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たたら場は、オロチ、一つ目―「もののけ姫」の世界

2013/06/14(Fri) Category : 神社・寺・城・歴史
【「平成の大遷宮」出雲大社~鳥取砂丘の旅】14

では、製鉄技術の観点から、雲伯がどのように栄えていったのかを見てみましょう。
【参考】たたらの話


★「野だたら」はオロチ?-----------------------------------------------

製鉄法のことを「たたら」と言いますが、鞴(ふいご)をたたら(踏鞴)と呼んでいたことからつけられたとあります。あの中国山地を舞台にした「もののけ姫」で出てきた「たたら場」ですね。

が、その“たたら”が外来語のようで語源はわかっていません。
紀元前2000年ごろヒッタイトで生まれた製鉄技術が、インド→中国→朝鮮を経て日本に伝わるわけですが、古代インドのサンスクリット語のタータラ(熱)やダッタン語のタタトル(猛火)から来たのではという説もあるようです。古事記には百済、新羅との交渉の場にたたら場とか、たたら津などが出て来るそうです。

さて、こぞって鉄を求める中、実は日本はニュージーランド、カナダと共に砂鉄の世界三大産地なんだそうです。純度が高い真砂(まさ)砂鉄と純度が低いが加工がしやすい赤目(あこめ)砂鉄があります。

真砂砂鉄は、三陸、北陸、山陰、北部九州の縁海部。
赤目砂鉄は、東北、北関東、東海、近畿、山陽、四国、九州。
真砂砂鉄の産地を見ると、古代日本が栄えた場所そのものですね~。

製鉄には、砂鉄をとかす大量の木炭とそれを冷やす大量の水が必要でしたので、肥沃な山で行われていました。風のよく吹く山の斜面に炉を築いて、自然の通風を利用して銑(ずく)を作っていました。これを「野だたら」と言い、「野だたら」一族は移動漂泊していたようです。

山は赤く染まり、その後は木炭を大量に使うためはげ山になったり、河が濁流となったり、鉄砲水が出たりしたこともあって、下流の農民は被害を被ったことがあったでしょうね。移動していくその不気味さや破壊力をオロチとたとえたのかもしれません。


やがて釜戸を構えるようになります。高殿(たかどの)」と呼ばれる建屋内で操業したので「高殿たたら」と呼ばれます。

「鉄山秘書」に「一に粉鉄(砂鉄)、二に木山、三に元釜土」とあるそうですが、中国山地は極上の砂鉄の産地である上に、1,000mを超える山々は温帯林(ナラ、ブナ、カエデ)で製鉄用の木炭として最適でしたから、中国山地にたたら製鉄の文化が花開きました。




★ケラ押し法にひそむイザナミ神話------------------------------------

切れ味・強度・芸術性を兼ね備えた、世界にも類を見ない最高の鋼―日本刀。その日本刀を作る技術が「たたら」でした。たたらには砂鉄からいきなり鋼を作る「ケラ押し法」と、ズクを作ることを目的とする「ズク押し法」がありますが、日本刀の原料となる玉鋼はケラ押し法でなければできません。

中国山地で栄えたのは、このケラ押し法でした。この工程の名前だけ見ても、とても興味深いのです。籠もり期→籠り次ぎ期→上り期→下り期。この一操業を「一代(ひとよ)」と言います。

なぜ、一代か。鉧(ケラ:鉄の母なんですね~)が成長するまでに三日三晩かかるので「三日押し」とも言うそうですが、その頃になると炉壁は痩せ細り、これ以上の操業に耐えられなくなって操業終了となるそうなのです。そして、この鉧から玉鋼(たまはがね)が取れ、それが日本刀など高級刃物の原料になったわけです。

私は、イザナミの神話を思い出しました。
カグツチ(火の神)を産んで亡くなったという、あの話ですね。
炉(釜戸)は子宮。そこから玉鋼という最高の赤ちゃんを産みだしたとき、炉は崩壊するわけです。

実際、イザナミは製鉄の神としても信仰されています。もしかすると、中国山地のたたら場では必ず祀ってあるという金屋子(かなやご)神は、イザナミなのかもしれませんね。


大正末期、ついにたたらの火は消えますが、その約50年後の昭和52年、日本刀の原料である玉鋼(現代の技術では作れない)が底をついたのを機に、出雲で復活しました。

『たたら製鉄というのは、科学的な機械を一切使用しません。実は、現代の技術をもってしても玉鋼をつくろうとしたらこの製鉄法しかないです。ですから、たたらの小さな炉の中には、千年の技術が詰まっているんですよ。ですから、闇雲に砂鉄を粘土の炉に入れて炭で溶かしても砂鉄の固まりになってしまいます。玉鋼づくりには、複雑なスペックがいくつも組み込んであります。炉の中は絶対に見えないので、火の色や、のろ(炉の中から出てくる玉鋼の不純物)が溶けて出てきたときの様子を見て、中の状況を把握しなければいけません。科学では、実証することのできない炉の状況を自分の経験で読み取ること必要なんです。それは、良い玉鋼をつくるのに絶対に不可欠なのです。』
【雲南デジタル風土記>たたら製鉄>木原明氏】




