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中尾英司

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ゼロポイントに戻ろう

2012/02/05(Sun) Category : 私の姿勢
★節分--------------------------------------------------------

一昨日は節分でしたね。季節を分ける分岐点です。
立春の昨日から春に向かっていくわけですが、その分岐点である節分が最も寒い日。当にその通り、日本全国が酷寒の中にありましたね。

今そのような時期を過ごされている方も多いと思います。
夜明け前が一番闇が深いように、分岐点のときが最も状況が苦しいでしょう。

でも、真っ暗な土の中にも種は蒔かれています。闇の中で目覚めた種は、太陽の輝く地表に向かうために、まず下に向かって根を伸ばし始めます。

上(外)に向かうためには、まず下(内)に向かう
―というのが自然の法則のようです。

寒い中でも大地に根を張る、地に足をつける―それが今大切なとき。足腰がしっかりとしてきたら、はじめて茎は上に伸び始め、そして燦々と陽光のさす地上にポッカリと顔を出すのです。



★豆まき-----------------------------------------------------

節分は、おふざけで息子の上に娘が乗っかったのを見た真智子が、思わずその娘の上に乗り、それを見た私が真智子の上に乗り(^^;)

「親亀の上に子亀が乗って、子亀の上に孫亀乗って~♪」
のサカサマ。かつてのわが家はまさにこれだったなぁ、と(--;)

その後、子どもたちにそれぞれ豆を渡して、「俺たちが鬼やるから、思いっきりぶつけろ。真智子、鬼やろう」と。

ワーワー言いながら、まぁ、何年ぶりかで豆まきをやったのでした。
「久しぶりだったね~」と子どもたち。楽しかった(笑)。


ふと振り返って、この流れ面白かったなぁ、と。
偶発的に始まった亀。
それは、子どもたちのおふざけに親二人が誘われた姿―常日頃、「我が子に導かれよ」ということを言っているが、それだったなぁ、と。

また、自由なエネルギーを持つ子どもの流れに親が乗る→それは硬直したシステムをブレイクする流れでもあったなぁ。
「人間知恵の輪」に見る変革の本質

そして、四角四面の男たちを柔軟で面白がりな女性たちが結び合わせた。娘は息子を解きほぐし、妻の自由な行動が私を誘った。言わば、息子と私が娘と妻を通じてつながった。

(感情に基づく行動はシンプルでしたが、それをこのように説明(思考)すると、なんだか大業ですねぇ。現実を変えているのは、この思考ではなく行動です)


そのお遊びの気持ちが、豆まきへの流れを自然に作りました。その予期せぬ自然な流れの中で、かつてのわが家の構造が再現され、そして親に豆をぶつけてゲン落としになったかな。

子どもたちの気持ちのままの行動、それに気持ちのままに乗るということが、いろいろなものをブレイクしていくなぁと感じました。

立春から始まる新たな年が、スッキリと始められそうです。





★コメントをありがとうございました----------------------------

さて、皆様、コメントをありがとうございました。

真智子もブログに書いておりますね~。
ハラッサーはもともとはハラッシー

おかげさまで、いろいろな観点が明らかになったと思いますので、整理してみたいと思います。


まず、二つの記事の冒頭に『架空の事例をストーリー的に示したものです』と書いておりますが、空想で書いているのではありません。当ブログに書かれる記事の背景には幾つもの事実(個々人の体験の集積)があります。

ここに書かれているものは、いろいろな方々の人生を俯瞰して導き出されたものです。それぞれの体験が貴重なものです。そこから、何をどう学ぶのかは皆さんの問題です。

『数多のブログがある中で、わざわざここに来られる方は、人のせいにせず自分と向き合う準備のある方だと思います。
そして、このブログは、前項で書いた『芯にあるもの』ですべての記事が貫かれており、皆様の協力を得て体験をフィードバックしております。あとは、読まれた方の問題なのです』
【システムズアプローチの見方】




★文章には、その人がさらけ出されている------------------------

さて、記事冒頭に『その一例を示してみます』と書きましたが、「一つの事例を示します」と書いたとすれば、どう読まれたでしょうか。読み方が変わる人が出てくるかもしれませんね。

実例でなければ意見として読み、事例であっても他人事として読む、というように一切自分の中に入れない人もいるでしょう。逆に事例に囚われて自分と比較して悩む人もいるでしょう。

漫画であろうが宇宙人体験のものであろうが、いろいろなものを自分の鏡としてそこから気づきを得る人もいるでしょうし、それらのものは一切受け付けない人もいるでしょう。

コメントを書くということは、自分がどう読んだか(対象と向き合ったか)を露わにしてしまいます。自分が今どういう姿勢で生きている人間なのかをさらけ出す行為なのです。

真智子も上記の記事の中で『ただ、いつも感じるのは、コメントを書いた人の人生模様を映し出しているのだなぁっていうことです』と書いておりますが、私もつくづくそう思います。


もう一度、下記の記事を読んでみてください。
当ブログを読むときの留意点

その上で各コメントをじっと読んでみて下さい。
その人がどういう姿勢で書いているのかが見えてくると思います。

中には、ハラッサーが仕掛ける典型的な書き方がなされているものもいくつかありますし、それを『「心理テスト」型チェーンメールを分析する』のように細かく解説することも皆様の勉強になると思いますが、コメントは残しておきますので眺めてみて下さい。当ブログを通じて自分と向き合っている方は自ずと見えてくると思います。




★自分=混沌であることを知る---------------------------------

上記記事の留意点の中に『こちらがどんなに丁寧に書いても、結局は相手の取り方次第だと言うことがわかった』―という読者の声を紹介しましたが、「全てのコミュニケーションの決定権は相手にある」ということです(コミュニケーション理論の大原則)。

