学校を生かすも殺すも国次第
2006/06/04(Sun) Category : 学校・教育・いじめ
「親がおかしい(4)-万引き」のTB先へ訪問して驚いた記事(↓ちょっと遅いですが…^^;)。
『国立教育政策研究所生徒指導研究センターと文部科学省は、問題行動を起こした小中学生を出席停止とするなど厳格な対応を求める報告書をまとめ、22日公表した』
『高校生には退学や停学などの懲戒処分を実施して学校秩序の維持を図る内容』
『具体的な指導方法として、小さな問題行動から注意するなど、段階的に罰則を厳しくする「段階的指導」を挙げている』
(詳しくは『文科省:問題行動の小中学生、出席停止を厳格に適用』)
さらに、『文科省:児童生徒の指導厳格化を報告』の記事で
『米国では「人間の心は変えられないが、行動は変えられる」という行動主義心理学と、微罪を取り締まって重大犯罪を減らす治安理論の影響で、ゼロトレランス(寛容度ゼロ)教育が隆盛した』『生徒指導の厳格化をためらう理由はない』という和田秀樹氏のコメントにはショックを受けた。
『子どもは救われぬ-ドラマ「3年B組金八先生」の脚本家、小山内美江子さんの話』とあったが、全くその通りだ。
つい昨日『学校を生かすも殺すも校長次第』をアップしたばかりで、唖然とするやら、哀しいやら…。
『教育行政のなぜ?(3)~見守るが、干渉しない』でも書いたが、『上から方針を押し付けると、人の目は現場ではなく上を見る。 そして、肝腎の現場は死んでいく』
その中で、『先生を管理するシステムがそこまで行き渡っているのか! 私は驚いた』と書いているように、既に教師はがんじがらめに管理されている。そして、ついには注意の仕方から懲戒処分にいたるまで指導しようとしている。まるで、教師はマリオネット(操り人形)かロボットだ。
『教育行政のなぜ?(2)~「ゆとり教育」が「学力低下」を招いたメカニズム』で書いたN小とB小を比較して欲しい。
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子供たちは間違ったら叱って欲しいのである。
しかし、叱るためには心がつながっていなければならない。
私は、我が子が小学生の頃、近所の子供たちと遊ぶようになり、その子供たちの個性がわかるようになって初めて叱ることができた。そして、子供たちもしっかりついてきた。
自分がきちんと現実に立っていること、そして、子供と信頼関係ができていること。その上ではじめてできることが「叱る」行為だ。
叱ることができない大人や親が増えているのは、自分に自信がなく、人とつながることができなくなっているからだ。
そこを放置して、上からの指導でいきなり懲罰など言語道断である。
懲罰を受けた子供は荒れるだろう。
『窓ガラスを叩き割った少年へ』は、ある地域のそういう子供へ向けて書いたものだ。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起こした少年達は道徳教育のモデル校の出身であり、その校長は体罰を推奨し、『学校に迷惑をかける者は排除して結構』と先生に指導していたことを思い出して欲しい。
……何処へ?
『国立教育政策研究所生徒指導研究センターと文部科学省は、問題行動を起こした小中学生を出席停止とするなど厳格な対応を求める報告書をまとめ、22日公表した』
『高校生には退学や停学などの懲戒処分を実施して学校秩序の維持を図る内容』
『具体的な指導方法として、小さな問題行動から注意するなど、段階的に罰則を厳しくする「段階的指導」を挙げている』
(詳しくは『文科省:問題行動の小中学生、出席停止を厳格に適用』)
さらに、『文科省:児童生徒の指導厳格化を報告』の記事で
『米国では「人間の心は変えられないが、行動は変えられる」という行動主義心理学と、微罪を取り締まって重大犯罪を減らす治安理論の影響で、ゼロトレランス(寛容度ゼロ)教育が隆盛した』『生徒指導の厳格化をためらう理由はない』という和田秀樹氏のコメントにはショックを受けた。
『子どもは救われぬ-ドラマ「3年B組金八先生」の脚本家、小山内美江子さんの話』とあったが、全くその通りだ。
つい昨日『学校を生かすも殺すも校長次第』をアップしたばかりで、唖然とするやら、哀しいやら…。
『教育行政のなぜ?(3)~見守るが、干渉しない』でも書いたが、『上から方針を押し付けると、人の目は現場ではなく上を見る。 そして、肝腎の現場は死んでいく』
その中で、『先生を管理するシステムがそこまで行き渡っているのか! 私は驚いた』と書いているように、既に教師はがんじがらめに管理されている。そして、ついには注意の仕方から懲戒処分にいたるまで指導しようとしている。まるで、教師はマリオネット(操り人形)かロボットだ。
『教育行政のなぜ?(2)~「ゆとり教育」が「学力低下」を招いたメカニズム』で書いたN小とB小を比較して欲しい。
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子供たちは間違ったら叱って欲しいのである。
しかし、叱るためには心がつながっていなければならない。
私は、我が子が小学生の頃、近所の子供たちと遊ぶようになり、その子供たちの個性がわかるようになって初めて叱ることができた。そして、子供たちもしっかりついてきた。
自分がきちんと現実に立っていること、そして、子供と信頼関係ができていること。その上ではじめてできることが「叱る」行為だ。
叱ることができない大人や親が増えているのは、自分に自信がなく、人とつながることができなくなっているからだ。
そこを放置して、上からの指導でいきなり懲罰など言語道断である。
懲罰を受けた子供は荒れるだろう。
『窓ガラスを叩き割った少年へ』は、ある地域のそういう子供へ向けて書いたものだ。
「女子高生コンクリート詰め殺人事件」を起こした少年達は道徳教育のモデル校の出身であり、その校長は体罰を推奨し、『学校に迷惑をかける者は排除して結構』と先生に指導していたことを思い出して欲しい。
……何処へ?
女子高生コンクリート詰め殺人事件
足立区綾瀬の少年らは、夜8時過ぎ帰宅中の女子高生を拉致し、自宅2階に 40日間監禁、殺害した。遺体はドラム缶に入れコンクリートで固め、江東区の 空き地に棄てた。監禁中、手足に揮発性油を塗りライターで火を付け、被害者が 熱がるのを見て笑い転げた。肛門に瓶 ...