「エネルギーとエントロピーの経済学」―3,「無料」という優れた資源配分方法
2011/05/07(Sat) Category : 地震・災害・脱原発
これまで、「エネルギーとエントロピーの経済学」(室田武)を下記のようにご紹介してきました。
1、命とエントロピー
1)生物は増大したエントロピーを体外に捨てる必要がある
2)開放定常系は開放定常系の中にしか存在し得ない
3)水の循環が開放定常系を保つ
4)原発は地球にとって癌細胞
5)日ノ本の国は、太陽の恵みに戻ろう(「米は石油の缶詰」)
2、水こそが地球の「絶対的富」
1)産油国アメリカが石油を輸入する理由
2)農家が「石油の缶詰」を作ることになった理由
3)石油が使い勝手がいい理由
4)公害が起こった理由
5)原発が「石油の缶詰」である理由
6)水こそが地球の「絶対的富」
7)原発が突きつけた水の本当の価値
8)「原発廃止」を決断せよ
ここでは、石油が低エントロピー資源であるために石油消費文明ができたこと、米も原発も「石油の缶詰」であること、水が地球最大の低エントロピー資源(絶対的富)であること、水と原子力は相容れないこと、原子力は開放定常系そのものを破壊すること―などを見てきました。
そして、それが証明されてしまったのが福島原発の事故でした。
人間という生命体も、その8割が水であるという「水の惑星」。
その「水の惑星」にあってはならないものが原子力なのです。
さて、脱原発の議論は、どのようなコミュニティを作っていくのかという議論に帰結します。政治は、震災後の東北をただ復旧する(旧に戻す)のではなく、持続可能な地域のモデルとして提示していかなければなりません。そして、前項の記事『感動!馬場中山集落に見るこれからの日本の進む道』の中で、「共助」が重要であり、かつ地域再生の鍵を握ることを書きました。
「共助」が何より大切であることを、室田武氏はエントロピー論的に書かれていました。私は、室田氏を復興計画の責任者に加えてほしいと思いました。以下、抜粋です。
★持続可能の鍵は低エントロピー「共助体」----------------------------
『生物は増大したエントロピーを体外に捨てる必要がある』ため、『開放定常系』となっています。そして、『開放定常系は開放定常系の中にしか存在し得』ません。
だから、開放定常系たる地球がエネルギーの収支バランスを崩して汚れ(エントロピー)を捨てきれなくなると、地球上のすべての生命体は息絶えるわけです。
そこで、エントロピーを増やさない工夫が生命体としての「智恵」となります。地球上の大気・大海・大地のエネルギー循環、そして鉱物・植物・動物に至る生命循環のすべてがエントロピーを低減するための活動をしています。
が、一人人類という種だけが、それらのものを“資源”として利用して高エントロピーを排出しまくっているのです。結果、処理しきれないゴミが町や海を埋める現象も起きましたね(アホですか?)。全生命体の協力の上に生かされているというのに、生かされていることもわからずにただ一人傲慢に突っ走ってきたのが、特に産業革命後の人類です。
なぜそちらに突っ走ったかというと、エントロピー(熱力学)の概念を経済学が無視していたから。そこで、もう後がなくなってしまった今こそ、すべての学問や活動、施策の方向性を「人間社会の持続可能性」というベクトルで統一する必要があると思います。
室田氏は、「人間社会の持続可能性」について(氏は「地域の更新性」という言い方をしていますが)、次のように定義されています。
『エネルギーとエントロピーの自給自足的な再循環機能を営むこと』
そこで、エネルギーとエントロピーの自給自足的な再循環機能を営む地域のことを「持続可能地域」と呼ぶことにしましょう。
室田氏は、地球のエントロピーを増やさないためには、この「持続可能地域」の空間範囲は一定の下限に至るまで小さければ小さいほどよい、共同体の数は多ければ多いほどよい、と述べています。孤立してもまとまりを見せた馬場中山集落は200人でしたね。私の人事的体験から見ても、細かくフォローできるのは400人くらいまででしょうか。
ところで、「共同体」は、『血縁や地縁に基づいて自然的に発生した閉鎖的な社会関係』と辞書にありますので、互いに助け合う「共助体」という言い方に変えてはどうでしょうね。
★「無料」という優れた資源配分方法----------------------------------
持続可能地域の時間は、宇宙や生命のリズムとシンクロして流れます。
樹木の成長速度が、人間社会への燃料供給や用材供給のペースを規定します。植物の枯死と微生物の分解リズムが、堆肥の量と速さを規定します。
しかし、重油をたいた温室でトマトやキュウリを作ることは、人間と野菜の関係に内在する持続可能性を破壊する行為であり、「智恵」ではありません。このように、持続可能社会は、宇宙や生命のリズムに沿う社会なのです。
この宇宙のリズムを守るために工夫された智恵が、「入会地」(いりあいち:村落の持つ共有地―入会山、入浜、入海)です。
入会地からエネルギー源をとる場合、とってよい時期、各戸がとってよい薪や海草の量などを慣行によって定めることで持続可能性を確保しています。
大事な鍵は、それが「無料」であるということです。
なぜ無料であることが優れた資源配分方法であるのか?
