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ハラッサーのでき方

2012/01/31(Tue) Category : 世代間連鎖
【はじめてここを読まれる方は、『ゼロポイントに戻ろう』を先に読まれた上でお読み下さい】



前項に続いて、ハラッサーのでき方も見ておきましょう(架空の事例をストーリー的に示したものです)。

★僕を不安にさせることを禁ず--------------------------------------

幼稚園のR君。
トリムの吊橋のところで、前に行く子供に言いました。
「前の人が渡ってる途中で行っちゃダメなんだよ」

この姿を見て、ルールを守る子なんだと思う方もいらっしゃるかもしれません。でも、そういうルールはありません。では、なぜR君はそう言ったのでしょう。

R君は、前の子が渡り始めたときに橋が揺れるのを見ました。自分が渡っている最中に、自分以外の力で揺れたらどうしよう、と不安になったんですね。自分が渡るときに、そういう不安を感じたくありません。だから、自らルールを作ったのです。

そして、前の子に言う振りをして、実は自分の後に続く子に言い聞かせているわけです。冒頭の言葉を翻訳してみましょう。
「前の人が渡ってる途中で行っちゃ、僕が不安になるからダメなんだよ」

そして、「僕が渡っているときは来ないでね」と後ろにいる子に暗に禁止令を敷いたのです。




★人を支配する背景にあるものは「不安」----------------------------

はい、もうこの歳でハラッサーの芽が育っていますね。このR君も、大人になった時恋人や妻や家族を自分の思いに従わせようとするハラッサーになる可能性があるということです。

自分が不安を感じないですむように、周りを自分のルールに従わせる―そういうハラッサーは沢山います。

たとえば、時刻どおりに生きている人は、生活パターンが時刻からずれるだけで不安になるため、烈火のごとく怒ったりしながら、なんとしてでもそのパターンを守ろうとします。
時刻依存症―定点で自己確認しながら生きる人々
昭和一桁世代への鎮魂歌(2)-時間のモノサシ化

ルールで自分や他人を縛ることも、自分が不安を見たくないためなんですね。
規律依存症―自律(内骨格)できずに規律(外骨格)で自他を縛る人々

つまり、人を支配する背景にあるものは「不安」だということです。
不安から逃げようとする人々が、つまり私たち自身が、このルールだらけで窮屈なハラスメント社会を作っているのです。




★不安を認めたらゲームをする必要はない----------------------------

もし、R君が揺れた吊橋を見て、「怖い」ということができたら、「前の人が渡ってる途中で行っちゃダメなんだよ」ということは言わなくてすんだのです。

なぜなら、すでに自分が不安であることを認めていますからね。もう「不安を見た」ので、「不安を見たくない」ための布石を打つ必要がないわけです。

次に来る言葉は、「僕怖いから、僕が渡っている間は渡って来ないでね」と、後ろにいる子どもにお願いするだけです。「うん、わかった」となればそれで終わり。ただ、それだけのこと。


けれど、「怖い」と言えない場合、不安を見たくないためにあらゆる仕掛けをするようになります。そのために脳みそは働き続け、ありとあらゆる理屈を用意し、さまざまなゲームを仕掛けるようになります。

そして、ツーカーで終わることに何週間も、何ヶ月も、何年も、時には一生かけることになります。そういう人生とは、一体なんなのでしょうか。




★不安の根っ子は親子関係の中にある---------------------------------

もう一つの観点からR君の背景を見てみる必要があります。
それは、橋が揺れるのを見て不安が出てきた―つまり、「橋が揺れるのを見た」ことは、不安が出てくるきっかけに過ぎないということです。

R君は、足が地に着かないような、宙ぶらりんで不安定で居場所がないような、そういう不安の中で日々を過ごしていました。子どもが不安感情を持つのは親が安全基地ではないからなので、親にその気持ちをいえないままに、自分でも無意識に封印したままに過ごしていますが、その不安感情は出所を常に狙っています。

そして、まさしく自分が感じている不安感情にピッタリのシチュエーションが来たときに、ここぞとばかりに出てくるのです。その時に感じた不安を自分が認めて、「怖い」と口にすることができれば、その不安は去ってくれます。が、表現できなければ、不安はますます強まっていくことになるわけです。




★怖いものは「怖い」と言うことで強くなれる-------------------------

意図的に(?)不安が振りまかれているこの社会。
まぁ、政策的にせよCMにせよ駅や街中のエンドレスアナウンスにせよ、社会の隅々にまで不安がまき散らかされています。

まぁ、不安の大安売り(大量販売)。
そして、私たちは不安の大量消費者というわけです。

実際、不安から逃れるための商品が大量に生み出され買わされています。
踊らされていることが、こうも明々白々だと、何だか馬鹿馬鹿しいですね。

(もう踊らされるのをやめにしませんか?)