眼を見て話すことに優るコミュニケーション手段はありませんが、それであってさえも、ICは自己投影の言葉を、IPは自己洗脳の言葉を、本人がそうと気づくまで言わせていますし、聴きたくないことを飛ばしたり、記憶を改ざんしたり、人生脚本がスタンプ集めにほしい言葉だけを拾ったり・・・そのように“内容”を決定しているのです。あるいは、巧みに自分の望むほうに導こうとします。

しかもそれを無意識にスルッと行っていますから、カウンセラーがアリバイとしていいように使われてしまうこともあるのです。

面談でさえこのようなことがあるわけですから、リアルタイムでフィードバックできない文章になると齟齬はどこまでも拡がっていきます。しかも、人生脚本とIPに乗っ取られて書いている方がかなり多いと実感していますので、カウンセリングは進みません。

(ですからメールカウンセリングはしませんし、ブログを書かれている人がいても読みません。声と言葉にすることが大切なのです)

つまり、外から見ると、どの人もみな自分の内部に振り回されているのですが、それに気づかないままに言葉を発し、文章を書いています。結局、自分の内部に振り回された発言は混乱を拡大していくだけですから、まず自分=混沌であることを知ることが大切だと思います。




★記事を読む上での基本的前提---------------------------------

さて、それぞれ混沌を抱えた受け手側がコミュニケーションの決定権を持つわけです。1対1でも難しいですよね。この大原則を乗り越えてコミュニケーションを成立させるのに必要なものは「相互信頼」以外にはありません。

親子、兄弟、カウンセラーとクライアント、上司と部下、政治家と国民―それがどんな関係であれ、全ての人間関係の根底に相互信頼がなければ何も進まないのです。

ブログのように不特定多数が対象である場合、すべての人から信頼を得ることは不可能です。しかしなるべく齟齬なく伝達したいので、そこに次のような「約束事」を設けるわけです。

『まず、記事は短いので、その都度ある方向性を持って書いています。全方位的には書けず、切り捨てる部分があるということですね』
【子に影響するのは、親の「心の姿勢」】

『ブログ掲載に当たっては、各記事の方向性を明確にするために、一つの記事はある方向の思いだけで書かれています。また、ケーススタディのためにかなりゴテゴテと肉付けしたため、説明っぽくなっています。ですから、一つの記事だけを切り取ってみると、そこだけを深めているため一方的に見えるでしょう。全体を俯瞰して眺めていただければと思います』
【夫婦再生物語-(13)物語とともに人は智恵を身につける】




★ハラッサーという定義---------------------------------------

また、用語の定義も大切ですね。というのも、世間で出回っている用語が中尾相談室では異なるニュアンスで使われていることも多いからです。

たとえば、ハラッサーという言葉―

『このブログでは、人を道具にする人のことをハラッサーと呼び、人を道具にしあう関係=共依存関係で成り立っている世界のことをハラスメント界と呼んでいます。』

『ハラスメント界では、人は役割を押しつけられ機能として生きることになり、思考(IP)で生きることになります。
あなたがこうすればいい、と相手に押しつける「Youメッセージ」の世界であり、Doingしあう世界です。

それに対して自律界とは、自分の思いを「Iメッセージ」で伝える世界であり、互いを認め合うBeingの世界です。どの人も気持ちのままに全的に生きることが出来ます。』

『この二つの世界が同時に存在しているのですが、ハラッサーは道具になる人間しか相手にしようとしませんから、自律した人間には手を出しません。「波長が合う」という言葉がありますが、やはり同じ波長の者同士が引き合っているのですね。ですから出逢った相手が自分の鏡となるわけです。

こうして共依存者(ハラッサー)は共依存者(ハラッシー)と出逢い、自律した人は自律した人と出逢っていくわけです。共依存者は、自律した人との出逢いは無意識にスルーしています(人生脚本にあわない人間は舞台に登場させません)から、自律した人間などいないと思っていますし、本人からすれば自律した人など見たことがないわけですから、自律界などあるはずがないと思っています。』
【親への執着を手放しハラスメント界から離れる時、生きる意味が見えてくる】


『その人自身はその動いている間の何十年かを、感情を見ないようにし続けなければなりません。これはとても大変なことです。自分一人では自分から逃げ続けることはできませんので、自分に関わるすべての人を巻き込み道具にします。このとき人を道具にするやり方を「ハラスメント」と呼び、人(命)を道具にする人を「ハラッサー」と呼んでいるわけです』

『封印された感情は衝動となりますが、特に怒りの衝動は出口を求めて身近な人(家族や職場の人)に向かいます。ハラッサーというと、言葉の暴力(モラハラ)や身体的暴力(DV)を振るうハラッサーを思い浮かべることが多いのですが、それは、この衝動吐き出しの部分に注目して見ているわけです。

現象として外から見えやすいのでモラハラ、セクハラ、パワハラ(アカハラ、ドクハラ)などと分類もどんどん出てきますね。ハラスメントとは、このように一定の職域や関係性の中で起こっていた衝動の吐き出しのことなんですね。この時の被害者は配偶者や部下、生徒、患者など1対1で直接関係する直接対象者です。』
【「ハラッサー」と「モンスター」と「クレーマー」の違い】


『目に見えるハラスメントを伴わないけれど、相手を道具扱いしている人のことをサイレントハラッサー(静かなるハラッサー)と、私は呼んでいます』

『ハラスメント界は役割分担の世界です。命は道具ですから、なんらかの役が与えられて役割ロボットとして生きています。
衝動(抑え込んだ感情)をはき出したいハラッサー達にとって、必須なのは「受け皿役」。その受け皿役も吐き出し先を必要とします。そのときに、人の話を聞いてくれる人が登場するのです。

それは「聞き役」ロボット。ハラスメント界に少ない「聞き役」をすることによってストロークを得ようとしているわけです。そのポジションにいれば、向こうから来てくれますからね。

でも、そういう人は聞くスキルを身につけることはできても、その“スキルを持った道具”として生きているわけですから、「聴く」ことはできません。自分の気持ちを聴くことができない人が人の気持ちを聴くことができないのは当然ですね。