それは有料にした場合どうなるのかを考えればわかります。
1、お金持ちが持続可能性の範囲を超えてエネルギー源を収奪する
2、金で山や浜辺を買い取り、エネルギー難民を生み出す
3、山や浜辺に人手が入らないことで崩壊や病が蔓延する(例:枯れ枝を燃料として拾わなくなった結果、松食い虫が繁殖し松枯れ病が蔓延)
4、燃料源を枯れ枝から石油に変えることで、山村のエネルギー更新性は破壊され、エネルギーを得るためにマネーが必要となる(エネルギーを有料とすることで、マネー獲得競争が激化したわけですね)
私たちは、太陽エネルギーと水のサイクルによって生かされています。
大自然から人類に提供されているエネルギーは「無償の贈与」です。
この、エネルギーは無償で万人に提供されているという宇宙の法則を人間社会に適用したものが「入会地」の制度であり、それこそが人間の「智恵」といえるでしょう。
★「結」という優れた労働配分方法------------------------------------
労働資源の配分も無料でした。
それが、「結(ゆい)」という制度です。
たとえば、井戸は水の自給自足にとって必須ですが、数年に一度は完全に排水して汚泥を取り除く作業が必要となります。この作業は一家族の手に余りますので、村落が共同作業で回りもちで行うのです。これを「井戸替(いどがえ)」と言います。
室田氏は、この方法を『仕事の異時点間の移転』と呼んでいます。
このように、「入会」や「結」といった「共助」によって、各戸の生活に必要なエネルギーは保障され、かつ他地域の収奪を必要としない自律的低エントロピー社会を実現したのです。
★エントロピーを国家指標にしよう------------------------------------
室田氏は、民俗学者宮本常一氏の著作を紹介されています。
『第一に、ほんとに困る家がなかったのです。困るようなことがあれば、村の共有山を利用することができます。山の中の村で、なんとなく落ち着きを見せて、心に残るような平和な感じのする所には広い共有林があります』
【宮本常一著作集第7巻】
『山を分けてもらった貧しいものは、すぐにその山をただ同様に売ってしまいました。そうすると薪一本でも買わねばならなくなります』
『そのような山を買ったのは、多くは町の金持ちたちでした。そしてそこへ杉などを植えることがはやりました』
『生活の貧しい人たちにとって、共有地は大切なものでしたが、手離してみるまでは、どんなに大切なものであるかわからなかったのです』
【同上】
意外に思われた方も多いのではないでしょうか。
近代以前のほうが豊かで、金経済が支配するようになって貧困が新たに作り出されたことがわかりますね。
室田氏は、近代化の本質を次のように指摘しています。
『近代化とは、私有と国有の領域が共有の世界を両側から削り取って死滅させることを意味する』
無料のものを有料化し、天然のものを人工化することが「経済成長」につながります。しかし、貧困が生み出され、富む人間は傲慢になり、社会は幸せから遠ざかっていきます。
なぜ、GDPを指標とする経済成長が人を不幸にするのかが、全生命体に共通するエントロピーという観点から見るとよくわかりますね。
もう、GDPに踊らされるのはやめにしましょう。
2つ指標ができれば、それを結んでベクトル(方向性)ができます。
GNH(Gross National Happiness)という指標ともう一つ。
GEE(Gross Entropy Emission)(総エントロピー放出量:適当な造語です^^;)をいかに少なくできるかを指標にしてはいかが?
