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加害者も被害者も特別な人もいない

2011/04/05(Tue) Category : 私の姿勢
【中尾相談室の姿勢】1

★加害者、被害者という二元論的区分は無意味-------------------------

私は世代間連鎖の流れの中に身をおいてカウンセリングしています。

それを被害と加害というわけ方で見れば、子が大人になるにつれてグラデーションのように被害者が加害者になっていくとも言えますし、3世代の真ん中をとってみれば被害者と加害者の両側面を持つでしょう。

例えば秋葉原の加藤被告の家庭状況が少年期にわかれば、加藤被告が児相などに保護され、親が虐待者として告発されていたかもしれません。
また、以前【援助者の心構え(=人間関係の心構え)】の中で、『「虐待を受けた子供」と対する場合は、自分がその子から「虐待をされている」という認識を持って対応する必要がある』ということを書きましたが、ハラッシーはハラッサーに転化します。

いずれにせよ自分を相対化できず、“一方的”な思いを持つ人は無意識のうちに加害者になっています。

こういう風に見えてくると、加害とか被害という二元論的区分が無意味だとわかってきます。むしろ、そのようにレッテルを貼ることで本質を隠し、自律から遠ざかっていくだけなのです。
すべての人が被害者と加害者の両側面を持っており、片側だけというのはありえません。




★“自分だけが特別”な人もどこにもいない---------------------------

私は、人生脚本と自己投影で時間が構造化されている中に身をおいてカウンセリングしています。

問題者とその人に困る人(犠牲になっている人)、ハラッサーとハラッシーという一見わかりやすい表層の裏で、ハラッシーがハラッサーを無意識に利用しているという共依存構造があることもあります。

表層では加害者―被害者と区分できても、深層ではそれが逆転することもあるのです。また、なんだかんだ言っても関係が継続しているなら、それが傍から(子どもからであっても)どう見えようとも、互いに必要な相手でありベストカップルということもあるのです。


共通しているのは、みなそれぞれが、
置かれた環境の中でただ懸命に生きているだけということ。

その環境は、誰一人として同じ人はいません。
たとえ同じ家族、兄弟であっても、全ての人の脳内現実は異なるのです。
同じ親で苦労したから兄弟が分かり合えるだろうと思うのは幻想です。

また、“特別”な人もどこにもいません。
自分の親は特別だとか、自分の体験は特別だと思いがちですが、実は多くの方がそう思っています。そして、そう思っている間は「痛みの塔」をせっせと積み上げているだけのことなのです。
【痛みの塔のてっぺんにいるチャイルドへ】






★ただ自分とつながった人のみが唯一の栄光(オンリーグローリー)を得る

どの人もみな、
加害者でも被害者でもなく、また特別でもありません。

すべての人は、
特別(special)ではなく、ただ唯一(only)なのです。

だから、
自分のことをわかってあげられるのは、自分以外にいません。



『置いていかれた迷子 遅すぎた始まり さあ 何を憎めばいい』

その葛藤、苦しみ、よくわかります。
誰かを、何かを、憎み続ける日々もあるでしょう。



けれど、誰かや何かなど自分以外の“外”に向かい続けるのは、
自分が自分の内側にある真実を見たくもなく、チャイルドの声を聴きたくもないからだということが、いつかわかるときがきます。

『目隠ししたのも 耳塞いだのも 全てその両手』だと。



そこに気づいたとき、このままでは人生そのものを失ってしまうことに気づきます。死ぬときに「自分は本当は生きていなかった」とわかる恐怖。

『そして僕らは覚悟した 本当の恐怖に気づいたんだよ
 隠れてみても 逃げてみても いつかは照らされるってこと』



だから、恥ずかしさや後悔という見たくない感情が蘇るかもしれないけど、過去を振り返って、自分の内側を見つめる覚悟をしなければなりません(死ぬときに後悔するよりはずっといいでしょう?)。

『笑われることなく 恨まれることなく 輝く命などない
 眩しいのは最初だけ 目隠しはずせ』



すると、痛い事実に直面するでしょう。

『息絶えた 心を撫でた 
 殺したのは 他ならぬ僕だ』



インナーチャイルドを無視し続け、感情を殺したのは他ならぬ自分(エゴ)だった―その自分を認めたとき、インナーチャイルドと出逢えます。

『まだ生きていた、僕の中で一人で
 呼吸を始めた、僕と共に二人で』



それは、壁に囲まれ孤独(ロンリー)になったからこそ出逢えたのです。

『孤独を知ったから また出会えた
 孤独じゃない』



そして、インナーチャイルドと手をつないだとき、本当の人生が始まります。

『歩き出した迷子 足跡の始まり
 ここには命がある』



操り人形であった自分に命が吹きこまれました。
その命は、内なる神(セルフ)と直結する命です。
そのときに、特別になるのでしょう。

『オンリーグローリー それこそが狙うトロフィー
 特別じゃない この手を 特別と名付ける為の光 』


【BUMP OF CHICKEN 「オンリーロンリーグローリー」】




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絡んでくるな

加害者も被害者もいないというか、絡んでくんなよ。って感じでしょうか。

 

最初にこの記事を読んだ時、反発心がわきました。



なんで?虐待した人間された人間がいるのに、なんで先生は加害者も被害者もいないなんてこというの!って。


でも最近わかってきました。自分のICを癒すという次元に加害被害という関係はいらないって。逆に、その考えが頭を支配すると、癒す妨げになるってことにきづきました(^O^)

 

自分で掴んでいくという 権利があるのかもしれないね…。
そういうのが ひとりひとりにとても大切な醍醐味とか楽しみとか味わい深いことなのかな…

この世に 波乗りを遊戯するために 送り出されたのか…

晩年、天国からお迎えが来た時、
辛くて 生まれた意味を見出だせないストーリー故に掴んだ、お土産、沢山胸にもって、

なんと 楽しかったのか!
と言える大満足。

人はそういう風になれるのかもしれない。
そうなのかもしれない。

 

同感

もふもふさん、
同感です。
本当にそう思います。

 

人生ってへんなの。
こういうからくりを小学校から学校で教えてくれたらいいのに。
そしたら日本はすごい国になっているだろう。
ブータンをも越えるかもしれない。
この真髄がわからなくて、みんなで暴走している、、、。そして
気づいたときには結構いい年になっているんだよね。

 

もういいよね。親を責めるのはこのへんにしとこう
人を非難するのもこのへんにしとこう。

そのエネルギーはICをみてあげるためにとっておこう。

だって5年後ICと一緒に心の底から笑ってる自分になっていたいから!!

 
    
 
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