心の絵を読み解くー(5)インナーチャイルド登場!
2010/12/13(Mon) Category : 心の絵
【心の絵を読み解く】
【YK絵18】インナーチャイルドの登場! --------------------------------------

おや! ついにICが登場しました。
まだ体はありませんが、微笑んでいますね(^^)。
意志のあるしっかりとした顔です。
絵1で見たあの黒い繭の中に閉じこめられていたんですね。
まるで、身動きのできない芋虫。
そこからポンと飛び出してきたような感じです。
インナーチャイルドが出てきたときは、
とても感慨深いものがありました…。
★「生き人形」への鋳型成形------------------------------------------------
自分が正しいことを証明するために、子を否定してきた母親
親への怒りを吐き出すために、子を怒鳴り散らしてきた母親
存在不安の強い父親は、すがりついてくるだけの頼りない赤ちゃん
自分が動けば、もろい父親は壊れてしまう―言いなりになるしかない
母親は「怒りの対象」として、父親は「甘えの対象」として、
生まれてきた子を代償行為の道具にした
父親と母親は、わが子を手放さないことで利害が一致した
二人は、わが子を「生き人形」にすることで無意識に共謀した
まずは、子の感情を奪い去ること
子の感情など受け取りたくない。道具に感情はいらない。
幼児期に数年にわたって毎晩寝る前に本を読み聞かせ続けた
こういうときには泣くもの、こういうときには笑うもの、こういうときには喜ぶもの―子は、それに従って反応するようになった。
外では慕われる親。“教育”は完璧だった。
「感情」の鋳型成形が終わった。
自分の世界を持たせないために、部屋は与えなかった。
親のモノの物置のような部屋に置かれたベッドの上が唯一の子の空間
座敷牢のような空間で、
父親の不安と母親の怒りを食べさせ続けた
道具は意志を持ってはいけない
道具は感情を持ってはいけない
二つの強力な禁止令。
なぜなら、「意志」と「感情」は「行動」の原動力だから
「意志」と「感情」は封印され、ベッドの上の「思考」だけが自由。
(なぜ思考は自由にさせるか? 思考は人を縛ることを知っているからね)
意志を断たれた子は、生きる意欲がしぼんでいく。
蓋をされた感情は、自分で感じることができないままに内圧が高まっていく。
苦しい…
でも、自分が弱音を吐けばこの家は崩壊する
「家庭」「家族」という虚構を維持するために素直でいい子を演じ続ける
その裏で、爆発限界が一足一足、近づいてくる……
★人として生きたいピノキオvs操りたい親------------------------------------
愛情を受け取っているふりをするのに疲れた。
自分の存在さえなくなれば、親も自分も苦しまなくてすむ。
消えたい。透明人間になりたい。
すべてを受け入れて、包み込む水。光り、ゆらぎ、変幻自在の自由な水。
水は神。
水と一体化したくて入水自殺も何度も考えた。
が、それが正しいのかどうかわからずあきらめた。
命を消さないために部活に居場所を見出した。
それだけで、「素直じゃない」とレッテルを貼られた。
意志を持つこと―それは、道具にあるまじき行為。それは、裏切り。
だから、(道具として)“素直じゃない”
子にとってはそれが、生き延びるための意志であっても、サバイバルのための行動であっても、目が節穴でしかない親にそれは見えない。
道具にされ続けた人間否定の上に、
“素直に”虚構を維持してきた努力まで否定された
否定・否定・否定・否定……
怒り、悲しみ、辛さ、見捨てられ不安が渦を巻く
けれど、自分を否定した親を否定することは、
この限りなき苦しみを親にも味合わせることになってしまう
それは、親の存在を揺るがすことになる
つまり、“感情”を知らせることは、親の崩壊につながる。
親を壊す恐怖、親を好きだという感情が親に向かわせない
また、否定につながるあらゆることを嫌悪していたYKさんは、「怒る=否定」と直結していたため、怒ることを無意識に禁じていた。
★監獄と化した「自分の中」の闘い------------------------------------------
こうして、心優しき子の生きる闘いは、自分の内部へと戦場を移す。