1、命とエントロピー
1)生物は増大したエントロピーを体外に捨てる必要がある
2)開放定常系は開放定常系の中にしか存在し得ない
3)水の循環が開放定常系を保つ
4)原発は地球にとって癌細胞
5)日ノ本の国は、太陽の恵みに戻ろう(「米は石油の缶詰」)
2、水こそが地球の「絶対的富」
1)産油国アメリカが石油を輸入する理由
2)農家が「石油の缶詰」を作ることになった理由
3)石油が使い勝手がいい理由
4)公害が起こった理由
5)原発が「石油の缶詰」である理由
6)水こそが地球の「絶対的富」
7)原発が突きつけた水の本当の価値
8)「原発廃止」を決断せよ
ここでは、石油が低エントロピー資源であるために石油消費文明ができたこと、米も原発も「石油の缶詰」であること、水が地球最大の低エントロピー資源(絶対的富)であること、水と原子力は相容れないこと、原子力は開放定常系そのものを破壊すること―などを見てきました。
そして、それが証明されてしまったのが福島原発の事故でした。
人間という生命体も、その8割が水であるという「水の惑星」。
その「水の惑星」にあってはならないものが原子力なのです。
さて、脱原発の議論は、どのようなコミュニティを作っていくのかという議論に帰結します。政治は、震災後の東北をただ復旧する(旧に戻す)のではなく、持続可能な地域のモデルとして提示していかなければなりません。そして、前項の記事『感動!馬場中山集落に見るこれからの日本の進む道』の中で、「共助」が重要であり、かつ地域再生の鍵を握ることを書きました。
「共助」が何より大切であることを、室田武氏はエントロピー論的に書かれていました。私は、室田氏を復興計画の責任者に加えてほしいと思いました。以下、抜粋です。
★持続可能の鍵は低エントロピー「共助体」----------------------------
『生物は増大したエントロピーを体外に捨てる必要がある』ため、『開放定常系』となっています。そして、『開放定常系は開放定常系の中にしか存在し得』ません。
だから、開放定常系たる地球がエネルギーの収支バランスを崩して汚れ(エントロピー)を捨てきれなくなると、地球上のすべての生命体は息絶えるわけです。
そこで、エントロピーを増やさない工夫が生命体としての「智恵」となります。地球上の大気・大海・大地のエネルギー循環、そして鉱物・植物・動物に至る生命循環のすべてがエントロピーを低減するための活動をしています。
が、一人人類という種だけが、それらのものを“資源”として利用して高エントロピーを排出しまくっているのです。結果、処理しきれないゴミが町や海を埋める現象も起きましたね(アホですか?)。全生命体の協力の上に生かされているというのに、生かされていることもわからずにただ一人傲慢に突っ走ってきたのが、特に産業革命後の人類です。
なぜそちらに突っ走ったかというと、エントロピー(熱力学)の概念を経済学が無視していたから。そこで、もう後がなくなってしまった今こそ、すべての学問や活動、施策の方向性を「人間社会の持続可能性」というベクトルで統一する必要があると思います。
室田氏は、「人間社会の持続可能性」について(氏は「地域の更新性」という言い方をしていますが)、次のように定義されています。
『エネルギーとエントロピーの自給自足的な再循環機能を営むこと』
そこで、エネルギーとエントロピーの自給自足的な再循環機能を営む地域のことを「持続可能地域」と呼ぶことにしましょう。
室田氏は、地球のエントロピーを増やさないためには、この「持続可能地域」の空間範囲は一定の下限に至るまで小さければ小さいほどよい、共同体の数は多ければ多いほどよい、と述べています。孤立してもまとまりを見せた馬場中山集落は200人でしたね。私の人事的体験から見ても、細かくフォローできるのは400人くらいまででしょうか。
ところで、「共同体」は、『血縁や地縁に基づいて自然的に発生した閉鎖的な社会関係』と辞書にありますので、互いに助け合う「共助体」という言い方に変えてはどうでしょうね。
★「無料」という優れた資源配分方法----------------------------------
持続可能地域の時間は、宇宙や生命のリズムとシンクロして流れます。
樹木の成長速度が、人間社会への燃料供給や用材供給のペースを規定します。植物の枯死と微生物の分解リズムが、堆肥の量と速さを規定します。
しかし、重油をたいた温室でトマトやキュウリを作ることは、人間と野菜の関係に内在する持続可能性を破壊する行為であり、「智恵」ではありません。このように、持続可能社会は、宇宙や生命のリズムに沿う社会なのです。
この宇宙のリズムを守るために工夫された智恵が、「入会地」(いりあいち:村落の持つ共有地―入会山、入浜、入海)です。
入会地からエネルギー源をとる場合、とってよい時期、各戸がとってよい薪や海草の量などを慣行によって定めることで持続可能性を確保しています。
大事な鍵は、それが「無料」であるということです。
なぜ無料であることが優れた資源配分方法であるのか?
