ゴミ屋敷になる過程と心理~存在不安者の子宮
通勤、通学などの“考えずにすむ決まりきった行動”は思考(IP支配)が弱まりますから、その隙を突いて「心のコップ」に閉じ込めている感情(IC)が出てこようとします。それは、不安(感情)も出てくることを意味しますので、それを無意識に避けるために、“ギリギリ行動”をすることで自分を追い込み、意識を外に向けざるをえないように仕向けていました。
【ギリギリ行動をする理由】
また、本業が終わった後も、心に余裕を作るような時間を持たないために、それぞれ理屈をつけて「習い事、塾、バイト」などで時間を潰していました。
【「月月火水木金金」の人】
つまり、人は「内なる不安」を見ないようにするために、「意識を常に外に向けるためにあらゆる努力」をして生きているということをご認識ください。
さて、いよいよ家に帰って日常的にあるものといえば、「炊事、洗濯、入浴、食事」でしょうか。それらもまた、慣れてくると考えずにすむ時間となりますから、思考(IP支配)が低下した隙を狙って不意に不安や恐怖が襲ってきたりフラッシュバックがあったりします。
不安を受け止める覚悟のある人は、そこでジタバタせずに出てきた気持ちを声に出して表現し、心のコップは軽くなり、それらの気持ちは自分の背骨となっていくわけですが、多くは、それらの気配を感じただけでソワソワと何かをし始めます。それは、ネットやゲームやメールや電話やテレビなど、意識を「外」に向けるものなら何でもいいのです。
さらには、そもそも不安が出てくるきっかけを作らないようにするために、極力ルーティンの時間を短くしようとします。炊事は手抜き、洗濯は全自動、入浴はシャワーのみ、食事は早めし、という具合です。特に気持ちがゆったり出来るお風呂は鬼門で、湯船には絶対に浸からない人もいます。
(不安も含めてすべての感情はリラックスした中で出てきますから、お風呂は鬼門なのです)
さらにいけば、炊事もせず弁当持ち帰りやファーストフード、着替えもせず、風呂も入らず―お金があれば、汚れた下着類は洗濯せずに捨て置いて次々に新品を着たり、汚れた髪の匂いは香水でごまかしたり・・・
これらは、不安(感情)が出てくるきっかけを消すだけでなく、他にメリットがあります。部屋がモノ(ゴミ)と臭いで埋まっていくわけですね。空間が埋まるということは自由度が減るということ、同時に、あちこちにモノが散乱しているということは意識を向ける対象があちこちにあるということ。
また、体臭や香水、ゴミの臭いがあるということは、常に意識をそちらに向けることが出来るということ。つまり、視覚、嗅覚を刺激し続けることで、意識を「外」に向けているわけです。
では、終日家事仕事をしているような人は、不安がない人でしょうか。たとえば、1日中台所にいたり、1日に何回も洗濯をしたり、という方や、「ザ・主婦」というくらいに家事完璧の人もいます。こういう人の場合は、それをしている時こそがお母さんと繋がっているとき。脚本ちゃんが脳内母親のその姿を見せているときで、脚本ちゃん絶好調ですから、意識は(無意識ですが)脳内母親を向いています。
このように、人はごく大まかに言えば、「母親のための人生脚本」と「存在不安から逃げる自分」の2本立てで生きており、不安から逃げるために脚本人生を突っ走っています。ここを理解しておくと、「ゴミ屋敷」になっていく理由が見えてきます。
★ゴミ屋敷になっていく過程-----------------------------------------
「三つ子の魂」と言うとおり、人生脚本はその頃には出来ていますが、10歳頃に、それまでの10年間に溜まった「心のコップ」の感情が爆発するかのような何らかの出来事があって“ガス抜き”が終わった後は、皆様猛然と脚本人生を突っ走り始めます。そして、脚本人生と不安から逃げるための「時間の構造化」をする人生の抱き合わせで生きます。
・存在不安がある人の「時間の構造化」の仕方
その間にも、「不安ちゃん」は出てこようとします。そして、それを感じたくない「自分」との間でデッドヒートを繰り広げることになります。下記を読めば、年を取るにつれて不安が増していく理由がよく分かると思います。
・おどおど、びくびく-不安でたまらない人
つまり、存在不安の度合い、及び人生脚本との兼ね合いにもよるのですが、何らかの理由で脚本人生を突っ走らなくてよくなったときに向き合わざるを得ないのが不安です。一般的には、年齢が行くにつれて存在不安との闘いが増大していきます。
不安が強くなれば、空白や空間を見るのがイヤになります。
そこに内なる空虚を投影してしまいますので、なにもない壁がなんとなく落ち着かなくて、シールや絵やカレンダー、壁掛け、飾り物など、何らかのモノで壁を埋め始めます。ここまでは一概に不安の穴埋め行動とは言えませんが、次の段階に入っていくようでしたら不安が強くなっているサインの一つでしょう。
