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【縄文vs弥生】6.縄文(弓・馬)と弥生(稲作)の融合~陸奥安倍氏と出羽清原氏の隆盛

2014/01/20(Mon) Category : 神社・寺・城・歴史
【縄文vs弥生】

★ちょっと振り返り―弥生東征、縄文との融合の歴史---------------

縄文という平和な時代が1万数千年も続いたことが信じられない西洋人。縄文人は、自然を読む山人であり海人であり騎馬・弓術・操船に長け、日本海を庭とするどころか北米・南米まで到達し、グローバルに環太平洋を駆け巡った、いわば超人類(スーパーマン)でした。

住みたいところに住む国境なき彼らにとっては、地球すべてが庭。まさに地球人の原点のようなありようです。

その自然とともにあったサステナブルな縄文日本に出雲族(青銅器)、天孫族(鉄器)などの弥生人(稲作民族)が侵入。地球(土地)を区分けして支配する権力構造が生まれます。

弥生人は、列島を西及び日本海側から支配していきます。
雲伯の出雲王朝に始まり、大和王朝は紀伊半島に移りました。
縄文人は、関東以北に追いやられて蝦夷(えみし)と呼ばれるようになります。

政権を統一した大和は、蝦夷を移配(強制移住)。
蝦夷が多く移配させられた土地では、縄文(弓・馬・船=武)と弥生(稲作=文)が融合し、豪族が生まれます。
定着しストックする弥生と、漂泊し連携するフローの縄文。
ストック経済とフロー経済の融合で勢力が生まれるわけです。

移配させられた地形に合わせた形で縄文人は弥生人に力をつけました。
たとえば、瀬戸内では水軍や海賊、関東では騎馬・弓術。
こうして武士(純友や将門)が生まれていったわけです。純友や将門は、縄文と弥生の融合の最初の象徴でした。

やがて武士が鎌倉に政権を構え(鎌倉幕府)ますが、それは縄文+弥生の混血勢力だからこそ、関東に進出できたとも言えるでしょう。そして、江戸時代は、江戸に構えた江戸幕府(縄文+弥生の武士政権)が東北の縄文勢力と関西の朝廷(弥生)勢力を押さえ、その均衡の上で270年近くもの長きにわたる繁栄を謳歌することになります。

そして明治以降、天皇がついに、かつての野蛮な地東京に居を構えることになりました。雲伯→関西→関東と、2000年をかけて弥生勢力は縄文人と混血しながら東進してきたと言うことですね。

こうして眺めると、2000年の歴史もあっという間のようで、古代の話も身近に感じます。


―さて、今は鎌倉に幕府が開かれる少し前の時代。
先に、縄文+弥生の文化が東北で華開いたのです。その過程を少し振り返りつつ見てみましょう。




★蝦夷とは追い詰められていった縄文人のこと---------------------

陸奥国が654年、出羽国が712年に設置された当時は、岩手、青森あたりに支配されない蝦夷(えみし)がいたようです。(映像はBS歴史観「アテルイ」より)

aterui3.jpg


細かく言えば、出羽側の北の民を「蝦狄」、陸奥側の北の民を「蝦夷」とよんでいました。岩手、青森も陸奥に統合されて後、鎌倉時代には北海道だけを夷島(えぞがしま)と呼ぶようになります。

恵迪寮にいた頃に援団が夜仕掛けてきたストームが懐かしいですね。次のような歌を歌いながら、酒を飲んで踊り狂ったものです。

1 札幌農学校は蝦夷ケ島 熊が棲む 荒野に建てたる大校舎 コチャ エルムの樹影で真理解く コチャエ コチャエ
2 札幌農学校は蝦夷ケ島 手稲山 夕焼け小焼けのするところ コチャ 牧草片敷き詩集読む コチャエ コチャエ
3 札幌農学校は蝦夷ケ島 クラーク氏 ビーアンビシャスボーイズと コチャ 学府の基を残し行く コチャエ コチャエ


閑話休題―
さらに江戸時代になると、蝦夷地とはアイヌの居住地を指すようになります。そのように呼ぶようになったと言うことは、内地での縄文人と弥生人の融合が終わって「日本人」になったと言うことでしょう。


朝廷は、630年~894年にかけて遣唐使を派遣していますが、659年に蝦夷の夫婦一組を連れて唐の皇帝に謁見したそうです。蝦夷は唐の皇帝高宗(こうそう)の前で50m先の的を弓で百発百中で射貫いたそうです。陸奥国ができて間もなくの頃ですが、朝廷の捕虜となった蝦夷だったのでしょうか。

aterui6.jpg

(なお、このとき高宗は、自分のことを「天皇」と呼ばせていました。この後、高宗(649-683)と在位期間が重なる天武(673-686)が「天皇」の称号を用い始めるわけですから、高宗の影響を受けていた可能性は大いにあると思います)




