存在不安が強い人の家の結界 5幣殿―親(神)に捧げているわが身
さて、境内に入ると
幣殿(神さまにお供え物をするための建物)、
拝殿(参拝する建物)、
本殿(神殿:神体が安置される建物)、
別宮(荒御霊を祭る建物)などがあります。
家の中では居間が境内(胎内)。
そこにある棚や家具などが建物(○○殿)に当たります。
★幣殿(へいでん)-------------------------------------------------
あるお宅では、パイプラックに白い布がかけてありました。
なくてもよさそうなのですが、なんとなく埃除けと言います。
が、それは取ってつけたように思えます。というのも、効果があるようには思えないからです。
面白いのは、その布の上に魚の形の浮き袋がポツンと。
夏じゃないのに、な~ぜ~?
→これもまた、なんとなく、と言うのです・・・。
そしてふと目に止まったのが、その棚のある壁の上方に、“何か”があること。神棚のように見えますが、和式のそれではありません。
聞けば、くれるというので断るのも気が引けてもらったはいいが、どこに飾ろうかと考えあぐねてそこに飾ったと言います。
な~るほど。「ピン」ときました。
これは幣殿だ。
「飾ってあるあれが神様で、あの魚はお供物なんですね~」
と、そういうことを言うとピンときたようで、すぐにその方はさっさと片付けをはじめました。これだけすぐに行動できるということは、その方のチャイルドは分かっていたのでしょう。
でもIPに支配されていて、「なんとなく」操られていたわけです。
このように人は無意識にIPに操られて生きていますが、援軍を得て行動することができたわけですね。
さて、この場合の神とはもちろん親(あるいは、そこにつながるもの)。
親にかしずいているわけですね。
亡くなった親を祭るには仏壇があります(次項で出てきます)が、この場合は生きている親(生霊)を祭っていたわけですね。
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ところで、魚(イルカ?)をお供えしているのが面白いなぁと思いました。
その魚(シャチ?)の浮き袋は小さな子どもほどの大きさがありましたので、ふとカジキ漁(老人と海)を思い出しました。
漁師がカジキにモリを打ち込みます。
カジキが元気なうちは、どんどんロープを伸ばして好きに泳がせます。
そして、カジキが疲れ果てて力がなくなったときに、ロープを手繰り寄せるのです。
同じように、親は子どもの頭にモリを打ち込んでいることを知っています。
だから、子どもが反抗するうちは好きに泳がせます。どんなに遠くに離れていっても、所詮逃げられないことが分かっているからです。
そして、子どもが疲れ果てたとき、おもむろにロープを手繰り寄せるのです。
このようにして、親に反発していた子どもが回帰してくることはよくあります。
たとえば、上記事例のように、親から離れて独立していても、IP(頭に打ち込まれたモリ)に支配され続けているわけですから、エネルギーは奪われ続けているわけです。家事ができなくなったり、引きこもったり、鬱になったりするのも無理からぬことですね。
あの魚は、まるで親に身を捧げているご本人のようにも見えました。
ところで、「老人と海」では、孤独な老人につかまってしまった雄雄しきカジキは、港に帰る途中で腹ペコのサメたちに襲われて、たどり着いたときには骨だけになってしまいます。
同じように、孤独な存在不安の親に囚われてしまえば、ハラスメント界のサメ(ハラッサー)に食い尽くされて、骨だけになってしまうかもしれませんね。それとも、自分がサメに変身するか・・。
けれど人は、打ち込まれたモリ(IP)を自分で抜くことができます。
上記の方も、食べられることもサメになることもなく、人となって自由の海を泳ぎ始めるべく自分と闘っておられます。