つまり、聞くスキルは釣り餌なのです。その釣り餌に誘われて寄ってきた人を釣り上げて、後は自分の受け皿にします。つまり、上記の2番ですね。ハラスメント界で受け皿となって苦しんでいる人が寄って来やすいので、受け皿役を効果的に釣り上げることができます。

このようにハラッサーとは対極の位置にいるように見える人のことを、counter(反対の)という接頭語をつけて、私はカウンターハラッサーと呼んでいます(勝手につけた名ですので、悪しからず)。まぁ、こちらが安心して向かっていったら、いきなりカウンターパンチを食らうような感じでしょうか(^^;)』
【「サイレントハラッサー」と「カウンターハラッサー」】


さて、総マトメとして下記をお読み下さい。
【ハラッサーとは-その定義と特徴】

上記の定義に当てはまらない人が、今の先進国にどれほどいるのでしょうか?




★「普通に育てばハラッサーになるんだね~」-------------------

「普通に育てばハラッサーになるんだね~」
―実は、この言葉は真智子が私に言った言葉です。なぜ、真智子からこの言葉が出たかというと、真智子自身は複雑な生育歴を持っており、その真智子から見ると私はごく普通の家庭に見えたからです。

結婚後は「男は仕事、女は家庭」の会社人間になっていくわけですが、それが当たり前の連鎖の中で生きている私は自分が見えていません。時間に追われる中で自分を振り返る間もなく出てくる言動は、結局、両親から受け継いだものでしかありません。

そういう中、私自身が親にされたことを妻や子どもにしてしまったことを自覚し、感情の世界へと方向転換していきます。さらに、日本の歴史を見、不安の世代間連鎖をたくさん見てきて、日本全国、そして全世代に渡って「不安」から逃れている人はいないなぁと実感し、その個別事例の積み重ねの中で、この共依存社会の実体がよく見えるようになってきたわけです。

けれど、自分がする自覚と、客観的に見せられる自覚とは衝撃が違います。自覚していることはかなり象徴的な出来事であり、日常の些細なことは覚えていないものです。しかし、こちらが意識しないその些細な中で、子どもたちは追い詰められていたわけです。

娘や息子がエンプティチェアで見せた私は、相談者の方々がエンプティチェアで見せる親そのものでした。この子達の中にこれほどまでに・・・そのショックは、自覚をさらに深いものへとしました。

その私は、『ハラッサーは生まれたときからハラッサーではないということ。ハラッサーを受け続けて受け皿を引き受けてきた、つまりはハラッシーだったのです。』と、真智子がブログで書いているように、ハラッシーでした。それが気づいたときには、ハラッサーになっていたのです。

ですから、上に挙げた真智子の言葉がストンときました。
確かに私はハラッシーでありハラッサーでした。
そして真智子もまたハラッシーでありハラッサーでした。


このブログでも、形を変えてたびたび書いておりますが、現代文明社会は壮大な共依存システムだと思います。そして、その社会システムに適応させるようにあらゆる仕組みが動いているように見えます。

本来太陽に向かってまっすぐに伸びる生命も、共依存体系に適合できるように小さな頃から役割ロボットとして鋳型成形させられていきます。一方で、不安を抱えた私たちも見捨てられないように自らを道具にしていきます。こうして共依存システムが維持されていくのです。

つまり、今や誰もがハラッサーになり得る社会―それが、当相談室の見解なのです。




★二項対立が無意味になる時代へ-------------------------------

さて、冒頭に節分のことを書きました。
今はどのような分岐点の時代なのでしょうか。

資本家vs労組。資本主義vs共産主義。→これらはいずれも「所有」という土俵上に立っていますね。対立していますが、同じ穴の狢です。

加害者vs被害者。ハラッサーvsハラッシー。→これらはいずれも世代間連鎖の犠牲者です。ともに、人生脚本の操り人形であり、不安からの逃走者なのです。

私の相談者には、上記「二項対立」の両側の人がいます。

私にとって、二項対立は意味がないのです。


今の時代の分岐点とは、この二項対立のようにわかりやすい分岐点ではありません。上記二項で争っている人々は、もろともに片方の道を行くことでしょう。

残された道は、その二項対立から降りた道です。
その道へと、一体どれだけの人がいけるのでしょうか。

その道に行くためには、『上(外)に向かうためには、まず下(内)に向かう』と書いたとおり、とことん自分と向き合わなければなりません。意識を外に向けている間は、一歩もその道に向かうことはありません。

ハラッシーハラッサーのでき方」「ハラッサーのでき方」と一般論的なタイトルをあえてつけたのは、いずれも世代間連鎖の結果であることを示すためと、私たち相談室の姿勢を示すためでもありました。




★“ゼロに”--------------------------------------------------

「ONEPIECE」の65巻を昨日読みました。

フカボシ王子が全国民に呼びかけます。

『我々は…海底深い無法の溝に蓄積し続けた
 いびつな“怨念”に見て見ぬフリをし!!
 表面ばかりを整えて前進した気になっていた!!』

そして、彼は無念の思いで叫びます。

ONEPIECE65


『我らはまず……“内側”と闘うべきだった!!』

―この無念が身に沁みますね。




私たちは…心の奥底、無意識の溝に蓄積し続けた
いびつな“怨念”に見て見ぬフリをし、
頭で分かったつもりになって前進した気になっていた。

母は世代間連鎖の“怨念”に飲み込まれたのだ。
しかし私は心のどこかでまんまと人を恨んでいた(人のせいにしていた)
“怨念”は、生きる者が勝手に生み出し増幅させる幻。



