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【縄文vs弥生】2.列島激震の200年、縄文人と弥生人の融合

2014/01/14(Tue) Category : 神社・寺・城・歴史
【縄文vs弥生】

大和政権成立後、列島激震の200年----------------------------

ちょっと備忘のために災害の歴史を振り返ってみました(以下、WikiからでM7クラスのもの。噴火は○で示す)。

670頃 ・大和政権&天皇制が確立(天武天皇、倭から日本へ)
679  筑紫地震
684  白鳳地震(天武地震:土佐で津波、田が海面下に沈降)
694  ・藤原京(日本史上最初で最大の都城)
700頃 仙台沿岸津波(仙台郡山の国府崩壊→多賀城へ移設724)
701  大宝地震(丹波で地震うこと三日、敦賀湾で40mの大津波)

710  ・平城京
712  ・陸奥国、出羽国が成立
715  遠江地震(天竜川が洪水)
720  ○富士山の噴気は日常(万葉集「燃ゆる火を~」の歌より)
724  ・多賀城に国府を設置
734  畿内七道地震(死者多数)
745  天平地震(美濃)
762  美濃・飛騨・信濃で地震
781  ○富士山で灰が降り草木が枯れる

794  ・平安京
800-2 ○富士山延暦大噴火(東側斜面に西小富士を形成)
801  ・蝦夷討伐(坂上田村麻呂→アテルイ)
818  弘仁地震(北関東:死者多数)
827  京都で地震
828  ・延福寺(円仁)
830  出羽地震
841  伊豆地震(死者多数)
850  出羽地震(死者多数)
863  越中・越後地震(死者多数)
864-6 ○富士山貞観大噴火(剗の海埋没し西湖と精進湖、溶岩流の上に青木ヶ原樹海形成) 
864-7 ○阿蘇山噴火
868  播磨地震(山崎断層)
869  貞観地震&貞観津波(多賀城損壊/被害甚大)
871  ○鳥海山噴火
874  ○開聞岳大噴火
878  相模・武蔵地震(死者多数)
880  出雲地震
886  ○伊豆諸島噴火(房総にも被害)
887  仁和地震(越後津波→信濃山崩れ・洪水→五畿七道諸国大震)
915  ○十和田火山大噴火(過去2000年で最大規模の噴火)
938  京都などで地震
976  山城・近江地震

東北全土に火山灰を降らした十和田の大噴火以降は、地震、津波、噴火とも減っており、この700~800年代に多発しています。

こうしてみると、大和政権確立後の200年間(飛鳥後期~奈良~平安前期)は「日本国」を建設していく過程にあって、自然界も激動の時代であったことがわかります。上記に書いていない地震や他の火山の噴火もあったようで、まるで列島が怒っているかのごとしです。




大和朝廷の縄文人同化政策----------------------------------

一方、「日本国」を成立させ、首都(平城京)をつくり、奥羽を国となした朝廷にとって、それを形に終わらせず実質的なものにするためには蝦夷(縄文人)を服従させることが至上命題であったことでしょう。律令国家を目指す中に自由人がいては困るのです。

そこで、同化政策をとります。
712年陸奥国・出羽国が成立後すぐに1千戸を東国から陸奥に移住させたり、801年に蝦夷(アテルイ)討伐が成るとその拠点の胆沢に4000人を移住させたり、朝廷はすぐに手を打っています。

アテルイ討伐が陸奥国・出羽国成立後90年近くも経ってからです。これでわかるように、陸奥・出羽という国名を名付けたからと言ってその両国が大和朝廷の傘下に入ったわけではありませんでした。
(同じように、縄文時代、弥生時代と学者が歴史区分をしたからと言って、弥生時代に入ると縄文人がいなくなったわけでもありません)

蝦夷を支配するために仙台郡山に築いた大官衙(国府)が700頃の仙台沿岸津波で壊滅したり、津波被害を避けるために多賀城に移設しても869年の貞観地震で損壊したり、この東北の国府の有様が、蝦夷支配の難しさを象徴しているかのようですね。




俘囚(縄文人)の移住と公民(弥生人)との融合-----------------

一方、蝦夷の中で朝廷の支配に下ったものを俘囚(ふしゅう)と呼び、白人がアメリカインディアンを強制移住させたように全国各地に移住させました。

蝦夷:陸奥・出羽(奥羽=東北地方)に住む縄文人(先住民族)。
俘囚:大和朝廷に従属した縄文人。

当初は、俘囚も徴税の制度の中に取り込もうとしたようですが、“できなかった”(↓)ようで、子孫達から税を取る方針に変えました。

『例の俘囚たちは、常に旧来の習俗を保ち、未だに野心(服従しない荒々しい心)を改めようとしません。狩猟と漁労を生業とし、養蚕を知りません。それだけでなく、居住地が定まらず、雲のように浮遊しています。調庸を徴収しようとすると、山野に逃げ散ってしまいます。』
【延暦17年(798)1月~4月 移配蝦夷から調庸を徴収しないと定める】

800年頃には、蝦夷にアテルイという強力な王ができる一方、日本各地に俘囚が散在していたことがわかりますね。
このように移配させられても王民化しない者を「荒(あら)蝦夷」、王民化した者は「和(にぎ)蝦夷」と呼び、和蝦夷は兵隊として組み込まれていったようです。

というのも、俘囚=縄文人は狩猟および武芸(特に乗馬と騎射)に秀でていたからであり、この俘囚が武士の原型となっていきます。俘囚が持っていた蕨手刀(わらびてとう)は日本刀の原型とされています。



<続く>




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