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4-「人とつながるな」という禁止令

2012/02/21(Tue) Category : 結界
【家の結界の解除と子どもの変化】

★10,「人とつながるな」という禁止令--------------------------------

Bちゃんが席を移った時のこと。自分のコップが私の横に置いたままであったことに気づいて、思わず「あ、コップ」とBちゃんが言ったので、
「とってほしいの?」と訊くと、照れ笑いしたような感じになり、
「大丈夫、自分で取れるから」と、わざわざ椅子を降りて回り込んで取りにきた。

「えらいねぇ。でもね、全部自分でしなくていいんだよ。手が届かないものは、“取って下さい”ってお願いして取ってもらえばいいんだよ。おじさんは、お願いされることが嬉しいし、取ってあげることも嬉しいんだよ」と言うと、照れたような「ほんとにいいのかなぁ」と戸惑っているかのような顔をしていた。

ちょっと前項の記事を思い出してみよう。
1、前の記事では、Bちゃんは自分でせずにお母さんにやってもらった。
2、この事例では、Bちゃんは人に頼まずに自分でした。

あれ?
Bちゃんは自分でできる子なの、できない子なの?

パッと見には、どちらかわかんない。
一体何が基準で自分でしたりしなかったりするんだろう?
(ちょっと考えてみましょう)

















































よ~く見ると基準がわかる。
1、お母さんにしてもらえることは、自分でしない
2、人に頼めることは、自分でする

つまり、
1、お母さんにしてもらえることは、「自分でしてはいけない」禁止令
2、人に頼めることは、「人に頼んではいけない」禁止令

一見矛盾しているように見えるけれど、次のように言い換えるともっとわかってくるだろう。
1、お母さんの出番を作るために「自分のことを自分でしてはいけない」
2、お母さんと関わらないところでは「人とつながってはいけない」

つまり、
「人とつながれず」+「自分のことを自分でやってはいけない」のだから=
「お母さんから離れられなくなる」わけだね。

この齢にして既に、「自律するな」「人とつながるな」という禁止令が内在化し(IPができあがり)、その禁止令に従って行動しているわけだ。
「三つ子の魂百まで」とはよく言ったものです。



これを意図的にやっている親もいれば、無意識にやっている親もいる。無意識にやっている場合、そのやり方(方法論)が身体にしみ込んでいるのだが、結局Bちゃんは、手のかかる「操り人形」として傍にいろと言われているようなもの。・・・苦しいよねぇ。

でも、子どもは懸命にそれに応えようとしている。だから、「とってちょうだい」って言っていいんだよと言っても、口を結んで決して言おうとしなかった。(健気だね)

このBちゃんの置かれた状態が、あの自画像にすべて現れており、それが、この「現場」にそのまま現れていたことにAさんも納得されていた。



さて、この事例でわかるとおりBちゃんはできる子だ。
できるけど、禁止令に従ってしない→その内「できない」と思い込むようになっていく。そしてこのままいけば、Bちゃんの将来は、

・人に頼らずいろいろしょいこんで、
・人のことは何でもするんだけど自分のことは何もできず、
・気持ちのままに行動できないので自律できず、
・わが子をかわいがれないピリピリした大人
になることになる。


今もしそのような状態になっている方がいたら、この事例を思い出してほしい。お母さんが意図的でなくとも、いつの間にか禁止令の呪縛に囚われていましたね。その囚われに気づくこと。

あなたは、できます。

お母さんのために、自分でしないことを選択しただけ。
それに気づいたら、自分を解放してあげよう。

あなたは、人とつながってもいい。
あなたは、自分のことを自分でやっていい。
あなたは、自分ができないことを人に頼んでいい。
そして、それらのことを口で言っていい。

