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「躾と虐待の違い」-玉井邦夫先生の講演より

2010/09/03(Fri) Category : 虐待
日本家族カウンセリング協会の研修で、大正大学玉井邦夫先生のお話を聴いた。とてもエネルギッシュでわかりやすいお話しだった。ダウン症のお子さんを持ち日本ダウン症協会の会長もされている。以下、メモである。


●虐待とは--------------------------------------------------

abuse=ab(逸脱:例→abnormal=正常から外れた)+use(取り扱い)
→「不適切な取り扱い」
 (米国の電化製品には→「Don't Abuse」と書かれているそうだ)
つまり、子育てにおいて、子供が適切でない扱われ方をしたときは、すべて「虐待」となるわけだ。では、よく言われるしつけと虐待の違いは何か。


●躾と虐待の違い--------------------------------------------

1,躾には時期がある
2,親のパワーの行使(褒める、叱る)に一貫性がある
3,子に主導権を持たせる

(1の事例)
・「いいウンチ出たね~」と喜ばれていたのが、ある日を境にいきなり「おまるでしなきゃ駄目でしょ!」と怒られる。幼児にとっては理解不能。幼児自身がオムツにするのが体感的に嫌になったり、おまるですることの意味を理解できたり、親の都合ではなくそういう時期を見計らって導くことがポイント。
・例えば少年Aの母親は、生後一ヶ月で『トイレでウンチさせた。なるべく早く、そういう習慣を付けよう』と書いている。つまりこれは、abuse(不適切な扱い=虐待)

(2の効果)
・大人に対する信頼を培う。大人は交渉に足るんだということがわかる。
・交渉できることがわかれば、世界を変えることもできるという希望が生まれる。
・逆に一貫性がなく、子供がどんな対応をしても叱られるとすれば、子は自分の存在自体を否定されていると感じていく。

(3の意味)
・しつけは“押しつけ”ではない。
・押しつけられたものは身につかない(型どおりで心がこもらない)。
・1と2の姿勢で接することにより、子の人権を尊重することになる。


*すべての基本になければならないのは基本的人権の尊重です。
「無条件の愛情」が基本的人権を守る社会の土台



●健康な夫婦・家族とは---------------------------------------

<健康な夫婦>
・成熟モデルである
・夫婦連合がしっかりしている
・決定権限がフレキシブル(権力構造が固定化していない)
・個々人が健康な多重人格性を持つ(P-A-Cの間を自由に行き来できる)

上記がしっかりしていれば、後は子が親を育てていく。
・子が生まれる=生活環境の激変はストレス。どんな環境であれ馴染むまでに3ヶ月かかるが、その間は免疫力があって赤ちゃんは病気をしにくい。
・免疫力が消えていく3ヶ月後には「無差別微笑」が始まって、親の気持ちをつなぎ止めていく。
・さらに選択的微笑が始まって、親に喜びを与えていく。

→このように、赤ちゃんの自然な成長過程が親との絆を育んでいく。こうして夫婦は赤ちゃんによって父母へと育てられていき、次のようになる。

<健康な家族>
・親が自律モデルである
・夫婦連合があり、世代間境界がある
・決定権限がフレキシブル(子も含めて決定権がある)
・個々人が健康な多重人格性を持つので、親が子のレベルにおりることもできる(子の自我形成を支援するために親は意図的幼児退行ができる)



●虐待はなぜ起こるのか--------------------------------------

上記家族システムのどこかに病理があるときに虐待が起こる。
結局、虐待をなくすためには
『自分と親との関係は何だったのかを振り返ること』
(↑もっとも大事なポイントをいわれました)