まぁしかし、このような社会状況ですから、
不安じゃない人なんていません。

だから、
恐怖や不安を感じることは恥でもなんでもなく、当たり前のことなのです。

親自ら堂々と、不安を感じたら「あぁー不安だ」「あ~怖い」と言いましょう。言ってしまえばケロッとします。そして、ケロッとしていればいいんです。

その姿を見て子供は学びます。あぁ、「怖いものは怖い」―そう思っていいし、言っていいんだ、と。



すると、あるときR君が言ってくれるでしょう。

「おかあさん、僕はおかあさんがコワかったんだよ」と。


その言葉を聴くことができたら、私は言いましょう。

「おめでとう。母子共に解放されましたね」と―。








【Aqua Timez「決意の朝に」】




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なるほど!

前の記事の内容がチョット腑に落ちなかった一人でしたが…勉強中さんのコメントでしっくりきました。(>中尾さんが問題にしてるのは、ハラッサーから逃げず、助けようとしてくれる人がいてもそれを拒み、ハラッサーとかかわり続けようとする、共依存的なものを、良くないといってる気がする。という内容です)
どうやら私、記事だけを断片的に見てしまう癖があって、全体を繋げて立体的に見るという作業をしていなかったみたい…。恥ずかしい。それから、学校や会社では弄られ役になる事が多く、それで嫌な思いを結構していたので、「受け皿」という言葉に過敏になっていたのだと思います。

そして…この場を借りてありがとう!!
最近、不幸があってから義実家がゴタゴタしていて。色々あって(というか聞かされて)参ってしまい。この記事を読んでいなかったら危うくまた泥沼にハマりこんでしまうところでした(><)何があったか…は省略しますが、選択を誤っていたら、泥沼どころじゃなく後悔の海で溺れていたかも…危なかった~。
私の思い癖・考え癖。それは恐らく、相手の言葉の裏側を読み取り、重く受けとめ過ぎることなんだと今回気づきました。(原因は幼少期に心当たりが…)
もう相手の顔色なんて気にしなくていいんだよ。それより自分の人生を大事にしなよ、自分の子供や孫にこの連鎖を引き継がせたくないでしょ。今までそうやって何回泣いてきたの?って。
ふと、そんな思いがわき起こってからは、大分気持ちが楽になりました。

 

疑問さん

受け皿の記事の歌と
ハラッサーの記事の歌が
違う。

↑違う、という個人の感覚を押し付けている。

中尾さんはこのように思ってるのですか?

↑前の文から繋げて人格否定をしている。

最近職場のパワハラが規制されるニュースを見ました。
実際ハラッサーのやり口は解りにくく自殺にまで追い込む犯罪ですから
ハラスメントを やりにくい世の中になって欲しいと見てました。
今、理解が進む大事な時だなって。

↑正確には政府がパワハラを定義した。規制する力はない。上司からだけではなく部下からの嫌がらせもパワハラに入ると定義している。これで言うと、あなたはコメンターという位置からハラッサーをしている。

この歌のように
受け皿がずるく醜い心の人であり、
虐める側は気弱なだけで好感的であるような解釈は 広まって欲しくない。
自分を自分の責任として治そうとしているけど いち早くこんな風潮になれば 私
は壊れてしまいそう。

↑この歌を、受け皿がずるく醜い心の人で虐める側は気弱なだけで交換的であると解釈したのはあなた。自己主張をして最後には脅している。

気が付いている人はいる。書かないだけ。気分悪いから一緒に消されてもいいから書くことにした。

 

怖いって

言うこと、感じることをバカにされてきました。
とにかく何でも感じることを恥ずかしいことと思わされてきました。
だからこのR君がするようなこと、自分もやってる。
怖いけど、怖いって素直に言うこと、怖がる自分は恥ずかしいことだから言っちゃいけない、でも怖いから怖くなくしたい。
自分の中にそんな自分が居ることを認めるのはつらいけど。
私は主にハラッシーです。
一人で居るのは寂しいこと、恥ずかしいこと、どんなに苛められても仲間がいなければならないって思ってたし、仲間と一緒に居る為には相手に合わせたり従わないといけないって思ってました。
苛められるのも恥ずかしいことだったから、苛められないように言いなりになるっていうのもあった。
でも今は一人は恥ずかしいことじゃないって、仲間が居ないことは恥ずかしいことじゃないって、苛められるのは恥ずかしいことじゃないって思うようになりました。
というか本当は全部自分の価値観が生んだ感情だと気付きました。
なんだ、バカみたい私って。
でも感情って湧いてくるんだけど。

 

醜い心って誰でもある。自律してる人にもある。
だって人間は神じゃないもの。

自律してる友人(勝手に思ってるだけかもしれないけど)を観察してわかるのは、自分の醜い部分も笑って受け入れてる。

愛情はそういう人間の醜さを超えるものなんじゃないのかな。

ようは自分の醜さを受け入れて自分の中でどうにかしようとするか、自分に欺瞞的に生きて周囲に投影してハラスメント行為をするかの違いなんだと思う。      

夜回り先生の
援交してた いいんだよ
かつあげしてた いいんだよ
ひきこもりだった いいんだよ

愛情のない世界で育ったらこの感覚がわからないんだよ。
でも無条件の愛情ってそういうことなんだ。                                                      




 

