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人の行動が安心の場を形成している「マザーウォーター」

2010/11/13(Sat) Category : 映画
5日のアヨさんのコメントを読んだ映画好きの妻が、「行こう!」と…。
次のような映画だった。




      人 

  時  間  空

      世




時間と空間の中に人間は生き、その人間の行動が世間を形成している。

つまり、「間」がとても大切だ。




間がないことを“間抜け”と言うが、

スピードと効率を求めるあまり、現代はなんとも“間抜け”な社会になってしまった。




-----------------------------------------------------------------
人の行動が世間を形成するわけだが、速度と引き換えに安全と安心を失った現代社会では、逆に、その失われた安全と安心を買うために人は働く。監獄のようなマンションに住み、スパイもどきのツールが生活の場に入り込み、それらの収入を得るために高学歴を目指し…。

しかし、安全と安心は人との関係の中にあるものなのでお金では買えない。というよりも、安全と安心の上にしか経済は成り立たないのだが…そういう意味では、すでに破綻した経済の上に私たちは生きている。


速度が人から余裕を奪い、
人と人との間を遠ざけ、
不安をあおられた人々は安心を買うために走る。

こうして、『存在不安がある人の時間の構造化の仕方』が一般化し、ハラッサーが蔓延し、不安社会は拡大していく。

その不安を排除しようとして行き着く先は、たとえばルフィの生まれたゴア王国がその一つのモデルだろう。隔離社会の“成功例”―イーストブルー一の美しい国であり、“悪臭のする町”である。【「ONEPIECE」第60巻】

王国という鳥かごの中で生きる人々は、もはや人ではない。
中に棲む住人はそう自覚していなくても、人でなし(もう人ではなくなってしまったもの)がその鳥かごの中に閉じ込められている。

不安と恐怖をあおり、それをお金の力で消すことができるという幻想を植え付ければ、いとも簡単にそのような社会を作ることはできるだろう。

そのような幻想に惑わされないのは、不安と恐怖と向き合い乗り越えた「自律した人」だけである。




-----------------------------------------------------------------
さて、『人の行動が世間を形成する』のであれば、人の行動しだいで金をかけずとも安全と安心の町を作ることができる。それを示したのが、「マザーウォーター」だ。

けれどこの映画の主役は、人ではない。
人を包み込む「間」である。

人のアップが少ない一方で、人が両端に位置する構図が多かった。
画面中央にあるのは、樹木や川や植木などの自然、散歩道、店構え、店内などの空間である。つまり、それらの「間」こそが主役なのだ。



その鄙びた落ち着きに惹かれて集まる人々。
その人々も、好きな場所で好きなことしかしていない。

豆腐屋も、カフェも、バーも、銭湯も、嫌なことはしていないのでストレスもなく、心にゆとりがあり、みんな、よく空を見上げている。



みなそれぞれのやり方を持っており、
そのやり方をとやかく言うものは誰もいない。
自分のやり方だからこそ心がこもる。

それぞれのお店が提供しているのは、豆腐や珈琲やウィスキーといったモノではなく、“心”を提供しているんだなということがよくわかる。

同じしぐさ、同じ音…シンプルだからこそ、心が表れてくる。



会話もシンプルだ。
前の記事の『こけつまろびつ歩きつづける人を天は応援する』の中に出てきた天使ちゃんとのやりとりみたいだった。ハラッサーとの会話のようなくねくねしたものは微塵も入り込めない。

「行こうか」と誰かが言えば、「行こう」とすぐに行動できる。
自律した人々の持つ限りない自由がそこにはある。



そういう自律した人の存在が、その場を安全なものにする。
安全な場で、人々は安心してつながり始める。

2人揃えば線となり、
3人揃えば面となって、
地域を安全な場所に変えていくだろう。



地域が安全であることを証明しているのが、あの椅子だ。
なぜこんなところに、などと野暮な詮索をするものはいない。
安全な環境にあっては、そこに意味を問うことが無意味だ。

あれば座る。
気持ちよければ寝る。

その無防備な姿は、その空間が安全に守られ安らぎに満ちていることを示している。



安心できる空間の中で、人を疑う必要もない。
人は不安だから人を支配しようとするのであって、争うために生まれてくる人などどこにもいないからだ。

そのシンボルが、全く無防備でか弱い人間=赤ちゃん。
その赤ちゃんが、まるで信頼のバトンのように人の手から手へ…。

その赤ちゃんをハラッサーに育てるのも自律した人に育てるのも環境である。
親だけで子は育たない。

「親はなくとも子は育つ」という言葉を思い出した。
地域社会が生きていてこそ実質が伴う言葉だが、今や実感できなくなってしまったこの言葉に命を吹き込んでくれた。




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この映画は、西郷真理子さんが『居心地のいい街は住人自らが街に誇りを持ち、街づくりに積極的にかかわっていることに気が付いた』―その京都を舞台にしている。
【衰退する町の再生―西郷真理子さんの挑戦】

この映画を見れば、西郷真理子さんがどのように気づかれたのかがわかる気がする。この映画の登場人物たちのように、ベニシアさんも京都大原に住むようになったのかもしれない。
【自分の内側にある幸せを外に広げて生きるベニシアさん】

キャサリンが見た昭和初期の東京もまた、住みやすい街だった。
【「東京に暮す(1928-36)」―(2)キャサリン・サンソムの日本人観察】

上記の女性たち、その女性たちが記録した日本、またこの映画の女性たちを見ても、女性が自由に動けること=安心してのびのび住める町であることがわかる。

そのためにはもっと男性が女性を手放さなければならない。
夫が妻を解放しなければならない。

その壁となっているのが、代理母親(妻)を手放したくない夫のチャイルド(IC)である。つまり、男も女も泣いて甘える子ども時代を十分に過ごすことかできれば、相手を縛ることがない落ち着いた人生を歩いていける。キャサリンが見た日本は、まさにそういう日本だった。

かつての日本のように、私たちは「子どもが存分に感情表現できる町」を創っていきたい。それこそが自律した大人を作る大前提なのだ。

今の私たちに作れないはずがない。
それを、この映画は教えてくれている。








ありがとう。













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夫のIC

夫はすごく認められたくてしかたない人です。
きっと兄や弟に義母を取られて、甘えたかったのだと思います。
そして無意識のうちに、私を義母の代わりにしようとしているようです。
夫は義父ではないのに、かつて義母が義父に接したような振る舞いを求めます。
でも個性が違うし、私は黒いカラスを白いとはいいたくありません。
苦しくてしかたありません。私は母親の顔色をうかがって生きてきた。
もうそんなふうに生きたくないのです。
息子は学校を辞め出ていきました。正解だと思います。娘も出ようといいます。

出ていく勇気が出ない代わりに感情が爆発するようになりました。今はうちに帰りたくないです。
夫のICを満足させられるのは私ではないよ。苦しいです。

 
    
 
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