●虐待を受けた子供と接する際の留意点--------------------------

1,語られない喪失部分がある
ビデオでCMカットをするように、たとえば殴られている部分の記憶を消していることがある。

2,リミットテストをしかけてくる
リミットテストとは、どこまで自分の要求に応じてくれるのか試してくること。これほどの虐待を受けたのだから、その対価として無償の愛情を得られて当然という思いを持つ場合もある。援助者の側は得てしてそれに巻き込まれがち。
→ここまではできるけれどもここからはできない、という限界設定(リミットセッティング)をきちんとすること。健常者に対するものと同じ常識的な対応が必要。

3,「性化行動(sexalized behavior)」がある
性的虐待を受けた子供は、様々な理由から性的関心や性的行為を示したり、行動が性的な色彩を帯びてしまったりして、援助者の側が被害(性的虐待)を受ける場合がある。

4,援助者の心構え
「虐待を受けた子供」と対する場合は、自分がその子から「虐待をされている」という認識を持って対応する必要がある。それがない場合、無意識に被害に逢った後で鬱になったり、逆に激しい怒りまで起きるような心の傷を負う場合がある。



●虐待からの回復の工夫--------------------------------------

ドロドロを引き出さないと回復への原動力は出てこないが、それには受け止められるタイミングがある。次のような形で自己表出を容易にする“遊び”で行うのも効果的。

・自画像、家族画を描く
・家族を動物になぞらえて描く
・人形やドールハウスを使って、お家ごっこをする
・パペット(指人形)を使って人形に言わせる

*尚、ごっこ遊びなど、繰り返せば繰り返すほど詳細になっていき、抜け出せなくなっていく場合は、子供に触れたりハグしたりして抜けさせる。また、違う配役を与える。
*フラッシュバックが生じた場合は、その対象から距離をとらせる。
*自分の檻の中で困っているので、その子の認知の地図を広げていくことを目指す。



●「要保護ネットワーク」とは?----------------------------------

これまでは事後対応:火の見櫓方式→ちゃんと燃えてから対応
H16年の児童虐待防止法改正後は予防へ。児童相談所一極集中主義は破綻し、学校と地域が連携して対応する仕組みへ。ただし、地域の対応力が向上しない限り、専門機関は機能不全に陥る。
 ↓
*地域の重要性、特に私の言葉で言う「受け止められ体験」の大切さも言っておられました。

【ご参考】
「受け止められ体験」が人を救う
笑顔が人を救う―佐々木健介






★援助者の心構え--------------------------------------------------------

*援助者の心構えは特に重要だと思いました。
『「虐待を受けた子供」と対する場合は、自分がその子から「虐待をされている」という認識を持って対応する必要がある』―この言葉には衝撃を受けました。

この認識がないままに被虐待児と接して鬱になってしまう学校の先生も多いのではないでしょうか。このことについて改めて掲載します。





躾と教育と体罰について

NHK「虐待の傷は癒えるのか」を見て

家庭という「完全統制区域」



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記憶の喪失・・・
自分のこと、バラバラ殺人事件の遺体のようだと思うことがあります。
自分があっちこっち、いろんなパーツに砕かれてバラバラになってます。
・・・
書くの、つらい。
まだ生々しい傷がある。
私って本当に虐待を受けたのかな?いやいや、あれは虐待だよ・・・
小学校1年生にして、PTSDの症状が出てたじゃないか。当時はよくわからなかったけど、あれってフラッシュバックだったんだよ・・・。
信じたくない自分。混乱&混乱。

 

「虐待」という流行語

桜もちさんの言うように、作今の「虐待」という言葉から「重石」がはずれて、どんどん軽くなり流行語の感が否めません。私には「折檻」のほうが怖ろしいです。父子家庭で長子として育ち、父の死後20年経つのに、今だに折り合いがつけられず時々、生まれてきたことを恨んだりしてます。玉井邦夫先生の「こどもの虐待を考える」の終章に「私達の内側には様々な(人)が棲み嘲笑や罵倒の声は大きいが、、前を向いて生きていくために、必死で(祈ってくれている人)がいる。」 「祈りの声」をかき消さないように日々を送りたいと思いました。

