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変えようとするのではなく手放そう

2012/01/05(Thu) Category : 自律(自由と責任)への道
あるブログに次のようにありました。

『古いシステムは変えられません

古いシステムを手放すのです』


『古いシステムを手放せないから、古いシステムを変えようとする方向に向かってしまうのです。

古いシステムを手放し、新しいシステムへ移行するだけのことです』






このことは、人が家族から自律するときにも言えることですね。

家族も一つのシステム(系=相互に関連するものからなる全体)です。
そして、全てのシステムは一つの生命体のごとく、ホメオスタシス(恒常性=生体の状態を一定に保つ性質)を持ちます。

男女が共依存で結婚した場合、互いを道具にしあう関係ですから互いの関係は固定化されて成長は止まります。つまり、「変化しないという家族ホメオスタシス」を持つわけです。

そのことをこのブログでは「価値閉塞系」と呼んだりしていますが、生命のあり方としての「開放定常系」に対する言葉ですので、「閉塞固定系」と言ってもよいかもしれません。

そこに子どもが生まれると、親にとっては変化成長していく“子ども”という存在自体が脅威になります。また、存在不安から逃れるために、子どもを閉塞固定系の中に固定(=変化しうるものを不変にすること)もしくは鋳型成形しようとします。

子どもは成長するに従って、その固定される苦しさから逃れようと逸脱して問題児とみなされたり、心身に症状を起こしたりするわけです。それらの問題を起こしている人をシステムズアプローチではIP(インデックスパーソン:指標となる人)と呼びます(このブログではIP=インナーペアレンツとして使っていることが殆どですので、紛らわしくてスミマセン)。

インデックスパーソンは、この家族(システム)は閉塞固定系になっているよ、と訴えているわけです。同時に、そのインデックスパーソンの問題が維持されているということは、そういう形でインデックスパーソンも家族ホメオスタシスの維持に一役買っているということです。



そして、そのように維持し続けることに疲れ果て、打つ手がなくなった(=逃げ場がなくなった)時、“気づき”のチャンスが訪れます。気づくとは、自分を取り巻くシステム(環境)が見えるということ。目が覚めるということ。

目が覚めたインデックスパーソンは自律に向かい始めるわけですが、インナーチャイルドを眠らせておきたい家族にとっては大迷惑。一人の変化は、それまでの家族ホメオスタシスに変化を与えることになり、他の家族メンバーの不安を呼びさますことになります。

ですから、家族は総力を挙げてインデックスパーソンの足を引っ張り、元に戻して固定しようとします。ここに葛藤が巻き起こるわけですが、この時最も難敵となるのが、インデックスパーソン自身の家族メンバーに対する執着なのです。

『古いシステムを手放せないから、古いシステムを変えようとする方向に向かってしまうのです』―そう、これですね。



子は親に自分のことをわかってほしいと思っているし、何より親に幸せになってほしいと願っています。ですから、親の無意識の意向をキャッチして、そこに思い込みも大いに交えて人生脚本を作り上げ、それが「不幸になれ」という人生脚本であろうとも、その上をただひた走ってきたわけです。

その親のために頑張ってきた「脚本ちゃん」が、家族(システム)を手放せないんですね。で、家族(システム)を変えていこうとするわけですが、自分のことをわかってほしいと相手に押し付けるのはエゴですし、今の親の姿が不幸だとみなすのは価値の押し付けです。

それを相手に迫っていくことは相手にとっては脅威であり、破壊行為なのです。そのためバトルはエスカレーションして「仮面の家」のような悲劇が生まれたりします。

そもそも共依存で結婚して閉塞固定系を作ったのは、親(共依存の男女二人)なのです。存在不安から逃げるためにお互いが必要であるからこそ一緒になっています。両親は、世間の常識や子どもからどう見えようとも、(信じられないかもしれませんが)実は“ベストカップル”であることを認識して下さい。



「今の親の姿」は、家族(システム)を変えようとして親に執着し続けた結果成り果てた「将来の自分の姿」だと気づいて下さい。そのシステム内にいる限り、そこで何をどう考え行動しようとも、放射能のように知らぬ間に汚染されてしまうのです。

そして、もう一つ気づいてほしいのは、これまでの苦労を親にわからせなければ報われないと思い込んでいますが、「脚本ちゃん」の存在を知らないできたのは自分自身です。「脚本ちゃん」は、何より自分自身にその苦労を認めてほしいのです。だって自分は、それを無意識に、あるいは当たり前と思ってやっていますからね。

そうやって自分の過去を全て認めることが出来たとき、「脚本ちゃん」の苦労は報われ、これまでの人生脚本を手放すことが出来るでしょう。

その時、あなたは静かに、これまでの家族(システム)を手放すことが出来るのです。



古いシステムは変えられません。

古いシステムを変えようと努力している間に、あなたはハラスメント界の流儀を身につけ、その世界の一員になっていきます。

古いシステムは手放しましょう。




古いシステムから出るためのドアの鍵は、もうあなたの前にあります。

とどまるのか、去るのか

決めるのは あなたです







【BUMP OF CHICKEN 「同じドアをくぐれたら」】







 
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“ベストカップル”

両親は、世間の常識や子どもからどう見えようとも、実は“ベストカップル”

子供の頃は母の言葉のまま父に原因があると思っていました。でも大人になると、実は両親は“ベストカップル”だと見方が変わりました。私は幸運にも結婚前にそれに気づけました。子供の頃は自己犠牲的に歩み寄る努力もしましたが、より依存が深まり怒りや我儘に火がつく感じで怖くなり止めました。親子は主従だと思っている親に子供から、人権や対等な信頼関係を解ってもらう事は不可能にさえ感じ、強い高圧的態度で迫ればそれこそがモラハラ界のやり方だと一応自覚していたので、限界まで努力して去りました。両親の心の闇が根深い事は子供のころから薄々感じてましたし、それは本人が向き合わなければ変えられない事も。両親の共通点は親が大好きな事。大好きでいる事で守っているんだな、と。私達夫婦はちゃんと成長できているだろうか・・。

 

慣れた絶望は
新しい恐怖より
わたしにしっくりなじんでいて
もう無理だ
今までだって無理だったし

という
深い絶望へ
連れていかれる

何度も抵抗した上の絶望は深い

だけど、私はあきらめない

 

誰とも繋がってないんだ
手を離す相手なんかどこにいるっていうんだ!