オトヒメは、こう言っていました。

『つらいでしょうけど……!!
 人間達への怒りを…!!! 憎しみを!!
 子供達に植えつけないで……!!』




連鎖を断ちましょう

そして、プラスでもマイナスでもない

ゼロポイントに戻りましょう







【カラーボトル 「ゼロになって」】




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事実を眺める

1、当ブログはコメントを書く自由を制限していませんので、書かれる方は当然書く責任を負います。今回、何名かの方を巻き込んだ責任は取らなくてはなりません。そして責任を取るとは「事実を明らかにすること」―それ以外にはありません。

2、また、これはネットという公共の場で行われたことですので、公共に事実を知らせる必要があります。そのため、paoさんから頂いたメールも明らかにさせていただきます。



★事実経過----------------------------------------------------

【2011.10.26 22:43】
コメント欄に記入できないという読者からのメールが真智子から転送されてきました。(→下記真智子が掲載しているメールですので再掲載はしません。実名は記されておりません)


【2011.10.26 23:39】
すぐに事実を調べて対応し、下記メールをご返信しました。

Subject: お問い合わせの件
Date: Wed, 26 Oct 2011 23:39:14 +0900
From: 中尾相談室
To: *********@*****.**.jp
----------------------------------------
pao 様

こんばんは。(真智子よりメールを転送してもらいました)
いつもコメントをありがとうございます。
また、今回コメントできずにご心配をおかけしました。

真智子も試しにコメントを入れてみましたら「禁止キーワード」ではじかれたようです。そのような語句は使っていませんので、おそらくこちらの設定 の仕方に問題があったのでしょう。

とはいえ、かつて複数行にわたっていたものを仕切り線「|」を入れて1行にまとめなおしただけなのですが・・・どうやらそれが悪さをしていたよう です。元に戻しましたので、今はできると思います(こちらでテスト入力してみましたらできました)。万一、できなければ、またご連絡下さい。

ありがとうございました。

中尾英司



【2011.10.27】
他にも同じように困っている人がいたかもしれませんので、上記のことを記事にしました(↓)。
【お知らせ】禁止キーワードでコメント投稿できない
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-2315.html



【2011.10.27 17:47】
paoさんから、メールフォームを通じて、次のメールをいただきました(実名は記されておりません)

送信者:pao(*********@*****.**.jp)
日付:2011/10/27 17:47:04
件名:コメント
ホスト:***-***-***-**.***.****.**.jp
----------------------------------------
出来ました。
私が何かのウィルスに感染してるんじゃないかとか、以前に投稿したコメントにじぶんでは気付かないとんでもない失言をしてコメントが出来ないように設定されてしまったんじゃないかとか、色々考えてしまいました。
今までの「すべて自分のせい」、「人は自分を嫌っている」などなど考え方の癖が出てますね。
ご連絡ありがとうございました。
これからもブログ拝見させていただきます。
真智子さんにもよろしくお伝えください。



【2011.10.27~2012.01.25】
以降は、投稿できないというトラブルもなく投稿されています(上記期間に30件)



【2012.01.30~2012.02.11】
1/30に『ハラッシーハラッサーのでき方』の記事を書いて以降、6つのコメントを書かれています。(その内の3つがこの記事に書かれているコメントです。)

その2つ目の記事(2.11)は“平和の祈り”さん達の記事に煽られたのかと思いましたが、そこに誤解を招くような記載がありましたので私がコメントを書かせていただきました。

そのときに『paoさんが、このコメントに返事をされるのであれば、本名を入れて当相談室宛にメールにてご連絡下さい。』と書きましたが、それはなされず、再びコメントによる返答がありました(↓)。



【2012.02.12 15:12】
その最後(2.12)に頂いたコメントの中で、『ご本人には匿名じゃないと思い、思い切って自分の感じたこと、違和感があると書きました。』と書かれてありますが、上記のとおり実名を明かしている事実はありません。

『その時にpaoこと~~と書いていると思います、記憶違いでなければ。』と書かれていらっしゃいますように記憶違いをされたのでしょう。

そのコメントの最後に『後ほど本名でメールさせていただきます。』と書かれていましたが、メールフォームより下記のご連絡をいただきました(↓)。

送信者:** **(*********@*****.**.jp)
日付:2012/02/12 15:12:06
件名:paoです。
ホスト:***-***-***-**
----------------------------------------
何故か書いている途中で送信されてしまいました・・・。
本名でメールするようコメント欄に書かれていたのでメールしました。
私は** **(** ***)といいます。


(※頂いた内容は上記で全てです。また、『何故か書いている途中で送信されてしまいました・・・』とありましたが、他のメールは届いておりません)

上記が『paoさんが、このコメントに返事をされるのであれば、本名を入れて当相談室宛にメールにてご連絡下さい。』との呼びかけに対してのご返事ですので、それを持ちましてこの件は終わりにせていただきます。皆様も、これ以上の発言はお控え下さい。




★★---------------------------------------------------------
以上が全経過です。

事実は多様な側面を持ちます。そのどの側面にスポットを当てるかは、本人次第(本人の無意識の恣意)です。

この全経過から何がどうだと判断するつもりもありませんし、この事実経過から何をどう学ぶのかはご本人に任されていますので、事実を明らかにした時点で私の役割は終わりです。

ただ、読者に誤解を与えることについては、正させていただきます(↓)。



○------------------------
1、『★当ブログ(場)には方向性がある・・・によると、私がこちらのブログについて違和感を持ったことについてコメントしたことは、いけないことだったわけですね。』について。

上記に書いたとおり、事実は多様な側面を持ち、そのどの側面にスポットを当てるかは本人次第なのです。
私は、事実をシステムズアプローチの観点から切り取って見せており、かつそのことを表明しています。今回の記事もシステムズアプローチの一つである世代間連鎖の観点から書いております。

システムズアプローチも世代間連鎖の観点も、自分を相対化しなければ持ち得ない観点(立ち位置)ですので、エゴに囚われている間は理解したくもないでしょう。しかし、この見方が社会に浸透していかなければ、いつまでたっても犠牲者が犠牲者を生み出し続けるだけなのだと思います。

