親への思いを手放すときの心理過程
2011/02/05(Sat) Category : 自律(自由と責任)への道
チェーンメールの記事(1/12)以降、次のことを書いてきました。
1、突然の侵入はハラスメントであること(内容問わず)
2、侵入されると精神破綻の「危機」に直面すること
3、「危」(ピンチ)―防衛機制で守ること
4、「機」(チャンス)―第2の誕生=死んで生まれ変わること(全9段階)
5、チャンスに変えるためには、安心できる環境(支え)が必要であること
6、それでも、死んで生まれ変わるためには孤独の試練があること(しかしそれは、インナーチャイルドや真の自己とつながること)
7、住む世界が異なる人が互いをわからせようと押し付けるところに悲劇が生まれること
マオリッツオやヴラドがたどった心理過程は、カウンセリングの相談に来られる方がたどる心理過程と同じです。違うのは、否応なく遭遇した彼らと異なり、カウンセリングの場合は自ら一歩踏み出していることだけ。
あるがままの自分に戻るということは、生まれて以降なされてきて体にしみこんでいる洗脳を解き、第二の誕生を迎えるということ。それはまさしく、それまでの自分の死と再生(ピュアになること)を意味します。
その過程は、マオリッツオが言うように、『今まで築き上げてきたものを一切合財打ち棄て』ていく過程であり、『皮をはぐようにして僕という存在をむき出し』にしていく過程なのです。
私のカウンセリングは、相談者のペースに従って、数年かけて上記過程をたどっていきます。それは時間をさかのぼるように、生まれたときの自分に戻っていくようなもので、最後にたどり着くところは「胎内」です。
そこにたどり着くと、そこからは自分ひとりで決断し、進んでいかなければなりません。目の前には真っ暗な産道。そこをたった一人で抜けなければなりません。その向こうには素晴らしい世界があるのですが、本人には何が待っているかわからない不安があります。
まさにこのときに、全ての人が躊躇します。例外なく、全員の方が迷走します。それほど、たった一人になるということが怖いのです。そのことを以前、【画竜点睛―竜たちよ、自由意志の空へ飛べ】で書きました。
そこを覚悟すると、【自律への最後の階梯―寂しさ、虚しさの乗り越え方】で書きましたように、自分の中の闇との最後の対峙があります。そして、生まれなおしていくわけです。
が、この時点ではまだへその緒が胎内(ハラスメント界)とつながっています。ここで罠に落ちることがあるのです。それは、へその緒を切らないまま、胎内にいる住人を外に引っ張り出そうとすること。
ここに、その一つの事例があります。
その方をIさんとしましょう。Iさんが変化すると、子どもたちもご主人も大きく変化していかれました。そして、ある地点に来たとき、旅立ち宣言をされました。
それから1年余り後、再度依頼を受けて訪問カウンセリングした際に、Iさんは衝撃を受けることになります。それは、その日の最後の方で私が言った一言でした。
「Iさんのお母さんは、ずっと幸せだったんですよ」
―それが、どれほどの衝撃だったのか。その心情をまずお読み下さい。解説及びその後は明日以降。(掲載の許可を得ております。ありがとうございました)
■親への思いを手放すときの心理過程
1、生きる根拠がなくなることの衝撃波
2、エゴ(自我)を手放して知る愛の姿
3、手放したとたん、手にしていた愛
4、人はやるだけのことをやらなければ次に進めない
5、自分をわかってほしいエゴの最終決戦
6、「わかってくれない」のは他人ではなく自分
7、エゴ(自我)を乗り越えさせた親の壁
8、自我(エゴ)から自己(セルフ)へ
9、「謎」が解けたとき人生が始まる
10、すべての人生が素晴らしい
★生きる根拠がなくなることの衝撃波------------------------------------
翌日から衝撃波がどどっときて、寝込みました。
母のしあわせが分かった時に、世界が反転しました。
それはイコールわたしの世界の崩壊でもありました。
ありとあらゆることすべてが「わたし」というフィルターを通しての見方だったと悟りました。
それゆえに苦しみをわたし自身が生みだしていたこともわかりました。
