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「土浦連続殺傷事件」―4,父親の人生脚本

2013/07/31(Wed) Category : 少年犯罪・家族事件簿
【土浦連続殺傷事件】

★1)息子(外在化したIC)と向き合えない父親-------------------------

驚いたのは次のやりとりでした。

検察官「(面会に)なぜ6、7回程度しか行っていないのですか」
父「月曜から金曜というのは仕事があります。仕事があるので行きがたいということです」
検察官「仕事を休んで面会に行こうとは思いませんでしたか」
父「それはありますが、面会はわずかな時間で短いということもあり、言いたいことがなかなか言えないので、手紙の方が良かろうと思い、仕事で時間が取れないこともあって、結果としてあまり行かないということになります」


これほどの事件を我が子が起こしていながら、仕事をしていたんですね。家族の立て直しで仕事どころではないように思いますが、元々この父親にとって家庭は子宮に過ぎなかったことが伺われます(にしても、させる方もさせる方だと思いました)。子どもの側から見れば、これだけのことをしても父親からは見捨てられているわけです。

父親は、理屈を付けて手紙という手段を取ろうとしていますが、これは首から上(思考)で生きている人の特徴でもあります。カウンセリングにおいても、面談が伴わず文章だけで分かったつもりになっている人は進みません。頭で理解し、うまい文章を書いて自律が進んでいるつもりになって、まんまと進んでいるのは自己洗脳。文章は所詮左脳(IP)の仕事なのです。

大事なことは、首から下(感情、感覚)を「声に出すこと」。
気持ちを言葉にすることは、その気持ちに「出てきていいよ、私が受け止めるよ」という“許可”です。ですから、その気持ちを言えば言うほどその感情が溢れ、「あ~私は、こんなにもこう思っていたんだー。初めて分かった」と、その気持ちを“実感”することになります。そして自分に実感してもらった気持ちは後腐れなく消えていきます。これが、気持ちを受け止めるということなのです。

逆に、気持ちを口にしないと言うことは、「私は受け止めないよ」と言っていることなので、その気持ち(インナーチャイルド)はすぐに引っ込みます。文章ですませるということは、IC(気持ち)をIP(思考)で処理して実感させないよ=閉じ込めて出さないよ、ということなのです。


この父親にとって、生身の息子(鏡)と直面することは最大の危機でした。もし息子(外在化したIC)がリアルな感情というものを出したとき、父親が封印しているICが呼応して出てこようとするかもしれません。感情というリアルなものに接することによって、虚構(人生脚本)が暴かれるかもしれません。「感情の墓場」としての家まで作って虚構を生きてきた父親にとって、息子と会うのは極力避けたかったのだと思います。

実際、面会に行っても『当たり障りのない話』しかしていないことが証言されています。
裁判官「6~7回では、まだ当たり障りのない話の段階ということですか」→「当たり障りのない段階です。」と答えています。裁判官のみならず他の人も、これだけの事件を起こしたのに、なぜ息子の気持ちに迫らないのか形を変えて質問していますが、理屈の答弁しか返っていません。




★2)父親の人生脚本-------------------------------------------------

では、どういう人生脚本だったのでしょうか。前項を含めた父親の答弁から類推できる脚本があります。類推できるというのは、次のような脚本はよく見られるものだからです。

「脳内母親以外とつながらず、脳内母親に認められる仕事を続ける」脚本

『脳内母親以外とつながらず』というのは、現家族の妻子のみならず、源家族の父親や兄弟ともつながりません。さらには、自分のIC(インナーチャイルド)ともつながってはいけません。その誰ともつながらず、ひたすら仕事に打ち込む日々を脳内母親に見せる人生を送ります。その脚本ちゃんの思いを言葉にすると次のようになるでしょうか。

「僕は結婚したけど、それもお母さんの“体裁”の願いを叶えるため。でも現家族とは関わらず、夫にも父親にもならずお母さんの子どもで居続けるよ。そして、お母さんに認めてもらうために仕事一途だよ」

つまり、息子がこれほどの事件を起こしていても、仕事を続けている―まさにこの姿こそが、人生脚本そのものなのです。そこに現れている家族や息子を見捨てている姿、それを脳内母親に見せ続けていたのです。このようにパニックになっているとき人が取る行動は、人生脚本そのものが現れます。




★3)息子(IC)を切り捨て脳内親(IP)を選んだ父親-------------------

さて、父親の答弁の中で、父親の「脚本の本音」が出た部分があります。
それは、前項18の弁護人質問の時でした。この時、弁護人は次のように問いました。
弁護人「あなたは理性的に100%の答えを出そうとしているように感じます。本音として、親としてこの子を、『正常に生きていける』と叫びたいと思いませんか」

これに対して理屈で答えようとした父親を「そういうことではなく、本音は何ですかとしか聞いてないです」と弁護人は制しました。すると、『父親は前を向き、わずかに首を右に傾げたまま言葉を継ぐことができない』―フリーズしてしまいました。

それを見た弁護人は「終わります」と質問を終了し、着席します。
この後、驚くべき展開があったのです。『その直後、父親がしゃべり始めた』のです。そして次のように言いました。

「私は死刑を、死刑になって然るべき、死刑にすべきと思います」


・・・唖然としました。

弁護人は、意訳すれば『理屈を離れて本音を言えば、子どもかわいい親心が出てくるでしょう、その本音は「生きて欲しい」じゃないですか?』と確認してくれているのです。

けれど、理屈でしか答えられません。
その理屈を、自分を弁護してくれる側の人間に拒絶されました。
理屈を止められれば、「気持ちを言ってはいけない」禁止令にある父親は当然フリーズします。すると、弁護人はあきらめたように席に着いてしまいました。

