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楽しんで生きる姿が希望を与える

2012/01/03(Tue) Category : 家族小景
1日に関東では地震がありました。
元旦早々さっそく心構えが来たな、という感じでした。

長~い揺れで、深いところで何か起こっている感じ。
深層で何か起こるということは、それがやがて表層に現れてくるということ―心と似ていますね。


心のコップが満杯のときは、溜まったマグマが溢れて地震を繰り返します。
それが、噴火や激震であっても、それは表層に起こる浅い地震。

けれど、深層に封印されている気持ちがあふれ出したとき、
それまでの地震とはレベルを異にします。

一挙に覚醒し、これまで立っていた自分の地盤は崩れ去り、
混乱と混沌を経て、気づけば新たな地盤に立っています。

思い込みで生きてきた虚構の地盤は既に水底。
しかし何が起ころうとも、心という本物の地盤の上に立つあなたは不思議と穏やかな気持ちでいられるでしょう。

このように、深層からの動きは「地盤交代」をもたらすのです。

カウンセリングでも、「一気」に覚醒する場合があります。特に最近は。地球の動きに人が連動しているのかもしれません。




人の内部で、自分がとらわれていた古いシステムが崩壊していくということは、人々が共同幻想で作り上げた現代家族システムも、社会システムも、国家システムも、宗教システムも、市場経済システムも・・・崩壊していくということです(既に現実化していますが)。

これから、それがどんどん目に見えてくるでしょうから、「自分の外」ではいろいろなことがあるでしょう。それらに惑わされることなく、挑発されることなく、常に「自分の心の内側」と対話すること。崩壊しゆく外側に答えを求めても、そこに答えはありません。

そして、自分と向き合いながら、
日々も気持ちの赴くままに生活を楽しみましょう。




昨日は、「世界1のSHOWタイム」を楽しみました。
「日本人って、スッゲー!」を連発しながら見ていました(^^;)。

何より、みんなが心から楽しみながらやっているのがいい。
そして、型にとらわれず好き勝手にやっているのがいい。

天才ジャズピアニスト奥田弦(10歳)君のくったくない笑顔にしびれた。
千手観音ドラマー神保彰(52歳)さんが、乱れ打ちするとき笑っているのがよかった。

自分が楽しんでいる姿が、見ている人を楽しませるよね♪

そして、
生きる希望と勇気をもらうよね(^^)




それに、「応援したい」からお金を出す。
このギャラシステムも面白かったね~。

朝ドラの「カーネーション」で描かれていた、ほんのわずか前の戦前の日本。私がミシンを教える代わりに、私に謳いを教えて下さい―っていう「出来ること交換」で生活しつつ互いを高めあっていく時代。

自分ができることで人に喜んでもらいつつ、支えあって生きていく。
市場経済が崩壊すれば、このような時代に戻るだろうね。



いろいろなことが混沌として進んで行くように見えますが、
要は「自分はどこに行きたいのか?」です。

そのためには、自分の気持ちとつながること。
そして、チャイルドと対話して行く先を決めて下さい。



楽しんで生きましょう!






【世界1のSHOW タイム  ☆KAWAMURA BAND】

・明日へのマーチ
・希望の轍
・明日晴れるかな
・みんなのうた




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我が子を一人前に見せようとする親って、子供を通して自分を一人前に見せようとか、体裁を取り繕おうとかしているように思ってしまいます。まさしく私の親の口癖が「体裁が~」とか、そんなんばかりだったので。ある程度の年齢に達してしまったら、子供の人生は子供の人生だと思うんですけれどね。勝手にあれやこれやと人生のハードル上げられて、それをクリア出来なかったら人間のクズと言わんばかりにこき下ろされて。それが当然と過ごしてきたけれど、やっぱり私の人生は私のものだもの、誰かの思惑に振り回されるなんて、嫌です。
相も変わらず自分の価値観を押し付けてくる大人がいますけど、私は私って開き直ってます。人様に迷惑掛けてる訳じゃなし。

 

わかってほしいとは言いませんが

皆さんのコメントを読んでふと思うこと。
「お願いだから自分の思うペースで生きさせて」
二週間前に「お見合い」をしました。その時に「親切」を押し売りしてくる集団にほとほと参り、悔しいやら、情けないやらで文字通り涙を流して一時期情緒不安定に陥りました。
結局フィーリングが合わずお断りしたんですが、私が一人でいるからといって「かわいそう」と思わないでほしいなと思いました。私は私なりに考えて生きているつもりなのに。
私を結婚させてどうにか「一人前」に見せようとしている意図が見え見えで叫びたくなるほど。
普段が悪い人じゃないだけに余計に困った。
まず私がその人たちの手を離して「自律」をしないとな。

 

追加です。

お節介ばばあに遭遇した時 敵はお節介ばばあではありません。
またお節介の基準も自分不快基準で、固定化されません。
自律した人は 怒りません。「おもしろ~い」と言います。
キミマロ視線の愛かもしれません。
「中高年 毛がない 歯がない 先がない」
勝手に世話やいて幸せ~の世話なし妖怪。

 

親切の押し売りを書いた匿名です。爆
何回出してんだぁ。汗

私は親切の押し売りの味方ではありません。
内容が上手く伝わってない感じです。
個人の脳内現実の読み方に変換されてるかもしれません。
コンガラガッちゃんちゃん。
心にお笑いを。

 

