん、体験を共有して下さり、
嬉しく思います。他の方々が、思い切って投稿する
勇気を引き出すきっかけになったのではないかなと、思っています。
(文章の上手い下手はあまり重要ではなく、「想い」を吐露することが
最も大切なんですよね。そして、実際に書くことにより、
自分への「癒し」にもなると思います。)

長々と失礼しました。

 

Flyinghorse(モラ母の娘)さんへ

お返事ありがとうございます、私のブログ、参照下さい。
http://blog.livedoor.jp/wakanay/archives/51583471.html

 

母が死ぬ夢をみる

おとといの朝夢を見ました。
母親が死ぬ夢を見ました。
といっても、実際しぬのを見るとかお葬式の夢ではなく突然あ、母が死んだと感覚で感じて、夢の中で漠然と「あの母の香りがかげなくなるのと、抱きついた時の感触を味わえなくなるのはちょっとさみしいかなぁ」とそんなことを思ってました(子供のころ母の香りと抱きつくのが大好きでした)そしてデジタル時計の12:57という画像が頭に焼きついてました。
朝起きて、そもそも夢を見たのが1カ月ぶりくらいだったので、正夢じゃないことをねがうよー!と思いつつ、ふと気がつくと12時になっていて、その時計の画像がすごく強烈に頭に焼きついていたので、自分が死ぬとかだったらやだな、と思い57分まで部屋でボーっとしてることに。
すると30分くらいになんか感情が襲ってきました。
ここ数日毎日のように自分の中から感情が浮き上がってきててのたうちまわってたのでまたきたなぁって感じでした。
すると、!?、息ができない!!!
息が吸えない、まったく吸えてないわけではないのですが、少ししか吸えない、もっと酸素がほしい、苦しい、酸素がほしい、苦しい、でも戻ろうとしても自分の意思で元の状態にもどれない!!、早く終わって、助けて、もうやめて、くるしすぎる、こんなの生殺しだ、死んだらこの状況から解放されるのであれば死んだほうがましだ!!!
と思った後、解放されました。
苦しかった。
時計を見ると50分
そのあとまた半分寝てるような状態になって、自分の意識の中では何も考えていないし、何も思ってもいないけど、頭の中がものすごいスピードで何か動いている状態がしばらく続いて、ふっと意識が戻ったら13時になってました。

次の日
母から近くに来るからあわないかとメールが突然来る。
めんどくさいから断ってさっさと出かけようと思ったらおなかが痛くなって、直接あったほうがスムーズにやり取りできる用事があったので観念してあうことに。
なんか神様に図られてるような気分。
で会ってみたけれど、なんか普通。
特別すごく変わった感じもしないし・・・。可もなく不可もなくって感じ。
しいていうなら、二人でばぁちゃん(母の母)に会いに行ったんだけど、言葉使いとか考えずにため語に近い感覚で自分が話してたこと。
ばぁちゃんに対して否定的な意見をふつうに自分がしゃべってたことくらい?

なんか変わったような、変わってないような。

ということがありました。

 

追伸:わかなさんへ

「名前」を他のハンドル名と間違って書いてしましました。ご容赦下さい。

 

わかなさんへ

お返事やアドバイスを拝読しました。本当に有難うございます。
いま18年間(実質的には30年近く)家庭内の暴言・暴力沙汰を目の当たりにしてきたので、現在、心身ともに憔悴しきっています。心のエネルギー・更年期?の体力気力の喪失…など、ポジティブに動けて、自己啓発に邁進できる状況ではありませんが…それでも、一歩一歩、自分の足で、葬儀も墓の事も何も決めていない両親の問題を、今日は一日で目途をつけることが出来たので、ホッとひと安心…そんな状態です。日々の新聞の情報収集や知的情報(啓発的な読書)がこの2年ほど、困難になっています。これは精神科医によればうつ状態(精神衰弱)ということで、無理をせず、これも一歩一歩、詠み進めていければいいのかな、と自分を許しています。正直言って、両親や実家にそれほど今は未練はありません。
せめて良かった時期の恩に報い、両親のサポートをしつつ、チャンスを見て、第二の人生に突入して自身の人生を早くエンジョイしたい…それが今の私の心境ですね。