恐らくこのとき父親はパニックになったのでしょう。そのパニックとは、直接的には弁護人から「見捨てられてしまう」というパニックです。しかし、それをきっかけに本当に起こっているパニックとは、脳内親から見捨てられてしまうというパニックです。

この時彼は、分岐点に立たされました。
「脳内親」(IP)を取るか、「息子」(IC)を取るか。

いえ、言い換えましょう。
「脳内親」に見捨てられる方を選ぶか、息子を見捨てることを選ぶか。

弁護人が、「終わります」と言って席に着くまでのごくわずかな時間における、父親の内面のバトルはいかなものだったのでしょうか。
しかし、既に自分の気持ち(IC)を殺して生きている父親が、「外在化したIC」である息子を救えるはずもありません。

脳内親に忠誠を尽くして生きている彼に他の選択肢があろうはずがありませんでした。そして、脳内親に向かって叫んだのです。

私は死刑を、
死刑になって然るべき、
死刑にすべきと思います


3度も「死刑」を叫んだのです。しかも、“すべき”とまで言ったのです。
まるで、被害者の家族の父親のように。


「生きて欲しい」と言って欲しかった弁護人。
けれど、父親の叫びは「死刑にすべき」でした。

父親の脚本ちゃんにとっては、最大の見せ場でした。
息子の命と引き替えに脳内親を選んだのですから。

つくづく思うのは、人を殺すことができる人間は、
自分(IC)を殺している人間なのです。




★4)自作自演の脚本人生---------------------------------------------

・・・悲しいけれど、これが人生脚本を生きている人の現実です。ですから、このことを持ってこの父親を糾弾しないで下さい。

みんな、そうなんです。

みんな、脳内親を取るか自分(IC)を取るかの分水嶺に立たされます。あるいは、脳内親を取るか我が子を取るかの選択を迫られます。

そして、自分の脚本に気づいていないほとんどの人が脳内親を取るのです。
こうして子ども達は深く傷つき、自分の存在に自信をなくし、人生が空しくなり、自暴自棄になりながらも愛を求めて脳内親に執着し続けることになります。

このように、人類の不幸は連鎖し続け、不幸を再生産し続けてきました。


もう事件や事故を繰り返すのをやめて、このカラクリに気づきましょう。
脳内親は、所詮思い込みで自分自身が作ったイメージです。自分が創った脳内親に自分が支配されているのです。脚本人生とは、リアルを生きることのない自作自演の虚構人生なのです。

苦しいけれど、この世の不幸をなくしたいのであれば、
あなたが、
脳内親と闘って下さい。
自分の脚本を理解して下さい。

そのためにまずなすべきは、「現実の親」を知ること。
同時に、気持ち(IC)を言葉(音声)にする努力をして下さい。



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Comment

 

悲しいことだなあ・・・
脚本の通りにしか生きられないって、傍から見るとこんな滑稽なことってないんですね
本人にとっては必死なのになあ
この父親のこと、酷いと思いながら、こういう気持ちを封印する構造は私も持ってしまっていることに気付きました
目の前の相手の心配より、理屈を優先してしまったことがあります
私は、ICを殺してたんだなあ

いいこ、いいこ、可愛い、ICちゃん
大好きだよ
ごめんね、あなたを殺してしまって
(だけどしょうがなかったの、この感情が脚本ちゃん?)
今さらかもしれないけれど、もう一度私と一緒に生きてくれるかなあ?
もうしんどい思いして、脚本様に従わなくってもいいのかなあ
だったら素敵
あなたと生きるほうが、ずっと素敵な気がするよ

 

このシリーズもまた読みにくい
毎日開けてはそのままにして、読まずに閉じてしまったりする
読むのが辛いからやっぱり大事なことが描いてあるんだろう

 

本当に

本当にあの時、土下座して陳腐な夢を語って
親が簡単に会いに来れない高校へ行って良かった。

あのまま地元に残っていたら、自分も同じようになっていた。

多分私は親を殺めていたかもしれない。

過干渉でも放任でも親の瞳に映っていない自分を
見続ける事がどれだけ苦しいか。

私はこれかも自分と向き合い自分を解放していく。
自分を生きたい。

 

寂しい

なんか寂しいな。。親が子供を死刑にすべきって悲しいな~。自分とこの加害者はおんなじです。父親からも母親からも無関心で育てられた、孤独の孤独の孤独の中を彷徨ってた加害者の心の闇を理解できます。誰もこの加害者に光を当ててあげる人が一人もいなかったんでしょうか。なんだか寂しいな。寂しいな
ただみんな親から愛がほしいんです。ただそれだけなんです。自分も癒し続けないと連鎖させないために。

 

泣きたい。

辛いな。私も多かれ少なかれ同じようなことしてたもの。父親のしてきたこと、考え、よく分かる。

私だけじゃない。私の周りにもゴロゴロ一杯。

分かるようになっただけましかな。

でも、しんどいなあ。悲しいなあ。心の中がヒリヒリします。

 

私はただ親に抱きしめて欲しいだけなのに、気持ちを伝えられません。
それで結局、私のことを認めてくれないのねとゲームをしかけ、あなたのために働いてるんだという虚しい返事だけをもらっています。

あなたのために何かをしているよという答えはいらないのです。
ただ抱きしめて欲しいだけなんです。

 


>一つ前の記事も読んでいて、自分に余裕がない時ほど今までの癖が出るなぁ、と先日体験したこともあって実感しました。
>先日、カウンセリングで盛大に脚本?が出ていて、その時は全くわからず、帰ってきてから、やっちゃった~(-.-;)と落ち込みました。
>その時の私は、この父親と同じように、脳内親に、《逆らわないよ、私はお母さんの望む通りに生きているよ》と見せていたんだなぁと思います。健気ですね。


 
    
 
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