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縄文後期の神―アラハバキ神と遮光器土偶に見る命への祈り

2013/06/04(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【「平成の大遷宮」出雲大社~鳥取砂丘の旅】6

少し縄文の話を続けます。
というのも、日本人の原点となる時代だからです。


★サステナブルな縄文社会---------------------------------------------

縄文時代というと豊かな森林を思い浮かべますが、実は海人(あま)の国でした。青森の三内丸山遺跡の調査から500人規模の村があり、魚も豊富に捕られていた海洋民族であったことが分かっています。

縄文とは、1万6500年前から800年前まで、157世紀も続いた太平の時代です。弥生以降がまだ28世紀にすぎないことを思えば、深い部分で日本人気質の豊かな土壌となった時代と言えるでしょう。あの懐かしさを感じる宮崎駿の描く世界ですね。

しかも、近々のわずか3世紀ほどの短い期間に地球環境を追い詰めている愚かしさを思えば、縄文時代とは何と素晴らしい文化でしょうか。このサステナブルな社会を造ることができたのは、人が人の似姿(神)を敬うのではなく、人が万物を神と見なす信仰があり、自然を大切にしたからでしょう。




★海翔る縄文人------------------------------------------------------

1万6500年前というのは、青森で発掘された縄文土器の分析結果から。そして、この土器が現時点で世界最古の土器となっています。4大文明に先立つ現人類文明の発祥といわれるシュメール文明は、紀元前9000年頃から農耕が始まり、前6500年頃から集落が発達し始めたようですから、仮に前9000年頃から土器が造られていたとしても、それより桁違いに古い―つまり、人類最古の文明が縄文というわけです。

「謎の土器に隠された古代日本人ミステリー」(1999/2/7放映)という番組が面白かったですね。

バヌアツ共和国をはじめとする南太平洋の島々で発見された土器は、なんと世界4大文明の黎明期である5000年前のものであることが判明し研究者を驚愕させました。しかもオックスフォード大学で分析した結果、それは青森で発掘された縄文式土器と同じであることが証明されたのです。

次に南米エクアドルでも、5500年前の土器が発見されました。それはエクアドル最古でありながら、同時期の高度に発達した縄文式土器と同じでした。スミソニアン研究所が結論とした仮説は、縄文人がエクアドルに移住し、エクアドルの土で縄文土器を造ったというもの。なぜなら、エクアドルで土器の発達過程がなく、いきなり高度な土器が出現したからです。

実際、日本人とアンデスのインディオ―アイマラ族との間が近縁であることが遺伝子的に証明されています。ATLウイルスのキャリアは世界500万人の内、日本人が100万人もいて、日本特有とも言える珍しいウイルスだそうです。母乳から子どもに経口感染するため、逆を辿れば最終的に同じ祖先にたどり着くそうで、ウイルスの遺伝子配列の違いは世代と地域による格差だそうです。そして、日本人とアンデスのインディオの遺伝子配列はよく似ていて、枝分かれしたのは数千年前と見なされるそうです。つまり、エクアドルに縄文土器が渡った時期と合致するわけですね。

つまり、世界4大文明が始まる前に、既に縄文人は太平洋を股にかけていたことが証明されたわけで、人類文明史は塗り替えられていくのでしょうね。凄いですね~縄文日本。

ところで、なぜわざわざ縄文人は太平洋を越える必要があったのか?
スミソニアン研究所によれば、この時期に、鬼界カルデラ(海底火山)が大爆発を起こしているそうです。これにより西日本は壊滅状態。九州は数百年間生存不可能になっただろうといいます。また、大量の火山灰は気候を寒冷化させます。それにより栗がなくなりました。縄文人の食生活の40%は栗だったそうですから、大打撃。これにより青森の三内丸山は滅びました(←地層で分かるそうです)。

エクアドルで発見された最古の土器は九州地方のもの―つまり、九州の縄文人が大災害から生き延びるために海の向こうに新天地を求めたんですね。







縄文後期の神アラハバキ神------------------------------------------

海底火山の大噴火は硫黄島などの島を造りつつ、時速100キロを超える火砕流が海の上を走ったというから鬼神のごとしです。しかも、これだけの大噴火であれば、その後何世紀にもわたって各地での災害を引き起こしたのではないでしょうか。すると、豊かな自然とともにあった縄文人も、このカタストロフィー以降、自然を神として畏れる心性も出てきたのではないでしょうか。

そして、縄文の終わり頃、『記紀』や『風土記』に登場しない聞き慣れない神―アラハバキ神が登場します。この神のことは下記にまとめられています。
謎の神アラハバキ

諸氏の説を融合すると次のようになります。


----------------------------
ハハは蛇。
ハハキは蛇木。(樹木も神聖視されていた)
アラハバキは顕われたハハキ神。(なぜ顕れたかは後述)

ハハキ神が箒(ほうき)登場後にシンボル化して箒神となる。
箒神とは生死を司る神。

安産になるように産婦の枕許に箒を逆さに立てるなどの風習は全国的に見られるそうだ。
一方、長野、島根、青森の葬列では、燈火が先頭を行き、次が箒あるいは竜蛇だそうで、つまり箒=竜蛇。


