「ジョハリの窓」~自己開示とフィードバックによる自己の成長
「スリーテン」は個人の価値観を出さなければ進めないテーマでした。けれど、自己開示した方もできなかった方もいらっしゃるでしょう。そして、その討議姿勢に対してフィードバックをもらったことにより、立体的に自分のことが見えただけではなく、自己の拡大や成長につながったと思います。
ここでは、「ジョハリの窓」という概念を用いてスリーテンの解説をしてみます。
★「ジョハリの窓(Johari window)」とは----------------------------
『1955年夏にアメリカで開催された「グループ成長のためのラボラトリートレーニング」席上で、サンフランシスコ州立大学の心理学者ジョセフ・ルフト (Joseph Luft) とハリー・インガム (Harry Ingham) が発表した「対人関係における気づきのグラフモデル」のことを後に「ジョハリの窓」と呼ぶようになった。』(by ウィキペディア)
自分の中には、「自分が知っている自分」と「自分が知らない自分」がいます。

「他人が知っている(気づいている)自分」と「他人が知らない自分」もいます。

このように分けると、下記のように4つの自分が現れます。
1,自分が知っていて、他人も知っている自分
2,自分が知っていて、他人は知らない自分
3,自分が知らないで、他人は知っている自分
4,自分が知らないで、他人も知らない自分

1,自他共に認知している 「開放された窓」
2,人に隠している 「隠された窓」
3,頭隠して尻隠さず 「盲目の窓」
4,まだ現れていない 「未知の窓」
「開放された窓」が大きければ大きいほど、生きやすくなっていくわけですね。
★「自己開示」と「フィードバック」そして「創発」-------------------
今回の「スリーテン」で、討議された方は「自己開示」をされました。

