認識世界を守る闘い―防衛機制vs防衛機制
2011/01/24(Mon) Category : 心の闘い物語
【認識の変容が起こる心理過程】2
★精神破綻の危機--------------------------------------------------
しかし3度の遭遇をした後、彼はこう書いています。
『現在まで三回に及んだ、あの奇妙な訪問者たちとの遭遇で体験したところを、一つ一つ注意深く分析していきます。彼らと過ごした時間は、トータルで二十時間に達していました。かなり長時間です。
危険な状態でした。何らかの犯罪に巻き込まれるのを、未然に防ぐ必要がありました。だからこそ、地元当局に全てを知らせるべきだ、という結論に達したのです』
何事も3度繰り返すと真実が見えてくるといいます。
ヴラドにとって3度の体験は、もはや催眠術や幻覚などで自分をごまかせる現実ではありませんでした。分析のしようもなく、否が応でもその事実を認識しなければなりませんでした。
しかし、彼が「認識している世界」に、「新たに認識した世界」を組み込むことは、木に竹を接ぐようなもので無理がありました。けれど、事実はそこに存在していますから、彼の脳はそれをどう処理してよいかわからず悲鳴を上げたのでしょう。
そのことが、『かなり長時間です。危険な状態でした。』―この脈絡ない文のつながり方に現れているように思います。“危険”なのは、この長時間にわたる体験を整理できない彼の精神状態だったのであり、それをこのように無意識に表現しているのだと思います。
(ところで、危機はチャンスです。実はヴラドは、自分の認識を拡大するチャンスを与えられています)
★破綻回避のための「レッテル貼り」と「合理化」--------------------
体験したことの異常さを消化できない彼は、精神破綻の危機に瀕していました。一人だけで抱えるには荷が重過ぎる。少なくとも、彼の「認識している世界」の誰かに、その事実を一緒に分け持ってもらいたい。そう思ったことでしょう。
しかし、話をする“理由”がなければ行くことができません。そこで、“スパイ”ということにしたのでしょう。そのことは、彼がシャーリー・マクレーンに次のように語っている中によく現れています。
『私は何も理解できませんでした。だから、これは共産圏のスパイに違いないと思いました。私は警察へ行きました。刑事に全部話し、飛行船に乗っていたのは敵のスパイだという私の結論も付け加えました。しかし、刑事はお前は気が狂っているから精神科へ行け、と言いました。それ以来、このことは自分ひとりでやってゆくべきだと、気がついたのです』
『私は何も理解できませんでした』
→『だから、これは共産圏のスパイに違いないと思いました』
この“だから”の使い方は唐突ですね。前と後に論理的一貫性がないにもかかわらず、強引に結び付けています。この無理な「理由付け」に、彼がどれほど精神的に追い詰められていたかが伺えます。
ここに二つの防衛機制が働いているように思います。
一つは、「レッテル貼り」。
こうに違いないと“決めてかかる”ことで、自分を不安にさせる要素を強制排除します。「こいつは宇宙人じゃない、スパイだ」と信じ込むことで不安は取り除かれます。
もう一つは、「合理化」。
イソップ童話に『すっぱいぶどう』の話があります。狐がおいしそうなぶどうを食べたいのですが手が届きません。すると狐は「あんなぶどう、すっぱいに決まっている」と捨て台詞を残して去るわけですが、このときの狐の心理が合理化ですね。
つまり、「自分を納得させるために理屈付けをすること」を合理化と言います。狐が、合理化をすることでぶどうを取らずに去るという行為を正当化したように、ヴラドは宇宙人をスパイと決め付けることによって、警察に行くという行動を正当化することができます。
この無意識になされる防衛機制のために、表層意識では完全にスパイと信じることになります。
『刑事に全部話し、飛行船に乗っていたのは敵のスパイだという私の結論も付け加えました』―ここに、彼の心が正直に語られていると思いました。彼は“全部話し”たかったのです。“スパイだ”というのは“付け加え”であることが表明されていますね。
