プロフィール
 

中尾英司

Author: 中尾英司
Doing(させる,働きかける)ではなく、Being(共にある,見守る)―半歩あとから


カウンセリング申込み要領

中尾真智子ブログ

ホ・オポノポノ to IC―
「ごめんね」「ゆるしてね」
「ありがとう」「愛している」

 
ピックアップ目次
最近の記事+コメント
 
 
カレンダー(月別)
 
07 ≪│2017/08│≫ 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
 
カテゴリ
 
 
全ての記事を表示する
RSSフィード
 
 

【縄文vs弥生】4.俘囚(縄文人)から武士の発生と平将門

2014/01/16(Thu) Category : 神社・寺・城・歴史
【縄文vs弥生】

天皇(神/尊)と俘囚(鬼/卑)の血を引く将門---------------------

前記事で房総が俘囚が多く移配された土地の一つであることを見ましたが、この下総を領地としたのが鎮守府将軍となった平良将(桓武平氏=桓武天皇の子孫)です。平良将の妻の一人が下総国相馬(茨城県取手市辺り)の名族犬養氏。その子が将門です。

犬養一族は俘囚と血縁を持ち、母方(相馬)の元で育った相馬小次郎(後の平将門)も、俘囚からいろいろと学んだのではないでしょうか。

蝦夷を討伐した桓武天皇の子孫(桓武天皇5世)であると同時に、
俘囚の血を引く者として一族から蔑視された将門。

体制から見れば、「尊」と「卑」を併せ持った複雑な立場の者でした。
(つまり、体制がなければ尊も卑もないと言うことです)

それも単なる貴賤ではなく、片や現人神である天皇であり、片やその天皇が畏怖する鬼=俘囚なのです。神の立場と鬼の立場の両極を一身に抱え込んだわけですから、そのストレスは大変なものがあったことでしょう。

その苦しみから逃れるためには、自分にそういうレッテルを押しつける体制(物差し)を破壊しなければならない。あるいは、自分自身が物差しとなるしかない―どこかでそう思っていたかもしれません。

まぁそれは置くとして、将門の置かれた環境が、将門に日本の歴史を裏から見る目を与えたかもしれません。それに、身近な俘囚や鎮守府将軍の父から蝦夷の様子を聞くなどの実体験もあったことでしょう。そして、関東を支配に収め、関東以北の縄文パワーを味方につければ天下をひっくり返せると思ったのかもしれません。




まつろわぬ民達の怨念のタワー「新皇」将門---------------------

そして自分の目の前には、国司の横暴に疲弊している住民がいました。将門は製鉄炉を設置し鉄器を作って住民に力をつけていきます。
将門は次のような人物だったそうです。

masakado2.jpg


そこへきっかけが訪れます。常陸国の豪族藤原玄明が、受領の倉を襲って農民に分け与え、将門の元へ逃げてきたのです。前記事で見た受領の苛政に対する負名の決起ですね。玄明を匿った将門と常陸軍が激突し、将門圧勝。その勢いを借りて一挙に東国支配を目指します。

masakado3.jpg

masakado4.jpg


やがて、京都の天皇に対して「新皇」と称するようになります。
そこには、征服民族の天皇ではなく、縄文の血を引く自分こそがこの国の王であるという自負があったのかもしれません。虐げられた者、まつろわぬ民達の怨念を、将門というタワーが吸い上げたように思います。


西で藤原純友の乱も起こり、慌てた朝廷(朱雀天皇)は、なんと「将門を殺した者は、身分を問わず貴族にする」という前代未聞の太政官符を、しかも一般大衆に向けて発令しました。

それまで貴族は世襲の特権階級。入り込む余地はありませんでした。そこまで大和政権は追い詰められたわけです。そして、将門を殺した平貞盛は貴族となりました。結果的に、将門は貴族支配の壁に穴を開けたわけです。まさしく将門は武士の時代の扉を開いたのです。

なお、将門が敗れたのは、農業に従事させるため兵を村に帰したその隙を、官軍に襲われたためだそうです。




侍の守護神となった平将門-------------------------------------

古来、征服民族の長である天皇が畏れたのは、オオモノヌシなどの自然神と自然神を敬い生命力あふれる縄文人のパワーでした。天皇の血と縄文パワーを併せ持つ将門を大和朝廷が畏れ、後に祟りを起こさぬよう奉っていったのも無理なきことだったと思います。

平将門の時代に「武士」という呼び方はありませんでしたが、この承平天慶の乱(平将門の乱と藤原純友の乱:939-40)の勲功者の子孫のみが「武士」とされるようになり、武士の時代が幕を開けていくことになります。

やがて武士の争乱の世を経る中で、将門は武士の神となっていきます。というのも、将門は騎馬隊を駆使し、反りを持った最初の日本刀を作らせ、武士の発祥と目されていたからであり、また将門討伐が武士社会の扉を開けたからでしょう。

下は、将門が作らせた製鉄炉から10kmの所で発見された刀です。
masakado1.jpg

そして、家康は将門を奉る神田明神に戦勝祈願をし、関ヶ原に勝って天下統一。武士が天下を治める時代になりました。

神田明神は出雲系の氏族がオオナムチを祀った(730)ことが始まりですから国津神系ですね。その近くに将門の首が葬られた(935)ことから、合祀されるようになりました(1309)。

江戸幕府は幕政に朝廷を関与させないために、神田明神を江戸城の鬼門にあたる現在地に移したそうです(1616)。まさに天皇を遠ざける役割を果たさせているわけですね。

おもしろいですね~。
日本を治めるためには縄文パワーの協力を得なければならないようです。




「大和魂」は「縄文魂」---------------------------------------

もう一つおもしろいですね~。
日本刀は「武士の魂」。
そして、侍は日本の象徴。

その侍及び日本刀の源は、平将門でした。
その将門は、大和朝廷に反旗を翻した「まつろわぬ者達」の怨念のタワー。

「大和魂」と言われていますが、その神髄は、
自然とともにある「縄文魂」ではないでしょうか。






【ご参考】もう一つの日本を創った男 ~平将門 東国独立政権の謎~













大手町に出勤していた頃、海外出張に際して将門の首塚にお参りしたことを思い出します。



<続く>


関連記事
 
Comment0  |  Trackback0
 
 

Trackback

 

Trackback URL :
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

 
 

Comment

 
    
 
Home | Top ▲
 
はじめにお読み下さい
 

読まれる上での留意点
自分を取り戻す方法総目次
*全記事リンクフリーです

 
ブログ内検索
 
Google

Web このブログ
 
会場でお会いしましょう(^^)
風化させまいカレンダー
 
 
著作
記事・インタビュー他
わが子を守るために
写真/動画集はこちら↓
 
 
お問い合わせなどあれば↓
 

名前:
メール:
件名:
本文:

 
ブックマークに追加
 
 
月齢
 
Today's Moon phase
 
↓このパーツを設置すると14本の苗木を植えられます
QRコード
 
QRコード