少しでも多くの人にその犠牲の連鎖から抜け出てほしい。そのために、この難しいものの見方をどのようにお伝えするか―そこを、あの手この手で書いているわけですから、ブログ全体を通して何かを感じ取っていただければと思います。

また、違和感を感じましたら、真智子が書いている通り、『一度手放してしばらく読まなくてもいいと思いますよ。しばらく進まれて、ある日読めなかった記事が数ヶ月、数年後に納得される方もいらっしゃいます』

『誰を批判する必要もありません。』
『このブログの観点と合わないと感じられたなら、どうぞただ静かに去ってください。』



○------------------------
2、『★コメント・ポリシー・・・も読みました。私は私以外の方のコメントについて批判するようなことは書いていません。あ、でも後で私のコメントが批判されたことについて「未熟でごめんなさい」と書いたことは’YOUメッセージ’に当たるのかもしれません。』について。

「未熟でごめんなさい」と書かれたことが、『私のコメントが批判されたこと』について書いたものであったのを、この文でハッキリと分かりました。ここで、「Iメッセージ」と「Youメッセージ」の最も大きな違いを記しておきます。

「Iメッセージ」は自分のことを書きますので、曖昧な部分がありません。
「Youメッセージ」は曖昧です(あえて曖昧にしている場合もあります)。ハッキリしているのは自己主張です。

自分を見つめて書いている文章か、誰かに何かを訴えたくて書いているのか―その違いは書いているご本人は分かっているでしょうし、読者も読めば分かると思います。



○------------------------
3、『英司さんのブログとこちらのブログでとても勉強になります。ただどうしてもどこか違和感が拭えませんでした。それが根底に漂うヒューマニズムというイデオロギーだと思いました。ほとんどの部分で共感できるけれど、端々に違和感を覚えていたんです。あちらのブログにも書かせていただきました。嫌な思いをさせると思います。ごめんなさい。』

上記は、【2012.02.08 16:46】にpaoさんが、真智子のブログにコメントされた内容です。両ブログにまたがって書かれていらっしゃいますが、書くべき場が違います。これは責任ある態度ではありません。


以上により、paoさんは当ブログのコメントポリシーに反しておりますので、コメントを書くことは禁止させていただきます。



○------------------------
その時の気持ちで名前を変えることはかまいません。が、一人の自己主張について何人かいるように見せかけるやり方は嘘で恣意的に過ぎる行為です。“平和の祈り”さんの行為は悪質ですので、以降のコメントを禁止させていただきます。



★★★---------------------------------------------------------

さて、真智子は『私のブログにも、時にはメールフォームから実名で感想をいただくこともありますが、相談者さんのファイルを管理するので精一杯ですから、お名前を覚えたり記録することは致しませんし、お返事をする時間も取れません。』と書いています。これは管理することはしていないということです。

が、これまで当相談室と関わったすべての方のデータはバックアップを取って保存してあります。ですから、必要があれば、やりとりしたメールの内容や、コメントポリシーを逸脱したために削除したブログコメントも含めて全てを全経過とともに提示することができます。

(なお、私たちには守秘義務がありますから、正規のカウンセリング関係を結び正規に終了された方の資料を公表することはありません。が、私たち自身を守る必要が出てきた場合や公的に求められた場合などは提示しなければなりません)



事実をじっと眺める。



そこから学ぶことはたくさんあります。





 

paoさんへ

私も実名を知っているとあり、相談者さんのどなたかしら?とびっくりしていました。今コメントを拝見して、なるほど、とメールフォームの届くフリーメールで確認しました。個人情報のアドレスやホストは隠しますが、それ以外は読者の誤解を招くのは嫌なので、本文のまま掲載させていただきます。

【 ハンドル名 】:pao
【 メールアドレス 】:*********@*****.**.jp
【 お問い合せ内容 】:
ブログ「あなたの子どもを加害者にしないために」にも時々コメントさせていただいています。そちらに今回2回ほどコメントしようとしたのですが、 禁止キーワードとNGワードというのにひっかかりコメントできませんでした。書き込んだ言葉に特に問題はないように思えたので、もしかしたら私の投稿名なのかもしれません。
メールフォームで問い合わせてみようとしましたが、それも出来ませんでした。
こちらにご連絡するのはどうかと思いましたが、私が以前書き込みをした内容に問題があるのであればどういったことなのか教えていただけたらなと思 い、失礼は承知でご連絡しました。
申し訳ありませんが確認いただけると幸いです。
もし変な書き込みをしていたならもうしわけありません、でも思い当たらなくて・・・。

____

という内容で私のメールフォームに届いたメールを英司に転送しました。実名は入っておりませんでした。英司は転送を受けて以下のようにブログにて 記事に書いております。

【お知らせ】禁止キーワードでコメント投稿できない
http://nakaosodansitu.blog21.fc2.com/blog-entry-2315.html

この記事で解決しているように感じます。

私のブログにも、時にはメールフォームから実名で感想をいただくこともありますが、相談者さんのファイルを管理するので精一杯ですから、お名前を覚えたり記録することは致しませんし、お返事をする時間も取れません。

ある日のブログの記事が読めないと感じたら、その時は一度手放してしばらく読まなくてもいいと思いますよ。しばらく進まれて、ある日読めなかった記事が数ヶ月、数年後に納得される方もいらっしゃいます。そんな風に読み流したり、振り返ったりして活用されるといいのじゃないかなと思います。

コメントをするしないの自由と責任はご本人の選んだことですので、その後心に何か起こったらご自分の問題として振り返っていただいたらいいと思いますよ。


 

私は

以前、コメントしようとしたら設定が原因か何かでコメントが出来なかったので、「コメントができなくなっています」とメールしたものです。
その時にpaoこと~~と書いていると思います、記憶違いでなければ。
中尾さんからもご連絡いただいています。
ご本人には匿名じゃないと思い、思い切って自分の感じたこと、違和感があると書きました。

