プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
08 ≪│2017/09│≫ 10
- - - - - 1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

躾と教育と体罰について

2011/01/07(Fri) Category : 学校・教育・いじめ
子どもの前に立つ大人は、親であれ教師であれ“まほろば”になってほしい。だから、何もする(Do)必要はなく、菊池先生のようにうんうんとうなずいて見守る存在(Be)であればいい―ということを書きました。

そのためには、世の流れに惑わされず、世間の常識に迎合しない本物の勇気が問われます。
また、しないで生徒にさせる背景には、橋本先生のように時間をかけて練りこんだ教材作り(土俵作り)があったわけです。目に見えないところで努力することができるのが“大人”なのでしょう。

ところで何もしないというと、では言うこと聞かない生徒(子)にはどうするの、とよく聞かれたりするのが体罰の是非などです。

また、以前「躾と虐待の違い」というテーマで書いたことがありました。

上記は家庭の場での問題でしたが、ここで教育の場が入ってきました。
そこで、いい機会ですので、躾と教育と体罰について整理しておきたいと思います。



★1,体罰なく創れる笑顔の国------------------------------------

もう何度も登場していますが、まず、体罰を加えなくても民度は高く、幸せな国になることがでるという“事実”を知ってください。この子供たちや大人の笑顔を頭に焼き付けてください。

『世界中で日本ほど、子供が親切に取扱われ、子供の為に深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい。彼等は朝早く学校へ行くか、家庭にいて両親を、その家の家内的の仕事で手伝うか、父親と一緒に職業をしたり、店番をしたりする。彼等は満足して幸福そうに働き、私は今迄に、すねている子や、身体的の刑罰を見たことがない」。(明治10年10月上旬東京 エドワード・モース)
【「笑顔の国」から「怒りの国」へ】


『確かに赤ん坊が生まれてきて一番幸せな国は日本です。日本人は子どもをとても大切にしますから、子どもを虐待したり、子どもに対して罪を犯すと言うことはめったにありません。子どもの数が多いので、子どもはあらゆることの中心になっています』
『不思議なことに、日本の子どもは甘やかされても駄目になりません』
『日本人は、私たちよりも静かで和やかな雰囲気の中でのんびり暮らしています。従って子どもも当然のことながら穏やかです』
【「東京に暮す(1928-36)」(2)キャサリン・サンソムの日本人観察】



★2,体罰に惹かれる心の内を知ろう-------------------------------

上記明治~昭和初期の日本にタイムスリップしたら、体罰論争など「何言ってるの?あなた」と何を言っているのかわからないかもしれませんね。現在でも、自分の家庭が笑顔に満ちていれば、そもそもこんな議論に加わらないでしょう。

つまり、「躾と体罰」の議論に熱心になる人は、“その世界”に棲んでいる人です。自分がそのことに縛られている人です。すべての人が自分の脳内現実を生きているわけですから、自分がどのような心理世界に棲んでいるのかを振り返ってみてください。

人はどのように怒りを吐き出そうとするか?
生きづらい子を作る親の特徴



★3,「子は鏡」であると知ろう-----------------------------------

つまり、問題はあなたの外側にあるのではなく、あなたの心の内側にあるのです。でも、自分で自分の姿を見ることはできません。そのために鏡があるように、あなたの「心の内側を映す鏡」として配偶者や子どもをはじめとする周囲の人々がいるのです。


登校拒否の理由-「子は親の心の鏡」



★4,家族の機能を知ろう-----------------------------------------

「子は鏡」であるなら、自分も親の鏡ですよね。その結果、上記2に見られるような心理世界に生きるようになったわけです。つまり、まだ「人として大切にされる」ということを経験していないわけで、経験していないからどうしていいかわからないということもあるでしょう。
あるいは、ノーマルなものを見なければ、自分がどれほど歪んでいたかも見えてこないと思います。
そこで、家族の機能とは何なのか、親がなすべきことは何なのか、それを理解していただきたいと思います。

家庭の機能、家族の役割
子育て心理学:第3部 3)家庭(安全基地)は「癒しと回復」の場



★5,人権とディスカウント---------------------------------------

自分が人権を侵害されていることに気づかずに生きていると、無意識に他人の人権を侵害していますし、体罰容認論にも向かいがちです。体罰=体に加える暴力というのは、“侵害”ですからね。
そこで、人権とは何か、そして、それを侵害するディスカウントとは何かを知ってほしいと思います。この二つを知ることで、なすべきこととしてはいけないことの2本のレールを敷くことができますね。

子育て心理学第2部 6)「無条件の愛情」が基本的人権を守る社会の土台
子育て心理学第3部 7)人がディスカウントされる場が「崩壊基地」



★6,体罰を受けて育つとどうなるでしょうか------------------------

体罰がどのような性格を形成していくのかをご認識ください。秋葉原無差別殺傷事件の加藤被告の家も、いわば「躾の厳しい」家でした。自分の脳内現実を生きていた母親が息子を縛り、その息子もまた自分の脳内現実の世界で窒息しました。犠牲者が犠牲者を生み続けていく連鎖があるのです。