しかしその時は親の洗脳によって、「体は監獄」「頭は看守」となっている。
表現したい感情(脱走したいIC)とさせない思考(IP:看守)の闘い、
感情を封じ込める監獄のような体とIC(感情)の闘いがはじまる…
出口を封じられて体中に爆発する感情。
息苦しい。バクバクする。落ち着かない。
そわそわしてじっとしていられない。眠れない。
誰にでも話しかけたくなる。
やることが次々浮かんできてずっと何かしている。
火事、強盗、誘拐が怖い。
一人で居るのが怖い。夜がものすごく怖い。
幻覚と話す。知らない人と会話している。成立している。
全然意味のない画像が浮かんでくる。シーンが駆け巡る。
覚えのないことを書いている。
記憶が飛び始めるのが多くなる。
なるべく感じないようにしようと思っていたら心がどこかへ行ってしまい、
新しく別の何かに支配されている感じ、誰かが支配し始めた。
私じゃない私が私を動かしている。
心がなくなった。ただの機械。
自分はプログラムされた機械。
私がおかしい、私の中の何かがおかしい。
何が何だかわからない。
強迫的に、気がつくと数を数えている。
気づくと…カットしていた
★「生き人形」の自己確認--------------------------------------------------
カットで自己確認する。
何のために生きているのだろう。
自分が居てはいけない存在と思う。
「素直じゃない」という言葉にカットで反応する。
少しでも否定を感じるとリスカする。
哀しい、自分の存在が哀しい。
自殺はしないけど、こんな存在消してしまいたい。カットする。
頼り切ってきて言いたい放題文句ばかり言う。あんたの奴隷じゃない。
殺したくなった。カットしたくなった。
絶望、諦め、落ち着きたい…もう待てない…カットしよう…。
不安?存在?考えたくない。切って終りたい。
自分が選べる唯一の能動的な行動。気分が高揚してくる。
カットは自分で自分を助けること。
分離しそうな自分をカットで保っている。
【神聖かまってちゃん 「芋虫さん」】
★人と触れ合うことで生きる意欲に火がつく----------------------------------
自傷癖が始まって7年経た後(その間に躁鬱病も発症していました)、精神科の通院と同時平衡でカウンセリングが始まりました。
しかし、人とつながってはいけない、人を信用できない、真実を見たくない―そういう無意識の葛藤と妨害の中で、面談に至るまで10ヶ月かかりました。
ハッキリと目を覚ましてしまえば、親との共同幻想が崩れます。
それは自分が棲んでいた世界がなくなることを意味します。
だから、目を覚ましたくない。
朦朧の中に棲んでいたい。
目を覚まそうとする自分は存在してはいけない
目が覚める前に誰か殺してくれ…
そういうすさまじい葛藤の日々を超えて面談に至りました。そして、
『あの傷は、ある意味自分と社会との国境線でした。透明な国境線。それを見せた。かなり悩みました。しかしそれを嫌な顔一つせず直視してくれた。ああ、私は一人じゃないんだと思いました。大袈裟だけど、生きてていいんだと感じました』
『自傷と言いますが、文字通り私は自分を助けることを諦めたのかも…自殺が無理と気付いた時点で』
生きる灯火が蘇り、面談後3ヶ月で家からごく近くに一人住まいすることができました。自分を守り、安心できる城ができたのです。しかし、安心を得られたからこそ感情が噴出し始め、同時にIPが逆襲をはじめて翻弄されるようになります。
★生きたい死にたい-------------------------------------------------------
以前、オーラの泉に出ていた杉本彩に怯えと動揺が見られたことがありました。その時杉本が演じている阿部定が伝えたいことがあって、杉本にとり憑いていているそうなのです。美輪明宏がいきなり強い声で何やら真言を唱えはじめ「悪霊退散!」とやってのけ、霊を「甘やかしちゃいけない」「なめられちゃいけない」と言いました。
これは、自分の中にいる感情に苦しめられるときと似ています。
中にいる感情とは、ICとIPです。
IC(抑圧してきた自分の感情)は表現しなければなりません。
一方、IPは、自分を抑圧する親の感情(メッセージ)と思えばいいでしょう。