★朝廷軍事基地(弥生)の北上------------------------------------

さて、蝦夷側の観点で言えば、朝廷は蝦夷の土地に勝手に名前をつけて所有物化(国有化)し、土地に柵を打ち込んで城を作り(城柵)、そこに兵を常駐させて強引に天皇のものにされていったわけです。

出羽の拠点となった城柵が秋田城(あきたのき)。658年から城柵を出羽内各地に作っていますが、だんだん北上し、733年に作られた秋田村出羽柵(いではのき)が760年に秋田城になっています。

aterui1.jpg


陸奥側の拠点は、欧州全域の支配拠点でもあり、「遠の朝廷(とおのみかど)」と呼ばれた多賀城(724:宮城)。

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そして、坂上田村麻呂が難敵アテルイを討つために奥州に入り、802年に2000人の兵が常駐できる巨大な胆沢城(いさわのき:岩手)を建設したことが、アテルイ降伏のきっかけとなりました。

aterui15.jpg


アテルイ後、蝦夷が屈服したわけではなく、俘囚の乱が各地で起こったことは先に見たとおり。
3.国司の横暴と俘囚(縄文人)の反乱と藤原純友

上記にある878年の秋田俘囚の大乱とは、俘囚が秋田城を占拠した事件。このとき朝廷は条件を提示して乱は鎮まりました。939年にも官稲を奪うために秋田城は襲撃されています。ちょうど、純友・将門の乱が起きた年ですね。国司の横暴がひどかったのでしょう。




★交易で栄える蝦夷に稲作をもたらした田村麻呂--------------------

ところで、タモノキミアテルイとは個人名ではなく、タモ山のアトロイ村の族長及びその人々のことではないかという説もあるようです。アトロイ村から2kmのところに日上乃湊(ひかみのみなと)があり、金や琥珀、昆布、弓矢のための鷹の羽、馬(東北は名馬の産地)、ヒグマやアザラシの毛皮まで交易されていました。

aterui8.jpg


つまり、アテルイの時代には、東北・北海道は言うに及ばず、大陸からの文物を都に交易することで潤っていた蝦夷(えみし)が既にいたと言うことです。雲のように浮遊する一族もいれば、定着して勢力を持つ一族もいたのでしょう。

771年には渤海の使者325人が秋田城に来た記録もあり、
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大陸系の人のみに寄生する回虫の卵が見つかっているのは、太宰府と秋田城だけとのことですから、この2カ所及びオホーツクルートが大陸の玄関口だったのでしょう。

aterui10.jpg


そこに田村麻呂が入ってきて、寺院をたくさん建てて教化し稲作を教えたのが800年代初等の頃からのことです。蝦夷は、交易そして稲作を手に入れることになります。まさに、縄文と弥生の融合。それが、北の豪族、陸奥安倍氏(俘囚長)、出羽清原氏(俘囚主)を生み出したのではないでしょうか。




★陸奥安倍氏と出羽清原氏---------------------------------------

その安倍氏が朝廷への貢租を怠るようになったため、陸奥守藤原登任が討伐に向かいますが安倍氏圧勝(1051年)。

朝廷は、東国支配を狙っていた河内源氏の源頼義(前記事、平忠常を討った源頼信の嫡男)を鎮守府将軍として送り込みます。なんだかんだありますが、苦戦した源頼義は中立を保っていた出羽清原氏に執拗に働きかけ、ついに清原氏が参戦。やっと安倍氏を討ちます(1062年:前九年の役)。

東北支配をもくろんだ源頼義でしたが、伊予国を与えられて引き上げ、奥羽は清原氏に与えられました。藤原純友の乱で見たように伊予国も反大和の国であり、同時に豊かな地でもありましたから、押さえと恩賞の地であったようです。朝廷の本音は、武士にこれ以上力をつけられたくないこと、また、「夷を以て夷を制す」方針で縄文パワーを抱き込もうとしたのでしょう。

一方、河内源氏初代頼信は東国を鎮め(平忠常の乱)、二代目頼義は大和朝廷の難題であった東北を討ったことで、河内源氏は武家の棟梁と目されるようになっていきます。(鎌倉幕府を開いた源頼朝、室町幕府を開いた足利尊氏も河内源氏だったそうです)



<続く>



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