★防衛機制vs防衛機制-----------------------------------------------
ヴラドは、自分が「認識した世界」を警官に共有してもらいにいきました。
けれど、ヴラドの話を聴く警官にとっても、ヴラドと同じ危機が訪れます。
心に構えもなく、いきなり「認識している世界」をひっくり返されるような話を聞かされるわけです。しかも、直接体験していないだけに不気味さが増します。話の不気味さだけではなく、目の前の人間に対する不気味さが加わります。警官が、あっという間に心の危機的状況に追い込まれるのは当然でした。そのことが下記のようによく表されています。
『警官は(割愛)、次第に落ち着きを失っていきました。私はなんだか怖くなります。(割愛)彼はとうとう怯えたように立ち上がったのでした。』
このとき、警官の側にも防衛機制が働いたのだと思います。警官は自分を守るために話をさえぎり、ヴラドを狂人扱いすることにしたのです。そう、周囲の人がマオリッツオにしたように。
警官にとって、自分が「認識している世界」を守るために、ヴラドが「認識した世界」を共有するわけにはいかなかったのです。
ここに不安の連鎖が見られますね。
自分の「認識している世界」を脅かされたヴラドは、その不安から逃げるために、「新たに認識した世界」を他者に押し付けようとしました。
このとき、追い詰められているヴラドに、相手の気持ちを配慮するような心の余裕はありません。恐怖に駆られて警官を道具にしています。恐怖がハラスメントを引き起こしていることがわかりますね。このように恐怖や不安こそがハラスメントの根源であって、やっている方は、ただ遮二無二やっているだけということも多いのです。
そして、警官の全力での拒絶を目の当たりにして、ヴラドは自分の行動の間違いに気づきます。誰かにすがることは、その相手を脅かすことでした。
『それ以来、このことは自分ひとりでやってゆくべきだと、気がついたのです』―彼は、腹をくくりました。それが、ヴラドを深めていくことになります。
★精神破綻の危機--------------------------------------------------
しかし3度の遭遇をした後、彼はこう書いています。
『現在まで三回に及んだ、あの奇妙な訪問者たちとの遭遇で体験したところを、一つ一つ注意深く分析していきます。彼らと過ごした時間は、トータルで二十時間に達していました。かなり長時間です。
危険な状態でした。何らかの犯罪に巻き込まれるのを、未然に防ぐ必要がありました。だからこそ、地元当局に全てを知らせるべきだ、という結論に達したのです』
何事も3度繰り返すと真実が見えてくるといいます。
ヴラドにとって3度の体験は、もはや催眠術や幻覚などで自分をごまかせる現実ではありませんでした。分析のしようもなく、否が応でもその事実を認識しなければなりませんでした。
しかし、彼が「認識している世界」に、「新たに認識した世界」を組み込むことは、木に竹を接ぐようなもので無理がありました。けれど、事実はそこに存在していますから、彼の脳はそれをどう処理してよいかわからず悲鳴を上げたのでしょう。
そのことが、『かなり長時間です。危険な状態でした。』―この脈絡ない文のつながり方に現れているように思います。“危険”なのは、この長時間にわたる体験を整理できない彼の精神状態だったのであり、それをこのように無意識に表現しているのだと思います。
(ところで、危機はチャンスです。実はヴラドは、自分の認識を拡大するチャンスを与えられています)
★破綻回避のための「レッテル貼り」と「合理化」--------------------
体験したことの異常さを消化できない彼は、精神破綻の危機に瀕していました。一人だけで抱えるには荷が重過ぎる。少なくとも、彼の「認識している世界」の誰かに、その事実を一緒に分け持ってもらいたい。そう思ったことでしょう。
