すべての人は、自分の意志で人生を決めている
★“ぶれない”のではなく“ぶれない位置”が定まってくる--------------------
たとえば次のような日常を想像してみて下さい。
ある人がモラ親の被害を訴えて電話をしてきます。
モラ親のひどさに共感します。
次の電話を取ると、その前の電話の相談者から見れば、まさにモラ親側の人です。けれどその方も連鎖の中にいて、親との問題に苦しんでいます。
次の電話を取ると、モラ夫の被害に遭った人です。それは大変な苦難なのですが、その背景にその人自身の人生脚本の問題があることも見えてきます。
次の電話を取ると、DVの加害者であった人で自分を責めています。お前がやったことは犯罪も同然だと“自覚”させて洗脳矯正させるようなプログラムもあるようです。が、自分を責めることからは何も生まれません。DVの根っこにあるのは親との関係ですから、ICの吐き出しから進めていきます。
…いかがでしょうか、世間的な加害や被害という区分でわければ、両サイドの人から相談がきます。被害の渦中にある人は相手が憎いだけですから、このように並べられただけでもイヤかもしれません。
そして、自分の周りに起こるすべての出来事は、自分が作った人生脚本の通りに引き起こしていることだと言われても、両者とも到底納得しないでしょう。
けれど、
真実は真実なのです。
相談者の方から、私は『ぶれない』とよく言われますが、“ぶれない位置”が自ずと定まってくるのです。
ハラッサーの中には、瞬時に「変面」できる人がいます。四方八方から来ても、相手に合わせてそのすべてに違う人格で対応できる人もいます。それは、心を封印しているからであり、かつそれが生きる術だからです。
私の場合は、四方八方から来れば来るほど、「自分の立ち位置はここしかない」という地点が明確になってきます。これは、誰でもそうではないでしょうか。心を開いていろんな人と接すれば接するほど自分の枠が広がって、自然に自分の立ち位置が見えてくるのだと思います。
★自我は身勝手-----------------------------------------------------
また、同じ人であってもカウンセリングが進むにつれて変化していきます。
自分の気持ちがわからないときは、無意識にICs(人生脚本)の掌の上で自分が踊らされ、意識はIPと同化しているときですから、怒っていいこと、嘆いていいこと、頑張っていることを認めていいこと、悔しくて当然なこと……そういう“感情的常識”を新たに教えていく必要がある場合があります。このとき、IP(と同化している自分)は苦しくてチャイルドは大喜びするため、嬉しさと苦しさが同居するという不思議な感覚になることがあるでしょう。
逆に感情があふれ、親に対する怒りや憎しみで一杯のときにも、「親は親で精一杯、親も天晴れに生きている」…とは言えません。その時点の子どもにとって、親の事情などどうでもいいことです。それに、親に加担する思いがあると怒りのICiは出てこられなくなってしまいます。ICiの徹底した味方にならなければなりません。
(*ここで、ICiとは、impact:衝動 を持つチャイルドのことです。衝動とは封印された感情。小さい頃から表現されなかった感情の集積です。我慢して押し込めてきた感情たちは、心の監獄から出せと“衝動”になって自分を突き動かすわけですね)
このように徹底してチャイルドの味方になることからスタートします。
が、IP=自分となっている本人は、自分を否定されたようにも感じます。上記で親に加担するとICiが出てこられなくなるように、ICiに加担するとIPやICs(いずれも自分)が不満を持ったり、自分のICiに嫉妬したりすることがあるのです。
そして、怒りで家族を苦しめたり、自爆しかかっていたりしたにもかかわらず、怒りを吐き出した後は親への思いが出てきたり、IPが罪悪感や自責の念で逆襲を仕掛けてきますから、時には、怒りを吐き出すきっかけとなったカウンセラーを恨むこともあります。
親への怒り、親への思いなど「外に向かう感情」が出てきた後は、存在不安(ICa)が襲ってきます。ICaとは、anxiety=不安を抱えたチャイルドですね。小さい頃からずっと孤独と寂しさを抱えていたチャイルドです。このチャイルドを見たくないがために外に向き続けたようなものですから最後に出てくるわけです。
さて、これまでの生き方を変えるわけですから、最後に出てくるラスボスは実はICsです(IPはICsの手先のようなものです)。人生脚本を手放すことを拒むICsがカウンセラーを攻撃してくるんですね。脚本(script)に都合のよい事実だけをスタンプ集めするのは常套手段ですが、本人の記憶を脚本に都合のよいように改ざんすることまで行います。カウンセラーがしっかりしていなければ、振り回されることになるでしょう。
読まれている方は、なんとまぁ身勝手なと思われるかもしれませんが、
みんなそうです。
自律するまでは、人間はとことん自分から逃げ続けるものなのです。
自分から逃げ続ける=責任を取らない=人のせいにする、ということです。
結局、すべてが「自分の問題」
ということに心底気づかなければ、
「自分の人生」を始めることはできません。
言い換えれば、
自我(エゴ)は身勝手であり、
