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阿修羅~夜半の祈り~

2012/12/28(Fri) Category : 家族小景
仕事納めの日ですね。忘年会の方も多いことでしょう。
わが家は、「物まね王座決定戦」に大盛り上がりでした♪

今は、あの盛り上がりが嘘のような落ち着きの中で、ストーブの上でヤカンの音が聞こえています。



------------------------------------------------------------------
今年は1年を通して、実家でいろいろなことが起こりました。
311に次ぐ激震でした。

私のインナーチャイルドも現れましたが、それを冷静に見守る私もいて、源家族のそれぞれが短期間の間にいろいろなステージを経て、現在は落ち着くべきところに落ち着いています。

それぞれのステージで、それぞれ大変な方向に行ってもおかしくない状況がありましたが、分水嶺の尾根を踏み外さずに歩いてきたなぁと思います。みんな、それぞれの立場でよく頑張ったなぁと思います。

その最中―心の支えとして「弥勒菩薩」を親に贈ろうと思いました。
そして、仏像をさがす中で出逢ったのが、「飾れる仏像」を提案している「イSム」でした。社名は、「仏」という漢字の真ん中に「Spirit(魂)」のSを据えたと書かれています。

ここで、実家に贈る「弥勒菩薩」(スタンダード)と、自分用に「阿修羅」(TanaCOCORO[掌])を購入したのが6月のことでした。
今、弥勒は実家のスッキリした床の間に静かに鎮座していますし、阿修羅は本棚から私を見守ってくれています。




阿修羅と帝釈天-----------------------------------------------

阿修羅は、元はアスラ(Asura)。
Asu-ra:生命(asu)を与える(ra)者―ペルシャでは恵みを与える太陽神
A-sura:非(a)天(sura)―インドでは大地を干上がらせる太陽神

かつて最高神であったアスラ(アフラマズダー)は、時代を経、地域が変わるごとにその性格や位置づけを変えられていきます。(瀬織津姫が荒ぶる神とされていったように)

やがて、帝釈天(インドラ)との闘いの因縁から鬼神と見なされるようになり、その話が中国に伝わって五趣(地獄・餓鬼・畜生・人間・天上)に修羅道(苦しみや怒りが絶えない世界)が付け加わり「六道」ができたようです。そして、戦いの場や争いの絶えない状況を「修羅場」と言うようになりました。

一騎当千の大活躍をすることを「三面六臂の活躍」と言ったりしますが、三面六臂(さんめんろっぴ)とは、「三つの顔と六つの腕」―阿修羅のことですね。



ところで、インドラ(力の神)とアスラ(正義の神)の因縁とは何でしょうか。
『千年間母親の胎内に宿っていたが、生まれてすぐに他の神々からの嫉妬を恐れた母に捨てられ、更に父からは敵意を向けられていた』(wikipedia)というインドラ。

そりゃ父(社会)から敵意を向けられるわけですから、身を守るために力を望むようにもなるだろうと思います。“豪放磊落”と言われていますが、それは不安を隠すためのものだったかもしれません。頂点に立たなければ不安を消せませんから、神々の頂点にも立つでしょう。(存在不安が強い人の一つの典型的な生き方です)

また、母を求めて女性遍歴もするでしょう。好色とか、英雄色を好むとか言われていますが、そうではなく、母なるものを求めていたのではないでしょうか。

そこで出逢ったシャチー(舎脂)に、インドラは自分が女性に望むすべてを見たのかもしれません。強引に奪ってしまいました。(←これもまた不安のなせる技だったのかもしれません・・・)

ところがシャチーはアスラの娘だったのです。もとよりインドラに嫁がせたいと思っていたアスラは怒り心頭―父親として当然のことです。インドラに闘いを挑みます。

が、なんとシャチーはインドラを愛してしまいました。内面と外面のギャップに母性がやられたのかもしれませんね。アスラ軍に追い込まれて退却中に、アリの行列を踏みつぶすのをためらって退却をやめたインドラですから、根は心優しき子どもだったのでしょう。

けれど、愛する娘を奪われ、その上、救おうとしているその娘までが自分を裏切ったと思ったアスラは復讐の鬼と化してインドラに闘いを挑み続けたわけです。まさに愛憎三すくみの修羅場ですね。

やがて阿修羅は釈迦に救われ、仏法を守護する八部衆(天、龍、夜叉、乾闥婆、阿修羅、迦楼羅、緊那羅、摩睺羅伽)となりました。しかも、八部衆の中で唯一甲冑を着けていない姿として・・・





★--------------------------------------------------------------

このような三すくみの修羅場になりかねない状況が、この1年の源家族にもありました。

けれど、悟った阿修羅が修羅場から一抜けして、鎧を脱ぎ捨ててあるがままの自分に戻ったように、魂の視点を持つことができれば、修羅場を経ることなく落ち着くところへ落ち着くことができます。それは本当に良かったなと思います。

