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「仙台平野の歴史津波」が教えること

2013/12/28(Sat) Category : 地震・災害・脱原発
★古代からの津波の法則を解明した飯沼勇義さん-------------------------

今回の記事を書きながら発見した人がいます。
飯沼勇義さんという郷土史家の方です。

仙台生まれ仙台育ちの飯沼さんは、40年にわたる仙台の歴史研究を通して、古代から津波被害が繰り返されてきたことを解明しました。そして、平成6年(1994年)に研究をまとめた原稿を完成させて当時の市長に津波防災の陳情をあげ、翌年出版後に当時の宮城県知事浅野氏に津波防災を急がなければならない理由を陳情されており、具体的な提案は15項目に上ります。

研究の元となったのは、公的な資料だけではありません。それらには、負のことや不都合なことは書かれていないからです。そこで飯沼さんは、地方研究者が持っている民間資料を40年にわたって入手し、それらを元に津波の法則性を発見されました。

そして、仙台平野のあまりの無防備さに危機を覚えて陳情されたわけです。


過去を振り返らない、事実を封印するということはこういうことなんですね。
「歴史」に載せず事実を消すことで、危機感も生まれず安穏としていられます。そして、同じ過ちを繰り返します。

過去を振り返り、事実を目を背けずに見るということはこういうことなんですね。危機が芽生え、使命感が生まれ、リスクを冒す行動に結びつきます。(山本太郎もそうだったのでしょう)

飯沼さんは次のように書かれています。
『歴史研究者は、歴史を書き著すということを通じて得られた経験則により、これから起こり得ると考えられることに対して、どうしなければならないかということにも言及する使命があると考えます。ここでは、当然、この仙台地方に住んでいる人々の命を守るためには、どういうことが必要なのだろうかということです』




★記録に残る歴史津波------------------------------------------------

 869年 貞観津波
1611年 慶長津波
1896年 明治三陸津波
1933年 昭和三陸津波
1960年 チリ地震津波
2011年 東日本大震災

*貞観津波

【貞観地震の断層モデルに基づく津波のシミュレーション】

*〈869年 貞観の地震〉津波、仙台平野の内陸まで

*貞観・慶長・平成…3度の大津波伝える地層 宮城で確認

*116年前の"明治三陸大津波"惨状伝える48枚の写真

*昭和三陸津波

*チリ地震津波

『研究を進めると紀元後の約2000年間だけでも12回もの大津波が仙台平野を襲ったことがわかってきました。』と飯沼さんは言います。東日本大震災は1000年に一度の震災ではなかったのです。




★記録から消された仙台沿岸津波と大和政権-----------------------------

飯沼さんは、歴史の空白から、記録上最古の貞観津波より170年前(700年頃)に、巨大津波があったことを突き止めました。それを「仙台沿岸津波」と仮称されています。

なぜ、記録から消されてしまったのか?
そこに大和政権確立に関わる背景が隠れていて、とても興味深いものでした。

日本で大和政権が確立したのは、天武・持統の代です。
このとき、日本史上最初で最大の都城―藤原京(奈良県橿原市)が建設され(676~709)、皇祖天照大神及び伊勢神宮が確立し、古事記、日本書紀という国の形を整える(大和政権の正当性を流布する)史書の編纂が始まりました。

藤原京(25平方キロ)は、平安京(23平方キロ)や平城京(24平方キロ)をしのぐ押しも押されぬ大都市で、天皇や貴族中心の白鳳文化が華開きました。


この日本国統一に当たってなさなければならなかったのが、東北支配の確立でした。そこで、藤原京から正確に45度鬼門(東北)の方角に位置する仙台郡山を国府(大和政権の東北支配の拠点)とし、そこに大官衙(かんが=役所)を建設します。670年頃といいますから、まさに藤原京造営と同時期に建設しているわけです。

ところが、発掘調査により郡山にⅠ期とⅡ期の2つの官衙があったことが判明。しかも、Ⅱ期目は規模が縮小された上に同じ敷地に寺院が並立していました。

さらにⅠ期官衙が造営されてわずか50年ほど後の724年頃に多賀城の丘陵地帯の高台(海抜約33m)に国府が建てられ、国府機能は仙台郡山から多賀城に移っています。

国府というものは、永続的な管理を目指して盤石の体制で設立されるものです。仙台郡山も、そのように目される大官衙でした。にもかかわらず、そのⅠ期大官衙がなぜなくなり、Ⅱ期目になぜ寺院が並立され、さらに50年あまりの間に国府そのものまでもが移転されたのか?