子育て心理学:第4部 1)人はストロークを通じて自分の存在を確認する




★7,体罰で矯正しようとするとどうなるでしょうか-------------------

ディスカウントされるから荒れる。その荒れた子供たちをさらに体罰(ディスカウント)によって矯正しようとする。元の臭いを断たずに、出てきた臭いを別の臭いで消し続けるかのような無意味なことをし続けています。それが下記の実体です。

丹波ナチュラルスクール暴行事件

「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起こした少年達は、『道徳教育のモデル校、校長会会長が良く出る「名門校」』(「中学時代の危機をのりこえる」大月書店)の出身だった。そのモデル校の校長は、『体罰容認・推奨』し、『学校に迷惑をかける者は排除して結構』と先生に指導していた。
「緊急大激論SP2006!“子供たちが危ない”」(TBS)




★8,「子どものためにやっている」なんてウソです-------------------

上は、下記ブログで紹介されていたタイトルです。
ジブンノミカタ

エンパワメント・センター森田ゆりさんのお話しです。どのように体罰容認の考えが連鎖しているのか、どう軌道修正すればよいかわかりやすく触れられています。


【しつけと体罰】

ただ、上記のことが行えるようになるには、親のICの吐き出しと癒しが必要だと思いますが、参考になります。




★9、私の思い出--------------------------------------------------

基本的に体罰など不要ということがわかると思います。

ただね、次のようなこともあります。
私は小学校4年くらいのとき、ある級友の女の子を5,6人の男子と一緒になってからかったことがありました。当時、「○○パン」というパンの宣伝が盛んになされていて、同じ苗字を持つその子を「○○パン、○○パン」と言って囃したのです。すると、いつも活発なその子が泣き出してしまいました。

授業が始まって戻ってきた担任の先生は、その子が泣いているので周囲から事情を聞き、からかってた私たちは廊下に一列に並ばされました。そして、端から順に思いっきりびんたを張られたのです。

この時、自分たちがどんなひどいことをしてしまったのか、身をもって理解したと思います。それほどのことをしたんだということが、説教ではないがゆえに身にしみました。

その先生の行為は「怒る」ではなく、「叱る」行為でした。
なぜなら、むしろ哀しみが伝わってきた気がしたからです。それは、その先生が普段体罰をしない先生だからでした。

それに、その先生にはもう一つ別の思い出がありました。
私の父は厳しく、幼き日に水を飲まずに延々と“行軍”させられたり、延々と習字をさせられたり・・。熱があっても学校を休むことは許されませんでした。しかし高熱で教室でへたった時に、その先生が自転車で家まで送ってくれ、私を抱えて家に入り、布団を敷いて寝かせてくれました(当時、誰もいなくても玄関に鍵などかけていませんでした)。

額にタオルを載せてくれた光景を今も覚えていますが、この出来事を覚えているのは、恐らく「大人の優しさ」を身に染みて感じたからだと思います。その親身な優しさを知っているからこそ、ビンタを張られたときも、なんだか父親に正面からまっすぐに叱られたような思いになったのでしょう。

ただこれは、私の思い出です。私の事例を一般化することはできませんし、他人がとやかく口を挟める問題でもありません。なぜなら、個対個の信頼関係という土俵があって、その上でなされていることだからです。




★10、「怒る」と「叱る」------------------------------------------

「怒る」と「叱る」の違いはなんでしょうか。
私も親になって近所の子どもたちと遊ぶことがありましたが、叱るという行為は、子どもたちと信頼関係ができるまでできません。なぜ、信頼関係がないとできないか。それは、そこまでその子の成長に責任を持つ気がないからです。

ところが、信頼関係ができると叱ることができるようになります(と言っても、そういう場面はほとんどありません。また体罰はしません)。それは、お互いのことがわかってくるとかわいくなってきて、その子の行為を無責任に放置できなくなっていくからですね。

「怒る」は感情の吐き出し―相手を受け皿にする行為。
「叱る」は相手の成長を願う行為―相手を人として認めるが故に、他人を傷つける行為を注意すること。


* 「怒る」と「叱る」の違い もご参考にしてください。


最後に、躾に苦しまれている親にもう一度メッセージを。
環境としての親




関連記事
 
Comment1  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 

とてもタイムリーです。

私は今、怒るから叱るに移行している時期にあると思います。その狭間で迷ってました。怒ると叱るの区別がはっきりしないので、昨日もそういったシチュエーションの中で葛藤してました。あれは、怒ってんじゃないんだ。叱ってんだ。だってお腹から喉を通っていくエネルギーの質が違うモノ。でも、経験した事の無い、似通った経験って不安です。でも、繰り返し認識していきます。身体で憶えていくんだ。肉に刻み付けていくんだ。中尾さん。ありがとう!昨日の確認できた。それと、中尾さんの記事はいつも血のかよった記事だけど、この記事からより中尾さんの熱い血潮を感じた。チワキ ニクオドルをありがとう!

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
アルバム(flickr)
アルバム(フォト蔵)
YouTube

・写真はアルバムページに飛ぶようにしてあります。
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード