静かに怒りを燃やす東北の鬼―武藤類子さん
2012/12/07(Fri) Category : 地震・災害・脱原発
★★武藤類子さんを突き動かすもの--------------------------------
私は、話を聞きながら、武藤類子さんの終始穏やかなその姿勢、あり方に感銘を受けていた。声高に怒りをぶつけるのではないからこそ、入ってくる。見事な在り様(HumanBeing)だと思った。
何がそういう姿を創り上げたのか?
それは、後半、武藤さんの半生のお話を伺う中で見えてきた。
ある時、武藤さんは電通作成の「消費のための10箇条」を読む機会があり、衝撃を受けた―私たちは、消費させられるだけの人間だったんだと。
<電通戦略十訓>
1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
3.無駄使いさせろ
4.季節を忘れさせろ
5.贈り物をさせろ
6.組み合わせで買わせろ
7.きっかけを投じろ
8.流行遅れにさせろ
9.気安く買わせろ
10.混乱をつくりだせ
最高学府を出た人々が、頭を寄せ集め、よってたかって一体何やってんの? それが社会のためになるの? それがあなたの隣人の幸せにつながるの? それをあなたの子どもにさせるの? それがあなたの魂の成長につながるの?(というのは、私の思い)
バカにされて生きている自分に対してモーレツに腹が立った武藤さんは、自給自足を目指して祖父が持っていた山の斜面を一人で開墾し始めた。42歳―人生の正午からのスタートだった。
機械が入らないので鍬。
手掘りで3年―ようやく猫の額ほどの平らな土地ができた。
置ける建屋は物置程度―それを拠点にほとんど外での暮らしを始めた。
トイレは穴を掘っただけだった。
3年後―家らしきものを設置。ようやく家の中で暮らすようになる。
水も自給した。
2003年、養護学校をやめて退職金で喫茶店「きらら」を開店。
そこで伝統器具(ムシカマド)や、先進器具(ソーラークッカー)などを利用して、ロハスな生活を実践。
食べ物は、縄文時代の常食―どんぐりを活用。
こうして、山懐で様々な鳥たちに囲まれての日々。
が、311を境に一変した。
すべてのものの上に、静かに放射能は降り積もった。
鳥たちの歌声が聞かれなくなった。
自然のまっただ中なのに、窓を開けられない。
あっという間にカビだらけになった。
放射性廃棄物となってしまった薪は使えず、
窓を開けられないので電力が必要になった。
自然の恵みのすべてが放射性廃棄物となり、
食べ物を得るためにお金が必要になった。
生活の細々としたところを、すべて変えて行かざるを得なくなった。
・・・・・
なるほど、地球に足のついた生活を本当にしていたんだ。
地球が無償で提供していた恵み
そのすべてを人工物が奪い去った。
無償で純粋なものすべてが、高価な汚物で汚染された。
自然に開放された静かで豊かな縄文の暮らしは、
自然から隔離された閉塞的でエネルギーを必要とする暮らしに変わった。
何世紀もかけて自然から人を分離し、マネーで支配していく
その縮図を瞬間的に見るようです。
あるいは、閉じ込められていた原発が自然とともに人に逆襲し始めた。
その縮図を見るようです。
愛国心はどこか嘘くさい
愛郷土心こそがホンモノ、と私は思ってきました。
国は土地を破壊しますが、
里は郷土を活かします。
愛郷土心が森と海をつなげ、国境を越えて民族をつなげていくでしょう。
武藤さんの原動力は、郷土を奪われてしまった怒りなんだなぁとわかりました。その郷土で密閉されて生きている武藤さんに、逃げ場はないのです。闘うしかありません。
地球に根ざしているからこそ、腹が座っていて穏やかであり、
心のこもった言葉が出てくるのだなぁと思いました。
武藤類子さんの魂のメッセージを是非お聞き下さい。
★★「9.19さようなら原発」武藤類子さんのスピーチ----------------
【2011.09.19 さようなら原発】 武藤類子さん
・「9.19さようなら原発・武藤類子」全文はこちら
(上記スピーチより)
半年という月日の中で次第に鮮明になってきた事は
「事実は隠されるのだ」
「国は国民を守らないのだ」
「事故はいまだに終わらないのだ」
「福島県民は核の実験材料にされるのだ」
「莫大な放射能のゴミは残るのだ」
「大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ」
「私達は捨てられたのだ」
私達は疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも、口をついて出てくる言葉は
「私達をバカにするな」
「私達の命を奪うな」です。
(5:50のところ途切れていますが、それは次の言葉です)
『私達は静かに怒りを燃やす東北の鬼です』
(最後に次のように結ばれています)
『できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、
ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、
確かに目を見開き、自分ができることを決断し、
行動することだと思うのです。
ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自信を取り戻しましょう。』
『そして、つながること。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、
限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。
怒りと涙を許しあいましょう。
今つないでいるその手のぬくもりを、
日本中に、世界中に広げていきましょう。』
『私たちひとりひとりの、
背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、
道のりがどんなに過酷であっても、
目をそらさずに支えあい、
軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。』
(参考)
・「福島からあなたへ」武藤類子さんインタビュー
・「自分にとっての脱原発」 ハイロアクション 武藤類子
私は、話を聞きながら、武藤類子さんの終始穏やかなその姿勢、あり方に感銘を受けていた。声高に怒りをぶつけるのではないからこそ、入ってくる。見事な在り様(HumanBeing)だと思った。
何がそういう姿を創り上げたのか?