ハラッサーから逃げない人

中尾さんが問題にしてるのは、ハラッサーから逃げず、助けようとしてくれる人がいてもそれを拒み、ハラッサーとかかわり続けようとする、共依存的なものを、良くないといってる気がする。
私の両親はもともと父がハラッサー、母がハラッシーでしたが、私がいくら「こんなにつらくて耐えられない、父と別れてほしい、別居してほしい」と言うと、何と母は「お父さんを見捨てるってあんたは鬼だね、逃げようとする卑怯者だ」と言いました。
私は現在、実家に遠く暮らし、二児の母となりましたが、今では父のことは許せても母のことが許せません。
そして、現在父はハラッシーとなり、母がハラッサーとなって、今も夫婦関係?を続けています。
そんな二人が暮らす実家は、すさまじく汚く、臭く、たまに義理で里帰りしても、気が滅入りそうになるので、数時間が限界です。

精神科の先生に診てもらったことありますが、母の方がかなり病んでるっていう診断でした。
強烈なハラッシーはそれはそれで、怖いです。。。

 

「これは誰の問題なのか」を考えなくてはいけない。
いつも自分に必死に言い聞かせています…

 

同感です

>そして、ツーカーで終わることに何週間も、何ヶ月も、何年も、
>時には一生かけることになります。
>そういう人生とは、一体なんなのでしょうか。

深く同意します。共感します。
謎を解き続ける人生は・・・・、イミな~し!!と叫びたいです。
でも、気づきが生まれて解放に向かったとき、全てがギフト、宝物になることも実感しているので、
結局は意味が無いことなんてないんだなあと思いますが。
でも一生を謎を解くために使い果たすなんて、モッタイナイですよね!
精神科医のS先生が、「スフィンクス母は娘に謎を残す、そしてその娘はその謎解きに一生を使い果たす」
とおっしゃっていましたが、よく分かるなあ・・・(溜息)と思いました。
記事に出てくるような子、よくいますね。
なんかムカムカする言いぐさだなあと幼少期、いつも感じていたと思います。
そういうことだったのですね。

 

受け皿の記事の歌と
ハラッサーの記事の歌が
違う。
中尾さんはこのように思ってるのですか?

最近職場のパワハラが規制されるニュースを見ました。
実際ハラッサーのやり口は解りにくく自殺にまで追い込む犯罪ですから
ハラスメントを やりにくい世の中になって欲しいと見てました。
今、理解が進む大事な時だなって。

だから
こちらのブログはアクセスが多く影響力があるのでこの記事は不安でした。

この歌のように
受け皿がずるく醜い心の人であり、
虐める側は気弱なだけで好感的であるような解釈は 広まって欲しくない。
自分を自分の責任として治そうとしているけど いち早くこんな風潮になれば 私は壊れてしまいそう。

 

とても勉強になります

何度も読み返させていただきます。

 

子育てしているとこういう子にしばしば遭遇します。正論ぽいんだけど、正直なんかむかつく〜。(いい大人なのに)って心の中では思っていましたが、こういうカラクリなのね、、、。大人もこういう人いますね。カラクリが分かればなんだ、怖かったのね、、、。と優しくなれる。

 

以前、10年前、ある一人の人物に、よってたかって数百人でハラスメントをやってたことがあったのですが、
逆に、すさまじい大物ハラッサーに大成しましたよ。
ハラスメントを糧にできるかというのも。
本人はもう別の人格を宿してますね。

 

匿名さんの意見を見て、ハッとしました。そして、前の記事を読み終わった後の、おっしゃる事は(頭では)分かるんだけど、しかし…なんとも言えない気持ちの悪さの理由に気づきました。まるで、いじめられっ子にもいじめられる原因があるんだよ~と言われているような…。いやいや、ちょっと今、被害妄想気味なのでそういう風に受け取っているだけかもしれませんが…。時々、記事を読んで不安になる事があります。

 

ハラッサーはそんなかわいくない もっと腹黒い。不安だからじゃない貪欲なんだ。ヤクザみたいだよ。

ハラッシーの方を「やられて当然好きでやってる」
として味方をつけないやり方がハラッサー
前記事が、そのものに見えちゃうのはなんで?

 

五才の恐怖

小学校低学年まで祖母の家に泊まりに行くと、建物が古くてただでさえ不気味だったのに、寝静まった後や、早朝にかかる有線放送の音声に追い打ちをかけられてものすごく怖かった思い出がある。(音楽やナレーションのお姉さんの声がホラー級に怖い。これのせいでしばらくカッコーワルツが嫌いに)
母親に「怖い」と素直に訴えればよかったのに、何故か訴えることができなかった。今にして思えば、五才くらいで人生脚本の「話すな」が出来上がっていたんだと思う。
小さいころから泣くことはできても、本当の感情を表に出せていなかったのだな。

 

不安

幼稚園のお泊まり保育。
夜、みんな寝静まったのに、私一人が眠れなかった。誰もいない暗い中に、ぽつんと一人取り残された。
怖くて不安で寂しくて、涙が出ました。
当時の私は、まさに別の世界に一人取り残されたような、不安の中にいたんだな…その象徴のような出来事でした。
私の不安は、そんな小さい頃にもうあったんだ。そして今まで続いてる…

 
    
 
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