自分が「自我」に振り回されず
自己(セルフ)とつながらない限り、自分の人生をはじめることはできません。
そして、新たな人生をスタートさせるには、愛情豊かなICsの苦労を自分がよく理解して、認めてあげることです。
「ありがとう」の一言で、それまでのすべての苦労が(その中身を知ってもらわなくても)報われた思いをした経験された方も多いのではないでしょうか。ICsも、その苦労を報われたいのです。自分自身から「ありがとう」と言ってもらいたいのです。そして、苦労が報われたと実感すれば、それまでの脚本を手放して舞台を降りることができるのです。
★常に、今、目の前の相手と対する-----------------------------------
カウンセラーは、このように一人の人から時系列的にも揺さぶられ続け、時間断面で切り取ると四方八方の立場(複数の人)から空間的にも揺さぶられ続けるわけです。時空間的に見ると、球状に囲まれているといえばいいでしょうか。
自分がぶれていては話しになりません。
浮いたと思えば沈み、
進んだと思えば後退し、
晴れたと思えば霧がかかり、
歩き出したと思えば罠に落ち……
一直線に進む人はどこにもいません。
その過程のすべてが、学びであり肥やしです。
その体験のすべてが「宝」です。
面談の都度、電話の都度、
私は、それまでの相談者との経過をリセットします。
上記のように、自律に至るまでは、ICs、ICi、ICa、IPの四つ巴の攻防が激しく、「今」の瞬間、そのどれが本人を支配しているのかわからないからです。
常に目の前の本人の「今の気持ち」と向き合う―それが自律の姿勢であり、その姿勢のまま相談者と向き合うことが自律モデルを示すことでもあります。
★すべての人は、自分の意志で人生を決めている-----------------------
つくづく思うことは、たとえその人がどう苦しんでいようとも、あるいは、傍からどう見えようとも、すべての人は、結局自分の意志で自分の人生を決めているということです。
人生とは「選択の連続」。
日常にある無数の道の分岐点の中で、必ずその人が道を選択しています。
その選択の連続の結果が“現在”です。
カウンセリングというささやかな人生の一こまの中でも、人は道を選択し続けています。どの人もカウンセリングのどこかの段階で、本人が無意識であっても意志を表明しており、私はその意志と対話していますので、その意志を尊重して手放すだけなのです。
そこに評価はありません。
なぜなら、すべての人生が素晴らしいからです。
外から見てどう見えようとも、
その意志が、今いたいところに居ることが幸せなのです。
★ここから先が「自律」という基準はない-----------------------------
それに、深海から浮上するときは、潜水病になるため一挙に上がることはできません。少し浮上しては滞在し、また少し浮上しては滞在し…それを繰り返しながら上がっていくことになります。
水上に出るまではハラスメント界ですから、その滞在中にハラッサーに出逢いますし、いわゆるダメンズウォーカーを繰り返す人もいるでしょう。
でも、それでいいのです。
そうやって体験しながら、自分のペースで上がっていくわけですから。
私は、その間も眺めています。
ギャンブル依存の回復支援施設であるワンデーポートの方のお話を聞いたことがありますが、フリーな施設ですから途中で施設を抜け出す人もいます。が、3年後くらいにボロボロになって戻ってくるそうです。身にしみてわかるまで、本気で自分と向き合おうとはしないようです。
中には、一生かかって上がっていく人もいるのでしょうし、ずっと水中にとどまり続ける人もいるでしょう。けれど、どの人も何らかの役割を背負っています。
何もかも抱えたままでも、これでよいと思えればそれでよい。
すべての執着を捨て去っても、ふと闇に落ちることもあるでしょう。
ここから先が「自律」―というものはありません。
その人が今現在ハラスメント界(闇)にいようが、自律界(光)にいようが関係ありません(もっとも自律した人は相談に来ませんが)。
あるのは、「自律」に向かい続ける姿勢だけであり、その意志を持つ人だけしかサポートできないということです。
★一人から始まる---------------------------------------------------
連鎖をとめるには、徳川慶喜のように時代の蓋となる役割の人間と、維新の志士たちのように時代の源流となる役割の人々がいます。時に敵対関係のように見えて、実は時代を転換する上でチームを組んでいると言えるでしょう。
私は、人知れぬ意志を持って、連鎖をとめる蓋となる役割を選んだ人々も知っています。周りの誰にも知られず、この空の片隅で、たった一人でその苦役を担っている人々もいるのです。その人々の面影が、私の背骨の一部になっています。
蓋となる役割の人々の努力を無にしないためにも、源流となる人々は坂本龍馬のように一人ひとりで始めなければならないのです。
私も皆さんと同じところにいて、
誰にもわかってもらえなくてもただ一人から始め、
そして、そのまま今もただ歩き続けている
―それだけのことなのです。
【BUMP OF CHICKEN 「Sailing Day」】