「土浦28歳・両親姉惨殺事件」の考察
2013.2.21 異常なアクセス数を見て、この日、土浦連続殺傷事件の金川真大被告が死刑に処されたことを知りました。そこで、改めて判決要旨を読んでみました。裁判長は次のように述べています。
『被告人は人生に生きがいを感じることができずにつまらないから死ぬことを考えたものの、自殺する勇気もないため、他人を殺して死刑になろうと考えて本件犯行に至っているのであるが、人生をつまらなく感じたのは、被告人が生来の無気力な性格により何の努力もしなかった結果であって、自業自得というべきものである。そして、自らの死刑願望を達成するため他人の生命を奪うというその発想は身勝手極まりないものである。このような犯行動機は強く非難されなければならない』
懸念を感じた私は(どのような懸念を感じたのかは金川真大の記事で書きます)、改めて「土浦連続殺傷事件」(2008)を振り返る必要を感じました。
高卒後、バイトをしながら6年間引きこもっていた金川真大が死を意識したのは、『父親の定年退職』がきっかけでした。家庭不在だった父親が2008年4月からは家庭にいつもいる。彼はその前に自分を消そうとしたのです。
ここに、父親とののっぴきならない関係がうかがえます。
父親と同じ空間にいることはできない、けれど、この家から出て生きていくこともできない(なぜそうなのかは後述)―となると、父親を殺すか自分を殺すしかないわけです。
私は、『土浦28歳・両親姉殺害事件』(2004)を思い出しました。
9年間引きこもっていた長男(飯嶋勝28歳)が、両親と姉を惨殺した事件です(一家惨殺事件)。勝が殺害に及んだのも、父親が家に居るようになっておよそ半年後のことでした。彼は、『父や姉に生活空間を奪われ自分の居場所がなく、死刑になってでも父を殺すしかないと思った』と供述しています。
飯嶋勝と金川真大は、ともに家以外に「生き場」がなく、家=世界でした。
引きこもりの間は、
飯嶋勝は『食って寝て排出するだけの9年間』であり、
金川真大は『生きがいもなくつまらない』生活でした。
そして、二人の父親はともに家庭不在でありながら、いるときは暴力を振るう、あるいは怒れる父親であり、その父親が退職等で家にいつも居るようになることが引き金となります。
飯嶋勝は「死刑になってでも」父を殺し、
金川真大は「死刑になるために」無差別殺人を犯しました。
二人の精神世界はとてもよく似ています。
家=世界であり、そこでしか生きられませんが、
その世界はとてもつまらない世界です。
そして、その世界で二人とも父親と同居はできないと感じていますから、父親が常駐するときに父親を殺すか、自分がその世界から去る(=死ぬ)かの、いずれかの選択を迫られることになります。
飯嶋勝は父殺しを選び、
金川真大は間接的自殺(←当人の弁)を選びました。
この二人の何が類似していて何が違っていたのか―
まず、飯嶋勝のケースについて考察してみます。
尚、限られた情報からですので、真実を明らかにするという趣旨ではありません。同じような状況に置かれている家族は多いと思いますので、知ることによって気づいてもらえればという思いから、私の体験を元に書かせていただきます。
★「土浦28歳・両親姉惨殺事件」の考察目次------------------------
(人物名はすべて敬称を略させていただきます)
1,「土浦28歳・両親姉惨殺事件」経緯
<2 父親の生き人形>
2,「穏やかないい人」というペルソナの下
3,引きこもらざるを得ない心理状況の形成
4,「生きた置き人形」を求める親
5,食って寝て排出するだけの9年間
<3 “問題児”を作ろうとした母親>
6,脳内親と人生脚本のでき方
7,「苦労を我慢して耐える」人生脚本
8,存在不安が作る「何もできない子ども」
<4 子どもに現れる「家族カプセル」の病理>
9,家庭の病理は、子どもの行動に表れる
10,脳内親に見せるための日々を維持する母親
11,「家族カプセル」に取り込まれた子ども
<5 “母親の手”となった姉>
12,親としてのアリバイ作り
13,“母親の手”となった姉
14,勝の人生脚本
<6 発見された「殺意」と発見されていない「怒り」>
15,発見された「殺意」
16,発見されていない「怒り」
<7 殺害方法に現れた「思い」>
17,命をかけて親に存在を認めさせたい子ども
18,爆発した「憎しみ」
19,母親のための人生脚本を生き通した子ども
20,脳内親を殺したインナーチャイルド
<8 現実を見ない虚構人生の究極>
21,“人”として過ごした一夜
22,現実を見ない虚構人生の究極
<9 自分が人生を決めている>
23,不幸=「絶好調」である人々
24,苦しむのはお母さんが大好きだから
25,炭鉱のカナリアへ