それは、
お母さんを見捨てることにも、
お母さんから自分が見捨てられることにもなりません。

そして、
お母さんから離れても、またいつでも好きなときに
戻ってくればいいのです。








【天野月子 「人形」】


正しく微笑む仮面を纏い

ぎこちなく生きる子どもは

ただ、お母さんに笑ってほしいだけ


「ママ~!!」という叫びが聞こえるようです。





ココニ(人トシテ)在ルコトヲ

モウ言イナサイ

(内ナル)ママニ




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マドレーヌさんへ

お辛い中と胸中察します、、。
お子様を心配される気持ちよく伝わりますよ。
お子様は、試す行動をしてるように感じます。

参考になればと思い書きますね。

お子様との時間、メリハリをつけてみてはいかがでしょうか?
一日5分間でも30分でも真剣に遊ぶ。
家事をする時は、する。

この時に、私は、を主語にして、お子様に納得出来るように説明する。
お子様がギャーギャー言っても自分のすることをする。

お子様には、家事は、嫌いでダメでしてるんじゃないと伝える。
また、マドレーヌさんのお子様への罪悪感も見ていく。

完璧じゃなくていいんですよ。
お子様に言い聞かせなくて、いいんですよ。
マドレーヌさんが、楽になるようにしたらいいと思います。

無理せずに、マドレーヌさんご自身がリラックス出来る時間が持てますように願ってます。

 

お母さんさんへ

答えは、私は持って居なくて、お母さんさんに内在しているように思いますが、気付きになればと思い書きますね。

人に何かしてもらう▶有難うではなく、すいませんと言ってしまう。

自分の心と向かい合い努力して出来ることをする。出来ないことを、押し付けずに、◯◯頼めますか?と依頼する事が出来ずに、諦める。自分を卑下する。

このような事がサインかなぁと思います。

 

心のコップ

13年ぶりに授かった下の子が2歳になります。幼い子どもと過ごすのは、とてもパワーが必要ですね。皆さんのコメントを見て、私も、私も・・・と、胸がキュンとなりました。

以前、中尾先生の講演会で聴いた『心のコップ』の話が心に残っています。いっぱいいっぱいの状態は、まさに心のコップが『いっぱい』の状態なんですね。
『どんな賢者でも、心のコップがいっぱいの状態で自分(の怒り?)をコントロールできる人はいない』(記憶があいまいですみません)
だから、コップに水を溜めない作業と、溜まった水を汲み出す作業が必要なのですね。
子どもに付き合うのが苦しくなると、「子どもが悪いんじゃない、この子は叱られるほどのことはしていない」と思いながら、気持ちのやり場がなくて苦しくてどうしようもなくなります。
主婦は子どもから離れる時間がなくて、上の子が小さかった時も自分がゆっくりお茶を飲む時間もなくて、一人で全部背負ってしまって、結局は子どもにぶつけてきてしまったと思います。そうやって、親である私自身が、溢れた水を子どものコップに流してきてしまった。
また同じことを繰り返したくないと思いながら、苦しいと思いながら、少しでも自分の心に余裕が出来るように、子どもにはニコニコしていてあげられるようにと、棚卸をし、主人と話し、学ぶ日々です。
中尾先生の話にあった、ファミレスで主人に愚痴を聴いてもらうというのは、主人も冷静になれるのでいろいろ考えるきっかけにもなり、よかったです。
すぐに状況を変えることはできないけれど、自分を責めないで、少しずつ、少しずつ。失敗もありでいいから。

この頃は、我が子がかわいいという気持ちも遠慮しないで口に出せるようになりました。私が親に言ってほしかった言葉かな?(^_^.)
子どもを黙って見ていると、いろんなことを教えてくれるなあ、可愛いなあと思います。
上の子の時は、小さいくせに何でも一人前に要求してくることが許せなかったなあ。なんでも笑って許してあげることができなかったなあ。(>_<) 思うように動きたかっただろうなあ。窮屈だったろうなあ。家事も仕事も、子どもより大切なものなんてないはずなのに。家の中が散らかっていたって、お金がなくたって、笑っていられたら一番幸せなのに・・・ごめんなさい。(涙)
上記の記事が身に沁みます。

同じ立場で吐き出しあえる(受け止めあえる)場がたくさんあったらいいなあと思います。

 