「お母さんはしあわせではない」
というのが、わたしのすべての出発点でした。
判断基準であり、わたしのありとあらゆる行動や思考の出所でした。
それが「勘違い」だったとわかった時の、
「えっ!?」
というあの拍子抜けするような
ひとりでずっとドタバタ喜劇を演じていたような・・・・
ドタリと後ろに思わず尻もちをつき、
そのまま立ち上がれないような状態がずっと続きました。
また、「母のしあわせ」を疑う気持ちも出てきました。
それと戦うのがまた大変でした。
つくづくわたしは、わたしよりも母をとっていたことが
その苦しみを味わうことでよくよくわかりました。
ほんとうにわたしは
「母の子」
として生きてきたのです。
わたし自身にも子どもたちもにも、そして夫にも
申し訳ないことをしてきました。
妹に電話して、あまりにも辛くて泣いてしまいました。すると妹は、
「おねえちゃんがあまりにも一生懸命やっていたからかわいそうで言わなかったけど、お父さんもお母さんもしあわせなんだよ。それが私はわかったんだよ」
「子どもたちにはおねえちゃんっていう“お母さん”しかいないんだから、そっちの方が大事だよ」
と言ってくれました。
それでも、この2週間はきつかったです。
これからなんですよね。
今は、人それぞれ、
その人のしあわせを邪魔したくないです。
そして、わたしはわたしのしあわせの在り方で在りたいと思います。
それぞれが自分のしあわせの在り方で在ると、今の世間の価値観で見たら、すごくばらばらで家族の体をなしていないように見えてしまいますね。
けれど、
それぞれがしあわせで在りながら、
互いに緩やかに愛と共感と思いやりで結びついた関係
というものがこの世界には存在するのですね。
それが今朝、ふっとわかってきたら、こころもからだも楽になり、
実家に行かなくてもいいんだと思えるようになってきました。
背骨がいたいです。
少し太くなったのかな。わたしの自律の背骨が。
だから痛いのかもしれませんね。
人生は深いですね。
目に見えない部分に、こんなにも奥深い真実が隠されていたんだ、
とここまで書いて……いやいや!
全部丸見えだったんだ、ただ目が曇っていただけでした。
すごくシンプルなことでした。
今回のカウンセリングの後は本当にきつかった。
前回の比じゃなかったです。
あまりにも苦しくて、やってこんなにまた苦しむなんて・・・と、弱音が出ました。
でも、なんとかやっていけそうです。
そのお陰か?
こどもたちそれぞれに元気です。
それぞれが自分のやりたいことやってます。
息子のしあわせの在り方を、わたしは理解できずにいましたが、
曇りなきまなこで見ると、ちゃんとしあわせやっています。
心配なんてなかった。
むしろ一番心配しなくちゃいけないのは、だれでもないわたし自身でした。
わたし自身が一番お留守になっていました。
わたしがわたしを
しあわせで在ることを
徹底的にやる必要がありました。
「重病人の母が人の世話焼きばかりして!」
と怒鳴って、泣いて、怒っていましたが、
わたしが母の中に見ていたのは、
「わたし自身の姿」でした。
わたしが疲れ果て、息も絶え絶えだったのです。
だから母の姿を見て、
苦しくて苦しくて、
涙が出て仕方なかったのです。
泣きたいのはわたしです。
疲れ果てていたのはわたしです。
しあわせでなかったのは、わたしです。
苦しんでいたのは、わたしです。
見ていたものすべてが、わたしの姿でした。
わたし自身の姿でした。
中尾さんはこのことを一生懸命わたしに伝えようとしてくれました。
本にも書いてありました。
講演会でもたくさんの人が同じこと言っていました。
でも、その真実は、わたしの人生の中で体験を通して
わたし自身が「わからない」と本当にはわからないものなのですね。
それがまたよくわかりました。
書けてよかったです。
ほんとうにありがとうございます。
絶対にぶれないで、
わたしの人生も含めたわたしを見守ってくれる生きた人がいること。
これが大きな支えになっています。
中尾さんがいなければ、分かること難しかったです。
いや、むしろわかった後にやってくる数々の試練を乗り越えること出来ないと感じます。
それほど、もろく、いとも簡単に元の世界に戻りたいと願う衝動は激しかったです。
