依存を断つときは、3日―2週間―3ヶ月―3年:DVサイクル、モラ親からの離脱編
2010/12/20(Mon) Category : 自律(自由と責任)への道
何かのイメージに仮託するとストーリー(流れ)を覚えやすいので、依存から離脱する過程を飛行機の離着陸でイメージしてみましょう。
最初の3日間は離陸のための滑走時―緊張します。
2週間は、離陸後の上昇時―まだ、緊張は取れません。
そして、ある高度に達して平行飛行に移りますが、まだシートベルト着用ランプは点灯したまま―それが、3ヶ月の間。
そして、3ヶ月を超えると安定飛行になって飛び続けます。一安心ですね。
が、時に乱気流やエアポケットがあって不意に大揺れ―お酒で言えばスリップして依存に逆戻りの危険性があるときです。それが着陸するまでの3年間の間ですね。無事着陸すると、もう何の心配も要りません。
前項の禁煙の例で言えば、タバコ依存大陸のエアポートを旅立ち、
3年後にはタバコ不要大陸のエアポートに降り立っています。
もう依存の世界は遠いかなた。
エアポートを出ると、そこには自由な世界が広がっています(^^)。
これは、いろいろな依存に応用できると思います。
●DVサイクルからの離脱--------------------------------------------
たとえば、モラ夫やDV男からシェルターなどに逃げた後。
直後は追ってこないかという恐怖。
その後、結婚生活における恐怖が蘇ってきます―それが3日間ほどの間。
それが落ち着いてくると、なぜあんなやつと一緒にいたんだろうと思うようになります。
1週間経つころには環境にもなじんで、心に余裕も出てきます。
すると今度は、淋しさに襲われます。そして、「彼と別れたからこのような気持ちになったんだ、私はまだ彼を愛している」―と勘違いして、命からがら逃げ出してきたにもかかわらず、よりを戻そうとするのが2週間の間です。
この轍を踏まないために心得ることは二つ。
1つは、逃げ出した直後の気持ちを思い出すこと―それは恐怖でした。その気持ちが、今の相手に対する本当の気持ちです。
2つめは、安心するからこそ感情が湧き出してくるという基本メカニズムを知っておくこと。環境に安心できたからこそ、チャイルド(小さい頃の感情)が出てきたということです。“寂しさ”は彼との関係から生まれた感情ではなく、親との関係で生まれたまま封印されていた感情だということです。
ここで、上記の感情のメカニズムがわかれば、3ヶ月の危機をなんとか抜けることはできるでしょう。
しかし、抜けたからといって安心できません。というのも、存在不安を見たくないがゆえに対象(この場合夫)にしがみついていたわけですから、そのままでは別の対象にしがみつくことになります。そのようにして男性遍歴を重ねる人もいますが、その間に背骨を作っていけばいいわけです。
自分と向き合うベクトルを保持し、自分の気持ちで行動することを重ねて背骨ができていけば、いつしか存在不安(寂しさを抱えたチャイルド)と対面するときが来ます。それが3年ほどの間。そのもっとも厳しい試練を乗り越えると、自由な世界が広がっているわけです。
(以上のことは図式化して言っておりますので、実態は千差万別ですよ~。気持ちの流れも、上記のようになるわけではありません。まぁ、ある一つのストーリーとして眺めてください)
●モラ親からの離脱------------------------------------------------
モラ親とのコミュニケーションを断ち切る行動をしたとき。
最初の3日間は、手に汗握る緊張の中に日々が過ぎます。
まさに戒厳令の夜のように息を潜める日々です。
3日を過ぎると一息つきますが、体はアンテナを張りまくってレーダーのようにあらゆる動きを察知しようとします。
2週間を過ぎると、ようやく過敏なアンテナは少し緩み始めますが、警戒をやめるわけではありません。が、極端な緊張も続かず、疲れが出始めます。尚、この2週間の間にいろいろな形で追っ手が来るでしょう。
3ヶ月たつ頃には、コミュニケーションを断ち切ったという新たな環境にも慣れ始め、心が少し安心し始めます。警戒を解き始めると、これまでの蓄積疲労がどっと出始めるでしょう。弱い部分に障害が起こるかもしれません。溜まった膿が出る頃ですから、心身の状況は後退しているように感じるかもしれませんが、実は底をついたと言うことです。
積年の疲れがどっと出てきますので、当面は動けません。
それだけの重荷を背負っていたのです。
限界を超えて歩き続けていたのです。
疲れ果てて当然。
動けない自分を責めないことです。
年単位の長いスパンで養生してください。
さて、親からの離脱はそう簡単ではありません。
頭の中に親が棲んでいますので、自分が判断しているつもりでも、ほとんどIP(インナーペアレンツ)に誘導されています。離脱したつもりで、親のテリトリーの中、あるいは一見テリトリー外のように見えて類似環境の中に脱出している場合がほとんどです。
それに、なぜ親はああなんだろうという疑問が頭の奥にありますので、無意識のうちにハラスメント環境に身をおいて“探索”を続けます。
あるいは、親との関係で身についた役割を無意識に演じるために、ハラスメント界から抜けられない場合もあります。
ICと向き合わない限り交流分析で言うゲームとしての人生が続くことになりますが、ICと向き合えば最後にたどり着くのは人生脚本です。
「親から愛を得るために人とつながってはいけない」
「親がまともで自分がおかしいことを証明し続けるために、人から認められてはいけない」
「親に認められるために親以上の苦労をし続けなければいけない」
……そういう脚本を生きていることに気づいたとき、本当の離脱が始まります。
ともあれ大切なことは、第一歩を踏み出すこと。