----------------------------
また、アラハバキはアラビア語でアラァ(神)+バーキィ(アラビア発祥以来現在まで残存している部族:ヤマン人を指す→ヤマンは英語でイエメン=アラビア発祥地)→「不滅の神、ヤマン部族の神」

それが、縄文時代の終りの頃に南回りの海洋ルートで渡来。縄文人が上記のように海翔る海人であったことを思うと、日本に戻ってきた縄文人(子孫)が持ち帰ったことは十分に考えられることです。このアラァバーキィ神がハハキ神と習合して、全国に広まった。


----------------------------
しかし弥生以降、出雲族、天孫族をはじめ人を神とする部族が渡来してくると、土着の神は地位を奪われ、主客を転倒されて客人神(まろうどかみ)の扱いとなっていきます。けれど、先住民族(縄文人)が信仰していたので、一掃するわけにはいかなかった。

『「諸国に客大明神(きゃくだいみょうじん)・客人(まろうど)杜・門客人(かどまろうど)明神杜などという小杜があって、それがアラハバキと称されることもある。』【柳田国男「石神問答」】

各地の古杜におけるハハキ神は、蛇神ゆえに辰巳の隅に祀られたそうです。
たとえば、伊勢神宮のハハキ神は、天照大神を奉斎する内宮の御敷地の主であるにもかかわらず、敷地の外側に祀られています。つまり、元はこの地の地主神であったのが、外に出されてしまった。内から外へ顕わになった意味で、「顕ハハキ神」となった。

やがて、「顕」が「荒」となり、「荒神」と短縮され、「コウジン」と呼ばれるように変化していく。こうして、「アラハバキ」の名は消されていくが、たとえば『神戸市布引では、応神社から「荒神箒」を借りてきて祀り、産気づくとその箒で腹を撫でる。安産すると新しい箒をもとめて水引をかけて祭る』というように風習が残っている。


----------------------------
他方、アーリア人の侵入に押されて、南アラビアからインドに入って住み着いた「アーラヴィー」(林住族)が信仰していたのが「アーラヴァカ・ヤクシャ」(アータヴァカ・ヤツカ)。それが中国に入って、「阿臈鬼(あらき)」「褐陀披鬼(わたばき)」あるいは「荒野鬼神大将」となり、さらに道教と習合し「大元帥明王法(たいげんみょうおうほう:真言密教では「帥」は発音せず)」となる。

それが、記紀成立の頃に中国から日本へ渡り、「大元尊神」となる。アラハバキが西日本では「大元尊神」とよばれることがあるそうです。


このように縄文の神アラハバキ神は、渡来神に押されて客人神や荒神となったり、他方で渡来神に対立するかのごとく大元尊神になったりしているわけですね。




★遮光器土偶にこめられた祈り----------------------------------------

ところで、遮光器土偶をアラハバキ神と見る方もいらっしゃると思います。
津軽で発掘された土偶は、イヌイットがつける遮光器(サングラス)をつけているように見えることから、遮光器土偶と名付けられましたが、アラハバキという語感とあの土偶の異様な形を結びつけたくなる気にもなりますよね。

下記に興味深い考察がありました。
無脳児の写真も出てきますので、いやな方は見ないで下さい。

遮光器土偶は無脳児を模したものじゃないか? 中
遮光器土偶は無脳児を模したものじゃないか? 下

まんまるな胴体に小さな手足。(赤ちゃんの形状)
脳がむき出したような頭に、巨大な腫れた瞼。(無脳児の形状)


前項「オオモノヌシ(蛇)~土器(子宮)と勾玉(胎児)にこめられた縄文人の祈り」で、縄文人はとても正確に、かつデフォルメを加えて芸術的に子宮(土器)や勾玉(胎児)を作っていたことが分かりましたね。縄文人は、それだけの写実性と芸術性を備えていた人々でした。

その縄文人が造った遮光器土偶も、同じく写実性と芸術性を備えていると思うのです。

しかも、その作る動機は、切実なる命への祈りであり生命賛歌でした。
自分の命をかけて命(子)を生む女性は大事にされ、命豊穣の祈りをこめて勾玉(胎児)も作られ続けたのでしょう。

そこに無脳児が生まれたとき、縄文人は、そのような状態でも命を得て生まれてくる赤ちゃんに神を見たのかもしれません。その赤ちゃんが亡くなった後、土偶(似姿)を作り、丁寧に祀ったのかもしれませんね。






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土偶はパワースーツのような宇宙服でしょう。

 

震災以前に多賀城のアラハバキ神社に行ったことがあります。
畑の中、個人宅の敷地内のようにも見えるところにあって、履き物がたくさん奉納されていて(ハバキ=脛巾のイメージからでしょう)、鳥居も妙に赤くて なんだか異様な感じがしました。
土着の神の系統だろうと思い いろいろ調べましたがあまりよくわからず、謎のままでした。
興味深い資料を提示してくださってありがとうございます。

 
    
 
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