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中尾英司

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内なる野生を取り戻そう

2010/09/11(Sat) Category : 自律(自由と責任)への道
自律への道は難行苦行をすることではありません。日常のすべての中に自分と向き合うきっかけが内包しています。楽しみながら、自分と向き合っていけばよいと思います。許可を得て掲載いたします。


■ツリートレッキング--------------------------------------------

先日、むすめと夫の3人で旅行に行った時、ホテルに併設されている「ツリートレッキング」にひとりで挑戦しました。ツリートレッキングというのは、木と木の間にワイアーを渡し、地上7メートルくらいの高さに、はしごや丸太などが渡され、ワイアーにつかまってその上を歩くというものです。最後は木の上から地上まで30メートルほど伸びた長いワイアーを手を離して空中ブランコみたいにして、滑り降ります。





登山用の安全ベルトでつながれているため安全が確保されていますが、実際にやってみると、下で見上げていたのとは大違い。
「自分を守るために神経を張り巡らせ、体を慎重に使って進んでいく」非常に緊迫感のある体験ができます。「フランスで山岳救助のトレーニングからうまれたもの」とのことで、なるほどと納得。
「自己の安全を自分が守る」「自立」がテーマだそうです。

進む「道」も幅の広い板から始まって、段々難易度があがり、丸太の上の横歩きは遊びとは言えない緊張感でした。
圧巻は何と言っても、最後の滑り降りるところです。
木の上から、安全ベルトを信じて一歩を踏み出さなくてはならず、これはわたしの中にある自律への怖れや恐怖を目に見える状況にして、わたしに見せてくれていると感じました。

誰もが木の上で逡巡します。
わたしも恐怖と戦い、
こころを決め、
なんとか「一歩」を踏み出すことができました。

踏み出し、
体を宙に放り出してみると、怖いのは
「手を離すまで」と
「自分を何もない空中に放り出した瞬間」だけなんです。

その後は、拍子抜けする位に、腰とお尻をすっぽりと包んでいるその安全ベルトが、ガシっとわたしのすべてを受け止めてくれ、もう安心しきって、手を放して滑り降りてくることができました。

下ではインストラクターの方がしっかりカラビナが固定されているかなど確認してくれ、わたしを見守っていてくれます。ワイアーを滑り出すと、すぐに「手を離して」と、ジェスチャーをしながら声をかけてくれます。
何人かやっているのを観察していましたが、手を放せる人と放せない人がいます。



■自力と他力-----------------------------------------------------

わたしは大変感動しました。
その気持ちをインストラクターの方に伝えると、いろいろ説明して下さいました。

「みなさん、この安全ベルトを信頼できないから、“自分の力だけ”で渡ろうとする」

わたしも安全ベルトを握る左手もワイアーを握る右手もガチガチに力が入っていたらしく、数日筋肉痛になったほどです。

「一度、手を放してぶら下がってみると安全なことがからだでわかる。
それがわかれば手はただ添えるだけで、足を横に滑らせるだけで、力を使わず楽に渡れるんですよ」

「やってみてください」と言われ、もう一周やらせてもらいました。
実際に両手を放しからだ全部を安全ベルトに預け、その安心感を体で感じると、手は添える程度になり、余分なちからが抜けているので、楽にしかも早く、そして歩くことを楽しむことができました。

木の上から滑り降りる瞬間はやはりかなりの恐怖がありましたが、一度目の経験が勇気を与えてくれました。
「自力」「他力」というものを感じました。
わたし以外のものにわたしのすべてを預けてみるというこの体験は、気づきが多く、いい出会いをさせていただきました。



■すべてが完璧に仕組まれている------------------------------------

そういえば、この旅行、夫が宿泊先をさがしてもどこいっぱいで、わたしがネットで調べ「ここいいな☆」と思ったこのホテルには通常の半額で泊まれました。

ツリートレッキングに娘は「なんかわたしはやらないほうがいい」と言って、頑なに拒みました。どうしてもやってみたくなったわたしは、好奇心に動かされて、1人でやったのですが、これは正解でした。
やはり、一人でやらないといけなかったのです。
娘がいっしょでは、気持ちが自分だけに集中できなかったと思います。

すべてが完璧に仕組まれているのですね(笑)。



■野生を目覚めさせる----------------------------------------------

わたし思ったんですよ。
娘のような不登校の子たちに、これやったらどうだろうって。
彼らの多くは「心が閉じた」状態なんです。

また、親がやったらどうだろうか?とも思いました。
親はとくにわたしも含めて頭でっかちな人が多いです。
理屈ではなく、実際のからだをつかった体験をして、からだと心で何か感じ、それが知識と結びついて、血肉になることが大切なんじゃないかと思います。
それが、わたしたちには圧倒的に不足していることを痛感しました。


動物であるわたしの中の「野生」や「本能」が呼びさまされるようなそんな装置がこのツりートレッキングにはあると感じます。
自分だけしか頼るものがない状況に自分を置くことで、わたしの中に眠っている「生命力」が発動されるのを感じます。

そこには、わたししかいないので、自力で進んだ気になりますが、最後に大どんでん返しで、実はわたしは大いなるものに守られ、何も心配なかったんだわとなります。まるで、この世の真実を垣間見た気持ちでした。

恐怖や不安も、沸き起こる気持ちひとつひとつを観察することから、「受容」を体感し、また、「わたしを信頼すること」を全工程を通して体感することができました。

思考偏重、思考重視から、自然の中で私たちの中で眠っている野生や本能を目覚めさせることが、今わたしたちに必要なことなのかもしれません。



■土のやさしさ---------------------------------------------------

裸足で歩いたのも気持ちよかったです。
わたしのいのちが喜んでいました。
土は柔らかく温かく、そして優しいことを感じました。夫もやってました。

川のせき止めあそびもしました。
夫はパンツ一枚になり、私もジーパンもTシャツも脱いで、むすめも、パンツになり、童心にかえっていました。

こんなこと、わたし初めてなんですよ~☆
今、私の経験年齢は、むすめと同じ13歳くらいみたいです。
経験年齢13歳、頭は52歳のアンバランスですが、これがなかなか面白いんです。今は「経験値」を上げることが楽しいです。

ツリートレッキングは今、いろんなリゾートホテルで出来始めているようです。那須でも、草津でも、岩手にも、屋久島にもありましたよ。



■ダイアログ・イン・ザ・ダーク------------------------------------

バースセラピストの志村季世恵さんは、こころが閉じているクライアントに対して、カウンセリングだけではなかなか難しいと悩んでいた時に「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と出会い、クライアントにこれを体験してもらうことで、心が開かれ、その後のカウンセリングがスムーズになったという話を最近知り合いからききました。

今、これも代々木で開催されていて、わたしもチャレンジしようと思っているのですが、「暗闇恐怖」はなかなか手強く、今は決意できないでいますが、でもやってみようと思っています。



■それぞれがそれぞれただ在るだけ---------------------------------

母のことですが、今、あの母をどう思っているかと問われれば、
あの母のあるがままを受け入れることができた、という感じです。

赦すとか許せないとは次元が違うという気がします。
在るがままを受け入れたら、もう許すも許さないもないから。

「あの在り方がわたしの母親なんだな」ということが、分かったのです。

分かってしまえば、なんというか、
拍子抜けする位「な~んだ」という感じです。

わたしはこのわたしの在りようにしか在りえない。

どうころんでも、この在りようしかないことがわかったら、
娘の在りよう、息子の在りよう、夫の在りよう、そして、母の在りよう、すべての人、すべての生き物がその在りように在るだけ。

それぞれがそれぞれただ在り、そこにはどれが良くて、どれが悪いなんてはじめから無かったこともわかりました。

面白いですね。
分かってくると。








(*3年前までご家族全員が闇の中にいらっしゃいました。行動を積み重ねてたどり着かれた地点です)


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幸せって形があるわけじゃなし、人それぞれ。形ではなく、いかに「幸福感」を味わうか、ですよね。幸福感を感じる機会が多ければ多いほど今の状態を幸せだと思える。

お金や物が豊かにあることを幸福に思う。

これはもちろん「有り」だし、これを理想とする人も結構いるでしょう。特に資本主義社会な現代では。

しかし、これを幸福だと思える人は、実際にお金や物が豊かにある生活をしている人なんじゃないでしょうか。

お金や物が豊かにある生活をしている訳では無いのに、お金や物が豊かにあることが幸せなんだという価値観に拘っていれば、そこにあるのは幸福感ではなく惨めさを感じる日々の生活でしょうね。

がばいばあちゃんのような映画がヒットするのも、資本主義に慣らされてきたけど、人の幸せって本当にそれなの?と疑問に思う人が多いからじゃないでしょうか。

資本主義、経済主義な現代。もう一つ情報化社会でもあり、私達は今いるこの場所から世界の情報を知ることが出来ます。

飢饉や疫病、内戦等で今日自分が生きていられるかわからない生活を今、この瞬間にもしている人達は大勢いる事を私達は知らない人は殆どいないんじゃないですか?

それに比べたら多少よその家庭に比べて生活苦しかろうが幸せに思えないなんて事は無いんじゃないかな。上ばかり見るのではなく、時には下を見る事も大事なんですよ。

 

ももんが様

気になさらなくて大丈夫よ!

