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外面(ソトヅラ)社会から本音(ホンネ)社会への転換

2011/04/14(Thu) Category : 地震・災害・脱原発
★新潟刈羽原発事故の「何かヘン?」-----------------------------

戸並隆さんが「トナメ~ル」というメルマガを発行されています。『単に個人の好き放題言うメルマガに過ぎません』とのことですが、そこが面白い。名刺交換をした方などに配布されているようで、各界各地に知己がおられるためいろいろな情報もリアルタイムで入ってきます。4月12日の「トナメ~ル」が面白かったので、今日はその記事から。

『昔、新潟刈羽原発事故の後、食事会をしました。その時、原子力学会の人が、「変電機器だがら全く大丈夫!」と言った自信に満ちた顔が脳裏に焼きついたのです。それを聞いて私も誰も意見を言えません。でも、私の直感は「何かヘン?」と感じたのでしょう。それからも彼は人望もあり食事会も一緒でしたが、頭のスミで違和感が消滅することはなかった』

『津波で電源がアウトになったり、刈羽原発で変電機器が燃えたのと同じです。原子炉技術が及ぶ範囲が大丈夫なら原発技術者は“問題なし”ですから。フェールセーフに対するシステム思考なんぞ学者や原子炉専門家にはどうでも良いのです』




★プロという無責任---------------------------------------------

戸並さんの感じた「何かヘン?」という“違和感”―専門家やプロフェッショナルといわれる人々に対する違和感、それを私も感じていました。

『私は、当時からプロフェッショナルという言葉が嫌いだった。そこには、専門の道に責任は持つが、他は持たなくてよいというニュアンスを社会から感じていたからである。

んなこたぁーねーだろー、自分の人生、ある側面に責任を持つが他は持たないなんてこたーおかしーだろーよ。と思っていた。私は機能として生きたいのではなく、全的な人間として生きたいのだ。仮に言うとすれば、「プロフェッショナル・アマチュア」だ。あくまでも普通の人間(アマチュア)であり、ただその思いを表現できるスキルを持つ―そういう方向性を目指していた。

だから、私の勉強の仕方は専門性を身につけるための勉強ではなく、自分の思いを表現するために気の向くままに多方面にわたった。その中で出逢ったのが「パーティー学」だった。『あくまでもアマ精神に徹して』いるところが気に入ったのである。』
【川喜田二郎氏の「パーティー学」】





★割り切り文明の無責任体系-------------------------------------

【自分を中心に置いてバランスを取り戻そう】の中で私は次のように書きました。

『抽象性・複雑性・多様性を把握しきれないように感じた人間が、これじゃあ物事が進まない(=自分の都合のいいように進まない)、と「割り切る」ことを是として現代文明は進展(=生態系から断絶)しました。

理性的・合理的と言っているのは、そう言えるくらいにまで物事を限定してとらえて言っているだけのことです。そこに至るまでに、現象の多様な側面はかなりの部分捨象(考察の対象から切り捨てること)されています』

この割り切り文明のあり方は、不安とともに生きている人々に受け入れられました。自分の手に負えないことは受け入れなくてよい。不安(懸念)には目をつぶってよい(=無責任でよい)、という許可がおりるからです。

そして、範囲を区切って自分の土俵を作り、その土俵上ではガチガチに理論武装してその中に引きこもります。人と接するときは、その土俵上に引き込みますし、他の土俵に乗ることは決してありません。

―そう、お馴染みハラッサーのやり方(生き方)ですね(^^;)。

その土俵が所詮幻想でしかないことは、ハラッサーと接した人々はよくお分かりだと思います。けれど、その幻想を持ち寄って現実が生まれ、そして、不安を見ないようにみんなで協力して、そのエセ現実を維持して生きようとし始めます。こうして、壮大な無責任体系が出来上がりました。




★安全を切り捨てることで始められた原発------------------------

さて、このような割り切り思考が原発建設にも当てはめられました。同日のトナメールに次のようにあります。

『コストとの関係で安全を考えねば原子力事業を推進できません。ですから想定できる範囲を経済的理由で既定しなければならないのです。これは当然です。でも住民や国民は納得しません。ですから“絶対安全100%安全”と国家政策として嘘をつき続けなければならなかったのです。』

言い換えると、原発で割に合うようにするためには安全コストを切り捨てなければならない。つまり、安全を考えると原発を選ぶという選択肢はそもそもなかったということですね。

その証拠に、「三陸海岸大津波 (文春文庫)」という記録には、明治29年、昭和8年、そして昭和35年に襲った波の高さが40~50メートルにも及ぶ津波のことが記載されているそうです。

政府と東電は「1000年に一度の災害」と言い逃れをしていますが、わずかこの110年程度の間に、フクシマ以上の津波が三陸を襲っていたのです。原発を建設するなら、当然このような調査も事前になされていたはずです。しかし建設コストがかさめば原発が割に合わなくなりますので、過去の事実を無視したわけです。

失われた多くの命と故吉村昭氏の警告は活かされませんでした。


<参考>
「三陸海岸大津波」に脚光 故吉村昭さん記録文学(岩手日報4/12)
作家の故吉村昭さんの記録文学「三陸海岸大津波」が東日本大震災以降、幅広く読まれている。