しかし、話をする“理由”がなければ行くことができません。そこで、“スパイ”ということにしたのでしょう。そのことは、彼がシャーリー・マクレーンに次のように語っている中によく現れています。
『私は何も理解できませんでした。だから、これは共産圏のスパイに違いないと思いました。私は警察へ行きました。刑事に全部話し、飛行船に乗っていたのは敵のスパイだという私の結論も付け加えました。しかし、刑事はお前は気が狂っているから精神科へ行け、と言いました。それ以来、このことは自分ひとりでやってゆくべきだと、気がついたのです』
『私は何も理解できませんでした』
→『だから、これは共産圏のスパイに違いないと思いました』
この“だから”の使い方は唐突ですね。前と後に論理的一貫性がないにもかかわらず、強引に結び付けています。この無理な「理由付け」に、彼がどれほど精神的に追い詰められていたかが伺えます。
ここに二つの防衛機制が働いているように思います。
一つは、「レッテル貼り」。
こうに違いないと“決めてかかる”ことで、自分を不安にさせる要素を強制排除します。「こいつは宇宙人じゃない、スパイだ」と信じ込むことで不安は取り除かれます。
もう一つは、「合理化」。
イソップ童話に『すっぱいぶどう』の話があります。狐がおいしそうなぶどうを食べたいのですが手が届きません。すると狐は「あんなぶどう、すっぱいに決まっている」と捨て台詞を残して去るわけですが、このときの狐の心理が合理化ですね。
つまり、「自分を納得させるために理屈付けをすること」を合理化と言います。狐が、合理化をすることでぶどうを取らずに去るという行為を正当化したように、ヴラドは宇宙人をスパイと決め付けることによって、警察に行くという行動を正当化することができます。
この無意識になされる防衛機制のために、表層意識では完全にスパイと信じることになります。
『刑事に全部話し、飛行船に乗っていたのは敵のスパイだという私の結論も付け加えました』―ここに、彼の心が正直に語られていると思いました。彼は“全部話し”たかったのです。“スパイだ”というのは“付け加え”であることが表明されていますね。
★防衛機制vs防衛機制-----------------------------------------------
ヴラドは、自分が「認識した世界」を警官に共有してもらいにいきました。
けれど、ヴラドの話を聴く警官にとっても、ヴラドと同じ危機が訪れます。
心に構えもなく、いきなり「認識している世界」をひっくり返されるような話を聞かされるわけです。しかも、直接体験していないだけに不気味さが増します。話の不気味さだけではなく、目の前の人間に対する不気味さが加わります。警官が、あっという間に心の危機的状況に追い込まれるのは当然でした。そのことが下記のようによく表されています。
『警官は(割愛)、次第に落ち着きを失っていきました。私はなんだか怖くなります。(割愛)彼はとうとう怯えたように立ち上がったのでした。』
このとき、警官の側にも防衛機制が働いたのだと思います。警官は自分を守るために話をさえぎり、ヴラドを狂人扱いすることにしたのです。そう、周囲の人がマオリッツオにしたように。
警官にとって、自分が「認識している世界」を守るために、ヴラドが「認識した世界」を共有するわけにはいかなかったのです。
ここに不安の連鎖が見られますね。
自分の「認識している世界」を脅かされたヴラドは、その不安から逃げるために、「新たに認識した世界」を他者に押し付けようとしました。
このとき、追い詰められているヴラドに、相手の気持ちを配慮するような心の余裕はありません。恐怖に駆られて警官を道具にしています。恐怖がハラスメントを引き起こしていることがわかりますね。このように恐怖や不安こそがハラスメントの根源であって、やっている方は、ただ遮二無二やっているだけということも多いのです。
そして、警官の全力での拒絶を目の当たりにして、ヴラドは自分の行動の間違いに気づきます。誰かにすがることは、その相手を脅かすことでした。
『それ以来、このことは自分ひとりでやってゆくべきだと、気がついたのです』―彼は、腹をくくりました。それが、ヴラドを深めていくことになります。