最初の主張なんか自分でも忘れてお金の話に持っていってたんだから(笑)

私はいい歳だけれど、“自分だけが貰えない状況”に置かれると(職場なんかでのお土産配布の不手際で自分だけに回ってこない場合などに)思い切り泣きそうになっていました。

置かれた状況が当時とリンクするんですね。

周りは楽しそうなのに自分は持っていないから会話に入れない→突っ込まれるのが怖い→孤独

あとは“自分だけが呼ばれない状況”も同じく、モーレツに泣きそうになりました。

以前までは、『なんであのポイントで泣きそうになるんだろう?』なんて考えましたがICだとわかった現在はふに落ちました。

聖人君子でもないのだからお金に対する欲求はあってもいいと思います。
今現在の生活の基盤なのだから。

自律って人間として生きることだと思うので。

私の考えだけれども。

でもお金の有り難みは人一倍わかるつもり!

お互い幸せになりましょうね。

ありがとう!

 

中尾さんが最後に書かれているように、
3年前まで、わたしたちは闇の住人でした。。
そこしか知らない時、わたしにとってお金は嫌悪するものであり、よりどころであり、あらゆることの判断基準であり、そして自分の喜びに使うことができないものでした。
結婚してから倹約に努めました。たやすいことでした。
貯金は増え続けました。
子どもが生まれても、子どものために使うことさえも躊躇しました。
夫と共依存の中で、からだは不調になり、そのために通い続けた整体。わたしのために使うことができた、一番使われたお金です。
極めつけは、貯めた貯金で義母に新築の家を建て、同居したことでした。
わたしのからだは不調を極め、子どもたちが不登校、神経症になりました。
中尾さんと出会え、カウンセリングを受け、提案のあった別居をしました。
少しづつですが、わたしの魂が喜ぶことのためにお金を使えるようになりました。
安心して息を吸うことができる場所を手に入れることができたわたしに、マンションの家賃は高いも安いもなく、そのお金が今あることのありがたかを日々味わっていますが、
お金が少ししかなくてもおそらく別居はやっていただろうと思います。
ツリー・クライミングの1500円を、わたしのために使うことにも躊躇しました。
リゾートホテルに泊まることにも躊躇しました。
「ブルジョア」とか「のんきな専業主婦」なんて言葉が脳裏をかすめました。
外側の世界から見たわたしはおそらくそんな風に見えることをわたし自身がしっているからです。
ツリー・クライミングに挑戦したことも、ホテルに泊まったことも、気持よく、快適で、楽しかった。
楽しいっていいものだと思いました。
暗闇の中にいるときは、何をしても、お金があっても、なくても、楽しめなかった。
ほんとに楽しいということもわかりませんでした。
お金がたまると、今度は失う恐怖が出てきて、お金に縛られていました。
今は心から、お金に感謝していますが、それでも一番感謝しているのは、今生かされているということです。
生かされているから悩んだり、喜んだり、悲しんだり、お金を使うことも、使わないことも、母を憎むことも、許すことも、深く愛していたことにも気づくことができました。
すべて、いきていればこそできる経験なんですね。

 

匿子さんへ

ごめんなさい、
匿子さんが、初めに言いたかった気持ちは確かにお金のことじゃないですね?
暴走してごめんなさい

 

匿子さんへ

「恵まれた思いを娘にさせたくない母の意地悪」
ああ~そこ解りますよ~、匿子さん・・・・。

私の母も、
「自分よりも不幸な人間を側に置きたい、
苦労させて惨めを味あわせたい」
そんな感じで、冷たい視線がべったり。

最低ですよねっ。

必要な物なのに買えない時、諦める時、
その頃の感じを ドヨ~ンと思い出す、
何度も味わって苦しいですよ・・・・。
母の住んでる世界なんです。

だから、そのイメージに浸るのを毎回手放すというか。
ただこのひとつが買えなかっただけ。
ただ今の現状がこうなだけ。
惨めとか、悪い状態とか関係なく、普通に見ようかな、
今は、ただそうあるだけ、って。

別に、ダメでもなく変でもないか~って。

以前、何かで知ったんですけど、
お金にも人と同じ気持ちがあるとか?
お札って、焼くと人の匂いがするとか?
豊かで希望のエネルギー溢れる所に寄って来る。
人もそうですものね。

ホントかどうかは解らないけど、
そっか~と笑いながら、ワクワクできるなら、
家族も緩むし良いかな・・・・。

諭吉さん、だ~い好きよっ いつでも来てね(ハート)

って言ってると楽しいです。


匿子さん、ありがとう!