それは有料にした場合どうなるのかを考えればわかります。
1、お金持ちが持続可能性の範囲を超えてエネルギー源を収奪する
2、金で山や浜辺を買い取り、エネルギー難民を生み出す
3、山や浜辺に人手が入らないことで崩壊や病が蔓延する(例:枯れ枝を燃料として拾わなくなった結果、松食い虫が繁殖し松枯れ病が蔓延)
4、燃料源を枯れ枝から石油に変えることで、山村のエネルギー更新性は破壊され、エネルギーを得るためにマネーが必要となる(エネルギーを有料とすることで、マネー獲得競争が激化したわけですね)
私たちは、太陽エネルギーと水のサイクルによって生かされています。
大自然から人類に提供されているエネルギーは「無償の贈与」です。
この、エネルギーは無償で万人に提供されているという宇宙の法則を人間社会に適用したものが「入会地」の制度であり、それこそが人間の「智恵」といえるでしょう。
★「結」という優れた労働配分方法------------------------------------
労働資源の配分も無料でした。
それが、「結(ゆい)」という制度です。
たとえば、井戸は水の自給自足にとって必須ですが、数年に一度は完全に排水して汚泥を取り除く作業が必要となります。この作業は一家族の手に余りますので、村落が共同作業で回りもちで行うのです。これを「井戸替(いどがえ)」と言います。
室田氏は、この方法を『仕事の異時点間の移転』と呼んでいます。
このように、「入会」や「結」といった「共助」によって、各戸の生活に必要なエネルギーは保障され、かつ他地域の収奪を必要としない自律的低エントロピー社会を実現したのです。
★エントロピーを国家指標にしよう------------------------------------
室田氏は、民俗学者宮本常一氏の著作を紹介されています。
『第一に、ほんとに困る家がなかったのです。困るようなことがあれば、村の共有山を利用することができます。山の中の村で、なんとなく落ち着きを見せて、心に残るような平和な感じのする所には広い共有林があります』
【宮本常一著作集第7巻】
『山を分けてもらった貧しいものは、すぐにその山をただ同様に売ってしまいました。そうすると薪一本でも買わねばならなくなります』
『そのような山を買ったのは、多くは町の金持ちたちでした。そしてそこへ杉などを植えることがはやりました』
『生活の貧しい人たちにとって、共有地は大切なものでしたが、手離してみるまでは、どんなに大切なものであるかわからなかったのです』
【同上】
意外に思われた方も多いのではないでしょうか。
近代以前のほうが豊かで、金経済が支配するようになって貧困が新たに作り出されたことがわかりますね。
室田氏は、近代化の本質を次のように指摘しています。
『近代化とは、私有と国有の領域が共有の世界を両側から削り取って死滅させることを意味する』
無料のものを有料化し、天然のものを人工化することが「経済成長」につながります。しかし、貧困が生み出され、富む人間は傲慢になり、社会は幸せから遠ざかっていきます。
なぜ、GDPを指標とする経済成長が人を不幸にするのかが、全生命体に共通するエントロピーという観点から見るとよくわかりますね。
もう、GDPに踊らされるのはやめにしましょう。
2つ指標ができれば、それを結んでベクトル(方向性)ができます。
GNH(Gross National Happiness)という指標ともう一つ。
GEE(Gross Entropy Emission)(総エントロピー放出量:適当な造語です^^;)をいかに少なくできるかを指標にしてはいかが?