そして、観察者の方から「フィードバック」(漢語では“帰還”)をもらいました。

生命は(個体でも集団でも)、こうしてフィードバックをもらうことで自己修正し、成長していきます。
観察者の方からフィードバックをもらった方は自己開示の枠が広がり、その発言がグループ全体へのフィードバックとなってグループが成長します。
そのグループ(所属する個々人)からのフィードバックが、また自分を成長させますので、個々人の間に循環が生まれ、成長の連鎖が起こります。
こういうときに、「創発」が起こるわけです。
(創発=部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れること。もしくは、自律的な要素が多数集まることによって、その総和とは質的に異なる高度で複雑な秩序やシステムが生じること)
と書くと難しく感じるかもしれませんが、「自分の枠組みを超える深い気づき、新たな発見」と言ってもいいでしょうか。これは循環しているところではどこでも起こります。
(私と相談者の方の間でも創発が起こりまくってるなぁと感じます。実際、このブログに書かれていることは相談者の方と共同で生み出したものばかりです)
このように、自分が成長することがグループの成長に直結し、そのグループの成長が自分を成長させることを実感されたと思います。
★「ポジティブフィードバック」と「ネガティブフィードバック」-------
一方で、自分が閉じるとグループにフィードバックできず、結果グループ全体が表層的に流れて心残りになった方もいらっしゃったのではないでしょうか。
実は、自分が意見や本音をいわない人間としてそこにいるということは、
「フィードバックを返していない」のではなくて、
「ネガティブフィードバックを返している」ということになります。
たとえば、ある職場に用があって行った訪問者が、大きな声で職場の知人に声をかけたとします。すると、その知人が小声で返事をしました。すると、その訪問者も小さい声になり用件を話し始めました・・・
この時、訪問者は大きな声を出すことで職場の恒常性(ホメオスタシス)を破るポジティブフィードバックをしています。
それに対して知人は、小さい声で返すことにより、それを打ち消すようにネガティブフィードバックを返したわけです。
このネガティブフィードバックを受けて訪問者は自己修正し、小さな声になり、かくして「静かな職場」というホメオスタシスは維持されました。
以上【社会からコミュニケーションを奪った一因としての冷房】より
簡単に言えば、次のように言えるでしょうか。
ポジティブフィードバックは、既存の均衡を打ち破って変化を誘い
ネガティブフィードバックは、変化を打ち消し既存の秩序を維持する
★「自己開示」とは内なるネガティブフィードバックに打ち勝つこと------
自分の世界(結局は、脳内親の棲む世界)を守りたい人は、ポジティブフィードバックにイライラとし、ネガティブフィードバックで抑え込もうとします。
このポジティブvsネガティブの対立が激化していったのが「仮面の家」でした。(参考:第2部-3、家族の機能(調節弁)として生きた子ども)
また、ネガティブフィードバックをしている人は、既に自分の内部でネガティブフィードバックが起こっています。
(参考:IPの逆襲―自分が自分に与えるネガティブフィードバック)
相談者の方のお話を伺っていると、“イライラ”という現象は、自分が自分の感情を把握できないときに起こっているように見えます。この気持ちを分かって欲しいというICが出てきているのに蓋をしていたり、IP等に邪魔をされて、自分がその気持ちを感じることができない―つまり、ICが自分にもどかしく思い、“自分”につながってくれない自分に対して怒っているのです。
それがイライラという形で現れているわけですが、そのイライラを感じている自分は、あたかも目の前の相手に対してイライラしていると勘違いしてしまうのです。
イライラが起こったら、ICが自分に対して何か言いたいんだなと、意識を相手ではなく、自分の内側に向けてみて下さい。そこには、自分のIPや脚本からのネガティブフィードバックに抑え込まれて身動きできないでいるICがいるはずです。
このように、自分の中のネガティブ勢力に負けずに、勇気を持って「自己開示」すること(=自分の気持ちを口に出して表現すること)―それが、とりもなおさず自分で自分を許し、変化させること。
つまり、まず自分が自分にポジティブフィードバックを与えることから始まり、それが他者へのポジティブフィードバックにつながっていくわけですね。
「自己開示」とは、「自分へのポジティブフィードバック」なのです。
★創発を生み出す「スリーテン」の構造--------------------------------
「スリーテン」は、上記の創発を生み出す仕組みで構成されています。
まず、テーマが理不尽であること。
次に、時間制限があり、しかも短いこと。
だからこそ、「決められない」と放棄したり、時間内に結果を出すために多数決など安易な方法に流れたりしやすいこと。
けれど、現実問題として理不尽な課題に取り組まなければならないことはあるのではないでしょうか。また、問題とは、いきなり目の前に突きつけられることも多いのではないでしょうか。
「自己開示」をしたのは、
それが正解のない課題だったからです。自分の世界観、価値観を提示しなければ取り組むことのできない課題だったので、自己開示せざるを得ませんでした。
「フィードバック」を受け入れることができたのは、
そのフィードバックが自分の世界観や価値観についての批判や評価ではなく、“自分の気持ち”や“グループ”に関わる“自分の姿勢(あり方)”に対するフィードバックだったからです(観察シートがそのように作られています)。なので、受け入れることができたんですね。
こうして、
自分に対するポジティブフィードバック(自己開示)が、
他者から自分へのポジティブフィードバックを招き、そして今度は
自分から他者へのポジティブフィードバックとなって、
ポジティブなエネルギーが循環し始めます。
そのポジティブなエネルギーの循環が、場を成長させ「創発」を生み出すわけです。
★意識の持ちよう(内的世界)が場(外的世界)を変える---------------
ところで、大前提として多くの方が話されていますが、次の2つがありました。
・この場が自己開示しても大丈夫な安心できる場であるという意識
・観察する人とされる人の基本的信頼
安心できるからこそ気持ちが出てきますし、
信頼関係があるからこそその人の言葉を聞けるわけです。
すべての人間関係は信頼と安心の上にしか成り立ちませんから、自由競争という概念が、やがては経済活動(という人間関係)を崩壊させることがわかりますね。
さて、ちょっと考えてみましょう。
この場に集まってくる人がどういう人かは皆さんよくは知らないわけです。
ブログで読んではいても、私という人間が本当はどういう人間か知らない人もいるでしょう。
けれど、安心できる場と思ってきた。
そして、そう思ってこられた方々の集合意識が、この場を安心な場にした。
つまり、この場を安心な場にしたのは、私たちを含め、来られた方々みんなの意識なのです。意識の持ちようが場の雰囲気を変えたということがおわかりでしょうか。
自分の外の世界(人や社会)を不安に思うのも思わないのも、すべては自分の内側の投影です。その背景には、自分と親の関係があります。
ハードな支配であれ、真綿の支配であれ、親に脅かされずに育つ人の方が少ない現代、誰もが人間及び社会に対する不安を持っているでしょう。その不安を感じたくなくて強くなろうとしたり、逃げ続けたり、怒りや恨みをあらぬ方向に出し続ける人もいるでしょう。私もそうでした。
その内なる世界を外に投影し続ける限り、その人に平安はありません。というよりも、その人がその世界(親との世界)を維持したがっているわけですから、無意識ですが、その人が自らその世界を選択しているのです。
すべての人は、自分の内的世界(脚本)を現実化するために生きています。それに気づいたとき、自分の意識が変われば、自分を取り巻くその世界が変わることが分かると思います。スリーテンは、そのことも教えてくれたのではないでしょうか。