 

『「虐待を受けた子供」と対する場合は、自分がその子から「虐待をされている」という認識を持って対応する必要がある』

なんか目からウロコでした。
でもとても納得してしまいました。

虐待を受けてきた子供のコミュニケーション方法は、子はどうしても親のやり方から学ぶから、親のものの模倣=虐待を与える行為になってしまいますよね。

供依存の人の援助をしていた人がその人と供依存になってしまう、という内容の映画の広告を以前どこかで見たことがあって、その時「あぁありうるな」と思ったのですが、供依存の人と会う場合は常に精神や行動にに介入されているという構えを持って接しなければいけないのかなと思いました。
精神や行動への介入=受けてきた虐待ですものね・・・。

 

ニュースを見るたび、虐待児と虐待する親が連なっていると考えようとしないんだなと感じます。
「虐待児」という単語だけ切り取られたみたいに、その子が大人になってどうなるのか、そこまで取り上げられることはなく、犯罪を犯した人の生い立ちが週刊誌やワイドショーに出たとしても、最後は本人の責任でオチがついてしまう。
世間は虐待児と虐待する親は繋がって欲しくないように思っているのでしょうか。
いつもの「躾と称して虐待を繰り返し・・・」は、虐待していた人の言い訳でもあるけど、大勢の人たちに対してのフォロー?というか、免罪符?のような、親になって誰しもが子共に対して、なんらかの八つ当たりや押し付けをしていて、躾と言い、多少のことは許されないといけない。
「行き過ぎれば」虐待であることが重要であって、子を道具にしている小さい大きいに関わらず、すべての行為を否定されるのは困る。
虐待された子がのちに虐待する親になる、犯罪者になるという事実は自分たちは違うよ、自分たちの過去は暴かないでという気持ちの現れなのかな、とも思う。

実際、母になぜあんなに毎日毎日怒っていたのかと聞いたら、お前が言うことを聞かなかったからと言った。
12~13歳の子供が一端の大人にような完璧な家事ができるんですかね。
粗を見つけては毎日怒鳴られてた。
子共としては親を手伝いたい、褒められたいもの。
子共なりに一生懸命やっても否定される。
母の中ではこれは虐待ではないと思い込んでる。
こういう場合、本心から自分の命令に背くからだと思っているものなんでしょうか?
良心の呵責なんてないものなんでしょうかね。
まぁ、自分を見つめないためにお金には困っていないのに熱中症になるまで農作業をし、入院を勧められても夫を一人にできない、農作業があると言っては無理して頑張っています。
今、老若男女と接する機会があるのですが、50代以降の人はキレやすい、喧嘩腰、人の話を聞かない、人のペースに合わせられない人が本当に、もう本っ当ーーーに多いです。
そして、怒りを内在しています。
なんで単に連絡してくるだけだってのにそんなに怒ってるの???
なんでそんなに怒りたいの???
そっか、怒りを吐き出したいんだね、何かにぶつけたいんだね。
心のコップがパンパンなんだろうな~。
対象はなんでもいいけど、面識が無い、自分より立場が下の人の方がぶつけやすいもんね。
闇は深いなと感じます。
その人たちが見ようとせず、隠してきた暗部が色々な形で表に出てきているのが現在なのかな。
ガンガン噴き出して欲しいです。
隠したい闇?ナニソレ。
どれだけ若い世代が苦しんでると思うんだ。
虐待は躾じゃないよ!!

記事の最後で『「虐待を受けた子供」と対する場合は、自分がその子から「虐待をされている」という認識を持って対応する必要がある』
とありますが、な、なるほど…。
教師と子だけじゃなくて、さまざまな人間関係に置き換えられますよね。
今までは理不尽に傷つけられてきたけど、この人、自分がかつてされた虐待を私にしようとしてるんだとわかるだけでも
悩みが減るかも…。

 
    
 
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