まっさんへ

私の小さい頃を思い出しました。
自宅が事務所で幼稚園まで一日そこで遊んでいました。
両親は忙しい中でもままごと遊びに付き合ってくれましたが、ひとたびそこで両親や母と祖母が喧嘩を始めると、幼い私にとっては地獄でした。
怒りの波動がびしびし心に刺さって悲しくなる。
泣いて間に入ったり、小学生くらいになると言葉で喧嘩を出来るだけおさえようとしていました。
子供は親に幸せでいてほしい。笑っていてほしい。
そうなんだと思います。
子供なりに親が忙しくて苛々してるって伝わります。
私は親が苛々してるのは私のせいだと思って、喧嘩の仲裁に入ったり頼まれなくてもご飯盛り付けたり食器を片付けたりしていました。
今では母はそれが当たり前になり、動きません。
失敗したかなと思う時もあります(笑)

 

私だけじゃない

皆さん、辛い思いをされていますね。家庭がストレスになったり、職場がストレスになったり、私だけじゃない。このブログを読んで思います。子供達を可愛がりたいのに辛くあたってしまう。寝顔を見て可愛いと思えるのに日々の生活の中では叱り飛ばし、時には手も出たりして。その時には子供はただのお荷物の様に感じてしまう。何て母親だ。笑いたい。抱き締めたい。喜ばせたい。愛したい。

 

人にの世話を焼いたり、仕事になるとできるのに、自分自身の為になるとできない。

外ではできるのに内だとできない

最近「外でできるけど内でできないんだからやっぱりできない」という思考になってました。あぶないあぶない。

できていいんだ。

できてしまっていいんですよね。

 

マドレーヌさん、同じ気持ちです。

私も、どうしたらいいのか分からず、ただひたすら辛くて涙が出ます。
自分のような寂しい思いを子どもたちにさせたくなくて、
どうしたらいいのか、ブログを読み漁って、
でもやっぱり対応しきれない自分がいて、
うちの子供たちもこのB子ちゃんと同じ辛さを抱えていることだけはわかるから、
自分のことで精一杯の自分で、情けなくてどうしようもなくなります。
はじめに自分を救わなきゃ、きっとできないことなのだろうと思うけど、
自分を救えた気になって、まだまだ全然で、子どもに連鎖させている自分にものすごい罪悪感がでてきます。
どうしようもない、一人ぼっちの自分。
寂しさと、子どもへの罪悪感と、実生活のたくさんのストレスに、どうにも動けなくなります。

 

私も想像してみました

アヨさんの「コップの水を飲む」おはなしを私だったらどうするか、想像してみました。

相手が手でわざわざ押さえているのだから「飲ませたくない」のだろうと思って、声をかけることもなく別のコップで水を汲みに行く。

と、想像したとき私が小さいとき母がなぜだか機嫌がとても悪くなって、「どうしたの?」と尋ねることもできず、頼まれもしない台所の片づけをよくしたりしてたことを思い出しました。

なぜこんなこと思い出したのかな

昔も今も私は結構「つながる」タイプだと思っています。
でも、わが子は「つながる」ことに臆病なように見えます。
て、ことは・・・

怖いのかな・・・まだ 私は母が
分からなくなったので寝ようと思います。

みなさん聴いてくださってありがとう

 

マドレーヌさんへ

昔の私と息子の関係に少し似ていたので、息子にこの女の子の気持ちをどう思う?と聞いてみました。他に何か言いたいことがあるんやと思う、と答えます。
息子は3歳の時、毎晩私に怒りをぶつけていました。理由がわからなくて、いっぱい遊んだり、本の読み聞かせをしましたが、怒り続けました。ある晩、もしかしたら寂しいの?と聞いたらワーッと泣き出して、さびしい!!と言いました。そんなことを思い出しました。
そして先日、息子言い争った時、私にどうしろというの!?と言ったら、お母さんはにこにこ笑ってたらいいんや!!と言いました。ああ、そうなんか、と思いました。子どもが望むことってそんなことのようです。

 