なんとか踏みとどまりつづけられそうです。
感謝しています。
ありがとうございます。
1、突然の侵入はハラスメントであること(内容問わず)
2、侵入されると精神破綻の「危機」に直面すること
3、「危」(ピンチ)―防衛機制で守ること
4、「機」(チャンス)―第2の誕生=死んで生まれ変わること(全9段階)
5、チャンスに変えるためには、安心できる環境(支え)が必要であること
6、それでも、死んで生まれ変わるためには孤独の試練があること(しかしそれは、インナーチャイルドや真の自己とつながること)
7、住む世界が異なる人が互いをわからせようと押し付けるところに悲劇が生まれること
マオリッツオやヴラドがたどった心理過程は、カウンセリングの相談に来られる方がたどる心理過程と同じです。違うのは、否応なく遭遇した彼らと異なり、カウンセリングの場合は自ら一歩踏み出していることだけ。
あるがままの自分に戻るということは、生まれて以降なされてきて体にしみこんでいる洗脳を解き、第二の誕生を迎えるということ。それはまさしく、それまでの自分の死と再生(ピュアになること)を意味します。
その過程は、マオリッツオが言うように、『今まで築き上げてきたものを一切合財打ち棄て』ていく過程であり、『皮をはぐようにして僕という存在をむき出し』にしていく過程なのです。
私のカウンセリングは、相談者のペースに従って、数年かけて上記過程をたどっていきます。それは時間をさかのぼるように、生まれたときの自分に戻っていくようなもので、最後にたどり着くところは「胎内」です。
そこにたどり着くと、そこからは自分ひとりで決断し、進んでいかなければなりません。目の前には真っ暗な産道。そこをたった一人で抜けなければなりません。その向こうには素晴らしい世界があるのですが、本人には何が待っているかわからない不安があります。
まさにこのときに、全ての人が躊躇します。例外なく、全員の方が迷走します。それほど、たった一人になるということが怖いのです。そのことを以前、【画竜点睛―竜たちよ、自由意志の空へ飛べ】で書きました。
そこを覚悟すると、【自律への最後の階梯―寂しさ、虚しさの乗り越え方】で書きましたように、自分の中の闇との最後の対峙があります。そして、生まれなおしていくわけです。
が、この時点ではまだへその緒が胎内(ハラスメント界)とつながっています。ここで罠に落ちることがあるのです。それは、へその緒を切らないまま、胎内にいる住人を外に引っ張り出そうとすること。
ここに、その一つの事例があります。
その方をIさんとしましょう。Iさんが変化すると、子どもたちもご主人も大きく変化していかれました。そして、ある地点に来たとき、旅立ち宣言をされました。
それから1年余り後、再度依頼を受けて訪問カウンセリングした際に、Iさんは衝撃を受けることになります。それは、その日の最後の方で私が言った一言でした。
「Iさんのお母さんは、ずっと幸せだったんですよ」
―それが、どれほどの衝撃だったのか。その心情をまずお読み下さい。解説及びその後は明日以降。(掲載の許可を得ております。ありがとうございました)
■親への思いを手放すときの心理過程
1、生きる根拠がなくなることの衝撃波
2、エゴ(自我)を手放して知る愛の姿
3、手放したとたん、手にしていた愛
4、人はやるだけのことをやらなければ次に進めない
5、自分をわかってほしいエゴの最終決戦
6、「わかってくれない」のは他人ではなく自分
7、エゴ(自我)を乗り越えさせた親の壁
8、自我(エゴ)から自己(セルフ)へ
9、「謎」が解けたとき人生が始まる
10、すべての人生が素晴らしい
★生きる根拠がなくなることの衝撃波------------------------------------
翌日から衝撃波がどどっときて、寝込みました。
母のしあわせが分かった時に、世界が反転しました。
それはイコールわたしの世界の崩壊でもありました。
ありとあらゆることすべてが「わたし」というフィルターを通しての見方だったと悟りました。
それゆえに苦しみをわたし自身が生みだしていたこともわかりました。
「お母さんはしあわせではない」
というのが、わたしのすべての出発点でした。
