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存在不安が強い人の家の結界 8別宮―インナーチャイルドの祭壇

2011/12/03(Sat) Category : 結界
【存在不安が強い人の住む家】8

★別宮(わけみや)----------------------------------------------

別宮とは、荒御霊(あらみたま)を鎮めるためにお祭りしてある所。
別宮の一例は、まず下記記事の「インナーチャイルドの祭壇」の項をご参照下さい。
感情を閉じ込める家(部屋)の結界を崩そう

『荒らぶる神は、納め、奉り、癒す』と書いたとおり、ICの象徴となるような絵や写真を額に納めて飾り奉り、かわいい人形や子供の絵、観葉植物、あるいはヒーリングミュージックなどで癒しています。


あるお宅で、あまり使われていないという客間を通ったときのこと。
応接セットの応接ソファ側に、使われていない座布団などが整然と並べられていました。その配置が面白かった。

中央に円形の座布団。
その両脇に四角形の座布団が数枚づつ。
重ね置きではなく、こちらの正面を向いて立ててある。
きちんとしたシンメトリーをなし、おや祭壇だ、と思いました。

中央にある円形のものが鏡でありご神体です。
手前にある応接テーブルは拝殿、もしくは賽銭箱のようなもの。

ふっと後ろを振り向くと、そこの壁際の棚の上には石などに囲まれた写真がありました。スピリチュアルなものに興味があるようです。

なるほど・・・ICは本殿にお祭りして、スピリチュアルな方向で救われたいという思いがあるようです。けれど、スピリチュアルな興味や能力と、ICを救うことは別物なのです。



思考依存の方が思考の中に逃げ込むように、
スピリチュアル依存(?)の方は、時に前世や過去生に逃げ込むこともあります。(本当に、人はどこまでも逃げようとするのです)

それはそれ。
今、肉体を持って生きている私たちのICは、現世での親子における感情を表現したがっています。

思いの根っこにあるのは愛。
それを表現しないままに死ぬわけにはいかないのです。





さぁ、荒御霊(IC)を封ずる結界を壊して、
インナーチャイルドを解き放ちましょう。

それは時に、大震災を引き起こすかもしれません。
あなたが作り上げてきた虚構の自我は崩壊するでしょう。

怖いですか?


けれど、ココロに鍵を掛けたまま生きることは
鼓動を止めたまま生きること

それでいいのですか?


インナーチャイルドと和解したとき、
優しく笑える日々が、そこにあります。


始まりの日はいつでもすぐ始められるよ
だって
ココロの鍵は、あなたがずっとその手のひらに隠しているでしょう?





【より子 「ココロの鍵」】







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助けて下さい。僕の体と心が悲鳴をあげてます。

 

んー…すみません

なんだろう、怒りを感じました。
なんかちがうとおもった。

そういうときは、親との思い出に怒りのもとをさがす。
けれど、届かない、そこにはふれられない。
脚本ちゃんが守っている。
ただほんのり苦しい。そしてかすかな怒り。
意識的な私は、何故なのか知りたい。
何故なのか知りたいあまりに思考にシフトしてしまう。

スピ依存、逃げている。
ここにひっかかりを感じている。
逃げに終わるものにあらずと。
外骨格であると同時に、ピュアで自然なものを求める心のあらわれでもあった。
ほんとうを求めるSOSだった。

なら、私にとっての「○○依存」というのは?
好きなものを○○依存と決めこんで取り上げようとするのは、彼女のやり口だった。
妹にさんざんやってた。
私から見たら、ぜんぜん依存じゃなかった。
そんなの実際は母にも私にもわからない。

思いつくのは、そこまでで、直接の思い出にふれられない。
苦しいです。
だけど、その苦しみがサインだと知ってる。
だから押さえ込まない。

ここのブログの「依存」と母の使う「依存」の意味は全くちがうと思う。
母の場合は、子の意識のベクトルを母からそらすものを依存と言っていただけ。
ここの場合は、自分の意識のベクトルを自身から過度にそらすものと私は捉えている。
だから子供が、ただふつうに楽しんだりなぐさめられたり癒されたりしているものには、依存という言葉は使われない。
そう思う。

そこに関わる怒りにふれた、今わかるのはそれだけ。

 

スピリチュアル依存で思考依存でした。
おまけにニコチン依存で共依存。
ニコチンはだいぶ前に抜けましたが、
共依存からもまだ抜け出せていません。
また思考依存の癖もまだまだ抜けませんね。
どちらを選ぼうが大した差もないような事について、真剣に考えすぎて頭が疲れてはっとする時があります。過集中、というのでしょうか。

 
    
 
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