たとえば、怪我をして血が服についたときに「早く水で流さなきゃとれなくなるでしょう」と怒られれば、「おまえが血を流したことより、服の方が大事(おまえはモノ以下)」「おまえは大切な存在ではなく、むしろ厄介者」というメッセージを親の強い怒りとともに子は受け取ります。
この日々の蓄積がIPとなって自分に棲み着き、「私は本当に人間ですか?」「生きていてごめんなさい」「死ぬべきじゃないか」と自分を苦しめます。
これは、親が自分の親にぶつけるべき怒りを子にぶつけている=子に甘えているわけです。親に愛されたい子どもは、いつの間にか、この甘えた親を自分の中に棲まわせてしまうわけですが、その親(IP)を甘やかしてはいけないのです。
美輪明宏が言うように、
「ここはお前のいる場所ではない。出ていけ!」
と自分の中から追い出していかなければなリません。
ですから、上の言葉や「IP退散!」と声に出して言うといいでしょう。
★殺したい自殺したい------------------------------------------------------
この「生きたい死にたい」の葛藤のほかに「殺したい自殺したい」の葛藤も出てきます。
生まれてはじめて「自分の城」を持ったということは、心の安全基地を持ったということです。
「24時間監獄にいるようなもの、と言われた意味がやっとわかった。なんといっても体が軽いというかなんというかリラックスしてる」―物理的に離れてはじめて、自分が監獄にいたということが頭ではなく実感としてわかってきますし、その「自分の城」にずかずか入ってこられる体験を通して初めて、“心に侵入される”ことへの怒りが生まれてくるのです。
怒りとは、人間の尊厳を傷つけられて出てくる感情ですから、怒りを持ったということは道具から人間になり始めたということですね。
たとえば、ペットのようにかわいがられた人も、自分が親の道具にされたという意味で、自分を「否定」されたと感じています。つまり、「自分を人間として尊重してくれなかった行為」によって「自分は否定されている」と感じるわけであって、その行為の中身は「虐待」から「かわいがり」まであらゆる行為が含まれます。
要は、「形」ではなく「心」ということです。
こういうことから、YKさんは、
「怒る=相手を否定する」ことではなく、
「道具にする=相手を(人として)否定する」ことであることに気づかれ、
怒りを、吐き出すべき相手以外に吐き出すことは間違い。
怒りを、それを感じた相手の行為に対して出すのは相手を否定することではない。
ということがわかりました。
しかし、その怒りは殺意にまで向かいます。
けれど、殺せない。
ならば、自分が消えればいい―自殺したい。
という衝動と反動に翻弄されました。
★闇を光にさらしていく----------------------------------------------------
このように、強力なIPと突き上げるICに翻弄される中で自分の振り返りが始まり、絵を描き始めたのです。
「生きたい」エネルギーに溢れるチャイルド
「死にたい」と思う自分
自分の存在を消したいという深刻な葛藤は、
「インナーチャイルド」vs「親の味方をしていた自分」との闘いでした。
それまで親の側に立っていたYKさんは、ついに自分の側に立ったのです。
それは親の姿を直視する覚悟ができたからでした。
そして、カウンセリング開始から1年後、絵1が出てきたのです。
表現できたということは、対象を直視したということです。
描き始めたら噴出するように展開して、それはまるでそれまでの経過の総集編のようでした。闇は次々と表にさらされていきました。
そして、最後の方に出てきたのがこの絵18―チャイルドだったのです。
チャイルドの微笑みは、「死」に打ち勝ち「生」に向かうという勝利宣言だったのでしょう。
それは、この1年間、
自分が自分の激情を受け止め続け、
自分と格闘し続けて自分の背骨を作ってきたからこそ、現れたチャイルドでした。
それにしてもチャイルドのパワーはすごいもの。
闇の中から顔を出しただけです。
それでも、チャイルドが出てきただけで、今度は遠隔地に離脱することができたのです。
強大な重力から離脱するための第一弾ロケットの推力を、
チャイルドはYKさんに与えました。
あなたの中にも、こんなにも強力な「白馬の騎士」、いえパワーチャイルドがいるのです。
そして、そして、絵1の真っ黒な芋虫のような中から出てきたパワーチャイルドは、儚い虫たちの歌をすべて力に変えてくれます。