次の段階では、壁と壁が直角に交わる縦のラインやその四隅(コーナー)を見ているだけで寂しさや不安を感じて、何かでそこを隠すようになります。コーナーに何かを吊るしたり立てかけたり、天井の隅の三角コーナーを布で覆っている事例もありました。
さらに強まると、境目という境目、隙間という隙間まで何かで埋めていこうとします。畳と畳の合わせ目の線さえも「心の隙間」を感じさせるものになって、ガムテープやタオルなどで“目張り”していくようになるのです。
すると、タオルなど埋め合わせに使ったものと床の間に、また隙間が出来ますね。だからまたそこを埋めていきます。やがて床は衣類やモノやゴミで隠れるだけではなく、だんだん層をなすようになっていきます。
その内、空間自体に不安を感じるようになります。
そこで、モノやダンボールの空き箱やゴミで空間を埋めていくようになります。お金があればモノで埋めていきますし、手先の器用な人はまるで隙間を埋めるかのような収納棚を作っていったりしますし、お金がなければゴミや廃品で埋めていくわけです。観葉植物で埋める人もいれば、壁にカビを生やすことで埋めていく人もいます。
さらに行くとどうなるでしょうか。
空間自体に不安を感じるようになるわけですから、空間を消せばいいわけですね。そういうマジックは出来ない?いえ、「視界」から消せばいいわけです。そう、部屋を真っ黒にするのです。
昼間でもカーテンを閉め切り、モノやゴミや臭いで埋まった家の中は薄暗くて何があるのかよくわかりません。意識の向け先としてテレビだけが煌々と光り、大音量が空間を埋めています。その他に音がするのは、ネズミやゴキブリの走る音・・・
これが行き着く先です。若い頃にはいろんな逃げ方をしても、晩年になってくると、このような逃げ方になってくるのです。
このようにしてゴミ屋敷は出来上がっていくわけで、ゴミ屋敷とは「存在不安のモニュメント」と言ってもいいかもしれません。そして、最後の様子を見て分かると思いますが、薄暗くて自分一人寝るスペースくらいしかないその部屋は、いわば「子宮」ですね。その人は、不安から逃れるために、自分が安心できる「子宮」をせっせと作り、維持しているとも言えます。
ですから、よかれと思ってゴミ掃除をしてあげたら、そのゴミ屋敷の住人だった方が自殺してしまったというようなことも起こるわけです。
・ゴミ屋敷とゴミの国
★万策尽きたときに待っている「ボケ逃げ」--------------------------
ゴミ屋敷は、不安から逃げ続けている人が行き着いた姿の一つとも言えるでしょう。それは、「だらしない性格」とか「片付けられない性質」とかいうのではなく、不安から逃げ続けている限り誰もがなり得る姿なのです。
不安感情も存在(Be)です。
それは、生まれたときから不安を抱えて生きてきたインナーチャイルド(不安ちゃん=小さい頃の自分)です。
不安ちゃんも、このまま日の目を見ずに死ぬわけにはいきませんから、些細なきっかけをつかんで「ここに不安ちゃんがいるよ」ということを自分に知らせようとします。
それに気づきたくない自分が逃げようとすればするほど、不安ちゃんはどんどんサインを送ってきますから、自分はますますちょっとしたことに不安を感じる不安人間になっていくわけですね。
自分の内側から逃げ続けるのが、一瞬一秒の闘いになっていくことがわかると思います。そういう人の周囲にいる人であれモノであれ、それはすべてその人にとっては「不安から逃げ続けるための道具」でしかありません。一瞬一秒逃げ続けている人にとって、逃げるために道具にすること以外で人に関わる余裕はないのです。
万策尽きたときに待っているのは、「ボケ逃げ」です。
不安を感じるよりも、ボケた方がラクですからね。それほどに、ヒタヒタと忍び寄ってくる不安を感じることが怖いのです。
どうか逃げるのをやめて、立ち止まって下さい。
振り返ったとき、そこにいるのは自分に認めてほしいと願っている「小さな自分」です。その不安ちゃんを恐ろしげに見せているのは、感情と自分をつながらせたくないIP(思考)です。
「追ってくる 正体見たり 不安ちゃん」
不安ちゃんは自分ですから、怖くありません。その不安ちゃんの不安を一緒に感じてあげることが不安ちゃんを受け止めることになります。
不安ちゃんと手をつないだときに、不安はなくなります。
【筋肉少女帯 「ゴミ屋敷の王女」】
・ゴミ屋敷になる4つの心理的要因と解決策
・不安からの逃走手段―依存・型嵌め・空間埋め
・台所シンク沼~悪臭結界
・浴室―カビの壁紙
・自律への最後の階梯―寂しさ、虚しさの乗り越え方
・8-2)徹底して娘のせいにし、逃げ続ける母親