自助グループについて
というのも、その苦しみを分かち合う人が家族親族は元より、地域や町の中にもいない―この世に自分たった一人・・・そういう思いで生きていらっしゃるからです。友人に話しても分かってもらえない、どころか自分が責められて傷を負った方もいらっしゃるでしょう。
実際、伝統ある古い地域であれ新興住宅地であれ、都会であれ田舎であれ、価値閉塞空間があちらにもこちらにもあるなぁということを感じますので、孤立無援の苦しさもよく分かります。
(けれど、そういう思いをしている自分がいるということは、他にもいるということです。自分が特別、自分が一番苦しいと思いがちですが、同じような思いをされている方は沢山いらっしゃいます。が、出逢う人は無意識に脚本ちゃんが選んでいますからね)
そういうわけで、安心して自分の思いを話せる場が欲しいという強い欲求があることはよく分かります。当相談室でも集団カウンセリングなどの試みをしておりますので、これを機に整理しておきたいと思います。
まず、自助グループとはどういうものでしょうか。
★自助グループとは------------------------------------------------
同様な問題を抱えている個人や家族が自発的なつながりで結びついた集団。
<特徴>
・専門家を置かず、当事者が独立運営し、互いに対等であること
・アノニマス(匿名)であること
・強制ではなく、自発的な参加
・「言いっぱなし聴きっぱなし」による体験の共有、分かち合い
(例)
・AA(アルコホーリクス・アノニマス)アルコール依存症
・GA(ギャンブラーズ・アノニマス)ギャンブル依存症
・KA(クレプトマニアクス・アノニマス)窃盗癖
・NA(ナルコティクス・アノニマス)薬物依存症
・SA(セックスアホーリクス・アノニマス)セックス依存症
例を見ておわかりのように、自助Gとは1930年代にアメリカのアルコール依存症者の間で生まれたものです。依存症の治療とは、依存しない状態を維持すること―この日々の維持そのものが治療です。つまり、日々内なる衝動と闘い続けることが治療なのですが、たった一人で衝動と闘うのは辛いものです。
そこに同じように日々闘い続けている仲間の姿があると、とても励みになり救われるわけですね。ヒントや参考になることもあるでしょう。仲間と顔合わせするだけで勇気を得られることでしょう。
このように、「嗜癖や依存をしない状態を維持する」ためにはとても有効だと思いますし、このような支え合いが自助グループの原点だと思います。
★グループを維持するためのポイント1:共通目標---------------------
ここで、グループを維持する際のポイントについて書いておきます。『「葛藤」から「循環」へ』という記事の『2次元的生からの離脱』の項で、『二人が生きる目的や価値を共有すると、共に手を取り合って歩いて行ける』と書きました。

二者関係は不安定ですが、そこに共通の目標があるとその目標に向かって協力し合っていけるわけです。グループも同じで、共通の目標があるとモチベーションを維持し継続していくことができます。
依存症治療のアノニマスグループは、そこに依存症克服という共通の目標がありますので、「酒を飲まない」という“行動グループ”を維持しやすいわけです。

★グループを維持するためのポイント2:循環--------------------------
さらに、循環が始まると、スリーテンで見たように個人とグループの成長が始まります。たとえば、私が仲間たちと「逐語検討」グループを数年にわたって継続できたのは、シニア産業カウンセラー合格という目標を仲間たちと共有していたからであり、かつそれぞれが積極的に自己開示することでグループ内に循環が起こっていたからです。
(余談ですが、批判や体罰のあるところに循環は生まれません。生まれるのは支配とスパイです)

