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読書感想「離婚裁判」(2)-英一郎の場合

2006/05/09(Tue) Category : モラハラ(モラルハラスメント)
「加奈子の場合」の続き-


彼もまた、自分が全的に生きられないことにおいては加奈子と同類だった。
勉強もスポーツも小さい頃から抜きん出ている英一郎。特殊な商売をしていた父は、子が「天才児」と騒がれて目立つことを怖れ、スポーツでも勉強でも全力を出させず、適当にやって“普通”にふるまうことを強制した。

常に自分を抑制し、世間に自分を合わせなければいけない。その不満を全てぶつけられるのは、唯一、家の中の世界だけだった。そういう英一郎と自責癖がついてしまった加奈子との取り合わせは、まさに「割れ鍋に綴じ蓋」。彼は、家の中では“神”として君臨した。…

現代日本は、能力のあるなしで人を評価する。そして、その能力を使って金を稼いだ人が幸福だと思っている。ところが、金を持っている人も含めてシアワセそうな顔をしている人は滅多にいない。今や、「1億総不幸」の時代のようにも見える。



なぜか?


自分が自分らしく、全的に生きられないからだ。



加奈子は社会の壁に囲まれ、人間性まで否定された。(どこかの国のお妃のようだ)
英一郎も社会の壁に囲まれ、逸脱を許されなかった。

2人とも、全力で生きていない。
これは、とてもつらいことだ。

全力を尽くさないと、得るものがないからだ。
全力で生きてはじめて、生きる手ごたえがあるからだ。


つまり才能やお金があっても、加奈子も英一郎も生きていないのと同じなのである。
加害者と被害者に別れた2人だが、2人とも規制だらけのこの社会の「犠牲者」である。

犠牲になりたくなければ、人に合わせて自分の思いを我慢するのではなく、思いは思いとして人にきちんと伝えていく。そして、相手がどうするのかは相手に任せ、その思いには執着しない。
そういう自分も相手も大事にする大人のコミュニケーションが大切だ。

そういうコミュニケーションの仕方を日本人は学んでいかなければならないと思う。

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