「当ブログの「場」の機能とコメントポリシー
」を読みました。
以前読んだことがあったようです。
が、だいぶ前のことなので詳細については覚えていませんでした。
★当ブログ(場)には方向性がある・・・によると、私がこちらのブログについて違和感を持ったことについてコメントしたことは、いけないことだったわけですね。
★コメント・ポリシー・・・も読みました。
私は私以外の方のコメントについて批判するようなことは書いていません。
あ、でも後で私のコメントが批判されたことについて「未熟でごめんなさい」と書いたことは’YOUメッセージ’に当たるのかもしれません。
それに違和感を持ったことについてコメントしたことが他の方がコメントする際に不安を覚えたり安心できない場を作ってしまったのなら申し訳ありません。
私はこちらのルールに違反をしたわけですね。
そういったルールについて良く知らずにコメントしたこと、申し訳なく思います。
「当ブログの「場」の機能とコメントポリシー
」で書かれているように、不適切なコメントと判断して削除していただいてかまいません。

後ほど本名でメールさせていただきます。

 

paoさんへ

只今出先ですが、コメントを読んで驚いております。
まず、読まれている方に誤解がないように初めに書いておきますが、2つの記事に書かれている事例の方は、解説を載せていただいてありがとうござい ますと、喜んでいらっしゃいます。(現在もカウンセリング継続中の方です)


次に、『私の本名もメールアドレスも中尾さんご夫妻は知っているので。』と書かれていらっしゃいますが、paoさんが誰であるのか、こちらではわ かりません。


『コメントで勉強してくださいと言われたことがとても嫌でした。まるでさらし者にでもされたように感じました。』―これは、上記の記事の下記の部 分のことでしょうか。
 ↓
『中には、ハラッサーが仕掛ける典型的な書き方がなされているものもいくつかありますし、それを『「心理テスト」型チェーンメールを分析する』の ように細かく解説することも皆様の勉強になると思 いますが、コメントは残しておきますので眺めてみて下さい。』

コメントをした時点で、それはすでに公共のものです。


paoさんは、コメント・ポリシーを読まれましたか?
『当ブログの「場」の機能とコメントポリシー』という記事に書いてありますので、お読み下さい。


paoさんが、このコメントに返事をされるのであれば、本名を入れて当相談室宛にメールにてご連絡下さい。2/15以降に確認させて頂きます。

 

私は

コメントで勉強してくださいと言われたことがとても嫌でした。
まるでさらし者にでもされたように感じました。
だから怒りが湧きました。
もしそうするのであれば、皆の教材にしていいか聞いて欲しかったです。
私の本名もメールアドレスも中尾さんご夫妻は知っているので。
そういう記事を書くけどいい?って。
嫌なことされて嫌だったから嫌だと伝えました。
ただ私の感情も自分の中の分別から生まれたものなのでね。
自分の中の価値観が生み出したものというか。
だけど湧いてきたから湧いてきたよと伝えました。
伝えられたら嬉しかったです。
いま、親に嫌なことをされて嫌だと言ったら「あんたの為に言ってやってるのに怒るなんて、なんて子なの!」って言われた時と同じ気分だけど・・・これ書いたらまた責められそうだな。
でも書いちゃった。
未熟でごめんなさい。
でもそれが今の私です。

 

なんだろ、中尾さんを批判してる人がいるけど
ほんとにお門違いだなって思う。

自分の心が自律すればするほど、中尾さんのされてることはすごいことなんだな~てわかるようになってきた。

だって自分だと完全に自律してもたぶん、心病める人にこうやって暖かいメッセージを送るだろうか?って考えたとき、たぶんNOだから。

先生は書くことがすきなのかもしれないけど(間違ってたらすいません。笑)こうやってメッセージを送ってくれてるってことが中尾さんの愛情なんだと思う。

 


以前の私なら「んだよこれ!受け皿が悪いの?この記事がハラスメント!?」
って拒否反応たっぷりで思ってたかも^^;

なんていうのかなぁ・・・私がそうだった時は、そういう段階でしたってだけなんですよね。そのことに善悪のレッテル張る気もないし。

立つ場所変われば、見える景色も変わるしね。感じ方や受け取り方も変わってくる。
だってそこにいくまでに、泣いて怒って傷付いて、いろんな体験を通して沢山のことに気がついて、深まる理解全てが、背骨に成っていく。

自分を覆っていた、目には見えないけど些細なことにも怯えて震えて反応しちゃう膜が
少しづつはがれていって、その代り内側からの光が強くなって暗闇を照らし始めて

色んなやんごとなき事情があって
受け皿という役を演じていた私
そのことに気がつかなかった私
気がついちゃいけなかった私

無意識だけど それを全部自分で選んでたことがわかった
わかってから、それを受け入れるまでに、また苦しんだ

自分で選んだ とか 自己責任 とか・・・

これを敵にしか思えなかった自分がいた
だって、私の心はまだこんなにも血が流れてる
痛くて辛くて悲しい
怒りでパンパンで張り裂けそうだったから

ただでさえ、(無意識でも)全部を自分のせいにしてきた人生だったから
一度くらい思いっきり何もかも、全部私のせいじゃない!!私は嫌だった!!!と全力で叫んでみたかった。

真実(ほんとうのこと)なんて意味がない
叫びたいよ 「私は悪くない!!!」
もっといえば、「あんたが選ばせた!そう仕向けたあんたのせいだ!!全部あんたが悪い!!」という怒り狂うチャイルド全開だったのに・・・

それを大人の理屈で「いや~でも、全部が悪いとか、全部他人のせいとかなわけないっしょ、言っちゃだめでしょという理屈で、その「ICの気持ち」に「気がつくこと」も表現することさえ抑え込んだりもした。