色々思うこと。

年末、主人の実家で不幸があって参列しました。話には聞いていたが、そこに集まっていた親戚のコジキっぷりに辟易…。金銭的な事もそうだけれど、わざと嫁である私を怒らせようとアレコレけ仕掛けてくる。かまってほしいってのが見え透いたその振る舞い、あぁー、これがストローク食乞か。同じ土俵に乗ったら負けだと、挑発に乗らないようスルーしましたが。
家に帰れば帰ったで、今度は実母。実妹が、育児しながら仕事している事に関して会社にニラまれている、かわいそうだ、と。は?何が?子供の面倒は母に任せっきりなのに?意味がわからない。ただ単に、覚悟が足りないだけじゃないか。妊娠中から今日まで、実母と実妹に意地悪されて、家に頼らず自力で生きてきた私に言わせれば、会社にニラまれて済んでるだけでよかったわね、私は会社にニラまれたし、あなたたちにも意地悪されて今日まできたのよって喉の奥まで出かかったけれど、これってやっぱり挑発かなと思ってグッと飲み込み我慢しました。
もうね。年末から新年にかけて何なんだ、と。旧正月前に膿出しなのかなー。

前のコメントにあった、親切の話は興味深いですね。私も昔は少なからずそういう部分があったかも…。実母や実妹の何が気に入らないかというと、周りの人を潰してまで自分が前に出るところ。少々鈍臭い私は、気が利かないとか色々悪く言われていたけれど、かえって出すぎるのも嫌味なんじゃないかな…。立派な御手紙やなんかも、人によっては堅苦しい、重いって感じるし。自分をよく見せる事だけ考えて、相手を立てるって事をしないし、それで大事な人(その場の主役たる人)の面目を潰してしまったり。
あと、お節介が過ぎる人って、その相手の自立の機会を奪ってるのでは…。少し前は親切が美徳と教え込まれていたのでそれが当たり前のように思っていましたが、最近は考え方が変わりました。親切の押し売りをしてくる人って、逆に自分が何かしてほしい時は親切をしてあげた事を持ち出して、その親切以上の無茶苦茶な頼み事してくるし…。自分の周りの大人(主に親や親戚)がそんな調子だったので、贈り物とかホント重荷でした。
ここ2、3日のコメント欄の内容は色々考えさせられましたね…。

何だかとりとめのない内容になって、申し訳ありません…。

 

地震と言えば

地元の大きな神社には、要石という有名な石があります。
おおナマズの頭を押さえつけて封じているそうです。隣の県に、ナマズの尾を押さえた要石があります。
とても豊かな自然どころで、大好きな場所です。
くうつうつしたりモヤモヤしたりすると、散歩に出かけてました。
しかし、そこには大きなナマズを踏みつけた神さまの像があって、それがチャイルドとペアレンツに思えてきていて、なんとなくいやだったんですよね。

そこの警備員さんとのやりとりで、ちょっと疲れてきたから、お参りはしばらくは行かないことにします。
最初は行くと毎回ちょこっと話しをするくらいでしたが、だんだんナンパに近い様相を呈してきたので。
彼いわく、私に神社の蘊蓄を「教えてやってる」らしい。
神社は好きなので、知識が増えるの嬉しいが、今は私は一人静かに歩きたい。蘊蓄を求めてここに来ているわけではない。
私も「聞いてあげてた」内心イライラ、外面ニコニコで。

とっとと、一人で歩きたいので、では、とその場を離れない私も甘い。
そうした方がお互いに優しいんだよ。

ある日、手ぶらで気分よく歩いていたら、ミカンとパンフを頂戴した。
このくらいならいいかな、と受けとったものの、少し後悔。
いただいたモノのありがたみより、手がふさがるうっとおしさなほうがまさってた。

ああいった手合いの人たちって、手透きのところを狙いすましたようにモノをくれますね。
相手が求めていないのに「よかれと思い込んで」「してやってる」親切は、十分なハラスメントになるなあ、という好例だと思った。
好意のつもりでも、そのうらに「私を認めて、受け入れて」という見返りを求める思いが隠れてるなら。
やられた方は、ありがたさより、苛立ちを覚えるが、それさえ、感謝のできないわがままで傲慢な人間なんだ自分…はとか、罪悪感を持ったりもするわけで。

いや、いらない、ばいばいきーんでオッケイなんだ本来は。
カオナシって、あんな感じなのね。
いや私もだいぶソレだが。

しかし、私も一気!!したーい。
びびりなんで、いつも搦め手ちびちびこっそりそーっとが常態なんてす。
わが人生猫パンチ。そんなんじゃ生きてる意味ないなー。
思いきりたい。

 

地震が来る前は

変なテンションの高さとしんどさ息苦しさがあって地震が起こるとそれがゆるみます、311のあと気付いたんですけど。
大地と体が繋がってるのを実感します。
だから地震が来るのは怖いんだけど、くるとまた少し楽になるので変な感じです。
体の感覚としてこれからそんなに大きな地震は来ないような気がしてるんですけど、どうかな。
地震じゃなくて他のことのような。
わかりませんが・・・。
でも自分の感覚を信じて行動していれば大丈夫な気がしています(自分の感覚を信じて!なんてそんなにも気張らなくて全然いい感じというか)。
震災の前から今までの自分に起きていることを見ていると、何も考えてないのにちゃんと勝手に整ってるというか。
考えない方がむしろいいというか。
なんか良くわからないけれど命の営みみたいなもののすごさというかとてつもなさというか。
自分がそのわからないものに生かされているというか、守られているというか。
ただただありがたいというか。
だからもっとそれに生かされちゃおうかなとか守ってもらっちゃおうかななんて。
全然嫉妬とか怒りとか湧いてくるんですけど、かなり思い込みが激しいから。
そこのところで惑わされたり挑発されちゃうから中尾先生が言うように気をつけて生きたいと思います。
コメントすることでも気付くこととかありますね。
やっぱり行動するっていうのは大きいなと実感します。

 
    
 
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