すべての人が、今、選択を迫られている
16日の「モーニングバード!」では、京大原子炉実験所の小出裕章氏と環境ジャーナリストの小澤祥司氏に対して玉川徹がいつものごとく突っ込んだレポートをしていました(数あるニュース番組の中でも、玉川徹の突込みが群を抜いて面白い)。
前出のガンダーセン氏もロシア・トゥデイのインタビューで核炉を密閉する対策について“無駄でしょうね”と言い、『上に蓋をしても地下から流れ続けるということです』とその理由を述べていましたが、小出氏はさらに悲惨な見方を冷静にしておられます。
メルトダウン:燃料棒が溶けて圧力容器の底に溜まること
が、発覚したと思いきや
メルトスルー:圧力容器の底が抜けて格納容器の底に溜まること
という聞きなれない言葉が登場し、でも実態はもしかすると
↓
チャイナシンドローム状態:ドロドロのウランがコンクリートの建屋も溶かし、地面を溶かし、直接水と接触して地下水内や海に流れ出している状態。上からいくら水をかけても、上部に“かさぶた”ができるだけ。2800℃の“溶岩”を冷やすことはできない。
(と言っても溶岩の温度は普通900度から1100度くらいだそうです・・いやはや、若い頃に見た映画「チャイナシンドローム」が“現実”になろうとは)
つまり、言わば↓のようになっているわけです(温度は下の2.5倍)。
これを食い止める策は?
小出氏も下記のガンダーセン氏と同じ意見でした。
『私は日本の人たちにも話をしてきたのですが、原子炉のまわりに堀を巡らせるのがいいと考えています。岩盤に達するまで20mくらいの深さに掘り、幅は1.5m程度。そして堀をゼオライトという物質で満たします。ゼオライトは放射性物質を吸着する能力が高いので、放射線が外部に放出されるのを防いでくれます。なぜまだそうしないのか、理解に苦しみます』
★「故郷を捨てるか、汚染されながら住み続けるか」の悲劇的選択--------
チェルノブイリの強制避難区域を福島に当てはめると下記のようになるようです。

その地域について、小澤氏は次のように述べています。
・そこが、年間1msvに戻るには100年以上かかる
・これは彼らには責任のないことで、一方的に汚染をされてしまった。本来だったらあそこでずっと老後を迎えて、静かに一生を終えることができたし、そこで子育てもできた。故郷にいつかは帰ろうと思って村を出て行った人もいる。彼らも帰る故郷を失うかもしれない。そういう理不尽さをあらためて今回の汚染に関しては強く感じる。
小出氏は次のように話されました。
・何十万人の人がたぶん戻れない。でも本当にそんなことでいいんだろうかということで、そこで私は立ちすくむ。そこに残れば被曝をしてしまう。それも大変酷いことだと私は思うけれども、でも、そうだからと言ってその人たちを別の所に移すということは、またものすごい悲劇だと私は思う。
どっちにしてもすごい悲劇ということが…、いやおうなく「選択しろ」と今、言われている。
「戻れないことを報道で伝えることは、他の番組でもない」とコメンテーターの方が番組の姿勢を評価されていましたが、「事故を過小評価しても希望には繋がらない」という玉川徹氏の言う通りだと思います。
(ガンダーセン氏も「事態を軽く発表していれば状況は悪化するばかりです」と述べていましたね)
これまでコマーシャルのスポンサーに牛耳られてきたメディアですが、未曾有の国難に際して、ようやくジャーナリズムが復活してきているのかもしれません。頑張れ玉川徹。
★「ハラスメント界を捨てるか、汚染されながら棲み続けるか」の選択-----
ところで、『いやおうなく「選択しろ」と今、言われている』のは、強制避難区域の方々だけではありません。
たとえば、限界ギリギリで苦しんでいる子を持つ親。
その方々も、『わが子をとるのか、自分の親を取るのか「選択しろ」と今、言われています』。
それは、実在の親のことではありません。
あなたの中の小さいちゃん(インナーチャイルド)をとるのか、脳内親(インナーペアレンツ)をとるのか、ということです。
この選択をするに当たってはとても苦しみます。ICを選択したときに、これまでの生き方はぶち壊れ、積み上げてきたものは瓦礫の山となります。が、悲劇的な選択ではありません。何もかも失うように見えるけれど、すがすがしい自分が残り、IPは自分の武器(個性)となります。
ただ、そのときに親・親族・友人が棲んでいるハラスメント界を去ることになります。その孤独を見たくないがゆえに、IPに“汚染”されながら棲み続ける人が多いのです。(Pが歪な場合、交流分析では「P(ペアレント)がA(アダルト)を汚染する」と言います)
けれど、ICとつながった自分は一人ではありません。そして、自律した人々と一緒に本当の豊かさを手に入れていくでしょう。
★事態を軽く見ないこと=自分を軽く見ないこと------------------------
しかし、人はどこまでも逃げ続けようとしますから、身にしみて危機感を感じなければ自分の生き方を変えようとしません。それが苦しく辛い生き方であっても、人生脚本のレールの上をひた走っていきます。そして、人のせいにしたり、あれこれと理屈をつけて「選択」から逃げ続けています。
しかし、
自分の心身がボロボロになったり、爆発したり、
わが子の心身がボロボロになったり、爆発されたりして、
ようやく「選択」に向かいます。
どの時点で「選択」に向かうのでしょうか?
原発を立てる前?
プラント内で隠せる事故があったとき?
隠せないような事故があってもカネの力でそれを隠蔽したとき?
それが暴露されても、理屈(御用学者)でそれをそらしたとき?
大爆発が起こったとき?
メルトダウンしたとき?
メルトスルーしたとき?
チャイナシンドローム状態になってから?
…それでもなお、その現実を軽視する?
家族の問題も、全くこれと同じです。
事実を直視せず、事態を軽視している間に、心身の病→家族崩壊→自殺他殺→無差別殺人などへと被害は拡大していくのです。
被害を拡大しないためになすべきことは、見たくない事実を直視し、理屈を持って事態を軽く見ようとしないことです。
そのために第一番にやるべきことは、自分が体験してきた事態を軽く見ないこと。事態を軽く見ようとするのは、問題があるのに「問題はない」と言い張る企業と同じく、逃げ続けたい人の心理です。
自分はとても大変だった、その中で自分はよく頑張ってきた、よくやった、そのように自分を認めること―そこから初めて下さい。
あなたが真に自分の大変さを認識したとき、自分に関わる人々の危機的状況を認識できるでしょう。そして、自分を救わなければ、自分に関わる人を救えないことがわかるでしょう。
そして、そういう人が一人でも増えていくことが、この壮大な共依存体系の世界(ハラスメント界)を変えていくことになります。原発依存がいかにバカバカしいことなのかが自然に認識されていくでしょう。
どうか、お一人おひとりが今、自分の中にいる小さいちゃんを救い出してください。それこそが、今最も勇気ある行為であり、地球を救うことに直結する行為なのです。
私は、美しい大自然の中で
自律した人々が豊かに暮らしている地球を夢見ています。
【より子 「それでいいのですか?」】