でも・・・色々ありまして・・。怒りで気がおかしくなるほど、頑張ってきた自分に気がついて、理解して、真正面から受け止めることができたとき、怒りやら悲しみやら張りつめていたものが、もっとどーーーっと出てきましてね。

で・・・パンパンで張り裂けそうな心に隙間ができた
それから少しづつ自分で選んだってことを
とてもニュートラルな観点で理解できたし受け入れられるようになった
でも、今はそう在れなかった自分もめんこいです。

 

その方は関係ありません。知らない人です。
私は 何度も名前を変えて投稿するほどごり押したのは 申し訳なかったですが、
書いた気持ちは そのままです。全部言いたいことです。
それから人と組んでもいません

 

paoさんて

平和の祈りさんと違うヒト?
平和の祈りさんはあなたを利用したみたいだね。

読んで書いて怒ってヒトのせいなんだ。
それどうなん?
中尾さんもヒトが良すぎ。

 

そうですね
ごめんなさい。
私ここに何度かコメントしました。
何度も別名でしたことは申し訳ありませんでした。

受け皿の批判は絶対違うと嫌でした。
また、なってしまうと思いました。
どう言えばいいのかほかに 方法がわかなかった。
全部コメント内容はそのままの言いたい気持ちです。

 

平和の祈りさん

平和の祈りさん、いい加減にしたら。

 

私は、受け皿役こそが、汚く悪いような記事に、
思わずコメントした者です。

実は 元旦かな?そちらで 親切についても コメントもしたんです。
チョッカイを出してくる
誘ってくる
声をかけてくる
パンフやらを渡してくる
これらの不快は、相手のせいではないと、自分基準思い込みだと書きました。
そういうものが 全て、ハラッサーなら
親切を睨むようになってしまう。
でもみなさんが不思議にスルーされました。
この雰囲気は危ない気がしました。こちらで発信されたものなので、疑問でした。

なんとか笑いに変えて説明しましたが、
ただの馬鹿にしか映らなくて。
そして、今度は受け皿役を攻める流れになりそうなイメージ操作?を感じて

いったい、何の方向に向かいたいのだろうと
とても困惑しました。

読者はこちらを信じ素直に受け入れているので
簡単にまたコメントで受け皿非難内容がはじまらないかなぁと思いコメントしました。

私の考えすぎか 解りませんが、
心理学は 他人を暴き他人を評価批判するために使うのでなく
自分の内面の光りと闇を掴むため理解するために
使うものだと思っています。
親切な人、受け皿的な人は否定オッケー叩きもオッケー
なぜそんなムードに行くのか解らない。

愛ある社会から遠くなると思う。

 

ハラスメントが

どういうものかもう一度考えてみてください。
私はこの3回の記事にコメントしたことで自分が辱められたように感じました。
とても怒りが湧いてきました。
これがハラスメントだと思います。
この記事で全方向を封じられた感じがします。
私は心の問題はどのような環境で育ったとしても同じだと思っています。
親が居ようが居まいが。
貧しかろうが裕福だろうが。
世の中では、あの人は物理的に貧しい(持っていない)からかわいそう、豊か(持っている)だから幸せと考えがちです。
でも心の問題にはそういった物理的なことは全く関係ないと思います。
むしろ持っているからこそ、目の前にその対象が居るからこそ、葛藤が生まれるということもあります。
私はヒューマニズムというイデオロギーの範囲内での自律がしたいわけではありません。
人格者であるとか立派な人間になりたいわけではないのです。
人は動物や植物や虫となんらかわりのない存在です。
私はそういった自然の生き物のひとつとして生きたいと思っています。
それが本当の意味での自律だと思うからです。
まあそんなに肩肘はってもいませんが・・・。
昔の人があらゆるものに神さまの存在を見たように、人間もある意味神さまです。
八百万の神さまは人にとって良いこと(都合のいいこと)ばかりをするわけではありません。
(私は特に宗教とか入ってませんよ。まあ宗教に入ってても別にいいですけど)
ここ最近の記事だけをとりあげての断片的な理解で書いているのではありません。
全体を度々読ませていただいてきた中で感じたことを正直に書いています。
私は専門家ではありません。
だから自分の中から湧いてくる違和感を見つめて感じたことです。
でも今回のことでまた色々なことに気付くことが出来て勉強になりました。
何ごとも無駄ではないな、有難いことだと実感しました。

 

あなたの子どもを加害者にしないために?
私こそが加害者なのだ
憎んでいたものに
自分がなっている
私はわたしを憎む?
殺したいほどの憎しみは
返す刃になって私を殺す
死にたい
いや、死にたくない
このままでは死ねない
生きたいんだ

 

わからなくなってます

先日、半年ぶりに会った友人に、「きれいになったね」とほめられました。(〃▽〃)>))
今年の初めにも、知り合いに「雰囲気が明るくなった、よかったね」と言ってもらいました。

ハラスメント界から離れて、心身ともにほっとして 解放されたんだな~ と思います。
この間、とある人がイベントのお誘いをしてくれて、
「メールするね~」なんてフレンドリーに言いながら 一向に連絡がなく、
「結局あの人は私を呼びたくないんだよね」
「ハラッサー的言動の強いブラックホールな人だったから、別にいいんだ」
などと、彼女のせいにして「いかなくてもいい自分」を作り上げ、正当化しようとしていました。
でも、ふと思った。
「本当は私、行ってみたいんでしょ?」
「彼女はともかくとして、新しい環境に飛び込んで、新しい出会いを求めてるんでしょ?」
「メールもらわなかったから行かない、じゃない、自分が行きたきゃいけばいいじゃないか!」
・・・で、図々しくも出かけて行きました。
よくわからないけど、それなりに楽しかったです。
初対面の人とも話ができ、食事に行く約束までしちゃいました(あ、女性です)。
この日はICに従うことができたのかな~ と
うれしくなりましたが・・・・

その実、ほんとうに背骨ができつつあるのか、
種が根を張っているのか、わからなくなってもいます。
なんだか、「もうこれでいいや」なんて言って、成長をやめてしまいそうな・・・これもIPの仕業なんでしょうか。

宇宙にたった一人取り残されたような孤独を感じることはなくなりましたが
ほんとうにICとつながることができたからなのかどうかもわかりません。

一歩一歩進んでいけば、完全にハラスメント界から抜けて、自分のハラッサー的な言動もなくなって、
「もう大丈夫」な ところに たどりつけるのでしょうか?