判断基準であり、わたしのありとあらゆる行動や思考の出所でした。
それが「勘違い」だったとわかった時の、
「えっ!?」
というあの拍子抜けするような
ひとりでずっとドタバタ喜劇を演じていたような・・・・
ドタリと後ろに思わず尻もちをつき、
そのまま立ち上がれないような状態がずっと続きました。
また、「母のしあわせ」を疑う気持ちも出てきました。
それと戦うのがまた大変でした。
つくづくわたしは、わたしよりも母をとっていたことが
その苦しみを味わうことでよくよくわかりました。
ほんとうにわたしは
「母の子」
として生きてきたのです。
わたし自身にも子どもたちもにも、そして夫にも
申し訳ないことをしてきました。
妹に電話して、あまりにも辛くて泣いてしまいました。すると妹は、
「おねえちゃんがあまりにも一生懸命やっていたからかわいそうで言わなかったけど、お父さんもお母さんもしあわせなんだよ。それが私はわかったんだよ」
「子どもたちにはおねえちゃんっていう“お母さん”しかいないんだから、そっちの方が大事だよ」
と言ってくれました。
それでも、この2週間はきつかったです。
これからなんですよね。
今は、人それぞれ、
その人のしあわせを邪魔したくないです。
そして、わたしはわたしのしあわせの在り方で在りたいと思います。
それぞれが自分のしあわせの在り方で在ると、今の世間の価値観で見たら、すごくばらばらで家族の体をなしていないように見えてしまいますね。
けれど、
それぞれがしあわせで在りながら、
互いに緩やかに愛と共感と思いやりで結びついた関係
というものがこの世界には存在するのですね。
それが今朝、ふっとわかってきたら、こころもからだも楽になり、
実家に行かなくてもいいんだと思えるようになってきました。
背骨がいたいです。
少し太くなったのかな。わたしの自律の背骨が。
だから痛いのかもしれませんね。
人生は深いですね。
目に見えない部分に、こんなにも奥深い真実が隠されていたんだ、
とここまで書いて……いやいや!
全部丸見えだったんだ、ただ目が曇っていただけでした。
すごくシンプルなことでした。
今回のカウンセリングの後は本当にきつかった。
前回の比じゃなかったです。
あまりにも苦しくて、やってこんなにまた苦しむなんて・・・と、弱音が出ました。
でも、なんとかやっていけそうです。
そのお陰か?
こどもたちそれぞれに元気です。
それぞれが自分のやりたいことやってます。
息子のしあわせの在り方を、わたしは理解できずにいましたが、
曇りなきまなこで見ると、ちゃんとしあわせやっています。
心配なんてなかった。
むしろ一番心配しなくちゃいけないのは、だれでもないわたし自身でした。
わたし自身が一番お留守になっていました。
わたしがわたしを
しあわせで在ることを
徹底的にやる必要がありました。
「重病人の母が人の世話焼きばかりして!」
と怒鳴って、泣いて、怒っていましたが、
わたしが母の中に見ていたのは、
「わたし自身の姿」でした。
わたしが疲れ果て、息も絶え絶えだったのです。
だから母の姿を見て、
苦しくて苦しくて、
涙が出て仕方なかったのです。
泣きたいのはわたしです。
疲れ果てていたのはわたしです。
しあわせでなかったのは、わたしです。
苦しんでいたのは、わたしです。
見ていたものすべてが、わたしの姿でした。
わたし自身の姿でした。
中尾さんはこのことを一生懸命わたしに伝えようとしてくれました。
本にも書いてありました。
講演会でもたくさんの人が同じこと言っていました。
でも、その真実は、わたしの人生の中で体験を通して
わたし自身が「わからない」と本当にはわからないものなのですね。
それがまたよくわかりました。
書けてよかったです。
ほんとうにありがとうございます。
絶対にぶれないで、
わたしの人生も含めたわたしを見守ってくれる生きた人がいること。
これが大きな支えになっています。
中尾さんがいなければ、分かること難しかったです。
いや、むしろわかった後にやってくる数々の試練を乗り越えること出来ないと感じます。
それほど、もろく、いとも簡単に元の世界に戻りたいと願う衝動は激しかったです。
なんとか踏みとどまりつづけられそうです。
感謝しています。
ありがとうございます。