 

墨さんへ、モラ母の娘さんへ

お返事・メッセージを私のブログに掲載しました。
http://blog.livedoor.jp/wakanay/archives/51582659.html

 

わかなさんへ

散々言われている事と思いますが、平均化・均一化的な教育に問題があるように思えています。

個々に長短があるのに、管理し易い人を造るロボット製造工場のような学校は、小粒揃いで大粒が育ち難い環境に思えています。

小学校の中学年か高学年から、長所を伸ばせるように、少人数授業(得意科目毎で分別)と現在の大人数授業(対人関係を主軸)の併用も良いかも知れませんね。

三歳までに軸が決まるような話しもありますので、核家族や片親家庭など色々と問題は複合されているようにも思えています。

 

墨さんの意見に同感です

何度も投稿してすみません、しかし、言わずにいられませんでした...。

学校は、家庭に次いで、子供の大事な
「こころ」の活動・生・成長の場だと思います。
(私は、いわゆる、知能や学力と呼ばれるものも、
「こころ」《感じて考える》の活動具合の‘結果’だと思っています。)

そのような認識、あるいは一寸別の角度から観た‘視点’が
広まって行く必要があるのかな、と思います。
(「体制」や「システム」こそ、
社会《=人々》のこころの「自律度」の産物・結果なのですね。)

自身の経験から、日本の(公立)小学校も、まず
ぐっと少人数制クラスにすべきなのではないかなと思います。
そして各教師がよく生徒を「見ながら」教科を教えることに、
より専念出来るように環境を整備すること(←これには
モンスター・ペアレンツが減る必要もありますね)が大事だと思います。

ということは、親・大人の1人1人が、学校という場・学校教育が
いかに子供(引いては社会)にとって大事かということを
改めて認識する必要が出て来ますね。
そうすると、きっと、私塾にではなく
学校教育に投資するお金やエネルギーも増えて来るでしょう。

沢山、沢山、「変化」が必要なのでしょうが、最も大切なのは、
「気付いた」人から提案・提言して行くことなのかも知れませんね。

 

日本の学校の体制についての是非に大きな疑問を抱いています。
社会についてもですが。

 

私宛にコメント下さった匿名人さんへ

お返事を書いたのですが、こちらもまた
とても長くなってしまったので、私の旧ブログに掲載しました。
http://blog.livedoor.jp/wakanay/archives/51581623.html

 

「モラ母の娘」さんへ

お返事を書いたのですが、とても長くなってしまったので
私の旧ブログに掲載しました。
http://blog.livedoor.jp/wakanay/archives/51581386.html

 

「わかな」さんへ

深い洞察力のあるアドバイスを色々と有難うございます。私も少女時代、というより生まれて半年後に欧州に行ってしまったので、目が開き、物心がついた時にはすでに現地の子供たちとばかり遊んで、自分は『この国の人』なんだ、と何の疑いも持たずに何年も暮らしてしまいました。

だから外国から日本に入った時のカルチャーショックは、きっと日本人がインドなどの国で受けるそれと似ているのかもしれません。私は入国後間もなく、何日も高熱にうなされるほど、ショックを受けました。こんな風に書くと、きっとまた反発や批判を受けますよね。(元帰国子女ならではの不安心理です)

「親がインターナショナルスクールに入れてくれなかったから、ナチス、ナチスとイジメや偏見の体験を10年近く受けんだ」と一時は親を恨み、そして「なぜ自分は、あの国の言葉を早く忘れてニッポン人になりきろうと努力したのか?」…などなど、怒りと不安で一杯の少女時代を過ごしました。

子供の心性は3歳までに決まるという話も聞きますが…未だ完全にニッポンに根付けない自分。日本に入国して以来、根なし草をそのまま形にしたような自分に愛想が尽き、嫌気がさしています。裏を返せば、自分をなかなか受け入れてくれなかった日本人が怖いのかもしれません。私ももっと積極的に、同じ嫌な体験をした帰国子女の友人グループを作る努力をした方が、良かったのかもしれません。自分の努力が足りなかったんでしょうね。ホントに。

