患者さんの心を救った看護師さん
その方は、「動きが素早い人」というニックネームで呼ばれていた。
患者を、まるでベルトコンベアでさばくように対処していく機能的な仕組みの中で、優秀な看護師だった。
立ち止まることのなかった日々―
しかし、カウンセリングが始まって時々立ち止まるようになった。
自分が内でも外でも忙しくしていたのは、そうだったのか・・
脳内親にその姿を見せるため、と内なる不安から逃げるため
そのことに気づかれたNさんは、少しづつ働き方を変えていった。
そして、家庭と仕事のバランスも考えるようになっていった
ある患者さんが退院する際のこと―
そのご家族が、わざわざNさんを探して会いに来てくれた。
なんと、御礼を言いに来られたのだった。
Nさんは驚いた。
そして、嬉しかった。
Nさんがやったことは何だったのだろう?
それは次のようなことだ。
まず、急いでやることを目指さないことにした。
そして、患者さんが話しかけてきたときは、動かしていた手を止め、その人の目を見て話を聴くようにした。
また、予想はついても先回りせず、患者さんの要望を聴いてから動くようにした。
たったこれだけのことである。
時間にしてはわずかな時間を、余分に患者さんそれぞれに割いただけだ。
けれどそれが、患者さんにとっては何より嬉しかったのだ。
患者としてではなく、人として扱ってくれたこと―そのことが、迎えに来た家族に話をしたいほど嬉しかったのだ。
素晴らしい!
患者さんが、本当の意味で救われましたね。
そして、患者さんの感動が家族に伝わり、家族の御礼の行動が病院に伝わり、また評判が地域に伝わって、その病院が変わっていくといいね。
システムはあっても不幸な文明社会。
そこに、「心」が入るだけで、システムにぬくもりが生まれる。
けれど、心は本来ゆったりとリラックスした中でしか出てこない
だから現代社会システムの中では、皆心が置き去りにされている
感じて動く(感動)のではなく、
理屈に操り人形のように動かされている
仕組み的にICが封印され、IPが跋扈する世界
だから、すべての人が不幸になる
けれど、その流れにほんのちょっと棹さすだけで
その棹に心が留まり、ホッと一息感謝が生まれる
その周りに「ありがとう」の小さな渦がまく
こうして、今いる職場で、一人一人がほんの少し棹さし始めると
あちらこちらで「ありがとう」
それがやがて、「ありがとう」の大きな循環となって、
流れを大きく緩やかに変えていくのではないかなぁ