辛い

いつも読んでいます。いつも心に刺さっています。機能不全家族を娘に受け継がせないように、
いつもいつも考えています。
けれど時々(いえ、しょちゅう)受け入れなくなってしまいます。
頭でわかっているのに、もうひとつの頭が受け入れられない。
娘はまだ3歳なのに私の呪縛のなかで生きているようです。
なので、なにかにつけてしつこい、反抗する、嫌がることをわざとする。
すべて、私にオールOKでうけいれてほしい欲求の表れだとわかっているのです。
でもあまりのしつこさにわたしは音をあげてしまい、しかりつけて言うことをきかせてしまうのです。
毎食事に2時間かけて入浴に2時間かけて着替えに30分かけて、それ以外の時間ずっと一緒にお絵かきブロック読み聞かせ。。。1日は24時間しかないのです。
その娘の要求をどうすればいいのか、私の容量オーバーになってしまうのです。
ゆっくりいいきかせても、娘を腹をたて、物をけったり投げたり、泣きわめいたり。。。
できるだけ笑顔で、できるだけゆったりとした気持ちで、できるだけ娘の要求をうけいれて。
でも、ひとり遊びをまったくしないので(常に私にまとわりついている)私も容量オーバーになってしまう。
それもすべてオールOKで私に受け入れてほしいから私にまとわりついて離れないのでしょう。
それもこれも私が不安のなかにいて娘をしっかり受け止めていないからでしょう。
どうすればいいか、わからなくなります。
どうすればいいか、毎日自問しています。
できることをひとつずつつみかさねないといけないことはわかっています。
それまでを呪縛のなかに暮らさせるのが苦しい。
娘はまもりたい。
娘が「ママ笑って、笑って」とよくいいます。
涙がこぼれます。

自分よがりの書き込みですみません。
はじめて書き込みしました。
吐き出させていただきました、すみません。

 

素直に頼みたいです

そういえば、母は厚かましいという言葉を、よく使います。だから私は幼い頃から、厚かましいと思われないようにとても気を使って生きていましたっけ。まるで呪をかけられているようです。素直にしてほしいこと言える人が、うらやましかったなあ。

 

就職してよかったこと

一族の結束だけ固い、他人を信じるなの見本のような実家から、全然関係ない仕事で若い人の多い会社に就職しました。(すごい昔)

社員は若くて、お客さんは20代から60代。何百人、いや1000人近く4年間で接客したと思います。

私には外で働く人生経験が絶対必要!この家しか知らなければ、構造的に外の人とつきあえなくなる。。。家を出たいんだから、絶対に社会に出てやる!!

そういうことを、本能的に悟っていた気がします。サラリーマンの生活を見たことがなかったので、最初は苦労しましたが、だんだん仕事上とはいえコミュニケーションを楽しめるようになりました。

売上をたくさんあげて、ハワイにも行ったり。電話かけるのも全然平気になりました。昔はお肉屋さんに口頭で注文するのもためらうような子供でした。(昔の肉屋さん)

お言葉に甘える。そういうことの意味、心地よさも学びました。遠慮ばかりされて、いやな気分になることありますよね。なぜか世話になったら悪いと思っている。世話するのが嬉しいのに。好意を受け取ったら、相手も嬉しい。何よりいいことですよね。

ほめられてやたら謙遜してか、いえいえとか、または全面的にガン否定されるのももったいないです。ありがとう、って受け止めたほうが絶対いい。

赤ちゃんを抱いていて、イベントのアクティビティに参加できない人がいました。10分だけでも抱いててもらっていいですか?って顔見知りのおばちゃんたちに頼めばいいのに。若いお母さんは赤ちゃんを抱いたまま見ていました。

さすがに奪い取るわけにもいかず。そういう構えの人にはやはり好意を持ち掛けにくいのです。断られそうな人には言い出しにくい。

構造的に、お言葉に甘える練習ができにくいのです。見てるだけでもいいけど、構えを変えたらお言葉に甘える気持ち良さとイベントも味わえるのです。

私も最初は、人を頼るのが下手でした。その気になれば絶対変われます。

 