吉村昭『三陸海岸大津波』の先見 作家・高山文彦





★無責任体系で生まれるモンスター---------------------------------

吉村昭氏のように現象から学び警告する人がいる一方で、それらを無視して遮二無二突き進む人もいます。突き進むことができるのは、不安や危険に目をつぶっているからです。それは勇気ではなく無謀といいます。そのように突き進むとどうなるのか? それを震災はハッキリと見せてくれました。

特に背骨を持たない人間たちにとって、国策に賛同することは最高の安心を得られることになります(その安心も幻想ですが)。ですから、『国が方向性を示しただけで、自主規制→他者規制→正義面した取締り、と盲目的に嵩にかかった行動をし始めるわけです。薄っぺらい人間ほど、権力を嵩に着て居丈高な行動をとります』
【「海と森と里と つながりの中に生きる」国際有機農業映画祭2010】

 
その典型的な例がトナメールで紹介されていました。
『下記youtubeを見て下さい。原発推進派のパワーは凄まじい。とても反論できない国家そのものです。弁の立つ原発専門家に皆押し切られてきたのです』と『NHKの反原発的報道に堂々とクレームをつける石川モンスター』の動画と3月18日報道ステーションが紹介されていました。

石川モンスターとは、石川迪夫氏(日本原子力技術協会前理事長、現最高顧問)のことです。私は、この人の波動(姿形声動作すべて)を受けるのがイヤで、かつお付き合いする人生の時間がもったいなく感じましたので、皆様も我慢できる範囲でご覧下さい(笑)。

ただ、ハラッサーがどのようなレトリックを用いるのかがよくわかると思います(ちなみに、番組とはいえ一方的に迎合しているアナウンサーも大嫌いでした)。

http://www.youtube.com/watch?v=EcDXRCyyrPI&feature=fvwrel

http://www.youtube.com/watch?v=iSG7K38VSpg




★肩書きに従うな、好き嫌いに従え---------------------------------

“誰が”担当するのか―その“人”を選ぶのは私たち一人ひとりです。地域でも会社でも、身近なところでそういう場面は多々あるでしょう。
無責任な選び方をした結果、私たちはすべてを失ってしまいました。

それは、破壊を導いたモンスターの問題ではなく、
モンスターを選んだ私たちの問題なのです。

私たちは世間体、学歴、地位、名誉、肩書きなど「外見」を追い求め、それに従ってきました。それがハラスメント界を形成してしまったことが、このブログをお読みの方はよくお分かりだと思います。そして、ハラスメント界にどっぷり浸かった中では、東大、東電、官庁、○○党、などなど表看板を盲目的に信頼して、中身(個人)を見てきませんでした。

けれど、組織を動かしているのは人です。
要は“誰が”それを担当しているのかということです。

今回の震災は、ハラスメント界が追い求めてきたすべてを吹っ飛ばし、それが幻想であることを人間に教えてくれました。

夢うつつから目が覚めた私たちは、これからは、人の顔をしっかりと見て、人物を見抜く眼力を一人ひとりが養う必要があります。それは難しいことではありません。好き嫌いで行動することです。




★エントロピーを知りましょう------------------------------------

最後に、同記事で面白いサイトが紹介されていました。

石川迪夫─あの人は今 ―

『このとき、僕は推進派の「じゃあ、代替エネルギーはどうするんだ?」という質問に対して、室田武や槌田敦が、「その言い方は不誠実だ」「石油に代わるエネルギー源などない」「代替エネルギーなどということを言う前に省エネを考えるべきだ」といったことを苦汁に満ちた顔で答えたのが腑に落ちず、その後、二人の著書『エネルギーとエントロピーの経済学』(室田武著、東洋経済新報社)と『資源物理学入門』(NHKブックス)を読んでみました。
そして、人生観がガラッと変わったのでした。
ああ、世界というのはこうなっていたのか……と。
そこからは、まったく新しい目で世の中が見通せるようになりました。あのとき、二人がなぜ苦汁に満ちた顔をして答えなければならなかったのかも、よく分かりました。』


おぉ、出てきましたね~、室田武と槌田敦。
大学時代にタイムスリップしました。

また、項を改めます。







◎「エネルギーとエントロピーの経済学」(室田武)
1、命とエントロピー
2、水こそが地球の「絶対的富」
3,「無料」という優れた資源配分方法




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本当は嫌なんだろうな

「代替エネルギーなどということを言う前に省エネを考えるべきだ」、、、。
的外れというか、意味不明というか、、。
でも堂々と言われると、そうかな?と思っちゃうのが人の常。権威ある人の発言ならなおさら、、、。今回の震災でもその手の発言がたくさんあった気がします。

室田さんと槌田さんを知りませんが、家族と自分の生活を守るために原発推進派としてうそばっかりついて生き続けるのは内心気分が悪いでしょうね、、、。自分をだまし、周りもだましている訳ですから。医療の世界でもこういう「うその言い切り」がとても多いんじゃないかと思います。

 

外面ばかりの人は、この震災後、発言が少なくなりました。私はもともと本音でしか生きていないので、全く変わらずにいます。どんどんそういう建前は崩れていくんでしょう・・・

 
    
 
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