上記のように、自己開示とフィードバックがあって自分が成長できると感じるからこそ、自らそのグループに来ようと思うようになります。
会社の組織改革の時にも実感しましたが、「組織改革など事務局がやれよ。俺達はそれで評価されるわけじゃない。本業が別にある。指示があれば動くからよろしく」という感じで最も否定的だったメンバーが、「別の会議とブッキングしていたんだがこっちに来た」と積極的に参加し始めました。
その変化に驚いたものですが、なぜ彼がそうなったのか?
それは、こちらのグループで自分自身が成長できると感じたからでした。
このように、目標が何であれ、そのグループで自分が成長できると感じること―それがグループ維持の最も大きなポイントだと思います。
(その成長できるグループが家庭であれば幸せなんでしょうね)
★集団カウンセリング----------------------------------------------
さて、以上のことを踏まえた上で、家族問題の自助Gについて考えてみますが、先に実際に行った集団カウンセリングの体験を記します。
集団のよいところは、個別の体験に対して似たような思いをされた方のお話があったりして、一人じゃないと勇気を得たり、気持ちを共有できたりするところでしょう。そういう場面は多々ありました。
その上、参加者の抱える問題は千差万別―加害側も被害側も、親の立場も子の立場も混沌としていますが、世代間連鎖という共通認識があるため、その主軸に沿ってそれぞれの方の話を参加者の方は聴くことができるわけです。
そういう基本的前提があるため自分を相対化でき、親の立場の気持ちが分かったり、子や配偶者の立場の気持ちが分かったり、そしてそれぞれが連鎖の中に置かれているんだなぁと認識できるということがありました。
ただそれは、それぞれの体験談に対してカウンセラーからのフィードバック(気持ちの掘り下げや解説等)があったため、実話を通しての実地の学びと気づきがあったからだと思われます。つまり、集団ではありますが、個人対カウンセラーの1対1の関係が基本にあるわけで、ここが自助Gと異なるところです。
★カウンセリング関係とは-------------------------------------------
たとえば集団カウンセリングに初めて参加された方も、次の段階は自分との向き合いになってきます。脚本を知り、IPの自分支配の仕方を知り、ICを救済し・・・というプロセスに入ります。それは意識を他者ではなく自分に向けると言うこと。
その過程に入ると「誰かに聴いてほしい」というのは“違う”ということに気づいていきます。「誰かに」と言っている間は、「自分は(自分の気持ちを)聴かない」と言っているのに等しいからです。
それがよくよく分かってくると、「誰かに聴いてほしい」という衝動が起こったときに、「自分が聴こう」と腹をくくるようになります。そこからが、本当の意味でのカウンセリングのスタートとなります。

上図で分かるとおり、カウンセラーとクライアントは「自律」という目標を共有した「カウンセリング」グループとなるわけですね。そして、相互に信頼を持つことでエネルギーが循環し、創発(気づき)が起こって双方が成長していくわけです。
上記「循環」の項で書きましたように、言わば私は、自分が成長し続けられるからこそ、この「カウンセリングという行動グループ」に参加している(カウンセリングという仕事をしている)わけです。
このように、自律に向かって自分と向き合い始めた人は、「言いっぱなし聴きっぱなし」の自助Gには参加しないだろうということです。
★「ただ黙って聴け」という代償行為---------------------------------
では、どのような人が参加すると推測できるでしょうか。
冒頭に掲げたように、苦しんでいる人の欲求は「誰かに聴いてほしい!」です。その中で、上記のように自律に向かう人は「自分が聴く」方向に向かうわけですから、そうではない人々が残ることになります。
聴いてほしい中身は、
身を守るために構築した微細に渡る世界観(思考空間)か、
あるいは親のために頑張り続けてきた脚本ちゃんの苦労(不幸)話か・・。
(この段階では、嘆きや愚痴、怒りや嫉妬、恨みや憎しみは出てきても、本当のICは出てきません)
こういう方々は、ストローク飢餓も深いため「ただ黙って聴け」というくらいの衝動を持っています。そして、そういう人は聴いても聴いても止まるところを知りません。なぜか?
すべての“衝動”の根っこには親との関係があります。
「黙って聴け」と言いたいのは親に対してです。が、それができませんから、「親に代わる他の誰か」を求めるわけです(代償行為)。
代償行為をいくら繰り返してもICは満足しません。ICがその気持ちを受け止めて欲しいのは、「自分」だからです。
「代償行為とは、自分がインナーチャイルドから逃げる行為」ですから、ICから逃げ続けている間中、代償行為をする相手を探し続けなければなりません。この場合、次のような構造になっています。
1,自分は親の世界に棲むことを(無意識に)選択している
2,その話をし続ける自分の姿を脳内親に見せ続けている
つまり、懸命にICを封印して脚本が頑張って、脳内親に忠誠を尽くしているわけですね。言い換えればそれほどに親が“大好き”だし、親が“怖い”と言うことです。
この場合、自分が“そこ”に止まるために言い続けているわけで、それを聴く人(たとえばカウンセラー)や聴く場(たとえば自助G)は、イネイブラー(今の状態=システムを維持する人)となってしまうわけです。
★「代償行為」と「自己投影」--------------------------------------
本人が自律に向かうつもりがありませんから、そこにできる人間関係は共依存(道具にし合う関係)しかありません。
・「自分が自分の気持ちを聴く」のではなく「誰か聴いて」
→「代償行為」(相手を通して親に文句を言う)
・「自分が自分を救う」のではなく「同じ苦しみを持つ人を救いたい」
→「自己投影」(相手を通して自分を救う)
こうして、
「聞いてほしい人」―「聞いてあげたい人」、
「救われたい人」―「救いたい人」、
「代償行為をしたい人」と「その人に自己投影する人」との共依存となります。