【ナナムジカ 「僕達の舞台」】
【YK絵18】インナーチャイルドの登場! --------------------------------------

おや! ついにICが登場しました。
まだ体はありませんが、微笑んでいますね(^^)。
意志のあるしっかりとした顔です。
絵1で見たあの黒い繭の中に閉じこめられていたんですね。
まるで、身動きのできない芋虫。
そこからポンと飛び出してきたような感じです。
インナーチャイルドが出てきたときは、
とても感慨深いものがありました…。
★「生き人形」への鋳型成形------------------------------------------------
自分が正しいことを証明するために、子を否定してきた母親
親への怒りを吐き出すために、子を怒鳴り散らしてきた母親
存在不安の強い父親は、すがりついてくるだけの頼りない赤ちゃん
自分が動けば、もろい父親は壊れてしまう―言いなりになるしかない
母親は「怒りの対象」として、父親は「甘えの対象」として、
生まれてきた子を代償行為の道具にした
父親と母親は、わが子を手放さないことで利害が一致した
二人は、わが子を「生き人形」にすることで無意識に共謀した
まずは、子の感情を奪い去ること
子の感情など受け取りたくない。道具に感情はいらない。
幼児期に数年にわたって毎晩寝る前に本を読み聞かせ続けた
こういうときには泣くもの、こういうときには笑うもの、こういうときには喜ぶもの―子は、それに従って反応するようになった。
外では慕われる親。“教育”は完璧だった。
「感情」の鋳型成形が終わった。
自分の世界を持たせないために、部屋は与えなかった。
親のモノの物置のような部屋に置かれたベッドの上が唯一の子の空間
座敷牢のような空間で、
父親の不安と母親の怒りを食べさせ続けた
道具は意志を持ってはいけない
道具は感情を持ってはいけない
二つの強力な禁止令。
なぜなら、「意志」と「感情」は「行動」の原動力だから
「意志」と「感情」は封印され、ベッドの上の「思考」だけが自由。
(なぜ思考は自由にさせるか? 思考は人を縛ることを知っているからね)
意志を断たれた子は、生きる意欲がしぼんでいく。
蓋をされた感情は、自分で感じることができないままに内圧が高まっていく。
苦しい…
でも、自分が弱音を吐けばこの家は崩壊する
「家庭」「家族」という虚構を維持するために素直でいい子を演じ続ける
その裏で、爆発限界が一足一足、近づいてくる……
★人として生きたいピノキオvs操りたい親------------------------------------
愛情を受け取っているふりをするのに疲れた。
自分の存在さえなくなれば、親も自分も苦しまなくてすむ。
消えたい。透明人間になりたい。
すべてを受け入れて、包み込む水。光り、ゆらぎ、変幻自在の自由な水。
水は神。
水と一体化したくて入水自殺も何度も考えた。
が、それが正しいのかどうかわからずあきらめた。
命を消さないために部活に居場所を見出した。
それだけで、「素直じゃない」とレッテルを貼られた。
意志を持つこと―それは、道具にあるまじき行為。それは、裏切り。
だから、(道具として)“素直じゃない”
子にとってはそれが、生き延びるための意志であっても、サバイバルのための行動であっても、目が節穴でしかない親にそれは見えない。
道具にされ続けた人間否定の上に、
“素直に”虚構を維持してきた努力まで否定された
否定・否定・否定・否定……
怒り、悲しみ、辛さ、見捨てられ不安が渦を巻く
けれど、自分を否定した親を否定することは、
この限りなき苦しみを親にも味合わせることになってしまう
それは、親の存在を揺るがすことになる
つまり、“感情”を知らせることは、親の崩壊につながる。
親を壊す恐怖、親を好きだという感情が親に向かわせない
また、否定につながるあらゆることを嫌悪していたYKさんは、「怒る=否定」と直結していたため、怒ることを無意識に禁じていた。
★監獄と化した「自分の中」の闘い------------------------------------------
こうして、心優しき子の生きる闘いは、自分の内部へと戦場を移す。
しかしその時は親の洗脳によって、「体は監獄」「頭は看守」となっている。