しがみつく、すがる
何か
その積み上げの
不安定な土台の上で



ここから
に逃げたら
真っ暗な孤独の
息もできない
帰り道のわからない
「そこ」に
落ちて

私はわたしを
動かせないという
恐怖に
とりこまれる


 

今年もよろしくお願いします。

変えようと思えば思うほど、執着しますね…。
まさに、過去の私がそうでした。
母を幸せにしたい・母の思考を変えたいと思うほど、母の変化なき姿に落胆してました。今は、いい意味で母の事はどーでもいい。
私のエネルギーは私のために使うと選びました。
私が、幸せになったら、母は足を引っ張ってきたけど「私はお母さんと運命も背負うものも違うから~。」で一蹴。

ホントに時々過去の自分に戻り苦しくなる時がありますが、コツコツ手放してます。だから、苦しくなってもどんどんスパンが短くなってます。

昨日、夫に「おまえ、子供怒らなくなったよねー。子供と楽しく遊んでるね。」と言われて、スゴく嬉しかった。言われてみると、そうかも!子供に制限かけなくなってます。駄目な母親になってる自分に、OKしてました。

これからも読み続けます。応援してます!!

 

わからせたい、とか、変えたい、とか。自分が不幸なんだから、お前も不幸でいろとか、楽しいことしたら不謹慎だーとか。うざっ、て思う。
そりゃあね。多少は相手を慮ばかってそういうポーズをとることは、社会生活を営む上で大事とは思う。しかし、そこに留まり続けるのは如何なものであろう。何日かかけて心の整理をつけたら、あとは明日からの生活を考えなきゃいけないし、何より、生きなくては。それをとやかく咎めたり、ぐちぐち言う人っていうのは、自分の人生の復讐をしているんだなぁ…ってことに最近気付きました。
実母や実妹が、そういう人間。いつまでも過去の一場面に囚われて、グダグダと私に十字架を背負わせようとする。そこからは、憎しみ以外の何も生まれないのにねぇ。
嫌気がさして「逃げた」こと、後悔はありません。彼女たちは、今だに私を引き戻そうと、あれやこれや必死ですが、今度彼女たちと対等に話をする時は、別の次元でと決めているので。

 

不具合が…

入力してない文字列が入っています。何故でしょうか…?

 

とどまるのか 去るのか

今、私が抱えている問題にそのまま当てはまるような<span style="background-color:#FFFF00;">ブログ</span>の内容だと思いました。
新年早々から頭が重かったのですが、色んな気づきの中で生き延びる力を付けていこうと思います。

 

妹から電話があって

「うちの手作りもち要らない?今日は親は出かけてるからほしかったら来るといいよ」と…。
たしかにおもちは欲しいです。チャイルドがよろこぶから。
ありがたく頂戴したけれど、罠か…?と警戒してしまう。
そんな我が家の在り方が少し寂しかった。

なんでも、昨日母が私におもちをあげたらどうかと言い出したらしい。
何年も音信不通にしてるし、家には絶対よりつかない。
当然のように新年の挨拶をしなかったから、ねだったわけでもない。
前々から思ってたけど、ミセスメデューサはテレパシーも持っているらしい。
普段は家にこもりきりのあの人が、とりにこいとばかりに留守。

魔物でも母親なのな、と思った。
それが支配したいという思いだとしても。
彼女を魔物にしているのは、家族にこだわってる私自身なんだけど、彼女が人間であるのを認めるのを拒むのは、不安だからだ。
支配者である以上、強大で絶大であらねばならない。
私を支配している以上は、唯一神にも匹敵する存在であらねばならない。
そうじゃなきゃ、不安から目をそらせない。
それが私の万能感の正体。
取り込んだペアレンツは神にも等しい。

今までは、ね。
おもちは今までの苦労の報酬として、普通に頂戴するわ。
今までのように支配は受けない。
ありのままに生きたいから、不安をこえて、彼らの小ささと自分の小ささをちゃんと見届けるんだって決めたんだ。

 

わからせたい、変えたい

みたいな気持ち、あるんですよね。
それは家族だけじゃなく、他の人に対しても。
それに、不幸になってやるみたいな気持ちも。
お前のせいで私は不幸なんだぞ、罪悪感感じるだろう、ざまあみろというか、自分が不幸になることで恨みをはらそうとしてるというか。
そんな気持ちがあることを知りつつ横目で見ながら生きている。
だからなぜかそういう場所に入っていく。
生きなおそうとしている中でそっちへ向かう。
結局苦労しようとしてるし、不幸になろうとしてる。
年末にまたそんな選択をしようとしたので思い切ってやめました。
もういいんじゃないって。
でもまだまだある感じです。
怖いし不安だし。
でも何だか自然とニコニコしちゃうような。
う~ん、まだ良くわからないけれど。

 
    
 
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