たとえば勧誘に来る宗教を見ていて思うのは、「あなたを救ってあげますよ」と“勧誘”に行くと、「救って下さい」という人しか集まらないだろうなぁ、ということ。つまり最初から依存させる構造に取り込んでいくわけで、勢力拡大にはいいのかもしれませんが自律に向かうのは難しいでしょう。というのも、人は逃げ場がある限り逃げ続けるからです。
(ただ、それを必要としている人もいますので、その存在を否定しているわけではありません)
★スタートが肝心---------------------------------------------------
勧誘宗教の例でわかるように、入り方を間違えると出て行くことができません。中で共依存の迷宮に迷い込むことになります。上図を見て分かるように、その迷宮の中ではエネルギーは循環していません。互いが都合のいいように相手を利用しているだけです。
これがカウンセラーと相談者の間で起こった場合は、転移や逆転移として知られています。(詳しくは→陽性転移と陰性転移)
こうなると、カウンセラーは鏡の役割を果たすことはできませんから、カウンセリング関係は成立しません。
当相談室が受付対象者の枠組みを設け、「自分が自分を救う決意」をした方だけを対象にしているのは、「自分から逃げない心構え」がなければ自律に向かうことがないからです。
また、初回にその方の半生のお話を伺って世代間連鎖の気づきにまで導くのは、自分の置かれている現状が自分自身が生み出したものであることに気づいてもらい、外に向かうのではなく内に向かう覚悟をしていただくためです。
相談者の方々が話されるのは、当然ながら「脚本ちゃん」の苦労話ですから、そのストーリー上で紡がれている感情に共感して終わってしまえば、脚本ちゃんにエンパワーして終わりになってしまいます。
その場合、脚本ちゃんは居場所を得たとそのカウンセラーに執着するでしょう。そして、脚本のストーリーに共感してもらうことだけを望み、それ以外は受け付けようとしないでしょう。
この場合、カウンセリングを続けることは本人の自律を妨げることになってしまいます。カウンセラーがイネイブラーになった、道具になったと感じたときは、その“舞台”から降りなければなりません。
そうならないために、本人の覚悟と心構え、そしてカウンセラー側の受け付け方、始まり方も、すべて自律の枠組みとして、とても大切なのです。
★目標を持たない自助Gの危険性------------------------------------
さて、例えばそういう人(脚本の苦労話をしたい人)がカウンセリングを受けているとすれば、カウンセリング料金がかさんでいくことになります。上記のような心理構造ですから、話しても話してもキリがありません。けれど、本人は逃げ続けなければなりませんから、そういう相手や場を確保しなければなりません。すると、どうなるでしょうか。
私もカウンセラー仲間がおりますので、いろいろと話を聞きますが、次のようなことが言えます。
1,カウンセラーが少しでも口を挟むことを嫌う
2,何かの折にカウンセラーに文句を言って料金を払わない
3,無料or低料金で話ができるところを探す
4,自ら場を作る
1,自律をしたいのではなく言い放しをしたいわけですから、カウンセラーからのフィードバックを必要としません。カウンセラーは自分と向き合う鏡としてではなく、代理親としてそこに置かれています(逆にカウンセラーに闇雲に従おうとすることもありますが、いずれも親の投影です)。
2,言い放しのためにカウンセラーの時間を確保するわけですから、その時間はすべて自分のために使いたいという欲求があります。カウンセラーとの循環は必要としませんから、カウンセラーがフィードバックした時間はその人にとっては“無駄”な時間となるわけです。その不満が募って、きっかけをつかんで料金踏み倒しをしたりします。
(その場合、相手を責めて自分が優位に立ち、言いっ放しの相手としてカウンセラーを確保することができればベストなわけです)
3,無料相談などで代償行為を繰り返します。また、依存症克服などの明確な目的を持たない自助Gを立ち上げたときに、上記「代償行為」の場として利用されることがあります。
4,何らかのスキルがある人は、自分で場作りをします。スキルを求めて集まってくる人に対して、指導者である自分はいかようにも代償行為ができるわけですね。
★当相談室のスタンス-----------------------------------------------
以上のことから、当相談室では自助Gを立ち上げることはありません。
「たった一人」は確かに苦しいでしょう。
けれど、全国、全世界にいます。
「たった一人」と思っている内は、
自分の中のインナーチャイルドに気づくことができません。
すべての状況と同じく、「たった一人」の状況も理由や意味があってそうなっています。外に向かうのではなく、そこを探り、気づいていくこと―それがすべての人がなすべきことだと思います。
ただ、自分の顔は自分で見られません。
鏡が必要です。
自分の顔を見る勇気を持った方は、
カウンセラーという鏡を見られるとよいと思います。
・自分探しでのカウンセラーの選び方
・加害者も被害者も特別な人もいない