現在の私がいまだ自律度が低く、他者依存が強い状態にあるのは、その辺にも根っこがありそうです。でも、過去は変えられません。自律への螺旋階段を昇っていくのは、ホントにしんどいですね…。
わかなさんのホームページにあった詩がとても素敵でした。一世代違いますが、今度メールいたします。

 

葵さんへ

気持ちが少し軽くなりました。私の気持ちを思いやってくれてありがとう。人に気持ちを話す事、ありのままの自分を伝える事、練習中です。うまく今、感じてる感覚を表現しきれないのですが、気持ちを受け止めてもらえた事でお腹にズンと力を感じました。この感じ、重ねていきます。勇気をありがとう。

 

わかなさんへ

私も苦しい状況なので
http://www2.ttcn.ne.jp/~tokai-research/office-tokai.html 
を見てみましたが、カウンセラーがどこで学んだのか解らずお金をかけて大丈夫か不信に思いました。代表は探偵をしながらカウンセラーをしていると多忙ぶりがブログでわかりましたが、67人のカウンセラーが所属とありましたがスーパーバイズが出来ているのだろうかと不審になりました。
http://kaunse-navi.com/
も見ましたが、同じようなシステムなのですね。
こちらはカウンセラーがサイトを載せているのでユニークに思い色々リンクを見てみたら、会社概要を見ると、管理代行会社 株式会社 ビジトリー
http://www.busitry.com/
こちらは、専門家が代表ではないのですね。

ここでふと気がついたのですが、わかなさんの親切はわかるのですが、カウンセラーのブログで他のカウンセラーを紹介するコメントっていかがなものかと。
中尾相談室で紹介されていたとなると、中尾先生に迷惑がかかりますし、ここのファンとしても嫌な気持ちになります。
ご自分がお世話になってとてもよかったというならば、そのカウンセラーさんをご自分のHPで紹介されたりリンクを貼ったりして、それをわかなさんの責任としてコメントにお書きになったらいいと思いました。

 

アヨさんへ

ポビュラーかわかりませんが私も安定剤を使います。
前は抗うつ剤も飲んでいましたが今は飲んでいません。この薬で山場を乗り切ったと思います。
アヨさんの嫌な体験についてわからないので、無責任なコメントはしたくないけど、辛そうなので私の事を書きました。
薬を使うことについては、中尾先生も否定した記事はなかったと思います。
むしろ先生もパニック発作で薬を使った記事がありましたよ。

 

「モラ母の娘」さんへ

同じく帰国生で幼少の頃日本で苦しい思いをした者の1人として、
モラ母の娘さんへメッセージを送りたいと思い、書いています。

ごきょうだいが他にいらっしゃらないことが
状況の解決を更に難しくしているようにも窺えますが、
やはり要になるのは、
モラ母の娘さんご自身が自律を成し遂げることにあると感じます。

自律度が上がったとき、がモラ母の娘さんの第2の人生であり
また新たな出逢いの場になること、おそらく、ご自身でも何となく
お分かりなのではないかなと思います。

私自身は、ユング心理学との出逢いに助けられて、
自分自身を見詰め・受け留め・赦し・行動しながら、
中尾さんが仰る自律への螺旋階段を少しずつ上って来ました。
母の首を絞めてしまいたいという衝動を覚えたほどの
あの日々に比べると、私は、私自身を愛することが出来るようになり、
また、他者を愛し他者に愛される経験を増やして行くことが出来ました。

自分が変わると、周囲の人が近付いてくるようになり、また、
自分が好きになる相手も変わって行くようです。

経済的な負担がかかるとは思いますが、出来れば、
精神科医よりも心理療法家(カウンセラー)の助けを借りてでも
自律度を上げて行くことを私はお勧めします。
(ご自身で薄々勘付いていらっしゃるように、
現段階では「他者依存」が強い状態のように窺えます。)

ちなみに、私は今、自分自身の‘最後の仕上げ’と平行して、
1年半前から、中学時代の女友達の「自律」のお手伝い(伴走)を
遠隔(メールやチャット)にてしています。

中尾さんは現在新規クライアント受付が出来ない状況とのことですので
その他の適切なカウンセラーとの出会いに繋げてくれそうな下記サイト、
http://www2.ttcn.ne.jp/~tokai-research/office-tokai.html (有料電話相談)
http://kaunse-navi.com/ (掲示板で無料相談可能)
既にご存知かも知れませんが、何かヒントになればと思います。