表現したい感情(脱走したいIC)とさせない思考(IP:看守)の闘い、
感情を封じ込める監獄のような体とIC(感情)の闘いがはじまる…
出口を封じられて体中に爆発する感情。
息苦しい。バクバクする。落ち着かない。
そわそわしてじっとしていられない。眠れない。
誰にでも話しかけたくなる。
やることが次々浮かんできてずっと何かしている。
火事、強盗、誘拐が怖い。
一人で居るのが怖い。夜がものすごく怖い。
幻覚と話す。知らない人と会話している。成立している。
全然意味のない画像が浮かんでくる。シーンが駆け巡る。
覚えのないことを書いている。
記憶が飛び始めるのが多くなる。
なるべく感じないようにしようと思っていたら心がどこかへ行ってしまい、
新しく別の何かに支配されている感じ、誰かが支配し始めた。
私じゃない私が私を動かしている。
心がなくなった。ただの機械。
自分はプログラムされた機械。
私がおかしい、私の中の何かがおかしい。
何が何だかわからない。
強迫的に、気がつくと数を数えている。
気づくと…カットしていた
★「生き人形」の自己確認--------------------------------------------------
カットで自己確認する。
何のために生きているのだろう。
自分が居てはいけない存在と思う。
「素直じゃない」という言葉にカットで反応する。
少しでも否定を感じるとリスカする。
哀しい、自分の存在が哀しい。
自殺はしないけど、こんな存在消してしまいたい。カットする。
頼り切ってきて言いたい放題文句ばかり言う。あんたの奴隷じゃない。
殺したくなった。カットしたくなった。
絶望、諦め、落ち着きたい…もう待てない…カットしよう…。
不安?存在?考えたくない。切って終りたい。
自分が選べる唯一の能動的な行動。気分が高揚してくる。
カットは自分で自分を助けること。
分離しそうな自分をカットで保っている。
【神聖かまってちゃん 「芋虫さん」】
★人と触れ合うことで生きる意欲に火がつく----------------------------------
自傷癖が始まって7年経た後(その間に躁鬱病も発症していました)、精神科の通院と同時平衡でカウンセリングが始まりました。
しかし、人とつながってはいけない、人を信用できない、真実を見たくない―そういう無意識の葛藤と妨害の中で、面談に至るまで10ヶ月かかりました。
ハッキリと目を覚ましてしまえば、親との共同幻想が崩れます。
それは自分が棲んでいた世界がなくなることを意味します。
だから、目を覚ましたくない。
朦朧の中に棲んでいたい。
目を覚まそうとする自分は存在してはいけない
目が覚める前に誰か殺してくれ…
そういうすさまじい葛藤の日々を超えて面談に至りました。そして、
『あの傷は、ある意味自分と社会との国境線でした。透明な国境線。それを見せた。かなり悩みました。しかしそれを嫌な顔一つせず直視してくれた。ああ、私は一人じゃないんだと思いました。大袈裟だけど、生きてていいんだと感じました』
『自傷と言いますが、文字通り私は自分を助けることを諦めたのかも…自殺が無理と気付いた時点で』
生きる灯火が蘇り、面談後3ヶ月で家からごく近くに一人住まいすることができました。自分を守り、安心できる城ができたのです。しかし、安心を得られたからこそ感情が噴出し始め、同時にIPが逆襲をはじめて翻弄されるようになります。
★生きたい死にたい-------------------------------------------------------
以前、オーラの泉に出ていた杉本彩に怯えと動揺が見られたことがありました。その時杉本が演じている阿部定が伝えたいことがあって、杉本にとり憑いていているそうなのです。美輪明宏がいきなり強い声で何やら真言を唱えはじめ「悪霊退散!」とやってのけ、霊を「甘やかしちゃいけない」「なめられちゃいけない」と言いました。
これは、自分の中にいる感情に苦しめられるときと似ています。
中にいる感情とは、ICとIPです。
IC(抑圧してきた自分の感情)は表現しなければなりません。
一方、IPは、自分を抑圧する親の感情(メッセージ)と思えばいいでしょう。
たとえば、怪我をして血が服についたときに「早く水で流さなきゃとれなくなるでしょう」と怒られれば、「おまえが血を流したことより、服の方が大事(おまえはモノ以下)」「おまえは大切な存在ではなく、むしろ厄介者」というメッセージを親の強い怒りとともに子は受け取ります。