その謎を解く鍵が、歴史から抹殺された仙台沿岸津波でした。
『国家的な威信と威容を誇った大建造物』は、わずか30年ほどで津波により消滅してしまったのです。


さて推測ですが、大和政権のいう蝦夷(えみし)とは、縄文由来の人々でしょう。その人々は、水神、龍神、瀬織津姫を信仰していたでしょう。そこを支配しようとした日神アマテラス勢力は、ものの見事に津波という形で水神勢力に打ち砕かれたわけです。

このことは、大和政権としては歴史に残すわけにはいかなかったと思われます。そして、人民救済と鬼門にいる鬼神を鎮めるため寺院を並立した仮の官衙(仮庁舎)を建て、一方で津波の被害に遭わないように国府の代替地を探したのでしょう。それが、同じく藤原京から45度鬼門(東北)の方角に位置し、かつ海抜約33mの高台にある多賀城でした。




★伊達政宗と忠宗の願い----------------------------------------------

150~200年に一度、巨大津波が仙台を襲っているようです。
時は移り、伊達政宗の頃、慶長津波が仙台を襲います。豊かな仙台平野は、海水と泥砂の埋まる荒野と果てました。が、政宗は新田開発という大義名分を持って、被災地へどんどん家臣を派遣して荒れ地開墾を行いました。

貞山堀と呼ばれる運河を整備したのも、津波対策もあったのかもしれません。


二代目伊達忠宗は、仙台沿岸に赤松黒松の防潮林を植えました。
けれど、370年を経た防潮林数万本は、仙台港建設に当たってことごとく伐採され、結果、仙台港は津波の『格好の侵入口』となってしまいました。

今、樹齢370年の松林群がそこにあったら・・・と、思ってしまいます。
仙台の人々の命を守りたいという忠宗の願いは、経済優先の現代の人々には届きませんでした。忠宗の植えた松は、津波が来る前にバッサリと切られてしまったのです。


そういえば、12/27、辺野古の埋め立てを沖縄県知事が承認しましたね。
切るのも簡単。
埋め立てるのも簡単です。

永遠の長きにわたってずっと維持されてきたものを
エゴで終わらせるのは簡単です。

ただ、そこで「終わり」になるだけ。
誰も責任をとりません。後の世代が割を食うだけです。

政治経済優先の現代人の浅知恵で、自然環境はいいように道具にされてきました。2013年―地球規模で異常気象が多発した年。ガイアは、私たちに何を告げようとしているのでしょうか。




★津波研究から生まれた特許------------------------------------------

『セレンディピティとは、何か一つの研究をしているときに探しているものとは別の価値あるものを見つける能力をさす言葉』だそうです。

飯沼さんは、『津波が来るたびに、海中に含まれる鉄分が内陸に運ばれ、朝鮮半島から製鉄方法が伝わる以前から古代の日本人は薪を使って鉄を作ることができていたはずだと考えるに至ってきました』。

その海洋性鉄の文化を調べている内に、フルボ酸鉄を含む牡蠣殻に行き着きます。そして、それが津波を防ぐ松林の松枯れ蘇生に効果があることを発見し、なんと特許まで取られています。
植物も土壌も人も全てを元気にしてくれるかき殻肥料

『本発明は、かき殻(燃焼加工なし)とフルボ酸鉄含有腐植土と松枝・松葉および松笠のうち1種以上、高温で加熱したほっき貝殻とを成分に含むことを特徴としている。上記成分の添加により、主要ミネラル他微量ミネラル約28~70種以上を有し、且つミネラルが土壌に溶出し易い有機質肥料となる』

『本発明を使用することで、病虫害を減少させ、多くの良質な作物を収穫できる。また、本発明を用いて栽培された米は、精米出荷時にはくず米が無く、全て一等米であった。また、溶出したミネラルにより、活性化した土壌中の微生物が有害物質を分解し、土壌改良にも効果的で、酸性雨等に対応できる免疫性のある土壌を作り出すことが可能となる』そうです。すごいね~!


飯沼勇義さんの歴史研究も特許も陳情も、すべて郷土愛―美しい故郷を維持し、仙台の人々を守りたいという愛情からなされた行動です。市井の片隅で人知れずこういう努力をされている方が、郷土を守っていくんだなぁと感じました。

宮城県知事及び各市長の方々には、是非耳を傾けてほしいものです。


上記に書いた内容は、下記の本に書かれています。

「仙台平野の歴史津波」復刻 (本田印刷)





飯沼勇義さんのブログ→ツナミの恐ろしさを忘れてはならない







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飯沼氏の本読みました。概ね納得なんですが、一部読むに堪えない部分も。2000年前に高さ100m位の巨大津波が仙台平野を襲ったのでは?という記述。物理的にありえないし、もしあったら仙台は滅亡するし、んなものは人間の力でどうしようもない不可抗力。いさぎよく諦めるのが吉。

あと沖縄基地移設と仙台港の件はリンクしないと思いますが如何。背景が全然違うのにむりやりリンクさせるのは違和感ありまくりです。

 
    
 
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