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「ひきこもり」とは何か(3)-6年間引きこもった青木昆陽

2006/06/07(Wed) Category : 不登校・引きこもり
さて、ちょっと間が空いたが、このシリーズの終わりに、引きこもりの例を青木昆陽に見てみよう。
2001.4.25のNHK「その時歴史は動いた」で青木昆陽を見て以来ファンになったが、その時に書いたものを掲載したい。




私の好きな人物の一人に甘薯先生、青木昆陽がいます。
彼は、病の父を助けるため医学に志し、京にて三年学びますが父を救えません。相次いで母をも失ってしまいます。
そして彼は、父のために三年、母のために三年、計六年もの間喪に服します。お参りに行く以外は外に出ず、今風に言えば引きこもったのです。

おそらく彼は、打ちのめされたのだと思います。
文蔵という渾名も誇らしく、あれほど志した学問が現実の前には何も役に立たなかったのです。
しかし、彼はその文蔵と言う呼び名にかけて学問を世の役に立たせてみせる、とリベンジを誓ったに違いありません。


大飢饉が訪れた際、彼は餓死者を救う道はないかと文献を調べ上げて、馬鈴薯に出会います。そして馬鈴薯を研究し、飢饉に備える作物として馬鈴薯の栽培を提案するため一冊の本を書き上げます。それを町の奉行所に提案。

日頃の昆陽の行いに目をとめていた奉行は大岡越前にその本を啓上し、越前より時の将軍吉宗に提案がなされます。かくして、国策として馬鈴薯栽培プロジェクトが承認されたわけです。


しかし、当時江戸では、馬鈴薯を食べると死ぬという説が流布されており、時の権威、新井白石さえも反対しました。その権威を向こうに回しての馬鈴薯作りでしたが見事成功し、その後は飢饉に備える食べ物として全国に広がっていきます。

特に終戦後何もない焼け跡闇市の時代は、この芋粥が日本人の主食とさえなりました。いわば、日本の最大の危機である戦後を支える食べ物に育ちました。



昆陽は、薩摩で飢饉対策用に育てられていた甘薯というベストプラクティスを江戸に定着させ、さらには日本全国のスタンダードにした優れたコーディネーターになりました。
そして、七二歳で死ぬ一年前まで馬鈴薯に関する知見を書き続けています。彼は生涯、人のために役立つこと、そして、人を救った馬鈴薯にこだわり続けました。





昆陽にとって六年間の引きこもりが、その後の人生の礎になったと思います。

六・三・三・四制というルールも、一浪一留までしか採用しないというルールも、現状の社会システムに人を合わせるための単なるルールです。
ルールはルールとしてそれにせかされたり振り回されたりされず、自分と向き合うべきときは自分としっかりと向き合いましょう。
それができた人だけが、昆陽のように他の人を救うことができるのではないかと思います。



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