この日々の蓄積がIPとなって自分に棲み着き、「私は本当に人間ですか?」「生きていてごめんなさい」「死ぬべきじゃないか」と自分を苦しめます。
これは、親が自分の親にぶつけるべき怒りを子にぶつけている=子に甘えているわけです。親に愛されたい子どもは、いつの間にか、この甘えた親を自分の中に棲まわせてしまうわけですが、その親(IP)を甘やかしてはいけないのです。
美輪明宏が言うように、
「ここはお前のいる場所ではない。出ていけ!」
と自分の中から追い出していかなければなリません。
ですから、上の言葉や「IP退散!」と声に出して言うといいでしょう。
★殺したい自殺したい------------------------------------------------------
この「生きたい死にたい」の葛藤のほかに「殺したい自殺したい」の葛藤も出てきます。
生まれてはじめて「自分の城」を持ったということは、心の安全基地を持ったということです。
「24時間監獄にいるようなもの、と言われた意味がやっとわかった。なんといっても体が軽いというかなんというかリラックスしてる」―物理的に離れてはじめて、自分が監獄にいたということが頭ではなく実感としてわかってきますし、その「自分の城」にずかずか入ってこられる体験を通して初めて、“心に侵入される”ことへの怒りが生まれてくるのです。
怒りとは、人間の尊厳を傷つけられて出てくる感情ですから、怒りを持ったということは道具から人間になり始めたということですね。
たとえば、ペットのようにかわいがられた人も、自分が親の道具にされたという意味で、自分を「否定」されたと感じています。つまり、「自分を人間として尊重してくれなかった行為」によって「自分は否定されている」と感じるわけであって、その行為の中身は「虐待」から「かわいがり」まであらゆる行為が含まれます。
要は、「形」ではなく「心」ということです。
こういうことから、YKさんは、
「怒る=相手を否定する」ことではなく、
「道具にする=相手を(人として)否定する」ことであることに気づかれ、
怒りを、吐き出すべき相手以外に吐き出すことは間違い。
怒りを、それを感じた相手の行為に対して出すのは相手を否定することではない。
ということがわかりました。
しかし、その怒りは殺意にまで向かいます。
けれど、殺せない。
ならば、自分が消えればいい―自殺したい。
という衝動と反動に翻弄されました。
★闇を光にさらしていく----------------------------------------------------
このように、強力なIPと突き上げるICに翻弄される中で自分の振り返りが始まり、絵を描き始めたのです。
「生きたい」エネルギーに溢れるチャイルド
「死にたい」と思う自分
自分の存在を消したいという深刻な葛藤は、
「インナーチャイルド」vs「親の味方をしていた自分」との闘いでした。
それまで親の側に立っていたYKさんは、ついに自分の側に立ったのです。
それは親の姿を直視する覚悟ができたからでした。
そして、カウンセリング開始から1年後、絵1が出てきたのです。
表現できたということは、対象を直視したということです。
描き始めたら噴出するように展開して、それはまるでそれまでの経過の総集編のようでした。闇は次々と表にさらされていきました。
そして、最後の方に出てきたのがこの絵18―チャイルドだったのです。
チャイルドの微笑みは、「死」に打ち勝ち「生」に向かうという勝利宣言だったのでしょう。
それは、この1年間、
自分が自分の激情を受け止め続け、
自分と格闘し続けて自分の背骨を作ってきたからこそ、現れたチャイルドでした。
それにしてもチャイルドのパワーはすごいもの。
闇の中から顔を出しただけです。
それでも、チャイルドが出てきただけで、今度は遠隔地に離脱することができたのです。
強大な重力から離脱するための第一弾ロケットの推力を、
チャイルドはYKさんに与えました。
あなたの中にも、こんなにも強力な「白馬の騎士」、いえパワーチャイルドがいるのです。
そして、そして、絵1の真っ黒な芋虫のような中から出てきたパワーチャイルドは、儚い虫たちの歌をすべて力に変えてくれます。
【ナナムジカ 「僕達の舞台」】