17、神社、パワースポットの留意点
■17、神社、パワースポットの留意点-----------------------------
『神社に行きさえすれば、救われると思っている霊たち。私も霧島で両足が重くなった。それは救われたいと思っている霊たちが、うじゃうじゃと私の足にすがりついてきたためだった。
軽い気持ちで神社に参拝に行く事の危険さ、参拝をして、それが自分のためだけの祈りであればあるほど、自分だけが救われたいと願えば願うほど、聖なるものとの感応は遠ざかり、闇とつながってしまう事をしっかりと知って欲しい。
そして今パワースポット巡りがもてはやされているが、それも軽い気持ちで、自分が癒されに行くという気持ちで行く事が、闇の格好の餌食となる事を知って欲しい。闇はそんな場所をよく知っていて、それこそてぐすね引いてあなたを待っている。
厳かな気持ちで行かせていただくという真摯な心、そして清らかな魂を持って行く事が大前提だと思う。そのような気持ちになれない時や、何かスピリチュアルな体験をしたいという生半可な気持ちで行くのなら、やめた方がいいと思う。
パワースポットや、聖域は、簡単に入れる場所ではない事を知って欲しい。行く側の魂が、問われる場所である。』
http://iruka-andara.blog.so-net.ne.jp/2009-09-08
★救われたくてつながる先はハラスメント界------------------------
記事を読んだときは、へぇ~そうなんだーと驚きつつ納得もしました。
神社などに悪しきものがいるとは思ってもいませんでしたからね。でも、救われたいがために、いろいろな人がいろいろな思いを持って集まるように、自分と同じような波動を持った人を探すために、救われたい霊も集まってくるのでしょうね。
神社仏閣とはいえ、結局そこを運営しているのは人ですから、その人の姿勢によっても変わると思われます。それがどのような組織であれ、存在不安の強い人にとってはその組織が自分の子宮となるのです。その組織が子宮となっているかどうかは、形に現れているはずです。閉じている(開放定常系でない)組織は注意してください。
ところで、“救われたい”と思ってする行動は、その多くがハラスメント界とつながってしまうように見ていて思います。
親という強大な重力から逃れるために付き合った相手は、それに見合う強力な磁力を持っています。
自分を支えるために入る団体は、背骨代わりの信条や仲間を提供してくれますが、手足のように扱われます。
結局、『救われたいと願えば願うほど』『闇(ハラスメント界)とつながってしまう』ということがあるように思います。
それは、自分を相手に任せているからかもしれません。
その人とつながりさえすれば、その集団に所属しさえすれば、私は救われる―どこかでそう思っているとすれば、自分を相手に投げ出していることになります。そこには、自分がどうなりたいのかという主体性がありません。
たとえば、先に『行き当たりバッタリの徹底して他力本願な旅』のことを書きましたが、行き当たりバッタリでも日本を縦断するという大雑把な目標はありました。ですから、北海道は礼文島から八重山諸島の西表島や竹富島まで行くことができたのだと思います。そういう意味で、枝葉はどこに向かおうがかまわないけれど、太い幹としてどちらに向かうかという主体性は保持していました。だから、『主体性を持ちつつ流れに任せる―そういう旅』だったのだと思います。
★すべての行為には意味がある------------------------------------
けれど、強力な磁場から一気に離脱することも、深海から一気に浮上することもできません。いろいろな方の人生を見ていますと、その時々に何かにすがりつきつつ、一歩一歩浮上しているのです。
恋愛依存、セックス依存、風俗や宗教にはまることも、
食や酒や薬物への依存も、
買い物やギャンブルや万引きへの依存も、
ネットや携帯、ゲームやテレビへの依存も、
自傷行為や自分の動作、自分の姿や匂いに執着することも、
争い闘う相手を探し続けることも…
それらのものは、
深海から浮上するときにすがる階梯のような場合があります。
いずれも、親という強大なブラックホールから離脱するために無意識にすがっていたものであることが多いのです(行為や現象を人は良し悪しや善悪をつけて評価しようとしますが、そこには発見されるのを待っている“意味”があるだけです)。
そのときは、自己投影であれ代償行為であれ、自分を生かすためにそれが必要だったのです。意味がわかれば、手放すことができます(ただし、依存症は依存症の治療が先です)。
ですから、それらの行為や過去を恥じたり、罪悪感を持つ必要はありません。むしろ、よくここまで生きてきたと自分をほめてください。
★自分で自分を救う決意をしよう----------------------------------
自分はよくがんばってきたと、自分で自分を認める勇気を持つこと。
しかし、そこには大きなハードルがあります。
自分を認めるためには、「自分を認めてはならない」「自分を好きになってはならない」という人生脚本と向き合わなければならないからです。
その脚本は、簡単に言うと親を守るため、もっと言えば、親への可能性を失いたくない自分のために作られたものですから、その脚本を暴くと言うことは、自分の親の本性を知る、そして、自分の本当の姿を知る―いわば「自分のエゴを知る」という、人生最大の課題と正面から向き合うことになります。
それは、とても覚悟のいることです。
あなたが手に入れてきたすべてを失う気がするからです。
あなたが尋常ではない精神力で構築してきた世界が、もろくも崩壊してしまう気がするからです。
あなたの費やしてきたエネルギー(努力や苦難)のすべてが無駄になるように思えるからです。
けれど、あなたが手に入れてきたものはすべてハラスメント界のもの。
それがすべてなくなったとき、それによって隠されていたものが見えてくるでしょう。
あなたの小さな世界が壊れたとき、あなたは本当の自由意志の世界へと解放されるでしょう。
そして、あなたが費やしてきたエネルギーで培われたもの(癖や敏感さなど)は、今は自分を苦しめるものとしてありますが、あなたが主体性を取り戻したときは、あなたのギフトとしてあなたの体に残されるでしょう。
失うものは何もなく、ギフトだけが残されるのです。
そして、自分を全的に発揮しても争いのない世界へと入っていけるのです。
あなたが本当の自分に戻ることが、
すべてのこと(書きつくせません)の
福音になるのです。
今はただ、
多くの人が、
自分から逃げつつ救いを求めるのではなく、
自分で自分を救う決意をされんことを
お祈りして
このシリーズを終えます。
四天界静香さん、
そしてお読みいただいた皆様、
ありがとうございました。
【坂本真綾 「奇跡の海」】