私は、コップの存在に気づいてはいけなかった。気づかないフリをして、恐怖の中、身を縮めて母の命令を待っていた。
そして、恐怖の中にいることを人に(自分にも)知られてはいけなかった。
だから、私は何にも気づかず、自分では何にもできない、鈍感な人を演じていた…
感じることを禁じられ、身動きすることを禁じられ。
小さい私、つらかったんだなあ…

 

「お母さん、コップにティッシュがのってたらどうやって飲む?」ある朝、四年生の長男に聞かれた。「のけて飲む。」と、私。「じゃぁ、そのティッシュを誰かが手でおさえてたらどうする?」と、長男。「破いて飲む。」と、私。「お母さん!僕と一緒やぁ!」と、嬉しそうに長男。「これ、どうしたん?」「お父さんに聞かれてん。」「お父さん、何て?」「手ぇ、のけてって言うたらええて。」愕然とする。私にも、長男にも人に頼むという脳の回路が無い。あるのは、人に頼む事への罪悪感。私の様には育てまい、と思っていても親に刷り込まれた生き癖を知らず知らず子供にも刷り込んでしまっている。人と繋がれないなんて、つまんないよ!

 

思い当たる節だらけで・・

私、何とか子の親になり、幸せをゲットしようとしている『お母さん』です。

「人に頼んではいけない」「人とつながってはいけない」

これは、私のどんな行動がそんなサインになるのでしょうか。

ぜひどなたか教えてください。

 

この歌。最近気付いたことそのままの歌詞でびっくりしました。

そうだよ 
わたしはお母さんに笑ってほしかっただけなんだ。
やさしい目をして微笑んだお母さんに頭を撫でてほしかった。
たったそれだけ。
そんなちっぽけな願いのため。

そんな日が来るのを夢見て
何をどうすればいいのかもわからないまま小さな頭でいっぱい考えた。
お母さんが笑ってくれるなら、私なんだってするよって・・・

そうだそうだ
ほんと頑張ったんだ私・・・・
なんてけなげな生き物・・・

わたしも歌スルーするところでしたがコメント拝見して聞いてみました。聴けてよかった~

 

まさに今の私。

この記事を読んで、Bちゃんが大人になったのが、今の私だと思いました。
飲み会などで、遠くにある料理を人に頼んで取ってもらうことができなかったり、
極力自分で取ろうとしたり、Bちゃんのような振る舞いをしてしまう自分がいました。
本当に、母親の禁止令に支配されていたんだなあ、と実感しています。

 

わたし
そのまんまなんですけど。。。

「あなたは、人とつながってもいい。」
→そうなりたくて仕方ない
 でもなれないような気分

「あなたは、自分のことを自分でやっていい。」
→これならできそう

「あなたは、自分ができないことを人に頼んでいい。
そして、それらのことを口で言っていい。」
→これを考えるだけで、喉の奥に何かつまって
 とても口からだせない気分になる

胸がつまって苦しいです。


「それは、
お母さんを見捨てることにも、
お母さんから自分が見捨てられることにもなりません。

そして、
お母さんから離れても、またいつでも好きなときに
戻ってくればいいのです。」

これが、糸口かな~と思いました。
この文章が私のつかえを溶かしてくれるのを
実感しました。

わたしの「痛み」を溶かして
自分にやさしく進もうと思いました。







 

怖い体験でした。

歌詞が頭に入らなくて、歌詞を画面に呼び出してそれを見ながら聞いてました。

聞きながら、”わぁ、これすっごい気づき!”と思った事があって、歌が終わったらメモしようと思っていたんですが、曲の終了とともに抜けてしまいました。

シュルシュル~って感じでした。


そういえば最近、記事とともにのせてくれる歌をちっとも聞いていませんでした。

時間がないとか興味がわかないとか、自分なりの理由があったのですが、今朝、この歌は、「聴かなきゃ」と思ったのでした。

自分を縛る自分の魔力を見た・・・っていうか。
こうやって、感じる力を自分で閉じて、忘れて、その先に認知症という「病名」が待っているのだとしたら、こわいな~と思いました。

 
    
 
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