 

自分のゼロポイントはなんだろうなーって思ったとき

あの死と生を彷徨った死をリアルに感じた精神疾患になったときです。

その時感じたのは、自分の味方が誰か強烈にっわかった。

そして自分という人間は自分にしかどうしようもできないもんだって強烈に感じた。人はどん底に落ちて、全てが理解できる。それをダイレクトに感じました。

正直社会がどうかとかどうでもいいです。自分の人生を歩くだけ。それ以外何があるんだろう。
この我が魂は自分にしか歩けない。誰にも歩けない。誰にも歩かせない。

それはそうと最近見た「Always 三丁目の夕日」
めちゃめちゃよかったですよ!

あの映画が何故絶賛されるのか・・
人間の深い部分で一番求めてるのはあの三丁目の夕日のような暖かい地域暖かい家族、そういったものじゃないのかなって思います。

人間はどこに向かってるんでしょうか。
三丁目の夕日おすすめです!!

 

自分と向き合う・・・

中尾先生のブログ記事のタイトルを見て、「ハラッシーハラッサーのでき方」と「ハラッサーのでき方」と続いたので、何となく「あれ?」と思っていましたが、上記を読んで腑に落ちました。

かつての私も心のコップが常時満タンで、事あるごとに漏れ溢れていました。そして、すさまじい共依存から家族も失い、いよいよ崖っぷちまで追い込まれたところで中尾先生のブログに辿り着きました。

そして、気付いてしまったのです。
「世代間連鎖」という不幸な連鎖に。

知ってしまったら後には戻れません。
臭いものにフタをしても臭いは漏れてきます。
もう自分を誤魔化せないところまできていました。

だから、決心しました。
「自分から逃げずに自分と向き合う」と。

それからというもの、苦闘の日々でした。
この苦しみは文字にしても伝わらないと思います。それは先生がブログ上で再三触れている通りです。

大事なことは、
「自分を救えるのは自分だけ」
「最後の壁は自分で乗り越えるしかない」
のだと思います。

そして、時には回り道をしながら、苦悶の日々を過ごし、紆余曲折を経て私にもきました。不安ちゃんが。

先生にサジェスチョンを受けつつも、脚本ちゃんとIP(思考)が邪魔して気持ちを表現するのが中々難しい。ところが、「こわい」と声に出して表現すると泉のように溢れんばかりの気持ちが出てきました。

その時、自分の中にあるたくさんの気持ちが同時に救われた感じがしました。

ひとしきり自分の感情、気持ちを吐き出すと、不思議なもので「母ちゃん、オレ、今、幸せだぁ」と自然と口をついて出てきました。

「人間ってスゲー」

自分の事なのですが、他人事のようにそう思いました。

それ以降も、劇的に生活が変わるわけではないのですが、「自分は変わったんだ」と信じています。

あ、劇的に変わった事があります。かつては、孤独が辛くて、寂しくて、誰かとつながりたい。そんな時につながるのは依存し合う同士でした。

「第二の誕生」後にも、時にはブラックホールに吸い寄せられることもありますが、それにすぐ気付くことができます。なぜなら彼らの手の内は単純明快です。だから、彼らのハラスメント手法を客観視して軌道修正をする事ができます。そうした点で劇的に変わったと思います(実体験済み。もちろん痛い思いはしますが・・・)。

ブラックホール人間に気付いて、その上、客観視して軌道修正までできるって、すごいことだと思います。今後の人生で大きなアドバンテージとなるかもしれません。

それともう一点、今回の先生のブログ記事「ゼロポントに戻ろう」から大きなヒントをいただきました。

これまでは、ハラスメント界で「資本vs労組の癒着の図」を体験したり、イデオロギーもかじってきました。しかし、今となっては夢幻か。地球規模で見ても、物質文明の瓦解はすぐそこまで迫っているように見受けられます。私自身も色々な意味で分岐点だと体感しています。

そして、ハラスメント界の真っ只中にいながらして、自律の道を選んだ自分に何が出来るか。

おぼろげにそう思っていたとき、今回の記事から「変革者(パイオニア)たちへ」に行き当たりました。

記事を読み進めるうち、私の内奥からみるみる力がみなぎるのが分かりました。魂が震えるとはこの事だろうか。

そう、今の私はバイメタル。

これまで一匹狼だった私が、職場でのやり方を変えている。まさしく中尾先生の指摘の通りの行動をとっていた。私のやり方は間違ってなかったんだ。そう確信できて、すごくうれしくなった。

まずは、自分の足元から。
ちゃんと地に足を着けて歩くこと。
すなわち自分の「自律」を指すのだが、「自律」しても最初はヨチヨチ歩き。そんな自分に何ができるのか。

今の私にできる事は自分の組織を少しでも変える事。新しい風となろう。旋風ではない。例えて言うなら「そよ風」だろうか。

そして、それが達成したらまた次の道が待っている。

「人生、よく遊び、よく遊べ」

ですよね(*^^)v

自分を信じ、中尾先生を信じて本当によかった。

先生、ほんとうにありがとう。

そして同志たちよ。

誰一人、決して孤独ではないんだ。

私も自律に向かう人々を心から応援している。

自分に感謝。
家族に感謝。
仲間に感謝。
中尾相談室に感謝。

ありがとう。

 

小公女セーラ  ひまわり (下成 佐登子)
http://www.youtube.com/watch?v=2fqXi_x6zgI

 
    
 
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