 

日本版Change(変化)

記事・コメントを拝読して、家族の関係に苦しんでいる人々が
実に大勢いることを再確認した思いです。

経済成長と物質的豊かさが「幸福」だと思われていた社会から、
一歩立ち止まって目に見える現象の背後にあるものを見ようとする社会への
変化・転身を促す必要性を、
自分自身の経験の上に重ねてずっしりと感じる次第です。

(NHKの朝の連続テレビドラマ『ゲゲゲの女房』の視聴率が
徐々に上がっているようですが、
そのような社会の「転身」が可能となる土台が出来始めている兆し、
と考えて差し支えないものでしょうかね。)

 



こんにちは、先生

なんだか不思議です
苦しくなって先生のブログにお邪魔すると、その苦しさに対するアドバイスが載せられている…そんなことがよくあるので


私は絵を描くのが好きなので、以前『龍』を描いたことがありましたが、その時感じた違和感と同じでした。
なんだか…大人しい龍です。なんというか、怖くないのです
おまけに、どういうわけか私は牙が全く描けませんでした



理由は、今朝わかりました。
私には、怒り…力が、足りなかったのです。
私は体質(共感能力)があり、人に対して怒れない性格でした。許してしまうんです。その間はもちろん、自分を殺していました。怒る=傷つけるに直結しちゃってるんです、トラウマで…

それが昨日、急に目の前に死が迫ってきて、なんとか受け入れ乗り越えて、目が覚めたら
…私には怒りが足りなかったんだ!!と。

龍とは力の化身です
天空より雷を落とし
大地に嘶きを響かせる
畏怖と尊敬を集めながらも
優雅で気高い存在

自律を目指して一年…
私はようやく、龍の影を垣間見ることができました。
私の中に戻った、小さな炎とともに……

 

真実を語ります。

すべてを肯定的に考えるようにしてます。

引きこもって1日中ゲームやったり、お酒飲んだりした日もありましたが、体を鍛えた日、家事をした日、、本やラジオやネットで素晴らしい人を知ったこと、祖母と一緒に居られた時間が多く楽しかった日がありました。

もし、引きこもってなかったら、無差別殺人事件を起こしていたかも知れないです。

家族と会話はできないです。
もし話せることが出来てたら、家族に暴言を吐いていたかも知れないです。

器物破損、犬を殺したこと、おじを虐待、食事につばを入れて食べたこと、倒れた祖母を放置したこと、他にも書けないような内容のものがあります。

自分が好きです。
削除されても後悔はしません。
自分がカッコ悪くても、やってしまったことで自信を失わないで欲しいです。
人間はどんなことがあってもやり直せます。

 

2年間

源家族と別離して2年、カウンセラーさんに出会って、間もなく2年…自分とカウンセラーさんと現家族に支えられて此処まで辿り着けたけど、此処に来て夫の言動が過去の父の言動に重なるピッチリとフラッシュバックの乱舞。夫のソレと父のソレが違うのは後になって違うのはわかるけど、その時は父への怒りを彼にぶつけてる。私の中にコレでもかって位に溜まってる殺してきた感情達を垣間見て泣き笑いになる。カウンセラーさんから、薬や医者で恐い思いや嫌な思いしてきてるの解ってたから強く言ってこなかったけど、このままでは夫も貴方も子供逹も潰れてしまう‥勇気を出してお薬の力を借りてみないか?と提言された。どうしても、自分の中の事やから自分で何とかできるのでは?お薬に頼るのが恐い‥甘えなのでは‥楽しては功をなさず‥と思ってしまう‥薬ってどうなんやろ?皆、使ってんのかな?薬についての中尾さんの見解や回復の過程で使う事がポピュラーなのかおしえて欲しいです。他の人と比べるとかで無くて、こうやって自分を取り戻す作業をしてる自分以外の人達がどうしてるのか知りたいのです。自分以外知らないから‥お願いします。

 

胸が苦しくて!

