8-代理親としての観葉植物
★20,代理親としての観葉植物-----------------------------------------
ところで、植物がなぜ好きなのか?
生命があり、かつものを言わないからだという。
自分で静かにまっすぐ立って侵入してこない。
それだけで癒される・・・
つまり、植物が親代わりになっているよね。
Aさんが心から望む親のシンボルを植物に見ているようだ。
言い換えると、それだけ親からの侵入がきつかったということ。
安心できる親ではなかったということ。
安心して癒やされたいチャイルドが、植物を求めたのかもしれないね。
けれど、結局親に代わるものとして植物を置いているわけなので、
実は観葉植物は親と同じ役割を果たしている。
(えーっ?! とびっくりしました?)
(答えは、皆さんのチャイルドに訊いてください)
・・・やはり観葉植物を壁際に並べている方がいた。
その方にとっては癒しだった。
その思いのベクトルで眺めているときは、それ以外の側面は見えてこない。
「恋は盲目」-母恋しの自分が自分の目を覆い隠している。
しかし、自律に向かい始めたある日、ふと気づかれた。
『うちの植物が気持ち悪い、と初めて今日気づきました』
独り立ちの兆しだ。インナーチャイルドが真実を告げる。
『ふと目をやると化け物のようでした』
『小さな観葉植物も、怪物化しています』
盲目とは、このようなものである。
そして、気づきとはこのようなものだ。
「監視」と「安心」
「脅し」と「癒し」
-結界には、この両側面がある。
ICにとって窮屈で苦しい監視は、不安のある自分にとっては安心。
ICにとって感情を出すなという脅しは、不安感情を見たくない自分にとっては癒し。
結局、不安から逃げ続けている自分が自分の感情(IC)に蓋をする。
だから、我が子たちが閉じていっても気づかない。
けれど、不安から逃げ続けている間は癒しであったはずの植物が、
目覚めたICの曇りなき眼で見ると“化け物”に見えたのである。
さて、前項で見たインナーチャイルドの祭壇を祭るようにシンメトリーに置かれていた植物群。祭壇を崩していく流れで片隅に寄せられた。これで、バランスが崩れ、動きが生まれた。
さらに、実は時計など前から気になっていたと言うAさんは、踏ん切りがついたように自ら時計を外し始めた。
そして、「あぁ、だから私はあそこに隠れていたんだ」・・・外してはじめて、自分が物陰に隠れていた理由を実感されたようだ。
壁にかかっていた子どものものも外された。
後で息子さんのものを息子さんに返したとき、息子さんは「ほんとは自分のものは自分の部屋に置きたかったんだ」と、とても喜んだそうだ。
鎮魂の空間に命がリズムを刻み始めた。
【ウルトラ自宅警備隊】