苦しい時も悲しい時も
ワーンて篭って泣きますけど、
それも変じゃないし、
お互い傷があるから
自分を暖めて、自分に寄り添って
すこーしづつ塗られたものを剥がせば良いですよね。
幸せになりましょうー。

親が越えることの出来なかった、惨めの心の世界を
私は越えたい。

 

ももんが様

レスと共感してくださりありがとう。

お金お金と連発してしまい卑しい感じですが、私も幼少期の惨めな思いからきています。

家は経済的には普通でしたが、絶対に自分よりも恵まれた思いを私にさせたくないという意地の悪い母親でしたから、とにかく惨めな思いばかりしてきました。
コメントの趣旨はお金についてではなかったものの、お金に展開してしまったので、こんなにも自分がお金に執着しているんだなと思い知った次第です。

実際、今ここに生きるということは、貨幣社会の中でお金との折り合いを自分なりにつけていくことなのかなとも思います。

本来はお金なんて必要ないとか、現実離れした考えではなく。綺麗事でまとめるわけでもなく。

なかなか手放せない問題ですが、ももんが様のお話参考になりました。

ありがとう!

 

現実って何か。

例えばお金が無くて生活が苦しい。果たしてそれが現実と呼べるのか。

お金が無くて生活が苦しいと「判断している自分」が居るだけではないか。

今の生活が豊かではないのをお金が無いせいだと思っているならそれは「貧困」なんじゃないかな。
お金はなくとも豊かな気持ちで居られる「貧倖」を目指したいものです。

 

野生になって、数が多く手に入り易い食料を
食べたくなる時があります。

 

ポイポイ 手放しまくり

匿子さん、ホント、そ~ですよね~。
わっかります。

私の場合、他の事は、手放せるんですが、
お金に関してだけは、
現実をなんとかしたいと、焦りまくりです。
これは、
子供には文化的生活をーーー。
欲しいものは諦めず、気持ちのままに求めてくれーー。
と言う衝動から来てまして、
更に自分の貧乏な生い立ちから来てました。
母子家庭の経過が、母と、まるで同じなので、
連鎖するようで嫌でした。

そして、今、現実生活を受け入れました。
子供に良い環境を与えよう と、責任背負うのも止めました。

追い詰められる感が、減り
少し楽になりました。

この猛暑にクーラー無しのこういう生活ですが、
がむしゃらに小銭を稼ぐ発想を止めて
今日一日の中で、
楽しい嬉しいを感じて行こうかと思います。
 
動けなくて、
この動けないのをなんとかしなくちゃと
ガツガツ癒しを試してましたが、
まだ無理だと言ってるんだから
そうなのね~とそれも受け入れました。

りラックマ、たれぱんだです。

自分の理想を一旦捨てて、
今与えられた生活をありのまま見てそこにいます。
自分が下がるわけでもなく
無理して上げてるわけでもなく
ただ、躍起になるのを 止めちゃったって感じです。

今日の生を楽しめた先に、豊かさが来るのかな・・・・
とか、
死ぬ時は、豪邸や海外旅行自体は思い出さなくて、
どんな生活でも、
ただ味わった感情だけを思い出すんだったりして・・・・
とか、 
そんなこと、浮かんだりします。

 

一定の秩序やモラルが守られている世界では、どの人が良いも悪いもないと達観した気になれるのだろうけど。

正直、衣食住も最低限で足りてたりド根性で鋼の精神の持ち主でなければ、現代社会の中で平然と生きれないとも思う。

金持ちとかパートナーの給料で自分で稼ぐ必要のない人は、そりゃ好きなことに没頭したり自分探ししたり、余裕で嫌いな対象から離れられたり厭世的な生活できるんだろうけど。

本当にお金に困窮した状況でもお金がなくても平気、幸せはモノじゃないって言える人、いるのだろうか?
幸せに導くセッションやセラピーもセラピストの私腹を肥やしていますよねってのが殆ど。

ナチュラルなスローな暮らしなんて金持ちの道楽。

なんだかんだ言ってお金がなければ何もスタートできない。


本当に一人きりで自律に向かうのは辛いと思う。

 

ありがとうございます☆

わたしの体験を取り上げてくださり、感謝しています。
実は今もうひとつとても大切なことがわかりました。
それは「真剣」ということです。
このプロブラムを行っている時、わたしは
本当に「真剣」でした。
人は真剣で在る時、
あんなにも深く「いまここ」に在ることができるのですね。
いまここに在るとは、目の前の世界をそのまま在るがままに受け入れるということでした。
真剣に生きるということの意味を、今わたしは思いだしてきているところのようです。

 
    
 
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