上嶋洋一先生がカウンセリングの道に入られた原体験
■弟に教えられる--------------------------------------------
受験秀才であり、体操の選手。
人工的に作られた頭と作られた体を持つ兄洋一は、長時間勉強しても成績が悪い弟を見下していた。
大学に進学し、人との出逢いで少し優しくなった兄は、初帰省の時、弟に傘を買って帰った。が、翌日弟は本屋でその傘を盗まれた。
せっかく買ってやったのに!という思いで責める兄。弟は言った。
「でも、僕が濡れた代わりに濡れなくてすんだ人がいた」
兄は殴られたような衝撃を感じた。
『弟の方が凄いかも』―それまで、自分は弟に“出逢っていなかった”ことに気づいた。人生観が変わった。
■子供たちに教えられる---------------------------------------
研究学園都市にいるとなんか偏ってくる自分を感じて田舎に移り住んだ。
あまりの気持ちよさに、公園で得意の体操をやった。
すると、子供たちがワイワイ寄ってきて質問攻め。
“自分に関心を向けてもらえる心地よさ”を知った。
子供たちは、自分のアパートまでついてきて確認すると、翌日から遊びに来るようになった。苦しみが始まった。
ネタを仕入れなければ…。自分が遊びを提供できている間は慕ってくれるが、提供できなくなれば遊びに来なくなるだろう。
そう、かつて自分は「子供は嫌いだ」と言っていた。見放される恐怖があったからだ。なら最初から好きになってもらわない方がよかった…。
しかし、毎日のように遊びに来る子供たち。もう、ネタがない。追い詰められた。今日で終わり。明日からはもう来なくなるだろう。観念した。
すると…、子供たちは勝手に遊びはじめた!
なんだ、自分が提供する必要などなかったんだ。
そして、自分がここにいるだけで、子供たちは伸び伸びと遊んでいる。
自分は何もしなくていい。自分はいるだけでいい。
ただ自分の存在が誰かの幸せになっている。
そのことがこんなにも幸せだとは。
これまで、これほどの“癒し”を感じたことはなかった。
■患者に教えられる(1)----------------------------------------
病気で入院した。
自分の担当医は、点滴の内容など詳しく説明してくれた。
専門的すぎるのだが、それでも向かいのベッドの患者が言った。
「あんたの担当医はいいな。詳しく説明してくれて」
その患者は薬を捨てていた。
それが、彼の抵抗だったのだろう。
薬を飲む=体内にものを入れる……信頼がなければ出来ない行為だ。
専門的なことなど言ってもわからないだろうと詳しい説明をしない医師。
そのあり方に、その患者は不信を突きつけていたのだ。
■患者に教えられる(2)----------------------------------------
中学生の男の子と風呂であった。体つきを見て思わず言った。
「いい体してるね」…「お兄さんこそ」
「何かやっていたの」…「百姓」
自分の筋肉はニセモノだと感じた。
その少年が個室に移った。もう長くはないようだった。
その子の母親に頼まれて、その個室に行くようになった。少年が言った。
「英語と因数分解を教えて」
『そんなことより、好きなことやろうよ』―のど元まで出かかった言葉をのみこんだ。そして、英語と因数分解を教えた。
今は思う。英語と因数分解は、再び友達と合うことを夢見たあの子の希望だったのだと。あの時、自分の価値観を押しつけなくてよかった―つくづくとそう思った。
■医者に教えられる------------------------------------------
その患者はさっさと点滴をすませてしまおうと、自分で調節して早く終わらせていた。ある日、担当医が変わって、その医者がその患者に説明した。
「風呂の水を混ぜるとき、水かさがこのぐらいの時とこのぐらいの時、どっちがラク?」
「少ない方」
「そうですね。点滴は、体の中の水かさを増やしているようなもの。それをかき混ぜているのは心臓。だから一挙に増えると、それだけ心臓が苦しいんです。だから、心臓の負担にならないように水かさが増える量を調整しているんですよ」
なるほど。難しいことを易しく話している―これぞ、プロだ。
その上、理解してもらった後は、本人に任せている。
■恩師に教えられる------------------------------------------
尊敬する恩師が病で動けなくなり、奥さんに依頼されご自宅で体を洗ったときのこと。恩師が言った。
「こんな体になってしまって、廃人も同然だよ」
咄嗟のことに立ちつくしてしまい、言葉が出なかった。
あの時、自分は奥さんが用意してくれたTシャツを着ていた。
もしこれが、同じ裸で「一緒に入ろう」という感じであれば、そういう思いをさせなかったのかも……繰り返し、そのように悔いた。
30年たったとき、「違う」とわかった。
これまでの生き癖で、自分は相手にそう言わせないための手だてばかりを考えていた。だから完璧であろうとしていた。そうじゃない。恩師は、初めて弱音を吐くことが出来たんだ。こちらがどうあれ、恩師はそれを言いたかったんだ。こちらはそれをただ受け止めればよかったんだ。
今なら、恐らくこう言うだろう。
「初めて弱音を吐いてくれましたね。嬉しいです」
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親の手足(ヒーロー)として生きてこられたAC(アダルトチルドレン)上嶋氏。
親と自分の関係が、他人と自分の関係にスライドすることがよくわかりますね。存在不安も強かったんだなぁと、エピソードをお聴きして思います。
もし気づきのないまま、親の望む成功者として道を進んでいたら、モラ夫やスパルタの父親になっていたかもしれません。
しかし、人との出逢いを通じてこのように変わっていけるんですね。私もそうでした。みんな同じ。変わっていけるのです。
とても率直にお話しをされる素的(←昔の漢字の方が意味が合いますので)な方でした。