一足飛びというのはありえません。
いずれにせよ、生涯をかけてのテーマです。
まずは、第一歩を踏み出すことから始まるのです。
<続く>
最初の3日間は離陸のための滑走時―緊張します。
2週間は、離陸後の上昇時―まだ、緊張は取れません。
そして、ある高度に達して平行飛行に移りますが、まだシートベルト着用ランプは点灯したまま―それが、3ヶ月の間。
そして、3ヶ月を超えると安定飛行になって飛び続けます。一安心ですね。
が、時に乱気流やエアポケットがあって不意に大揺れ―お酒で言えばスリップして依存に逆戻りの危険性があるときです。それが着陸するまでの3年間の間ですね。無事着陸すると、もう何の心配も要りません。
前項の禁煙の例で言えば、タバコ依存大陸のエアポートを旅立ち、
3年後にはタバコ不要大陸のエアポートに降り立っています。
もう依存の世界は遠いかなた。
エアポートを出ると、そこには自由な世界が広がっています(^^)。
これは、いろいろな依存に応用できると思います。
●DVサイクルからの離脱--------------------------------------------
たとえば、モラ夫やDV男からシェルターなどに逃げた後。
直後は追ってこないかという恐怖。
その後、結婚生活における恐怖が蘇ってきます―それが3日間ほどの間。
それが落ち着いてくると、なぜあんなやつと一緒にいたんだろうと思うようになります。
1週間経つころには環境にもなじんで、心に余裕も出てきます。
すると今度は、淋しさに襲われます。そして、「彼と別れたからこのような気持ちになったんだ、私はまだ彼を愛している」―と勘違いして、命からがら逃げ出してきたにもかかわらず、よりを戻そうとするのが2週間の間です。
この轍を踏まないために心得ることは二つ。
1つは、逃げ出した直後の気持ちを思い出すこと―それは恐怖でした。その気持ちが、今の相手に対する本当の気持ちです。
2つめは、安心するからこそ感情が湧き出してくるという基本メカニズムを知っておくこと。環境に安心できたからこそ、チャイルド(小さい頃の感情)が出てきたということです。“寂しさ”は彼との関係から生まれた感情ではなく、親との関係で生まれたまま封印されていた感情だということです。
ここで、上記の感情のメカニズムがわかれば、3ヶ月の危機をなんとか抜けることはできるでしょう。
しかし、抜けたからといって安心できません。というのも、存在不安を見たくないがゆえに対象(この場合夫)にしがみついていたわけですから、そのままでは別の対象にしがみつくことになります。そのようにして男性遍歴を重ねる人もいますが、その間に背骨を作っていけばいいわけです。
自分と向き合うベクトルを保持し、自分の気持ちで行動することを重ねて背骨ができていけば、いつしか存在不安(寂しさを抱えたチャイルド)と対面するときが来ます。それが3年ほどの間。そのもっとも厳しい試練を乗り越えると、自由な世界が広がっているわけです。
(以上のことは図式化して言っておりますので、実態は千差万別ですよ~。気持ちの流れも、上記のようになるわけではありません。まぁ、ある一つのストーリーとして眺めてください)
●モラ親からの離脱------------------------------------------------
モラ親とのコミュニケーションを断ち切る行動をしたとき。
最初の3日間は、手に汗握る緊張の中に日々が過ぎます。
まさに戒厳令の夜のように息を潜める日々です。
3日を過ぎると一息つきますが、体はアンテナを張りまくってレーダーのようにあらゆる動きを察知しようとします。
2週間を過ぎると、ようやく過敏なアンテナは少し緩み始めますが、警戒をやめるわけではありません。が、極端な緊張も続かず、疲れが出始めます。尚、この2週間の間にいろいろな形で追っ手が来るでしょう。
3ヶ月たつ頃には、コミュニケーションを断ち切ったという新たな環境にも慣れ始め、心が少し安心し始めます。警戒を解き始めると、これまでの蓄積疲労がどっと出始めるでしょう。弱い部分に障害が起こるかもしれません。溜まった膿が出る頃ですから、心身の状況は後退しているように感じるかもしれませんが、実は底をついたと言うことです。
積年の疲れがどっと出てきますので、当面は動けません。
それだけの重荷を背負っていたのです。
限界を超えて歩き続けていたのです。
疲れ果てて当然。
動けない自分を責めないことです。
年単位の長いスパンで養生してください。
さて、親からの離脱はそう簡単ではありません。
頭の中に親が棲んでいますので、自分が判断しているつもりでも、ほとんどIP(インナーペアレンツ)に誘導されています。離脱したつもりで、親のテリトリーの中、あるいは一見テリトリー外のように見えて類似環境の中に脱出している場合がほとんどです。
それに、なぜ親はああなんだろうという疑問が頭の奥にありますので、無意識のうちにハラスメント環境に身をおいて“探索”を続けます。
あるいは、親との関係で身についた役割を無意識に演じるために、ハラスメント界から抜けられない場合もあります。
ICと向き合わない限り交流分析で言うゲームとしての人生が続くことになりますが、ICと向き合えば最後にたどり着くのは人生脚本です。
「親から愛を得るために人とつながってはいけない」
「親がまともで自分がおかしいことを証明し続けるために、人から認められてはいけない」
「親に認められるために親以上の苦労をし続けなければいけない」
……そういう脚本を生きていることに気づいたとき、本当の離脱が始まります。
ともあれ大切なことは、第一歩を踏み出すこと。
一足飛びというのはありえません。
いずれにせよ、生涯をかけてのテーマです。
まずは、第一歩を踏み出すことから始まるのです。
<続く>