それは、後半、武藤さんの半生のお話を伺う中で見えてきた。
ある時、武藤さんは電通作成の「消費のための10箇条」を読む機会があり、衝撃を受けた―私たちは、消費させられるだけの人間だったんだと。
<電通戦略十訓>
1.もっと使わせろ
2.捨てさせろ
3.無駄使いさせろ
4.季節を忘れさせろ
5.贈り物をさせろ
6.組み合わせで買わせろ
7.きっかけを投じろ
8.流行遅れにさせろ
9.気安く買わせろ
10.混乱をつくりだせ
最高学府を出た人々が、頭を寄せ集め、よってたかって一体何やってんの? それが社会のためになるの? それがあなたの隣人の幸せにつながるの? それをあなたの子どもにさせるの? それがあなたの魂の成長につながるの?(というのは、私の思い)
バカにされて生きている自分に対してモーレツに腹が立った武藤さんは、自給自足を目指して祖父が持っていた山の斜面を一人で開墾し始めた。42歳―人生の正午からのスタートだった。
機械が入らないので鍬。
手掘りで3年―ようやく猫の額ほどの平らな土地ができた。
置ける建屋は物置程度―それを拠点にほとんど外での暮らしを始めた。
トイレは穴を掘っただけだった。
3年後―家らしきものを設置。ようやく家の中で暮らすようになる。
水も自給した。
2003年、養護学校をやめて退職金で喫茶店「きらら」を開店。
そこで伝統器具(ムシカマド)や、先進器具(ソーラークッカー)などを利用して、ロハスな生活を実践。
食べ物は、縄文時代の常食―どんぐりを活用。
こうして、山懐で様々な鳥たちに囲まれての日々。
が、311を境に一変した。
すべてのものの上に、静かに放射能は降り積もった。
鳥たちの歌声が聞かれなくなった。
自然のまっただ中なのに、窓を開けられない。
あっという間にカビだらけになった。
放射性廃棄物となってしまった薪は使えず、
窓を開けられないので電力が必要になった。
自然の恵みのすべてが放射性廃棄物となり、
食べ物を得るためにお金が必要になった。
生活の細々としたところを、すべて変えて行かざるを得なくなった。
・・・・・
なるほど、地球に足のついた生活を本当にしていたんだ。
地球が無償で提供していた恵み
そのすべてを人工物が奪い去った。
無償で純粋なものすべてが、高価な汚物で汚染された。
自然に開放された静かで豊かな縄文の暮らしは、
自然から隔離された閉塞的でエネルギーを必要とする暮らしに変わった。
何世紀もかけて自然から人を分離し、マネーで支配していく
その縮図を瞬間的に見るようです。
あるいは、閉じ込められていた原発が自然とともに人に逆襲し始めた。
その縮図を見るようです。
愛国心はどこか嘘くさい
愛郷土心こそがホンモノ、と私は思ってきました。
国は土地を破壊しますが、
里は郷土を活かします。
愛郷土心が森と海をつなげ、国境を越えて民族をつなげていくでしょう。
武藤さんの原動力は、郷土を奪われてしまった怒りなんだなぁとわかりました。その郷土で密閉されて生きている武藤さんに、逃げ場はないのです。闘うしかありません。
地球に根ざしているからこそ、腹が座っていて穏やかであり、
心のこもった言葉が出てくるのだなぁと思いました。
武藤類子さんの魂のメッセージを是非お聞き下さい。
★★「9.19さようなら原発」武藤類子さんのスピーチ----------------
【2011.09.19 さようなら原発】 武藤類子さん
・「9.19さようなら原発・武藤類子」全文はこちら
(上記スピーチより)
半年という月日の中で次第に鮮明になってきた事は
「事実は隠されるのだ」
「国は国民を守らないのだ」
「事故はいまだに終わらないのだ」
「福島県民は核の実験材料にされるのだ」
「莫大な放射能のゴミは残るのだ」
「大きな犠牲の上になお、原発を推進しようとする勢力があるのだ」
「私達は捨てられたのだ」
私達は疲れとやりきれない悲しみに深いため息をつきます。
でも、口をついて出てくる言葉は
「私達をバカにするな」
「私達の命を奪うな」です。
(5:50のところ途切れていますが、それは次の言葉です)
『私達は静かに怒りを燃やす東北の鬼です』
(最後に次のように結ばれています)
『できうることは、誰かが決めた事に従うのではなく、
ひとりひとりが、本当に本当に本気で、自分の頭で考え、
確かに目を見開き、自分ができることを決断し、
行動することだと思うのです。
ひとりひとりにその力があることを思いだしましょう。
私たちは誰でも変わる勇気を持っています。
奪われてきた自信を取り戻しましょう。』
『そして、つながること。
原発をなお進めようとする力が、垂直にそびえる壁ならば、
限りなく横にひろがり、つながり続けていくことが、私たちの力です。
たったいま、隣にいる人と、そっと手をつないでみてください。
見つめあい、互いのつらさを聞きあいましょう。
怒りと涙を許しあいましょう。
今つないでいるその手のぬくもりを、
日本中に、世界中に広げていきましょう。』
『私たちひとりひとりの、
背負っていかなくてはならない荷物が途方もなく重く、
道のりがどんなに過酷であっても、
目をそらさずに支えあい、
軽やかにほがらかに生き延びていきましょう。』
(参考)
・「福島からあなたへ」武藤類子さんインタビュー
・「自分にとっての脱原発」 ハイロアクション 武藤類子