そして、このようにすくみ合う状況は、相談者の方々にも多々見てきたところです。私が阿修羅を好きなのは、そこに内なる自分と闘う人々の姿を見るからです。

日頃の私の思いを阿修羅に託して、2012年締めくくりのご挨拶に替えさせていただきます。

ありがとうございました。

皆様、良いお年をお迎え下さい。








★~夜半の祈り~★

娘を取り戻すために帝釈天に闘いを挑んだ阿修羅は、
相談者の方々の姿そのものだと感じる。

親(阿修羅)にとって我が子(娘)は外在化したインナーチャイルド。
その子を奪った帝釈天は、言わばインナーチャイルドを封じるインナーペアレント(脳内親)。



阿修羅は、
脳内親のために生きようとする「脚本ちゃん」(人生脚本)と
“なぜなんだ!”という思いを抱えた「謎解きちゃん」を両面に抱えて、
自分を支配する脳内親に闘いを挑み続ける

―その顔に哀しみを湛えながら。



そのように闘っている人は皆、それぞれが
“誰にも分かってもらえない”苦しさの中にいる。

が、大丈夫。
あなた一人ではない。



その闘いが終わるのは、
親への謎が解かれ、
親のために生きるのではなく
あるがままの自分を生きる人生脚本になった時。

そのときに、あなたは三位一体となり、
あなたこそが世の一隅を照らす光(日輪)となる。



だから、負けないで。

そこに至る長い長い孤独な自分との闘いを―

私は見守っている。





asyura1024.jpg

*この写真だけ、阿修羅の合掌した右手首のあたりに薄いグリーンの何かが写っていました。不思議ですが神秘的です。皆様が、心置きなく幸せになられることをお祈り致します。




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なぜなんだ、と思っているのだろうか。

ようやくですが、幼いころどういう育てられ方をしたのか、どういう環境にいたか、わかりかけてきています。
ただ、記憶はないこともありますし「おそらくは」そうだったのだろう、という部分も多いです。

気づいたら、過去と同じシチュエーションが起きた後なんです。
それは、避けようのない感じで起こっているように思えている。
そのときは、ただグッと耐えるしかない状態と状況下に置かれます。

終わってから、あぁあのときと同じだ、と思う。
振りかえれば、それが起こるように徹底的に自分を追い込んでいる自分の行いはわかるのだけど。
追い込んでいるときや起きている瞬間は、ただ怖くて、必死になってしまって、止めようがなかったりします。

もうあんなのやだよう。
なんで?って思っているのかなぁ。

 

初めて書きます

わたしは福島の会津に住んでいます。

大晦日の午後から雪になりました。

天から舞い降りる無数の雪は、忘れたフリをしていた記憶の数…。

そして、ぶあつい雪と氷の下にの風景もきちんと身体で覚えています。

中尾せんせい、いつもありがとうございます。

http://www.youtube.com/watch?v=QtIZeSGuGuM&feature=youtube_gdata_player

 

照于一隅

先日比叡山に行き、
「覚者」と呼ばれる方々のお話を聞いてきました。
ある覚者の方は
「人間は脚本家であり、自分のつくった脚本通りの人生を歩もうとする」「どのような人生を送りたいかは、あなた自身が決めることだ」と話していて、
「中尾先生と同じことをここでも言っている!」と感激しました。
また別のお坊様は「誰かに照らしてもらおう、誰かに明かりをつけてもらおうとせず、自分自身が光となる―いわゆる『自灯明』であれ」と話し、
これもまた中尾先生のブログで何度も目にしている「自分で自分を救う」姿勢につながるなあ、としみじみしました。
真実はいつでもひとつで、そこにいたるプロセスやアプローチが違うだけで宗教的になり、心理学的になり、スピリチュアル的になるのだと、再確認した次第です。
比叡山を開いた伝教大師最澄は「照于一隅」という言葉を書き残しており、比叡山の中心にある御堂にこの言葉が掲げられていたのを見ました。

まさに、自分自身を癒し、自分のための人生脚本を書き、自分が燈明となって一隅を照らしていくことが、
背骨のある人生、自律した生き方なのですね。そのように生きたいと思いました。

一年の最後に自分がものすごく愚かしくて歯ぎしりするくらい悔しい思いをしましたが、
おかげで自分のIPと「脚本ちゃん」に絶望することができました。
もう少し時間が必要ですが、これを越えたらきっと 新しい光が灯ることと思います。

ハラスメントな空気の充満する職場は、切りの良い来月いっぱいで辞めることにしました。
自分がのびのびと気持ちよく生きていけることを探したいと思います。
今年一年お世話になりました。
よいお年をお迎えください。m( _ _ )m

 
    
 
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