村下(むらげ)と一つ目小僧----------------------------------------

度々登場しますが、水木しげるの「古代出雲」。
このヤマタノオロチの章にオロチを祀るタタラ族というのが登場します。その統領が一つ目の鬼だったんですが、なぜ一つ目なんだろうと思っていました。



すると、次のような説明がありました。
たたら作業の技術責任者を村下(むらげ)と言うそうですが、村下は連日たたらの炎を見続けるのです。

『堀江村下(故人)は、「初日の籠もり期には朝日の昇る色に吹き、二日目(中日)は太陽の日中の色に吹き、最後の日の下り期には日が西山に没する色に吹けと父の村下から教わった」と言っています』

つまり、3日間もの間、不眠不休で注意深く“太陽”を見続けるわけです。これでは目がおかしくなるのも当然でしょう。失明する人も多かったのではないでしょうか。「鉄と木とスサノオ伝説」に興味深い考察がありましたので、一つ目の神を調べてみると

日本書紀では天目一箇神(あめのまひとつのかみ)。
古事記では天津麻羅(あまつまら)。
マラ=目占(めうら)=片目の意とのことで、この2柱は同一神と思われます。というのも、いずれも「製鉄・鍛冶の神」だからです。
(なぜ日本書紀で天津麻羅の名を封印したのかわかりませんが)




★鉄の結束?北部九州~日本海沿岸の首長達----------------------------

ところで、本項は古代出雲の中心地が大山の西―雲伯、特に美保湾を有する西伯にあったのではないかという想定の下、その富の源泉である「鉄」の産出に焦点を当てています。

その鉄を探る内に、『「ひのかわ」と「八岐大蛇」と「須佐之男命」を考える』という興味深い考察に行き当たり、そこから「弥生・古墳時代における鉄器文化」広島大学大学院文学研究科 野島永氏の論文に飛びました。下記は、その論文から拝借した図です。

yayoi-tekki


これを見ると、鉄器の出土量は筑紫が突出していますが、肥後、豊後、伯耆、丹後が他地域と比べて群を抜いていることが分かります。

論文によると、弥生後期には、日本海沿岸地域の首長達は、貴重財を原料とした手工業製品(精巧な玉製品や木製品など)を中国や北部九州と交易することに成功し、鉄製刀剣やガラス製品を入手し、それを佩用品(はいようひん:身に帯びるもの)とした、とあります。

もはや農地拡大ではなく、手工業生産の管理と長距離交易によって『政治的権力の伸長を図ることができた』ということですから、弥生後期には領土拡大の争いはなくなり、交易による共存共栄の流れへと変化していったことが分かります。首長連合ができたわけで、この時期が倭国大乱後の卑弥呼の時代でしょうか。

記紀神話で言えば、領土争いで騒がしかった下界がだんだん落ち着きはじめ、栄え始めて、アマテラスが「そもそもあの国は我が子が治めるべき国だ」と言い始める頃でしょうか。


・・・ところで、雲伯は青銅器文明の国でしたね。それが、いつの間にか鉄器の国に変わっていきました。どのようにして? 

ここにスサノオが登場します。




<コラム:日野川と斐伊川>------------------------------------------

なお、『1073年から20年間に東大寺封物として4340鋌もの鉄を全国の中で伯耆国のみ差し出していることが平安遺文にあることは、平安時代伯耆国は一大製鉄地であったことが窺われる』【日野郡のたたら >> 古代製鉄】とありますから、伯耆国は弥生時代から一貫して製鉄の地であったことが分かります。

一方、江戸時代には、「鉄穴流し(かんなながし)」という砂鉄採取法で大規模な採掘が行われました。これは、河川に大量の土砂を流すため一時禁止になったほどですが、農閑期に時期を限り農民の手を借りること、大量の土砂を基に棚田を作るようになったことから、昭和中期まで続けられたそうです。この鉄穴流しの跡が斐伊川(ひいかわ)流域には多々残っているそうです。

古代から中世までは日野川流域、
近世以降は斐伊川流域が製鉄のメッカだったことが分かります。
この2つの川は、また次項で登場します。



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