連鎖から逃れて結婚して十数年、車で20分の帰省をやめて二年。夏休み近所のおじさんくらいしか会わず、子供とまったり。子供の合宿中は一人になりまくり。そして昨日ついに来た
眠い!どうしたんだろ?子供を辛うじて習い事に連れて行く。輝く少年たちに自律した師範は肯定的ストロークをたくさんくれる。こんな人がいるんだ!という感動がいつもある。教育は生徒の為。正にそんな世界がある。そして夜中、胸が苦しくなる。熱中症かな。冷やしても吐き気が。そして声にならない嗚咽がしぼりだすような嗚咽。苦しくて何とか声に出して泣いた。悲しいのかわからない。背骨ができたんだ。不惑から生まれ直せた。待ってて良かった。ブログありがとうございます。これからの自分楽しみです。

 

段々と弱くなってきてますが
まだまだ孤独から逃げようとする自分がいます。
僕は男性ですが、多分女性の方がこういった点は強いのでしょうね。

ただ僕は日常の経験や助言から、焦らず長い目で焦らず急ぐという方法を教えていただきました。
一歩一歩の大切さというか。。。
それ自体も難しいことですが、幾分か心が軽くなります。
今はこのままでいい。そのうちできるようになるさ♪

壁を超える為に何度も壁にぶち当たり、いつかその壁をぶち破れる日が来ることを信じてます。

 

生き続ける意味

いま私はNHKの『ゲゲゲの女房』に夢中です。毎日、再放送まで観て、家族問題や、少女時代に帰国子女としてイジメられた記憶、そして人生を飄々とシンプルに生き続ける極意など、色々な意味で勇気をもらっています。温かく、飄々とした家庭が欲しい。

我が家は殆ど年金生活に頼っています。雨露をしのげる屋根の存在、最低限の修繕資金の捻出、高齢の両親の健康上の不安とこの先の寿命…そして、何よりもうつ状態で殆ど無職の私の『生きる不安』…。閑静で他人への不干渉というプチリッチな住宅街のど真中で、苦しんでいます。

セレネース液という、暴力や暴言といった激しい衝動を防止する薬を精神科医の処方箋の下、モラ母に隠密にご飯に混ぜて、すでに8か月。おかげで高齢の両親の殴り合いや、罵り。両親から不甲斐ない私への果てしない暴言から、やっと、やっと、やっと解放されました。後は…超頑固で要介護の父の今後。母の寿命。葬式費用と墓の心配…。まさに《墓守り娘の嘆き》という本の通りです。

今は「安全装置をはずしたピストルがあればすぐ死にたい」という、私の絶望感と虚無、うつ状態を理解してくれた24時間対応の精神保険医M先生のお蔭で、少しだけ元気を取り戻しています。…が、先生は、ことあるごとに、「結婚しなかったから現在の苦しみがある」「配偶者が貴女にいないから、両親の問題を解決できないし、経済問題や孤独、不安が続き、ホントに可哀そうだ」…など、3回に1回は言われ続けています。受診に行く度に、先生に理解してもらえたことへの感謝を抱いたり、落ち込んだりの日々です。私の住んでいる首都圏に近い観光地には、往診に出向くロクな先生がいません。だから、積極的に生きるエネルギーが湧いてこないのだと思いますが…これも「他者依存」でしょうか? 「人は生きていることだけでも素晴らしい」という人がいますが…今の私には新たな人生への打開が先決です。
もう40代後半…理解ある相手との結婚や、私自身の第二の明るい人生は待っているのでしょうか?

 

誰も守ってくれないから強くなるしかなかった。

本当は小心者で女の子らしさも随分あったのに、それをなきものにした。

親も他人もあてにならない。男なんかには力で負ける。
気だけは強くありたかったんだ。そうしなきゃ私は殺されるから。

本当は自分を殺していたんだ。

ハードコアも好きじゃないし、荒々しいものって私は本当は好きじゃない。

一人ぼっちの自分が惨めで、友達いないことが人格に問題あり、普通の人じゃないと思われるのが怖くて結局誰とも関わりたくなくて、でも上辺だけの友達なんていらなくて。

この世に、友達なんか居なくたって、過去がどうであろうが気にしない人達がいる。

私が知ってる世界だけではなかった。

今まで周りに居た人は私の鏡、それだけだった。

私が私であるために。

ようやくここまできた。

 
    
 
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