学校を生かすも殺すも校長次第
日記で、『他校の通塾生徒の算数国語の成績よりもこのE小学校の塾に通っていない子どもたちの方が平均点が高いという』小学校の取り組みが次のように紹介されている。
1.わからないときにわからないと言える学習集団づくり
2.授業と家庭学習との有機的なリンク
3.弾力的な指導体制と多様な授業形態
4.学力実態の綿密な把握
5.学習内容の定着をはかる補充学習
6.動機づけをはかる総合学習の推進
『数多くの施策を校長が中心になっておこなっている』
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静岡の方に住んでいたときの小学校を思い出した。
先生が授業に工夫を凝らし個性を発揮されていた。それこそ『多様な授業形態』なので面白く、参観の時はそれぞれのクラスを少しずつ見て回ったくらい(^^;)。
「これは、校長が偉いなぁ」-一巡りしてそう思った。
これだけ先生が生き生きと自己裁量でやっているということは、現場に権限が委譲されているということである。校長が教育委員会ではなく現場を見ている。
そして、上が管理で縛ろうとしていないから、先生も上を向く必要がない。生徒の方をしっかりと向いている。
先生手作りの宿題も多かったし、連絡帖での親とのやりとりもきちんとしていた。
個性が見えるので、先生という「記号」ではなく、人間くさい「大人」として、そこに居た。
学校が「社会」だった。
その社会の中で、校長が先生を育て、先生が子供を育てる、という「人を育てる世代間連鎖」がきちんと機能していた。
そう-なんのことはない、昔ながらの小学校なのである(とても懐かしい気がした)。
当たり前のことを、きちんと当たり前にやっているだけである。
現代日本では、仕事という仕事からモラルが失われている気がする(お金第一。そのためには何でもありという風潮)。
が、仕事に携わっている一人一人が当たり前のことをまっとうにきちんとすることが、世の中をまっとうにし、同時に余計なお金をかけなくても生きていける社会に変えることに直結すると思う。
そして、鍵を握るのはボス(○○長)だ。
チームでは監督。
家庭では父親。
学校では校長。
会社では社長。
行政では市長等。
そして、国では、もちろん首相だ。